触れるたびに溺れる浅ましさ

触れるたびに溺れる浅ましさ

last updateLast Updated : 2026-05-04
By:  琉斗六Updated just now
Language: Japanese
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◎あらすじ 瘴気に覆われた僻地・ローデンフェル。 そこに送られた、元・騎士のジュリアン。 体は傷だらけ、尊厳は既に踏み荒らされた、42歳の男。 自身を〝使い捨ての存在〟とする彼の前に、かつての教え子・アルフォンスが現れる。 献身を拒みきれず、触れられるたびに揺らいでいく心。 「触れられると、もっと欲しがってしまう私は、なんて浅ましいんだろう?」 それでも手を伸ばし続ける男と、受け取ることを恐れる男。 ──これは、壊れた人間が再び愛を知るまでの物語。 ◎注意 本作には過去の性的被害を含むトラウマ設定があります。

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Chapter 1

プロローグ

لقد أمضيتُ ثلاثة أيام وليالٍ أتعذب في الفراش بفعل شهاب أبو العزم.

كان في السابق صهرًا وضيعًا، لم أكن أسمح له بلمسي فحسب، بل كنت أدفعه تحت أقدامي وأهينه.

الآن أنا في حالة بؤس بينما هو في ازدهار، وكأنه ينتقم، لديه طاقة لا تنضب يستخدمها عليّ.

زوجي هو الرجل الذي انتقل للعيش في بيت عائلتي.

في الأصل كنت أحب شقيقه، ولكن بسبب حفل اجتماع الزملاء، استغل سكري وشاركني الفراش.

وانتشر الخبر بين الجميع.

لم يجد والدي بُدًّا من تزويجي منه، لكن بشرط أن ينتقل للعيش في منزل عائلتنا.

وهو ابن والده من زوجته السابقة، بعد طلاق والده وزواجه مرة أخرى، لم يعره والده اهتمامًا يذكر.

لكن ظروف عائلتي المالية جيدة جدًا، وأنا كنت دائمًا مدللة والديّ منذ طفولتي، فطلبنا منه أن يسكن في منزل عائلتنا كان أمرًا يرغب فيه والده بشدة.

وهكذا تزوجنا.

لكنني لم أكن راضية، فأنا أحب شقيقه.

وبسبب استيائي، كنت أهاجمه على جميع الأصعدة، أجبره على النوم على الأرض ليلًا، ولم أسمح له مطلقًا بأن يشاركني السرير.

أثناء تناول الطعام، كنت أنا وأخي نستهزئ به ونضطهده باستمرار، ولا نسمح له بتناول الطعام من الأطباق.

عندما ألتقي بأصدقائي وكانت تمطر، كان يأتي بلطف ليحضر لي المظلة، لكنني كنت أصرخ عليه.

باختصار، إذا لم أشتمه، فإن قلبي لا يهدأ.

لكنه كان شخصًا غريبًا بعض الشيء، وكأنه لا يملك أي غضب، فبغض النظر عن كيفية قمعي أنا وعائلتي له وإذلاله، لم يغضب أبدًا، وكان دائمًا هادئًا.

على الرغم من أنه كان وسيمًا، إلا أنه في أيام الدراسة كان انطوائيًا للغاية، وكانت نتائجه الدراسية متدنية، وكثيرًا ما كرر الصفوف، وكان وجوده في المدرسة شيئًا يثير الازدراء.

أما شقيقه فكان مختلفًا تمامًا، كان مشرقًا وسيمًا، ونتائجه الدراسية ممتازة، وكان شخصية بارزة في المدرسة.

عندما أتذكر أن شعلة الحب التي كانت قد بدأت تتقد بيني وبين شقيقه قد خمدها هو، استولى على قلبي مرة أخرى شعور بعدم الرضا.

في منتصف الليل، نزلت من السرير وركلته ليستيقظ من نومه العميق على الأرض، وقلت إنني عطشانة.

فاستيقظ على الفور وذهب ليحضر لي الماء.

كان شديد الرعاية، ففي فصل الخريف كان يتذكر دائمًا أن يحضر لي كوبًا من الماء الدافئ.

