静かなノックの音に驚く。俺は、ノーヴァにつられて扉の方を見た。
「やめておきなさい、ノーヴァ」
いつの間に来たのか、開け放たれた扉へ寄り掛かったヴァニルがノーヴァを制止した。
卒業の機会《チャンス》と覚悟を奪いやがって、と言いたいが、声を荒らげるような雰囲気ではない。ヴァニルの深刻そうな様子に、心臓がドクンと嫌な跳ね方をする。「ヴァニル····どういうつもり? 何邪魔してくれてんの」
ノーヴァが睨みをきかせて言った。けれど、その鋭い視線にも怯む事なく、ヴァニルは意味のわからない事を言い出す。
「今のまま彼と交われば、確実に血の味が変わりますよ」
「······何それ。そんなわけないでしょ」「まったく、貴方は未だ自覚がないんですか?」やれやれと溜め息を吐くヴァニル。ムッと頬を膨らませているノーヴァと交互に見て、俺はイラつきをぶつける。
「お前ら、さっきから何の話してるんだよ。俺にはさっぱりなんだが」
「お前は知らなくていいよ」「え····俺、当事者じゃないの?」「ははっ、しっかり当事者ですよ。それはもうガッツリと」「だよなぁ。そうだよなぁ。で、俺は知らなくていいと?」ノーヴァは苛立ちながら、何故かまたモジモジし始めた。頬を赤らめて、どういう感情なんだよって表情《かお》をしている。
ヴァニルは、ノーヴァを揶揄うように薄ら笑み、呆れた目を俺たちに向ける。「ヌェーヴェル、貴方は我々の事をどう思っていますか?」
「どうって、何だよ唐突に。漠然としてるな····」「ヴァニル、はっきり言いなよ。甘い血は、こ、恋の証なんでしょ」「ふふっ、そうですよ。ノーヴァ、貴方の初恋ですね」「ハツコイ·&mid甘い血を求めるのは吸血鬼の本能。ローズが言う恋の成分を含んだもの、それを探知する為の能力らしい。 けれど、ほんのりと甘く絶品なのは片想いの間だけ。両想いになると、喉が焼けるほど甘く感じるようになる。曰く、恋い慕う人間の愛を手に入れる代償なのだと言う。 それはおそらく、人間と吸血鬼が交わる禁忌への戒めでもあるのだろう。混血は禍いをもたらすという、古代人の意味不明な迷信に過ぎないが。現に、ノウェルは特段禍いの種になどなっていないのだから。 だが、より甘くなるなら代償とは言わないのではないだろうか。吸血鬼の感性はよく分からん。「なぁ、なんでもっと甘くなるのがいけないんだ? 吸血鬼って甘いの苦手なのか?」「いえ、本当に喉が焼けるんですよ」「はぁ!? いや、待て。ローズの喉は焼けてないぞ。そんな話、一度も····」 俺が取り乱すと、ヴァニルは不機嫌そうに顔を歪めた。「チッ··ローズって誰ですか? その方の事は知りませんが、きっと喉は焼け爛れている筈ですよ」「そんな事····」 愕然とした俺を見て、歪めていた表情を戻したヴァニル。今度はとても穏やかな表情で、そして、慈しむような声で囁くように言葉を置く。「それでも飲み続けるという事は、よほど番を愛しているのでしょうね」「番って····。つぅか、喉が爛れて飲めるものなのか?」 半信半疑な俺を見て、ヴァニルはフンッと鼻を鳴らした。「まぁ、吸血鬼ですし回復はお手の物ですから」「なるほどな」 納得している俺に、ヴァニルは注釈を添えるように言う。「····ただ、尋常ではない痛みに耐えている筈ですけどね。何度も自ら焼く覚悟、それはもう至極の愛ですよ」 うっとりとした表情を浮かべ、胸の前で指を絡めて語るヴァニル。
