エリーは異世界転生者。 17歳のある日、自分が生きるこの世界が前世で夢中になっていた漫画そっくりだと気づく。 彼女の推しは主人公の親友・ゼノン。 けれど彼は自らのコンプレックスに苦しみ、やがて闇落ちしてしまう運命だった。 「推しの不幸なんて見ていられない!」 エリーは魔術士としての立場を活かしてゼノンの訓練指導官となる。 彼が闇に囚われる前に心の傷を癒やし、運命を変えてみせる——。 しかし、いつしかゼノンの瞳にはかつてなかった熱が灯るようになり……? 「エリーさん。僕はあなたのおかげで救われました。だからもう、逃げるなんて言わないでくださいね?」 これは推しの救済を願った女性が、いつしかその心を奪われる物語。
Lihat lebih banyak前世の記憶はあるものの、だいぶふんわりとしていて思い出せないことも多かった。
だから私は取り立てて異世界転生者だと意識することもなく、普通にこの世界で生きていた。 エリー・コーマ。それが今の私の名前。 この世界は前世風に言えばファンタジーな世界観で、魔法があったり、神様や魔物がいる。 特にこのサンクトゥア神皇国は女神信仰の国。 数百年に一度女神が地上に降臨して、聖騎士たちを引き連れ、この世の闇を払うという伝説があった。私は魔力の才能があり、魔法に興味があったので、魔術アカデミーに入学して勉強に励んだ。
聖騎士ほどじゃないが、上級魔術士になれば出世コースである。「エリーは努力家だね。父さんの自慢の娘だよ」
「母さんの自慢でもあるわ。でもエリー、出世ばかりじゃなく恋やおしゃれもしっかり楽しむのよ」
両親はそう言って私のことをいつも褒めてくれる。
「エリー、兄さんを忘れるなよ。アカデミーでいじめられたらすぐに言うんだ。いじめっ子を消してやるから」
準聖騎士である兄まで揃って、うちの家族は末っ子の私を過保護に溺愛気味なのである。
ちょっと困る時もあるが、私も家族が大好きだ。前世では早死してしまった。もう覚えていないけれど、きっと家族は悲しんだと思う。
だから今生ではしっかり長生きして、出世して、恋もして? 幸せをいっぱい手に入れて、みんなで笑いあって生きていきたいと思っている。そんなわけでとりあえず魔法の勉強に励んだ私は、それなりに優秀な成績でアカデミーを卒業。十七歳で下級魔術士としてキャリアのスタートを切った。
順風満帆な異世界人生だった。 ――と、思っていた時期が私にもありました。荘厳な神殿の祭壇の前に、二人の少年が跪いている。
年の頃は、少年らしさが残る十代半ば。彼らは対照的な容姿をしていた。 一人は太陽の光を凝縮したような金の髪。少しだけ癖のある金髪が、神殿のステンドグラスから差し込む光を反射して、美しくきらきらと光っている。 もう一人は夜闇そのものを思わせる漆黒の髪。まっすぐでさらさらの絹糸のような髪が落ちかかって、彼の表情を隠している。その二人の前に立ち、大司教が祝福を授ける。
早春の日差しがステンドグラスに透けて、神秘的な光が辺りに満ちていた。「ここに新たな聖騎士が誕生した。アレク、そしてゼノンよ。女神の降臨は近い。既にその予兆が見えた。よって聖騎士としての本分を全うし、この世の正義のために力を尽くすように」
「はい、もちろんです」
金の髪のアレクは視線を上げて前を見る。大司教と祭壇、その背後に立つ女神像を。
明るく活力に満ちた声で、はっきりと答える。「使命、確かに承りました」
黒髪のゼノンは目を伏せたまま。長いまつ毛が彼の青い瞳を覆っていた。
静かに答える声は、まるで夜の湖面にさざなみが立つよう。彼らはまるで光と闇の化身のように、どこまでも正反対だった。
それでいてそれぞれが美しく、神殿の雰囲気と相まっていっそ神々しいほどに見えた。新聖騎士の叙任式を見学しにきた人々が息を呑むほどに。「…………」
そして私は思い出した。
このシーンは見覚えがある。 曖昧だった前世の記憶が急激に鮮やかになっていく。前世で大好きだった漫画、『女神の聖騎士』の序盤の名シーン。
何度も何度も読み返して、紙の本がボロボロになってしまったので電子書籍で買い直した。 主人公のアレクとライバルのゼノンの対比が美しい筆致で描かれていた、お気に入りのシーンだ!「ゼノン、そんな、嘘でしょ……」