لكن عندما تذكرت كيف استغل ضعفي في تلك الليلة، ثار غضبي ورفعت يدي وسكبت الكوب كله على وجهه.

حتى بعد كل هذا لم يغضب، بل ذهب بهدوء إلى الحمام.

بينما أنظر إلى ظهره الطويل والصامت، شعرت ببعض الذنب في أعماقي، لكنني ما إن تذكرت كيف دمر سعادتي مدى الحياة، حتى تبخر ذلك الذنب دون أثر.

وهكذا، ظللت أقمعهُ وأذله لمدة ثلاث سنوات.

لكن ثلاث سنوات تكفي لحدوث الكثير: عائلتي أفلسَت، بدأت أُحبّه، والأهم... أنه طلب مني الطلاق.

عندما قدم لي اتفاقية الطلاق، قال إن حبيبته القديمة قد عادت.

أعترف، في تلك اللحظة، كنت أشعر بألم كبير، وكأن يدًا كبيرة قبضت على قلبي، وشعرت بضيق لا يحتمل.

لكنّي، ونظرًا لنشأتي المدللة وكبريائي، لم أظهر أمامه أي حزن أو أسى، بل وقّعت على وثيقة الطلاق بلا تردد.

بعد التوقيع، سمعت صوته الهادئ والبارد بجانبي فجأة: "هل تريدين أن أرسل السائق ليوصلكِ؟"

استغرقت وقتًا حتى أدركت ما قاله.

نعم، هذه الفيلا التي عشت فيها لأكثر من عشرين عامًا لم تعد ملكًا لعائلتي بعد الآن.

فقد أفلسَت عائلتي، وتم بيع جميع الأصول.

أما هو، ذلك الرجل الذي تزوجني بحيلة واحتقرته عائلتي بأكملها، فقد أسس شركة سرًا دون علمنا، والآن أصبحت أعماله ناجحة جدًا لدرجة أنه اشترى هذه الفيلا.

لكنني لا أملك الحق لألومه، ولا لأطالبه بتقسيم الممتلكات، لأن كل ما حصل عليه كان نتيجة صبره وتحمله لسنوات عديدة، وجاء بجهوده الخاصة، حتى أنه لم يستخدم فلسًا واحدًا من عائلتنا.

كان ينظر إلي بهدوء دون أن يستعجلني.

وهذا الهدوء الذي يتحلى به جعلني أتذكر كل ما فعلته معه في الماضي، وشعرت بالخجل.

ففي مثل هذه الظروف، بعد أن أصبحت أنا في حالة بؤس وهو في ازدهار، كان ينبغي عليه أن يرد إليّ الإهانات التي تعرض لها مضاعفة.

لكنه لم يفعل، بل حتى أنه كان هادئًا كالمعتاد.

فقلت على الفور: "لا حاجة، يمكنني العودة بنفسي."

وبعد أن قلت ذلك، هرعت إلى الخارج في ذعر.

وسمعت صوت استفساره الخافت من خلفي: "هل أتيتِ لرؤيتي لسبب ما هذا المساء؟"

"لا"، واندفعت خارج السور دون أن ألتفت.

كان المطر يتساقط في الخارج، فشددت قبضتي على الهدية في يدي.

اليوم هو ذكرى زواجنا الثالثة.

لم أكن أحسنُ معاملته في الماضي، ولكن عندما أدركتُ أنني بدأت أشعر بالإعجاب نحوه، أردت أن أحتفل معه بهذه المناسبة بشكل لائق.

لكن لم أكن أتوقع أن ما كان ينتظرني هو وثيقة الطلاق.

ابتسمت ابتسامة ساخرة وتركت المطر الغزير يهطل عليَّ، حتى أصبحت في حالة مُزرية.

وفي اليوم التالي، مرضت واضطررت إلى البقاء في الفراش دون القدرة على النهوض.

وفجأة سمعت ضجة وصياحًا من الخارج.

سحبت جسدي الضعيف إلى الخارج لأرى، فشاهدت والدي جالسًا على سور الجدار المقشر، يقول إنه لا يريد العيش بعد الآن.

نحن نعيش الآن في مبنى سكني قديم، بيئته قذرة وفوضوية، لكن الإيجار رخيص.