いやまぁ、そうかそうか。ノーヴァにも恋をする心があったんだな。少し安心した。 特殊な生い立ちの所為か、感情が少し欠落していると思っていたのだが、そうか、そうだったのか。良かったじゃないか。 ····いや、何も良くない。ノーヴァに感情が芽生えているのは喜ばしいが、俺の置かれた状況は変わらないのだから。なんなんだ、この無駄なモテ期は。 それにしても、誰より不憫なのはノウェルだ。こいつらの色恋沙汰に巻き込まれた挙句、ヴァニルに嬲られてるんだからな。どうにかしてやらないと。 そんな事を考えていると、ヴァニルがまたとんでもない事を暴露した。 喉を焼くほどの甘さへ到達するには、双方の想いがなければならないらしい。つまりは、両想いということだ。「ちょっと待て。じゃぁなんでヴァニルの喉が焼けるんだ」「おや。やっと気づきましたか」 俺がヴァニルへ想いを寄せていると言うのか。この俺が、こんな変態を? 好きかと問われようものなら、間違ってもイエスとは言わない。なのに、どうして両想いという事になっているのだ。「貴方が阿呆だからですよ、ヌェーヴェル。貴方、とっくに私のこと好きじゃないですか。主に身体が」「なっ!? 心の話じゃないのか」「そうなんですけどね。身体から引っ張られてくる心というものもあるんですよ」 身体を懐柔され、知らぬうちに心までヴァニルの良いようにされていたという事か。言われてみれば、口では拒絶するような事ばかり言っていたが、心から拒絶した事はなかった。 むしろ、コイツらを求めて身体が疼く事もあった。アレはただの性欲だと思っていたが、そこに想いが混じっていたという事だろうか。 いや、そんなはずはない。断じて有り得ない。そんな事があってはならないのだ。それでも、思い当たる節がないわけではないから反論もできない。 コイツの言い分を認めてしまえば、幾らか楽になるのだろう。しかし、俺は難儀な性格をしているらしく、心の整理ができるまでは認められそうにない。 だが──「も
あの夜から暫く、甘ったるい雰囲気が続いている。 ノーヴァは暇さえあればご機嫌で傍らに居るし、ヴァニルは無駄にちょっかいを掛けてくるわ絡んでくるわ。いい加減鬱陶しい。 そんな折、めでたく18歳になり成人した俺の、誕生パーティが開催される季節を迎えた。今年は例年よりも少し派手に、そこそこの規模で行われている。 ヴァールス家が経営する製薬会社の薬学課に、いや、父さんの管轄下に置かれ監視されることとなった。以前から顔を出しては手伝いをしていたが、この度正式に籍を置けと仰せつかったのだ。 その記念パーティも兼ねているときたから、無駄に盛大な催しとなっている。「今宵はお集まりいただき、誠にありがとうございます。ヌェーヴェルも漸く──」 息子自慢から始まった父さんの長ったらしい口上を、皆グラスを片手に飽き飽きと聞いている。大人達の張り付いた笑顔が気持ち悪い。 優秀かつ眉目秀麗な俺を、自慢したくなる気持ちは分かる。だが、グラスを落としてしまいそうなほど退屈な長話は勘弁してほしい。「では、ヌェーヴェルからも一言」 ······なんだと。聞いてないぞ。このクソ親父、また勝手なことを!「えー、皆様。毎年、私の為にお集まりいただき大変恐縮です。節目の歳を迎えまして、父から一層の飛躍を期待され荷が重い··というのが正直なところです。はは····ですが、世の為に成果を残せるよう尽力して参りますので、どうぞお力添えを──」 俺は完璧な挨拶を終え、拍手喝采を浴びながら舞台を降りる。そして、父さんのくどい口上を上手く躱し、恙無く乾杯を済ませた。これで今日から、俺も堂々と酒を仰げるわけだ。 俺に群がる女共も増えるわけだが、これまで通り適当にあしらっておけばいい。父さんが絡まない限りは、それでやり過ごせるだろう。 父さんは毎度毎度、何の相談もなく勝手に事を進める。腹立たしい事この上ない。俺が学院の寮に入る事も、父さんの会社に勤める事も