思わず漏れた呟きと同時に、目の前がぐるんと回るような感覚。そして暗転。
「エリー? しっかりしろ、エリー!」
兄の焦った声が遠くに聞こえる。
意識が、途切れた。
「それで、護衛とは?」 私がニジイロカエルの説明をすると、ゼノンはうなずいた。「では、僕が護衛しましょう」「え! そんな、聖騎士様がするような仕事じゃないですよ。普通の兵士か、町の冒険者に頼もうと思っていました」 するとゼノンは一瞬、ほんの一瞬だけ不機嫌そうに目をそばめた。 いつも完璧な彼がそんな表情をしたのが信じられなくて、見間違えかと思う。 まばたきするともう、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。「仕事に貴賤はありませんから。それに僕は聖騎士といっても新人です。小さな仕事を積み上げて実績にしたいのです」「ええと……そう言ってくださるなら、お言葉に甘えます」 するとゼノンはまた一瞬だけ嬉しそうに笑った。すぐに引っ込めてしまうの惜しい、明るい笑みだった。 それから日程を話し合って、出発は五日後と決まった。 出発当日の朝、私は夜明け前に起き出してサンドイッチを作った。 前世であればお弁当はおにぎりと唐揚げが鉄板だが、あいにくこの世界にお米はない。 いつか種を探して栽培したいが、今言っても仕方がない。 で、ものすごく迷った末に、二人前作った。 たぶんゼノンは自前でお弁当を持ってくると思うが、もしものことがある。 余ったら夜に兄にでも食べてもらえばいいのだ。 準備を整えて玄関先まで出ると、人影がある。ゼノンだ。「お待たせしました、ゼノン様。迎えに来てもらってすみません」「いいんですよ。エリーさんの家は城門に近い。城や神殿で待ち合わせるより時間の節約になりますから」 私たちは城門を出て歩き始めた。 東の空はきれいな朝焼けに染まっている。 昼間は人でいっぱいの街道も、この時間ではさすがにまばらだ。 ゼノンは私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれている。体を鍛えている聖騎士だから、きっと飛ぶように早く進めるだろうに。「美しい朝焼けですね。まるで闇
ゼノンの訓練は続けているが、私の仕事は他にもある。 もともと私は地属性と水属性を活かして、薬草園の管理をしていた。 魔力を養分として与えることで、特殊な効果を持った薬草を栽培できるのだ。 当初は一代限りと思われた品種も、掛け合わせに工夫をこらせば新しい品種が生まれたりする。やりがいのある楽しい仕事だ。 おかげで薬草に詳しくなって、調薬なども得意になった。 薬草園は私のテリトリー。 今日も水やりをすれば、植物たちは嬉しそうにきらきらと輝いている。 今の季節は春の終わり。これから夏に向かって、植物たちは旺盛に成長する季節だ。 水は魔法で出して散布する。天然スプリンクラーである。 これをやると虹ができて、ちょっと嬉しい。 私は魔力量こそそれなりに高いが、攻撃魔法は適性が低い。 だから聖騎士であるゼノンの役に立つには、後方支援を頑張るしかない。 原作の漫画世界では、アレクとゼノンが十八歳の年に冥府の神が目覚めて全面戦争に突入する。 あとたった三年しかない。 この世界が原作通りになるかどうかは不明だが、楽観視はできなかった。「戦争で必要とされるのは、傷薬と消毒薬。痛み止め。それに……」 あまり考えたくないが、麻酔のたぐい。 この世界は治癒魔法があるので、少々の怪我なら治る。 けれど治癒魔法の使い手はそんなに多くないし、内臓に達するような重傷は治せない場合が多い。 だから傷薬や消毒薬はいくらあってもいいと思う。 そして文明度が中世くらいなので、医療技術は高くない。高度な手術などは不可能だ。 ではなぜ麻酔が必要かというと……助からない患者を楽にするため。 先の大戦で需要があったと歴史書に書いてあった。 だが麻酔のレシピは失われている。ならば作ってみようと思ったのだ。 使い道は、そんなに複雑じゃない手術とかでも活かせるはず。 今は麻酔なしの気合根性で処置するしかない。聖騎士のような特別に精神力が高い人なら