بكت أمي بحرقة أمام والدي، قائلة إذا قفز فهي ستقفز أيضًا، ولن يعيش أحد بعد ذلك.

ذهبت لأقنع والدي برأس يكاد ينفجر من الألم، وقلت له إنه مجرد إفلاس، طالما نحن أحياء، فالأمل لا يزال موجودًا.

لكن والدي حدق في فجأة بنظرة ثقيلة، تلك النظرة الحارقة جعلت قلبي يرتجف.

ثم قال: "اذهبي لتتوسلي إلى شهاب ليساعدني، هو صهر عائلتنا، سيساعدنا لا محالة."

وأسرعت أمي قائلة: "نعم، على الرغم من أننا لم نكن طيبين معه في الماضي، لكن نظرًا لمكانتكِ، سيساعدنا بالتأكيد، لذا توسلي إليه."

ابتسمت ابتسامة مريرة، فوالداي لا يزالان لا يعلمان أن شهاب قد طلقني.

رفضت التوسل إلى ذلك الرجل، لكن والدي هددني بالانتحار مرة أخرى.

بلا خيار، وافقت في النهاية.

قبل خروجي، أنفقت أمي القليل من المال المتبقي لشراء ملابس لي: فستان طويل بخط عنق عميق، وأحذية أنيقة مدببة.

حتى أن أمي استعانت بشخص ما ليضع لي مكياجًا جميلًا ويصفف شعري بإتقان.

نظرت إلى نفسي في المرآة، وارتسمت ابتسامة ساخرة على شفتي.

لا يبدو هذا كما لو أنني ذاهبة لأتوسل، بل كما لو أنني ذاهبة للإغواء.

لكن الآن، حتى لو وقفت عارية أمام ذلك الرجل، فلن يمنحني حتى نظرة.

حتى الآن لا أفهم، لماذا شاركني الفراش في ليلة لقاء الزملاء؟ هل كان هو أيضًا سكرانًا فظنني حبيبته القديمة؟

بعد أن طردت تلك الأفكار المزعجة، ومن أجل جعل والديّ ييأسان، قررت أن أتظاهر بالذهاب للتوسل إلى شهاب.

علمت أن شهاب موجود الآن في شركته، لذا ذهبت مباشرة إلى شركته بهذا المظهر.

كان والداي ينتظران "الأخبار السارة" عند مدخل الشركة.

عندما رأيت التعبير المتوقع على وجهي والديّ، لم أعرف ماذا أقول للحظة، شعرت فقط ببعض الحزن.

عندما وصلت إلى الطابق الذي يوجد فيه، ألقى الكثير من الناس عليّ نظرات غريبة، وانتشرت في الهواء مناقشات وتعليقات سيئة.

تظاهرت بعدم السماع، شددت ظهري، وذهبت مباشرة إلى مكتب شهاب.

لكن بمجرد أن رأيته، جُبِنت، وانحنى ظهري قليلًا.