「ヌェーヴェル····あぁ、僕の愛しいヌェーヴェル。あの2人がいないうちに···さぁ」 俺の頬には手が添えられ、ゆっくりとノウェルの顔が近づいてくる。 「なっ、何だよ!? やめろって····」 俺は必死にノウェルの胸を押し返す。だが、まったく敵わない。 「何って····僕と愛を育むんだよ。照れないでおくれ」「はぁ!? お前っ、狂ってんのか! 照れてないわ!! はーなーれーろっ!」 俺は、全力で押し除けようと試みたが微動だにしない。酔っている所為なのか、血走った眼が恐ろしい。「こんの馬鹿力がっ!」「ヌェーヴェル····僕はね、ずっと我慢してたんだよ? 君が僕に振り向いてくれない事も、あんな吸血鬼共に君が弄ばれている事も、僕にもアイツらと同じ吸血鬼の血が流れている事もっ!!」 ノウェルは歯を食いしばりながら、自らの首を締めて爪を立てる。「お前、知ってたのか。いつから····」「君が10歳になったあの日、君の誕生会で、だ。君が薔薇の棘で指を怪我して、流した血を僕が舐めただろう」 そんな小さな出来事などいちいち覚えていない。そう言ってやりたいのは山々なのだが、切羽詰まったコイツの表情を見ていると言葉が詰まる。「その瞬間だよ、心臓がドクンと跳ね、醜悪な欲求を覚えたのは。君の首筋に喰らいつき、その血を全て啜ってしまいたいような····そんな激しい気持ちが湧き上がったんだ」 俺の所為じゃないか。とんだ失態だ。幼い俺は、それに気づけなかった。 けれど、今なら分かる。こいつの前で、誰よりも俺の血を見せてはいけなかったのだ。「まさか、そんな子供の
──バァァンッ 勢いよく扉が開かれた。「····っ!? ヴァ、ヴァニル! た、助けて──」「ハァ······ノウェル、私達はこうなる事を恐れていたんですよ。だからこの身を呈して、同族である貴方へあんな愚行を働いたというのに····」「ヴァニル······貴様にどれほど嬲《なぶ》られようと、僕がヌェーヴェルへの想いを断つことなどない! 貴様らにわかるか、この積年の想いが!」 昂るノウェルは、激しい身振り手振りで感情を剥き出しにする。けれど、ヴァニルはそれを鼻で笑い、クッと顎を持ち上げ挑発的に返す。「わかりませんよ。だって、まだ出会って何年も経ってないんですから。ハハ····という事はもう、運命とでも呼ぶべきでしょうか」「おいコラ、煽るんじゃないヴァニル!」「貴様····殺してやる······僕のヌェーヴェルを弄ぶ罪深いお前らを、僕のこの手で····」「ダメだ! ノウェル、落ち着け。お前の手が血で塗れるなど、俺は望んでいない!」 やばい、ノウェルの瞳が深紅に変わっている。このままじゃ、吸血鬼として完全に覚醒してしまう。ノウェルが変わってしまう······。 焦るだけで何もできない。そんな自分の無力さに打ちのめされそうになった時、ヒュンと黒い影のようなものが横切った。それと同時に、俺に跨っていたノウェルが消えた。 影の行先を見ると、ノーヴァがノウェルの首を締め上げ、壁に押さえつけていた。
気がつくと、2人と出会った王魔団の廃城に居た。 カビ臭くジメッとしていて、相変わらず嫌な雰囲気だ。なんとなく気分が悪い。そりゃ、この環境じゃ仕方ないか。 ここに来るのはあの肝試し以来だ。あの時は、こんなにゴタゴタするなんて夢にも思わなかった。アイツらと出会わないほうが良かったのだろうか。 などと、不毛な事を考えている場合ではない。 どちらにしても、ノウェルと宜しくなる気は無い。アイツら2人とだって、添い遂げるわけではないのだ。 奴らに応えてしまえば、はたまた欲求に従ってしまえば、家督を継ぐことができなくなってしまうのだから。 なんにせよ、ノウェルとの関係は修復が難しいだろう。そもそもノウェルと俺が宜しくやるのを、あの2人が今更認めるとも思えない。私用で会うことすら難しくなる可能性だってある。 となると、これまでのように馬鹿な事を言い合ったり、つまらない競走で張り合ったりはできないのだろうな。そう思うと、少し寂しい気もする。 全てが上手く進まない。バカ2人に出会わなけりゃ、俺は快楽に堕ちることもなかっただろうし、今頃童貞を卒業できていたかもしれない。 いかん、また不毛な考えが巡っていた。そう言えば、今は何時なのだろう。