「……っ」 やがて疲労で集中が切れた。 閉じていた目を開けると、すぐ目の前にゼノンの美しい顔があって思わずのけぞった。 彼はゆるくまぶたを閉じている。まつ毛がすごく長い。 涼しげに通った鼻筋と、薄い唇。 絶世の美少年が至近距離にいる。 と、まぶたがゆっくりと開かれた。 冴え冴えとした青い光がこぼれるように、アクアマリンのような瞳が私を見る。「あっ! あのっ! 今日はここまでにしておきましょう!」 焦った私は彼の手を離して、ぴょんと後ろに一歩下がった。 推しのご尊顔が目と鼻の先とか、心臓に悪いわ! ゼノンは左手を差し出した格好のまま、美しい青い瞳で私を見つめている。「あの、ゼノン様?」「……不思議な感触でした。凝っていた魔力がゆっくり解きほぐされて、体の中を巡っていくような。とても暖かい感覚」「あー。地属性を介して、私の魔力を少し流しましたから。ゼノン様の魔力はまだ発展途中なので、外部から刺激を与えるのもいいかと思いまして」「あの暖かさが、エリーさんの魔力……」 どこか夢見るような瞳でうっとりと囁かれて、私の心臓は爆発しそうな勢いでドコドコ鼓動を打った。 推しの声! 耳が幸せになる声! もっと聞いていたいけど、これ以上は心臓がががが。 と、そこへ。「ゼノン! そっちも訓練は終わったか?」 明るい声に振り向くと、満面の笑顔のアレクが立っている。「俺はやっぱり魔法より武術が好きだなー。体を動かした方がスカッとするし!」「アレク、まったくきみは……。僕も今、訓練が終わったところだ」「じゃあ一緒に帰ろうぜ。後で手合わせしよう」「分かったよ。エリーさん、今日はありがとうございました。次の訓練もよろしくお願いします」 ゼノンはペコリと頭を下げると、アレクと連れ立って去っていった。
「ゼノン様は、魔力と魔法の訓練はどのくらいの経験がありますか?」「聖騎士候補生の訓練学校で、ごく基礎的なものだけ受けました。魔力は子どもの頃は安定しにくくて、十五歳を過ぎてからの方がいいと聞いています」「はい、そのとおりです」 私が魔術アカデミーに入学したのはもう少し早い時期だったが、当初は座学中心だった。実践に入ったのは十五歳頃だ。 魔力は精神に直結する力なので、未熟な子どものうちは無理はできない。「では、まずはゼノン様の魔力を診させてもらいますね。手を取っていいですか?」「……どうぞ」 彼は穏やかに微笑んだ。その笑みは訓練への意気込みを感じさせるようでいて、違和感がある。 そういえば原作のゼノンは、他人との接触をあまりしようとしなかった。 親友のアレクにさえどこか壁があって、そんな様子がクールさを際立たせていたのだが……。 私に触られるのが嫌なのかもしれない。 けどこれは訓練で、拒まれているわけではないし考えても仕方ない。 ゼノンが差し出した手をそっと握る。少年から大人に変わりつつある年頃の手は、厳しい武術の訓練で既にごつごつとしていた。 彼の左手を両手で包むようにして、意識を集中させる。 共通の属性である地を介して、彼の内面に広がる魔力の波を読み取っていった。(すごい……) 私も二つの属性持ちの魔術士で、それなりに優秀だと自負していた。 けれどもゼノンの魔力は果てが見えない。文字通り桁違いだ。 大地はどこまでも広く、霜を下ろす冷気が満ちている。 空を覆う闇がゆらゆらと揺れて、月の光のような淡い陰影がたゆたっている。 それはとても美しくて――物悲しい光景だった。 地はともかく、闇と氷は扱いが難しい属性ではある。 人は本能的に死と夜を、闇を恐れる。冬の氷を厭う。 けれど全ては表裏一体なのだ。 私は前世、雪国育ちだった。 だから雪に埋も