في تلك اللحظة، كان يجلس على الكرسي، بأناقة ووقار، يبتسم وينظر إليّ...
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プロローグ
「ジュリアン・ヴァレンティン。此度の功績をもって、そちを準男爵に任ずる」 重々しい王の声が、広間に響き渡った。 ぽつぽつと上がった拍手が、やがて集まった貴族たち全ての喝采に変わる。 王から爵位章を受け取った側近が、ジュリアンの元へと降りてきた。 力の入らない右足を杖で支え、よろめきながら立ち上がり、メダルを受けるためにジュリアンは頭を下げる。 同時に、役に立たない左腕がぶらりとだらしなく揺れた。「拝領仕ります」 首のメダルに触れるふりをして、垂れ下がった左腕を右手でそっと整える。 響き渡る拍手の中、ジュリアンは内心で嘆息した。──まるで、道化だな……。 式典が終わると、そこにヴァレンティン伯爵家の使いと称する者が待っている。「こちらで馬車を手配いたしました」 父・ヴァレンティン伯爵が手配したというそれは、街で雇える貸し馬車だった。 今更ヴァレンティンの姓を名乗れと言っておきながら、家紋の入った車すら寄越さない。 ジュリアンは小さな鞄一つの荷物を御者に預けた。──せめて、アルに伝言の一つも残せばよかったかな……。 ジュリアンが騎士団に入る前から、慕ってくれていた栗色の髪の少年。 今や第二騎士団の有望株として称えられるアルフォンスは、遠征に行って王都を留守にしている。 走り出した馬車は王都の華やかな街並みを抜け、大門を出る。 森を抜け、丘を抜け、馬車は走った。 拝領された領地までは、七日の道のりだ。 粗野だが親切な御者と二人、途中の町で宿を取り、疲れが抜けぬままひた走る。 辛うじて装備されている魔物避けの灯りのおかげで、途中、襲撃されるようなこともなく、ジュリアンはローデンフェルまで無事に運ばれた。 領境を越えた辺りから、急激に気温が下がる。 夏とも思えぬ冷気が、魔獣に傷つけられた背中の傷を思い出させ、折れた右足をずうんと重く感じさせた。 一帯を包む薄紫色の濃い霧が、閉じた扉の隙間から客車の中に忍び込んでくるようだ。 窓の向こうを流れていく景色は、モノクロームのように色を失っている。 草木は枯れ、葉は黒ずみ、霧の中に沈んでいた。 進む馬の蹄の音が、重く湿った土をかき混ぜるように聞こえた。「旦那、見えてきましたぜ」 口数の少ない御者が告げる。 窓の外を見やると、黒く雨を吸った節だらけの壁に、厚手の布が垂らされ
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1-1
 アルフォンス・フェルトンは、帰還の途にあった。 照りつける日差しは、未だ残暑の輝きを色濃く残し、進む部隊の足取りも重い。「王都はまだ見えねぇなぁ……」 横並びで騎馬を進めているクリスが言った。「この森を抜ければ王都の見張り塔が見えるはずだ」「お早く帰りたいでしょ〜? アルさんや」「だからって、一人だけ抜け駆けるわけにもいかないだろう?」 クリスに言われるまでもなく、アルの心は想い人のいる王都へと向かっている。 最後にその姿を見たのは半年前、遠征のパレードの時だった。 無理だろうと思っていたのに、警邏の巡回ルートを調整して、見送ってくれた姿は鮮明に思い出せる。「なに思い出にふけってんだよ」「そんなんじゃねぇよっ! ……後方の歩兵隊に遅れがないか、確かめてくる」「なんですか、テレ隠しですか?」「うるせぇ」 馬の首を巡らせ、アルは後方へと走る。「おう、ケツ叩いて、さっさと王都で冷えたエールをやろうぜ」 その背中に、クリスが言った。 アルとの付き合いも、既に十二年。 第二騎士団は、子爵家や男爵家の次男や三男といった、家督が継げない立場にある貴族の子息で編成されるため、生まれや育ちが似ている者が多いが。 その中でも、とりわけ気があって意気投合した仲である。 さすがにアルが、入団当時から想いを寄せている相手がいることも、それが誰であるかも、クリスは知っていた。 自分たちの仕事は、年の半分以上を遠征で潰される。 王都に想い人を残していれば、郷愁が募るのも当然だろう。 蹄の音が戻ってきて、アルが言った。「クリス! 後ろに少し遅れが出ている、休憩を入れよう」「じゃあ、俺は前に伝えてくるぜ」 戻ったアルの言葉に、クリスは馬の腹を蹴った。