あれからどのくらい寝たんだ? まだ外は真っ暗だが····。 辺りを見回すと、少し離れた所にノウェルが転がっていた。きっと雑な扱われ方をしたのだろう。 あの2人は何処だ。不安に駆られ、かろうじて部屋と呼べる区画から出てみる。部屋だったと思しき区切りがいくつもあり、その一画にヴァニルが居た。「おや、目が覚めましたか。おはようございます、ヌェーヴェル」「ヴァニル! お前何考えてんだよ。俺をこんな所に連れてきてどうするつもりだ!?」「ええ、実はこのまま此処で暮らそうかと思いまして」「······はぁ!? 何を馬鹿なこと····ハンッ、くだら
「動くな。ようやく見つけた慕人《ボヌルシオン》。その頸《くび》に我らが刻印《しるし》を。沸き立つ紅き血と醜猥な念望《ねんもう》を刻め」 紅黒の瞳に縛りつけられているかの如く、俺の意思では瞬きさえできない。今のは何かの呪文なのだろうか。 “ボヌルシオン”って何だ? 何を刻むって? 強ばったままの身体は、息の仕方さえ忘れようとしている。すると、ぼんやりと輝いていた紅黒の瞳が通常の状態に戻り、俺の拘束はすぅっと解けた。「ヌェーヴェル、貴方に選ばせてあげます。私とノーヴァ、どちらと契約しますか?」「はぁ?」「どちらの血が欲しいですか?」「どういう事だ。お前らの血なんか欲しくないぞ。俺は人間だ。飲むわけないだろ」 ヴァニルの言っている意味が分からない。どちらに飲んでほしいかでははく? 人間である俺が、血なんぞ欲するわけないだろう。「そうではありません。今から吸血鬼になっていただきます。飲んでもらう訳では無いので安心してください。強制的に傷口から流し込みます。言わば感染のようなものだと思っていただければ、幾分か解りやすいかと」「······は?」「貴方が吸血鬼になれば死なないし、今より血も吸い放題です。同族の血はあまり栄養価がありませんが、元人間の貴方の血なら幾分かはマシでしょう。その分、多く吸って犯すことになりますが。何よりも、永遠に一緒に居られますしね。そして、遠慮なく犯せる。簡単な話だったんですよ。初めからこうしていれば良かったんです」 ヴァニルは夕餉の献立を相談するかのように、つらつらと笑顔で並べ立てた。「いや、いやいやいや。俺、吸血鬼にならねぇよ? 何言ってんだよ」 理解が追いつかず、戸惑いと素が出てしまう。「選べ、ヴェル。いつまでもヴァニルと共有はできないんだ」「何のルールだよ。俺は····選べない。お前らと3人で居るのは案外楽しかったから&middo
「それにしても····ヌェーヴェルが我々をそんなに気に入っていたなんて、嬉しい限りですね」 俺を見てにたっと笑うヴァニル。無性に悔しさが込み上げた。「それは····身体だけだ」「····わかってますよ」 ヴァニルは、俺の返答に不服そうな面をした。「けど、その、なんだ····我儘言って悪いな。俺はお前に抱き潰されるのが、えっと····好き、だから····」「わかってますよ。たとえ身体だけだとしも、貴方は私を求めてる。私は、貴方が腕の中で快楽に表情《かお》を歪めるのを見れれば良い。今はそれだけで······」 今度は恍惚な表情を浮かべ、ヴァニルは俺の頬に指先を触れさせる。コイツ、こんなに表情豊かだったか?「お前、やっぱ変態だな。ほんっとブレねぇの、逆に凄いと思うぞ」「······はぁ、まったく貴方って人は····。ですがやはり、ヌェーヴェルを抱き潰すのは私だけがいいです」「は? 何勝手な事言ってんの? ボク、振られたワケじゃないんだからね。ボクも遠慮なくヴェルを抱き潰すよ」 ヴァニルとノーヴァのくだらない言い合いになど、付き合っていられない。「どうでもいいが、ノウェルはどうするんだ」「あぁ、あの人は手に負えませんね。いっそ、取り込んでしまえば良いんじゃないでしょうか」「取り込むって、アイツも混ざるって事?」「ヌェーヴェルが、ノウェルを殺すのを嫌がるから仕方ないでしょう。安心してください。私に良い