その後の私はゼノンの魔術訓練官に正式に立候補して、各方面の説得に当たっていた。 駆け出し下級魔術士の私では、聖騎士の訓練官にふさわしくないという意見が多かったので、不利を少しでも減らすためだ。 ベテランを推薦しようとした上司には、こう言った。「年の近い私の方が、お互いに切磋琢磨して訓練できると思うんです。ゼノン様は優秀な聖騎士と聞きました。訓練であっても一方的な指導ではなく、潜在能力を引き出す方向がいいのではないでしょうか」 ものは言いようである。 上司は言いくるめられて、ベテランの他に私も推薦してくれた。 他にも訓練官に立候補を考えている先輩を牽制したり、まあいろいろやった。 そしてその成果として、私はゼノンの担当訓練官に選出されたのである! 待ちに待った訓練の日がやって来た。 ゼノンはアレクと一緒に魔術棟までやって来た。 長い廊下を歩いてくる美少年二人の姿は、そこだけ後光が差しているかのようだ。そこらをたむろしている魔術士たちも自然、二人を通すために横によけている。「こんにちは! 今日からよろしくお願いします!」 金髪のアレクが元気いっぱいに挨拶した。「精一杯努めます。よろしくお願いします」 黒髪のゼノンは落ち着いた様子だ。とても十五歳には見えない。 静かな声音はアニメの彼とまったく同じで、私の耳が幸せになる。 訓練場でアレク組とゼノン組に分かれた。 私の顔を見て、ゼノンは小首をかしげた。「担当官の方は、もっとベテランなのかと思っていましたが。お若いのですね」「ええ、まあ」 いろいろ裏工作したとは言えない。私はちょっと引きつった愛想笑いをした。「私の魔力属性は地と水ですから。ゼノン様の力をよりよく引き出すのに、ちょうどいいと判断したんですよ」「なるほど、そうでしたか。僕の属性は闇と地と氷」 彼はちらりとアレクを見た。その瞳に薄暗い色を見つけて、私は慌てて言う。「光や火に比べて派手さはありませんが、大事な属性ですよ」「ええ、そうですね」 ゼノンは微笑んだが、心から納得していないのは何となく分かった。漫画の世界とはいえ、ゼノン推し歴十年の私を舐めては困る。「闇は冥府の属性、地も地底の冥府につながり、氷は生命を奪う冬を連想しますよね。でもそれだけではないんです。闇は安らぎ、地は生命を支える大地。氷だって自然の営
次の問題は闇落ちの原因だ。 ゼノンの心理は複雑で、ファンの間でも解釈が分かれていた。 一つ、高潔で完璧な無私の聖騎士を目指すあまり内面が空虚になって、自分を見失ってしまったから。 二つ、アレクにずっとコンプレックスを抱いていたが、誰にも相談できずにこじらせてしまったから。 三つ、心から崇拝し敬愛する女神に選ばれなかったから。 漫画のゼノンは気高く高潔であろうとする心と、コンプレックスに苛まされ嫉妬に歪む心の間で悩んでいた。 この世界のゼノンはまだ十五歳。 悩みはあったとしても、まだそこまで深刻化していないかも。そう信じたい。 一介のモブに過ぎない私にできることは限られている。 アレクや信頼できる聖騎士の仲間と違って、私の言葉など聞いてもらえないかもしれない。 そしてこの世界はあくまで現実で、漫画の中のお話ではない。漫画の設定に引っ張られすぎると思わぬ落とし穴がある可能性もある。 けれども何か少しでも手助けができれば。それが彼の心を少しでも穏やかにできれば。 この世界にゼノンがいる以上、私の心は決まっていた。「よし。やってやるんだから」 ――さあ、私の異世界転生はここからが本番だ。 そんなわけで。決意を固めたところで両親と兄が部屋に入ってきて、はちゃめちゃに心配されたのだった。「エリー、本当に大丈夫かい? 昨日倒れたばかりなのに、今日仕事に行くなんて」「お父さん、大丈夫だから。職場まで兄さんに付き添ってもらうし」 翌日、そんなやり取りをして家を出た。 叙任式の場で倒れた私を家族は心配しまくっていて、昨日からずっとこんな調子なのである。「エリー。馬車が来たよ」 兄が言う。 普段は徒歩出勤なのだが、心配し過ぎの家族が今日は馬車を呼んでくれた。「ねえ兄さん。聖騎士は魔術訓練をするのよね?」 馬車に揺られながら兄に聞く。兄はうなずいた。「ああ、実戦こそが最良の訓練とはいえ、叙任されたての聖騎士ではそうもいかない。中級や上級の魔術士の中から相性の良い者を選んで、魔術訓練の担当官を決めるよ」 兄は準聖騎士。聖騎士を補佐する立場の役職にある。「ということは、昨日の二人の訓練官はこれから決めるのかな」「アレクとゼノンか。彼らは新人ながらも、非常に潜在能力が高いと評判だ。あれだけの人材が同時に二人も出たとなると、本当に女神降臨
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