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1-2
 遠征部隊の帰還に、王都の大門が広く開かれ、その向こうに市民の熱気と歓声が待っていた。「マンネリにならず、毎回出迎えてくれるのはありがたいな」 魔獣と盗賊が跋扈する地方都市への、騎士団の派遣は年中行事の一つである。 とはいえ、騎士団の働きがあってこその安全と、市民は良く理解していた。「そんな飾ったこと言わなくても、おまえがキョロキョロしてること、突っ込むような野暮は言わないって」 馬上で、二人は市民に笑みを崩さない。「どういう意味だよ?」「イアン様を探してるんだろ? もっとも、勤勉なあの人が、仕事抜けて出迎えに来るとも思えないけど」「うるさい。笑って手ェ振っとけ」 騎士団の詰め所に戻るまでは、その信頼に応える〝騎士様〟のポーズを崩すわけにはいかない。 だが騎士のマントを外せば、それぞれが個人へと早変わりする。「アル! 先に〝踊るグリフォン亭〟行ってるぞ!」 早々に着替えを済ませ、詰め所を飛び出していくアルの背中に、クリスがひと声かけた。「わかった!」 振り向きもせずに走り去るアルの背中を見送って、クリスはふうっと一つ息を吐く。「拗らせてんなぁ……」 アルの想い人〝イアン様〟ことジュリアンは、元は第三騎士団の分隊長をしていた男だ。 十年前に、ほぼ言い掛かりのような理由で罷免され、今は王都の警邏隊に所属している。 クリスと出会った時から既に、アルはジュリアンに夢中だった。──妙に色気があることは、認めるけども……。 確かにジュリアンは、佇まいの美しい男だ。 金糸の髪に、深い青の瞳。 儚げな雰囲気と、柔和な態度。──つっても、十二も年上の……しかも男だぞ? 正直に言って、未だにアルの恋心に関しては、全く理解できない。──まぁ、かなりの人誑しなことは認めるけどな。 最も、アルがジュリアンを慕っている理由は、そこではない。 根底にあるのは、幼少期に刷り込まれた鮮烈な憧れ。 そして、ジュリアンの置かれている不遇な環境を払いのけるだけの力がない、己に対する無力感。 そうした歯痒さと想いが絡み合って複雑化した結果の、執着なのだろう。──つっても、イアン様を爪弾きにしてるのが伯爵家じゃあ、どうにもならないのは仕方ないんだけどな。 自分も着替えて、クリスは詰め所を出た。
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1-3
 踊るグリフォン亭の扉が開き、思い詰めた顔のアルが入ってくる。 既に席に座っていたクリスを見つけ、アルは駆け寄った。「遅かったな」「イアン様が……見つからなくて……」 シャツは汗で濡れ、詰め所で履き替えたはずの靴も泥だらけだ。「そうだろうな」 テーブルの上のエールは、未だ中身がたっぷり残っていたが、カップの外側に水滴すら付いていない。「なんだ、思わせぶりだな」「王都にマンティコアが出たって話、聞いたか?」「はぁっ? 知らん!」 アルの返しに、クリスはつくづくとした様子で、ため息を吐く。「……おまえ……噂に疎すぎるだろ?」「いや、王都に魔獣? ありえんだろう!」「ちなみに、俺らが遠征に行って間もなくだ」「半年も前の話じゃないか! てか、マンティコア? 中ランクの大型種だろ? なぜそんなものが王都に?」「研究素材として、移送中だったそうだ。緊急出動で第一騎士団が出張ったが、取り逃がして大門の一部が壊れたってさ」「ひどいな。……しかし、それがイアン様とどう関係がある?」「警邏中のイアン様が、マンティコアを退治しちゃったって話だぞ」「はあっ?」 アルは、席から腰を浮かせた。「イアン様は、左腕がほとんど動かないんだぞっ! マンティコアなんて、俺らだって数人がかりでようやく倒せる魔獣じゃないかっ!」「俺だって信じられなかったさ。だけど噂はそうなんだから、そうしか言いようがないだろう」「それで、イアン様はっ?」「叙勲だか、叙爵だか? 話が錯綜していて、その辺がはっきりしないんだが……。とにかく警邏隊は辞めたらしいぞ」「警邏の詰め所のジイさんたち、なんにも言ってなかったぞっ!」「そりゃおまえがジイさんたちに、いつも挨拶もしないから無視されただけだろ」 アルがむぅと黙り込んだ時。 再び、踊るグリフォン亭の扉が開いた。「アルフォンス様、クリストファー様、こちらでしたか」 扉を抜けて中に入った男は、真っ直ぐ二人のもとに歩み寄る。「マーク?」「今日、お戻りになると聞いて、探していました。大変不躾なお願いなのですが、私に馬を一頭、お恵みくださいませんか?」「馬?」「どうした、借金か?」「クリスじゃあるまいし、マークが借金なぞするか」 ここぞとばかりに突き放すアルに、クリスは呆れた顔を返しただけだった