俺はすぐさまヴァニルを連れタユエルの店へ向かう。 最悪の事態──それはきっと、タユエルが食料としてではなく無作為に人間を殺めた、という事なのだろう。「ヌェーヴェル、大丈夫ですか?」「あぁ。こういう事態に備えて最低限の訓練はされている。お前に説明するまでもないだろうが、ヤツが暴走していればその時は····」「それは私が。貴方が太刀打ちできる相手ではありません。それに、彼を手に掛けるのは辛いでしょう」 俺とタユエルが長い付き合いだと知って、ヴァニルなりに配慮してくれたのだろう。しかしそれを言うならば、ヴァニルのほうが関係としては深い。「お前の方がやりにくいんじゃないのか。師匠みたいなものだったんだろう? ましてや、同胞を手にかけるなんて気持ちの良いものではないだろ」 ヴァニルは俺に口付けて、それ以上言うなと黙らせる。仕事だと割り切っている····そういう事なのだろう。 俺は気の利いた言葉を見つけられず、黙って銃の確認をした。あくまで念の為だ。 タユエルの店の前に立ち、腰に忍ばせた銃へ手を添える。息を殺し、ゆっくりと扉を開く。 隙間から中を覗くが、真っ暗で何も見えない。しかし気配はある。耳を澄ませると荒い息遣いが聞こえた。 思いきって一歩踏み入れた瞬間、耳を劈くような怒声が響く。「来るな!! ヴェルなんだろ? 絶対に入ってくるなよ!」 明らかに様子がおかしい。手遅れだったのだろうか。「····そうだ、俺だ。タユエル、何があった。何故、立ち入るのを拒む」 タユエルからの返答がないので、ゆっくりと扉を開ききる。陽の光が差し込み、その奥にタユエルの姿を目視した。「入るぞ」 俺はまた一歩踏み込む。タユエルの出方を窺いながら、一歩一歩慎重にカウンターへ向かう。 古い木造の匂い。その中に、血の様な鉄っぽいにおいを感じる。 胸騒ぎ
「ヴェル、起きて。ねぇ大丈夫?」 いつの間にか子どもの姿に戻っていたノーヴァに、柔らかく頬を抓られて目が覚めた。「ん····大丈夫··だ。ぁ、は、腹····」 腹の痛みが消えている。けれど、あの熱さだけは残っている感じがしてズクンと疼く。きっとこれは腹じゃなく、脳にこびりついた感覚なのだろう。 そして、熱さの理由はもうひとつ。ヴァニルが申し訳なさそうに俺の腹をさすっているのだ。こいつの手は冷たいのだが、気持ちは伝わってくる。「ヴァニル、大丈夫だ。もう痛くない」「いえ、そういう事では····。優しくするという約束だったのに、すみません」 ヴァニルは眉間に皺を寄せ、なんとも苦しそうな表情《かお》をしている。 まだ身体を起こせないが、俺はそっとヴァニルの頬に手を添えて微笑んだ。「ヌェーヴェルが私に優しい顔を向けてくれるなんて、出会って随分経ちますが初めてですね」「俺だって、こんなに穏やかな気持ちになったのは初めてだ」 ノーヴァが俺の額を撫で、啄むようにキスを落とす。「ノーヴァ、くすぐったい。なんだ?」「気絶する前に言ったこと、憶えてる?」 そう言えば、とんでもない事を口走った記憶がある。「······憶えてない」 俺は、ふいと目を逸らして言った。耳まで熱い。「嘘だ。憶えてるでしょ」「憶えてねぇよ。あの時は頭の中が真っ白だったからな」 必死に誤魔化したが、下手な嘘など通用しなかったようだ。 ノーヴァにじっと見つめられ、俺は観念して白状する。跡を継いで、全て終わらせてからにしようと思っていたのだが、あんな事を口走った後なのだから仕方がない。「俺は、お前たちを大切に想ってる。ずっと身