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1-4
「そうだ。マークならイアン様のこと、分かるんじゃないか?」 マークは第三騎士団に所属している、騎士である。 ヴァレンティン伯爵家が主催する騎士養成所でジュリアンの指導を受け、入団後もジュリアンの指揮する第七分隊に籍を置いていた。「ジュリアン様は、マンティコアを退治した功績を認められ、準男爵を叙されました」「あ、じゃあやっぱ叙爵なんだ」「はい。それに伴い、ヴァレンティン伯爵からローデンフェルの地を譲られました」「それで、警邏隊を辞めたのか」 なるほどと、アルが頷く。 そこに至って、クリスはふと違和感に気付いた。「なあ、マーク。なんで騎士服じゃないんだ?」「そういえば、勤務もどうした?」 二人の問いに、マークはふるふると首を振る。「退団いたしましたので、騎士服は団に返却しました」「はあっ?!」「なんでっ!」 驚く二人に、マークは改まった態度で頭を下げる。「馬をお譲りください。私は、ローデンフェルへ向かい、微力ながらジュリアン様をお助けしたいのです」「待て、待て、待て! なにがどうして、そうなった!」 クリスの問いに、マークは眉根を寄せる。「ご存じないかも知れませんが、ローデンフェルは呪われた地なのです」「えっ? だってあそこって、ヴァレンティンに入り婿前のヴィクトル騎士団長が、特別良い所だからって陛下にねだって、わざわざ褒章でもらったトコでしょ?」「その当時は、高級麦の産地として名高く、豊かで実入りの良い場所と言われておりました。ですがローデンフェル出身の騎士曰く、数年前から土地枯れが激しく、今や日常的に瘴気が漂い、空気が濁った場所だと」「なんだと! そんな場所にイアン様が!」 マークの説明に、アルも腰を浮かせた。「おい、待て。どこに行く!」「決まってるだろう! 俺もローデンフェルへ行く」「あほう! そのまま行ったら出奔を疑われて指名手配されるぞ。いいから落ち着け」 宥められ、アルは不満そうな顔をしつつも腰を降ろした。「マークも、それで騎士を辞めてスッ飛んで行こうとするなんて、軽率だぞ?」「しかし、使用人の一人も付けられず、貸し馬車で王都を追い払われるように向かわされたんですよ?」「イアン様の性格考えろ。いきなり押しかけたって、迷惑になるんじゃねぇの?」 クリスは、すっかり温くなったエールを口に含み、顔をし
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2-1
 領主館は、こぢんまりとした石造りの建物だった。  だが、手足に不自由を抱えたジュリアンが、一人で管理できる広さではない。「屋敷を管理するため、村人に交代で来てもらえないだろうか? 働いた分の日給は出す」 ジュリアンは、村長にそう持ちかけた。「領主様のお館に勤められるような、教養のある者はいませんが……?」 「いや、教養は必要ない。屋敷の掃除と朝夕の食事の支度を頼みたい」 くどいほど〝粗相があってもお許しください〟と念を押されはしたが、約束を取り付けることはできた。  村人の手伝い程度ならば、使用人を雇うほどの給料を出す必要は無い。  とはいえ、蓄えがないことに変わりはない。  ジュリアンは、領主として土地を管理し、なんとか立ち行けるようにしなければならなかった。 しかし、その〝なんとか〟するための知識もない。  執務室はがらんとしていて、領内の大まかな地図と、ところどころに抜けのある税収の帳簿があるきりだ。  ここでもやはり、人を雇うだけの余裕のないジュリアンに、選択肢はない。  自分の足で歩き、目で見て調べるだけだ。 領主館は、山裾にある。  