ほんの数秒で唇を離し、ノーヴァの目を見ながらそっと離れる。ノーヴァの唇へ視線を落とすと、自分でわかるほど瞬時に頬が紅潮した。「次は舌、絡めて」 そう言って、ノーヴァはベッと舌を出して見せた。触れるだけのキスで心臓がイカれてしまいそうなのに、そんな破廉恥な事を自分からできるのだろうか。 このヤワな心臓が根性を見せてくれることを期待して、少し開けて待っているノーヴァの小さな口に、ええいままよと舌先を差し込んだ。 いつもはされるがまま舌を絡めていたが、自分で絡めにいくとなると想像以上に難しい。「ヌェーベル····ソレ、後で私にもシてくださいね」 振り返ることができないので確証はないけれど、きっと嫉妬に歪んだ顔で言っているのだろう。 「ん、んぅ····」 俺のたどたどしい舌遣いに焦れたのだろう。ノーヴァは俺の両頬を手で抱え、こうやるのだと言わんばかりに激しいキスをしてきた。 いつも通りの、息ができなくなるやつだ。酸欠で意識が朦朧としてくる。「ふ、ぅ····ノー、ヴァ····待へ、ぅふ、は、ぁっ····ふぇ゙····」「アナタたちのキスを見てるだけで、なんだか苛つきますね····もう動きますよ」 突くのを待ってくれていたヴァニルだが、堪らずに動き始めた。 突かれるリズムに合わせ身体が前後する。けれど、頭が固定されている所為で衝撃を逃がしきれず、腹の奥に快感となって留まって苦しい。 ヴァニルが結腸口を叩く度に噴いてしまうので、ノーヴァとベッドがびしょ濡れだ。いつもなら、ぶっ掛けてしまうと嫌味の一つや二つ言うくせに、今日はお構いなしにキスを続ける。「ノ
ノーヴァは優しいキスを繰り返す。徐々に激しさを増し、早速約束を破って大人の姿になった。 そして、大きくなった手で俺の頬を包み口内を隈無く舐めまわす。「んっ、おま····大人になるなって··んんっ」「ん······ふぅ。こっちだと、ずっと奥まで犯せるもん。それと、血···もうガブ飲みはしない。これからは、ヴェルを危険な目に合わせるのは控えるよ」 優しさを見せているつもりなのだろう。俺に譲歩すると言いたげなノーヴァを愛らしいと思う。「控えるという事は、やるときゃやるんだな」「だってヴェル、好きでしょ? 死ぬほど犯されるの」「······嫌いじゃない」「あははっ。素直じゃないなぁ」 ノーヴァは再び俺の口を塞ぐ。ケツを弄っていたヴァニルは、潤滑油《ローション》が乾かぬうちに滾って反り勃ったモノをねじ込んだ。「んぅ゙っ、ん゙ん゙ん゙っ!!! んはぁっ、デカ····待っ、デカ過ぎんだろ······」「デカいの好きでしょう? ほら、もうイきそうじゃないですか。まだ挿れただけですよ」 確実にいつもより大きい。圧迫感が凄いのだ。なのに、容赦なく奥へ進んでくる。「ひぅっ、あぁっ!! ふっゔぁん····アッ、やだ、奥待って」「大丈夫。まだ奥は抜きませんよ。もう少し、ここを解してからです」 ヴァニルは下腹部を揉みながら、期待を持たせるような事を言う。そして、ぱちゅぱちゅと音を立てて俺を煽る。「ヴァニル····
集まった視線に、俺は直観的な苛立ちを覚えた。「な、なんだよ」「お前がそれ言うの? ヘタしたら、ヴェルが誰よりも我儘だし欲深いよ」「そりゃまぁ、俺だしな。それくらいの気概がないと、ヴァールスの名を継ごうなんて思わないだろ」 俺の言葉に、全員が耳を疑ったらしい。揃いも揃って、イイ面がマヌケに口を開けている。「貴方、もしかしてまだ継ぐ気なんですか? てっきり、私たちを選んだ時点で諦めたものとばかり····」「諦めてたまるか。嫁の件は父さんに上手く言って白紙に戻した。子供の事は追々考えるからいいんだよ」「そういえば、よくあのパパさんを言いくるめられたよね。なんて言ったの?」「····内緒だ」 うまい言い訳が思い浮かばず、バカ正直に『好きな人ができたから見合いは無かったことにしたい』と、子供の駄々みたいな理由を告げただなんて言えるか。しかし、あのクソ親父がよくそれで許してくれたなと俺も思う。 正直、もう出家覚悟で言ったのだ。それだけは、絶対にこいつらにはバレないようにしなければ。「貴方が言いたくないのなら聞きません。私達を優先してくれた事実だけで充分です」「そうだね。