来る時に見かけた集落が一番大きな村で、離れた場所には小さな集落がぽつぽつと点在している。  雑な帳簿を見ると、領民は全部で七百人ほどだが、実際にはもっと少ないように思える。「村人の数が、書面と違うようなんだが……?」 「十五年ほど前から、麦がよう取れなくなりまして。男衆は、出稼ぎに行って留守なのです」 ジュリアンの問いに返された答えは、この領地の切羽詰まった現状を表していた。  以前の土地は豊かで、麦の質が良く高く買い取られていたが、いつの頃からか土地に瘴気がたまり、麦は実らなくなった。  収益を取り戻そうと開墾をしたが、人の住む場所から離れると魔獣の被害が出るようになり、今やほとんどが放置されている。  だが帳簿には、開墾した土地は全て農地として記録されていた。「ここには、何を植えているのか、教えてくれまいか?」 問うた
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2-2
 アルは、あとを全てクリスに任せて、マークと共にローデンフェルへと向かっていた。  馬車で七日の道のりを、アルとクリスの駿馬を駆って三日で駆ける。「あちらに着いたら、労ってやらなきゃな」 「ですね」 クリスがいれば、ここまでの無茶はしなかっただろう。  だが、ジュリアンに恋い焦がれるアルと、師と仰ぐマークでは、逸る心を抑えきれなかった。「第七分隊の者が、羨ましそうに見ていたな」 「皆、ジュリアン様を心配しておりますから」 とはいえ、分隊一つ……つまり十五人もの騎士がいきなり退団することは不可能だ。  反乱を疑われる可能性すらある。「アルフォンス様、向こうで馬を労るのは少々むずかしいかもしれません」 道の途中にあった、朽ち掛けた標識を越えた辺りから、木々の葉色が紫になってきている。「うん。瘴気の影響が酷いな……」 これでは、馬にやる水も満足に確保できないかもしれない……と、アルは思った。  更に走ると、簡単な柵囲いが見えてくる。「村だ」 「騒がしいですね」 二人は速度を常歩に落として村の中を横切り、騒がしい場所の手前で馬を降りた。「マーク! 援護する! 抜剣しろ!」 叫ぶやいなや、アルも腰の剣を抜き、即座に詠唱をしてマークに向かって浄化の術を掛けた。  二人の年配の女性が、身を縮こめ、地面に伏している。  その下には、幼児が女性にしがみついて泣いていた。 が、そんな逼迫した状況であるにも関わらず、魔獣は──まるでそこに見えない壁でもあるかのように、女性たちに近づけずにウロウロしているだけだ。 マークは自身に身体強化を唱え、抜いた剣でそこにいた四足の魔獣を斬る。  剣に掛かっていた浄化が発動し、瘴気ごと魔獣を切り裂き塵に返した。「騎士様っ!」 「あ……ありがとうございます……」 場にいるのは、女と子供ばかりだ。「なにがあった?」 「子供が……魔獣に拐われたのでござい
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2-3
 婦人に示された方へ走ると、山の林へと足跡が続いていた。──熊が二頭……となると、かなり厄介だぞ……。 そう思い、気配察知と身体強化に魔力を割いて、先へと進む。  少し行くと、木々や草が倒された場所があった。  その向こうに、熊が一頭、頭蓋を割られて倒れている。 そして、その傍には、折れた杖が落ちていた。  アルの喉が、ヒュッと鳴る。  杖がここにある……ということは、ジュリアンは現在、無手ということだ。──どっちだ? 急がねば……っ! 気ばかり焦る。  アルは、深呼吸をしてから、改めて気配察知を展開し直した。──あちらかっ! さほども離れていない場所に熊が立っている。  その足元には、子供が倒れて血を流していた。「イアン様っ!」 叫んだアルに熊が振り返る。  その瞬間、グラと熊の巨体が揺れた。  アルは間髪を入れず、抜剣して熊の背を切り裂く。 どう、と倒れた熊の向こうに、血まみれのジュリアンが、折れた杖の半分を持ってかろうじて立っていた。「イアン様っ!」 アルが駆け寄る前に、ジュリアンの膝から力が抜けて、体が崩れる。「イアン様っ!」 受け止めた瞬間、裂けた服が落ちて、骨の浮き出た肩があらわになる。  半年前、遠征の見送りに来てくれた時より、痩せ衰えているように思えた。  杖を捨て、伸ばした右手でアルの肩を掴む。「……子供……は?」 アルが斬った熊の血も混ざってはいるが、ジュリアン本人の傷も酷い。  だが、それに構わず、ジュリアンは子供の安否だけを気にかけている。──相打ち……するつもりだったんだろうか……? ジュリアンの体をそっと地面に置いて、アルは気を失って倒れている子供の様子を見た。  呼吸は整っていて、外傷も咥えられた噛み傷以外には見当たらない。  完全に、ジュリアンのほうが重傷だろう。「イアン様。子供は無事です。魔獣もとどめ