まぁ、ボクは暇だし、我儘坊やの復讐手伝ってあげてもいいよ」「私も、協力しますよ」「あぁ、頼りにしてるよ。って··おいこらノーヴァ、誰が我儘坊やだ!」 ノーヴァとヴァニルに手伝ってもらえば、いとも容易く父さんを屈服させられるだろう。勿論、物理的に。ヴァニルの場合、まずは容赦なく精神的に殺《ヤ》りそうだ。 協力してもらえるのは助かるし、頼りにしているのも本心だ。けれど、なんだこの漠然とした不安は。 この2人の際限のなさ故だろうか。あまり関わって欲しくないのが正直なところだ。「あの、ちょっといいですか。ヌェーヴェルさんに聞きたいんですけど」「なんだ、イェール」「その復讐ってのを達成したら、アンタは吸
説明を終えるなり、ノーヴァとイェールに笑われた。ノウェルはふんぞり返って鼻を高くしている。「ヌェーヴェルには僕が色々教えてあげるよ。心の機微を、こいつらが教示できるとは思えないからね」「ボクだってできるよ! 人間の事はローズに教えてもらったからね」「こら、人様の母君を呼び捨てにするんじゃない。失礼だろうが」 やはり、ノーヴァはノーヴァだ。まだまだ礼節を弁えきれていない。所詮、余所行き用の付け焼き刃と言ったところか。「ちぇー····人間ってなんでそういうトコ煩いの? 面倒だなぁ」「ノーヴァがガサツ過ぎるんですよ。誤解のないように言っておきますが、吸血鬼が皆、ノーヴァのようにガサツな訳ではありませんから」 知っている。ローズやブレイズ、ヴァニルのように礼儀正しい者が多い事は。 それは人間とて同じ事だ。住む環境や性格によるところだろう。「お前を見てたらわかるよ。ノーヴァのもまぁ、度を越さなきゃ可愛いもんだしな」「えへへ。ねぇヴェル、ひとつ聞いておきたいんだけど」「なんだ?」「ヴェルはさ、子供のボクと大人のボク、どっちが好き?」 究極の選択じゃないか。愛らしい子供の姿で背徳感を感じるか、大人の姿でヴァニルとは違った美形に支配されるか····なんて言うと図に乗るのだろう。とてもじゃないが、正直な気持ちは伝えられない。「子供で充分だ。大人になるのは禁止だしな。お前ら3人に血を吸われる俺の身にもなれよ」「それぞれ遠慮してるじゃありませんか。ちゃんと“不死の吸血”の約束は守っていますよ」「当然だ。俺が死んだら元も子もないだろうが。そうだ。イェールはノウェルの血を飲むのか?」「許した憶えはないんだけどね、興奮すると時々吸われるよ。嫌かい?」「嫌だな。けど、ヤッてる最中だけは許してやる」「随分と寛大なんだな。ノウェルさんがアンタに執心してるからって余裕じゃないか」「あぁ
約束の夜。全員が俺の部屋に集まった。「結論から言う。俺は、お前たちの中から1人を選ばん。全員、俺のモノでいろ」 俺が高らかに言い放つと、ヴァニルとノウェルは予想通りと言った顔で項垂れた。ノーヴァは呆気にとられた顔で口をパクパクしている。餌を待つ魚か。 そして、黙って聞いていると約束していたイェールが喚き始めた。「アンタ本当に狂ってんのか!? どれだけ欲張りなんだよ! ふっざけんなよ····ノウェルさんだけは渡さないからな!!」「イェール、黙って聞いてろ。できないなら追い出すぞ」 俺の言葉を受けて、ヴァニルがイェールを睨む。「······クソッ!!」 なんと説明すれば良いものか、俺だってそれなりに悩んだのだ。しかし、ノウェルに言われて“恋”だと知った時点で、俺の中では結論が出ていたのだと思う。 結論が出ているものに、思い悩むのは性に合わない。「お前らが俺を想ってくれている事は、正直嬉しかった。けど、俺はノウェルに言われるまで、恋というものが分からなかったんだ。その····症状に当てはまっていて初めて、お前らに抱いていた感情に“恋”という名がある事に気がついた」「症状って、ヴェル····病気か何かだと思ってたの?」 ノーヴァが憐れむような目で俺を見て言った。 「恋なんて病気みたいなものだろう。鼓動が早まったり身体が熱っぽくなったり、息苦しくなったり情緒が不安定になるんだぞ。まともな状態じゃない」 俺の意見に首を傾げるノーヴァ。俺は、何かおかしな事を言っているのだろうか。「そう····だね? ねぇ、人間って皆こんなにバカなの? ノウェルは人間の中で生きてきたんでしょ? 人間っ
「そうかそうか、なら話は早い。ヴァニル、お前だろ? ヴェルの相手してんの」「はぁ····そうですが」「俺にも喰わせろ」 タユエルはニタッと笑い、圧《プレッシャー》を掛けて言った。一瞬たじろいだヴァニルだったが、すぐに毅然とした姿勢で断る。「いくらタユエルさんの頼みでも、それは承服致しかねます」「ハッ····頼んでんじゃねぇだろ。喰わせろつってんだよ、なぁ?」 タユエルは、ヴァニルの肩を壁に押さえつけると、もう片方の手で俺の首を掴み牙を見せた。「なっ!? タユエル····どうしたんだ!? 来た時から様子がおかしいとは思っていたが、何かあったのか」「や~、別にこれと言ってねぇけどな。お前がイイ匂いふり撒きながらウチに来る度によぉ、溜まるんだよ、色々とな」「はぁ!? 甘い血の匂いか? 俺にはわからんのだから仕方ないだろ! 溜まるって何が····あぁ!! 今まで誘ってたのって本気だったのか」 タユエルとヴァニルの溜め息が地下にこだました。「ヌェーヴェル、タユエルさんにも狙われてたんですか。この人、昔は手当り次第好みの人間を食い散らかしていたんですよ。よく無事でいられましたね」「俺だって理性くらいあるわ。流石に、ヴァールスに手を出すと厄介な事くらいわかってるっつぅの」 脳筋なのだと思っていたタユエル。意外と冷静にものを考えられるのだと感心してしまう。「だと思ってたから、ずっと揶揄われているだけだと思ってた。まぁ、タユエルも吸血鬼だからな。いつ理性が飛んで襲われるかわからんから、常に警戒はしていたが」「そっちの警戒だったのかよ。お前、鈍感だとか言われねぇか?」「言われた事はない。俺は鈍感じゃないからな」 自慢じゃないが、母さんには気が利くとよく褒められた。それに常日頃、細事にも気を配っているつもりだ。
ほとんど眠れずに、俺はタユエルの店へ赴く。人使いの荒い父さんから、先日の銃を仕入れてこいと仰せつかったのだ。「ヴァニル、相手が俺に何を言おうと、たとえ何をしようと、絶対に口も手も出すなよ」「事と次第によりますよ。それより貴方、あんな事の後でよく私を護衛につけましたね」「これは仕事だ。私情は挟まん。だから、馬車《ここ》でシようとか考えるなよ。約束は今夜だろ」 俺は書類に目を通しながら言った。チラッとヴァニルを見ると、むくれた顔で窓から外を眺めている。「キ、キスくらいならいいぞ。軽いヤツな」「····子供じゃあるまいに」 気を遣って言ってやったのに、無下にするとは腹立たしい。「そうか、ならもういい。指一本触れるな」「わかりましたよ。······ヌェーヴェル」「なんだよ」 やらしい声で呼ばれたので、鬱々とヴァニルを見る。ヴァニルは恍惚な表情で俺を見て、滾らせたイチモツを見せつけてくる。「バ、バカか!! こんな所でナニおっ勃ててるんだ!」「シィー····声が大きいですよ。御者に聞こえてもいいんですか?」 唇に人差し指を当てて言う。無駄にエロい所為で、こっちまでその気にさせられてしまうじゃないか。「夕べ、途中で終えてしまいましたからね。で、どっちの口に欲しいですか? 今なら優しくしてあげますよ?」 俺の話を聞いていなかったのだろうか。いや、聞いた上での愚行か。 これに逆らったら、きっと御者に気づかれてしまう程度には激しく犯されるのだろう。そうなれば厄介だ。「······くそっ。資料に目を通さにゃならんから、し、下の口にしろ」 おずおずとヴァニルにケツを差し出す。到着まで1時間足らず。間に合うのだろうか。