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3-1
 ジュリアンは、森の中を走っていた。 暗く淀んだ空気、思うように動かぬ足。「そんなあんよでは、追いつけないぞ、ジュリーちゃん」 嘲る声が聞こえる。 木々の隙間から、いくつもの手が伸び、ジュリアンの体を掴む。「離せっ! 子供が……っ!」「おまえは騎士になどなれやしない」「どろぼう猫の息子にお似合いなのは、娼婦の衣装だろう」 服を剥ぎ取られ、体中をいじられ、撫でられる。「いやだっ! よせっ!」 目の前に、巨大な熊が立ちはだかった。 ジュリアンの体の自由を奪うたくさんの腕が、両足を広げて押さえつける。 熊が、近付くにつれ人の姿になり、体を引き裂く熱が穿たれた。「やめろっ!」 叫んだ瞬間、目が開いた。「イアン様!」 自分を覗き込んでいるのは、アルフォンス。 ジュリアンは、何度か瞬きをしてから、額を抑える。 べとりとした汗が、手のひらに触れた。「アルフォンス……? なぜ、きみが此処に……?」 抑えつける腕も、自分を辱めた影も、悪夢の産物だと理解した。 そして、自身がローデンフェルの領主として、王都から離れた地にいることを思い出し── 最後に、自分を覗き込む者がこの場にいるはずがないことに思い至った。「あなたを追ってきました」「莫迦なことを……」 呟いてから、ジュリアンはハッとなる。「子供は? 魔獣はどうなった?」「覚えてないんですか? 俺が切りました。子供は、あなたより先に元気になって、もうそこらを飛び回ってますよ」「……ああ、……良かった……」「良くないでしょう!」 声を荒げたアルに驚き、ジュリアンは目を見開く。「三日ですよ? あれ
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3-2
 数日が過ぎ、ジュリアンはようやくベッドの上で起き上がれるようになった。「きみは、王都に戻らないのか?」 食事を運んできたアルに、ジュリアンが問うた。「あなたを追って来たと、言ったじゃありませんか」「しかし……」「騎士は辞めました。マークもです。俺たちは、ここでイアン様のサポートをすると決めました」「決めました……って、私は許可してないぞ?」「準男爵が、使用人の一人も連れていないことのほうが問題です。さあ、食べてください」 トレーの上には、柔らかく煮込んだ野菜がたっぷりのスープが乗っている。 アルはカーテンを開いた。 諦め顔で、ジュリアンはスプーンを手に取った。「あとになって申し訳ないのですが、執務室を見せていただきました」「着任してもう半年にもなるのに、まだ検地も終わってないんだ」「イアン様、なにもかも一人でやっていたら、半年が十年でも無理ですよ」「それは、身を持って知ったよ」 はははと笑うが、それがジュリアンの場合、洒落や冗談では済まない。 実際に、彼は地に伏せ、這いずるようにして検地と結界杭の設置をしていたのだ。「検地は、村人の手を借りて、俺とマークが手分けをして行います。瘴気の濃度も、合わせて調べています」「それは、私の仕事だぞ?」「もう領民に、俺とマークはあなたの〝側近〟と認めてもらってますから」「ひどいな……」 熊との戦闘で、体力が落ちているからか。 はたまた、背中の古傷に瘴気が障っているのか。 食欲がさほどないジュリアンには、器に一杯のスープすら、完食するにも四苦八苦だ。「イアン様が制作された結界杭。まだ余剰がありますか?」「作業部屋にあった分で、全部だな」「一つ、聞いても?」「なんだ?」「一体、いつから付与魔法なんて身につけたんです?」 アルの問いに、ジュリアンは困った顔で笑った。
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