INICIAR SESIÓN◎あらすじ 瘴気に覆われた僻地・ローデンフェル。 そこに送られた、元・騎士のジュリアン。 体は傷だらけ、尊厳は既に踏み荒らされた、42歳の男。 自身を〝使い捨ての存在〟とする彼の前に、かつての教え子・アルフォンスが現れる。 献身を拒みきれず、触れられるたびに揺らいでいく心。 「触れられると、もっと欲しがってしまう私は、なんて浅ましいんだろう?」 それでも手を伸ばし続ける男と、受け取ることを恐れる男。 ──これは、壊れた人間が再び愛を知るまでの物語。 ◎注意 本作には過去の性的被害を含むトラウマ設定があります。
Ver más「ジュリアン・ヴァレンティン。此度の功績をもって、そちを準男爵に任ずる」
重々しい王の声が、広間に響き渡った。
ぽつぽつと上がった拍手が、やがて集まった貴族たち全ての喝采に変わる。 王から爵位章を受け取った側近が、ジュリアンの元へと降りてきた。力の入らない右足を杖で支え、よろめきながら立ち上がり、メダルを受けるためにジュリアンは頭を下げる。
同時に、役に立たない左腕がぶらりとだらしなく揺れた。「拝領仕ります」
首のメダルに触れるふりをして、垂れ下がった左腕を右手でそっと整える。
響き渡る拍手の中、ジュリアンは内心で嘆息した。──まるで、道化だな……。
式典が終わると、そこにヴァレンティン伯爵家の使いと称する者が待っている。
「こちらで馬車を手配いたしました」
父・ヴァレンティン伯爵が手配したというそれは、街で雇える貸し馬車だった。
今更ヴァレンティンの姓を名乗れと言っておきながら、家紋の入った車すら寄越さない。 ジュリアンは小さな鞄一つの荷物を御者に預けた。──せめて、アルに伝言の一つも残せばよかったかな……。
ジュリアンが騎士団に入る前から、慕ってくれていた栗色の髪の少年。
今や第二騎士団の有望株として称えられるアルフォンスは、遠征に行って王都を留守にしている。走り出した馬車は王都の華やかな街並みを抜け、大門を出る。
森を抜け、丘を抜け、馬車は走った。 拝領された領地までは、七日の道のりだ。 粗野だが親切な御者と二人、途中の町で宿を取り、疲れが抜けぬままひた走る。 辛うじて装備されている魔物避けの灯りのおかげで、途中、襲撃されるようなこともなく、ジュリアンはローデンフェルまで無事に運ばれた。領境を越えた辺りから、急激に気温が下がる。
夏とも思えぬ冷気が、魔獣に傷つけられた背中の傷を思い出させ、折れた右足をずうんと重く感じさせた。一帯を包む薄紫色の濃い霧が、閉じた扉の隙間から客車の中に忍び込んでくるようだ。
窓の向こうを流れていく景色は、モノクロームのように色を失っている。 草木は枯れ、葉は黒ずみ、霧の中に沈んでいた。 進む馬の蹄の音が、重く湿った土をかき混ぜるように聞こえた。「旦那、見えてきましたぜ」
口数の少ない御者が告げる。
窓の外を見やると、黒く雨を吸った節だらけの壁に、厚手の布が垂らされただけの家がぽつりぽつりと並んでいた。 進む馬車の車輪が、泥濘をかき分ける音をたてている。 領主館がある土地にすら、敷石もないらしい。微かに聞こえる人々の声に、新しいご領主への期待と不安が入り混じっている。
窓から見える領民の顔は、女性と子供、それに老人ばかりだ。その顔に浮かぶ期待の色に、ジュリアンは胸が痛んだ。
自分一人が、どんなに追いやられたとしても、それは構わない。 四十二になるこの「育った環境がどうあれ、あなたには伯爵家と男爵家の血が流れているの。その誇りを忘れては駄目よ」
亡くなった母の言葉が、脳裏をよぎる。
口元が、自嘲に歪む。 こちらは領主、あちらは領民。 ほぼ選択権のない彼らまで、不幸に巻き込むのは申し訳が立たない。馬車が止まり、御者が扉を開く。
降り立ったジュリアンの姿を見て、領民たちのざわめきが消えた。──ああ、やっぱりな。
ジュリアンは、静かに目を伏せて、黙って領主館へと入った。
ローデンフェルの畑には、金色に輝く麦穂が風に揺れている。「もうじきに、収穫だなぁ」 ゆっくり歩きながら、ジュリアンは働く領民たちを見渡した。「領主様、こんにちは」 キラキラとした笑顔の領民たちは、ようやくジュリアンを〝救世主様〟と呼ばなくなった。 正確には、半ば呼ぶことを禁じたに等しいが……。「どこかで値切られたり、風評で買い叩かれたりしてないかい?」「大丈夫です。領主様と騎士様のおかげです」 集まった領民たちは、ニコニコしながら感謝の念を伝えてくれる。 領内を回るために仕立てた、二人乗りのカブリオレに戻ると、アルが馬にムチを入れ、軽快に走り出す。「今日は、人が多いね」「クリスが第二騎士団の連中を連れてきているからでしょう」 ローデン泉館の前には、大勢の騎士が集まっていた。「ラファエル、様子は?」「第二の連中は、第三とちょくちょく合同で遠征してますからね。仲良くやってますよ」「宿舎の使い心地で、文句は出てないかい?」「騎士団の営舎暮らしが板についている連中です。個室ってだけで大はしゃぎですって」 そこに、クリスが顔を出す。「イアン様、お久しぶりです」「やあ、クリス。王都の様子はどうだい?」「一番のニュースは、マーベラスがルカに騎士団長の座を譲った話ですかね」 ルカは、ジュリアンにとって腹違いの弟になる。「上手くやってるのかな?」「そうですね。第二と第三の騎士の待遇がちょびっと改善されましたよ」「そのおかげかな、最近、転職希望が減ったのは」「いや、それは多分、ラファエルが募集を止めているだけですね」「そうなの?」「どっちにしろ、ルカは結構やる気みたいですね。騎士団を、身分に関わらず能力制に再編成するって噂もあります」「うん、四十代で騎士団長になったんだから、それぐらい意欲的でいいんじゃない?」 ガヤガヤと騎士たちが通り過ぎていく。
寝室のベッドの上で、ジュリアンは自分の左手を眺めていた。 全くの飾り物だった時に比べれば、肘や手首が曲がるようになったのは、まさに奇跡だと思う。 が、未だ指はうまくうごかない。「イアン様。お呼びですか?」 扉にノックが響き、アルの声がする。「うん。入って」 応えると、扉が開いてアルが部屋に入ってきた。「こんな時間に、呼びつけて済まないね」「どうしました?」「きみと、キスがしたくて」 しれっと言ったジュリアンに、アルが眉をひそめる。「また、俺をからかってるんですか?」「違うよ。今夜、きみともっと近くなりたい」「なんですか、それは! また、俺が生理的な欲求を溜め込んでるとか、言いたいんですか?」「ごめん。違うんだ」 ジュリアンは手を伸ばすと、アルの耳に触れ、それから髪を漉き、最後にその体を引き寄せて唇を重ね合わせる。「んむ……」「ありがとう。……そして、済まなかった。……私、きっとすごくきみの気持ちを蔑ろにして、踏みにじっていたよね?」 唇を離し、ジュリアンは両腕をアルの肩に乗せて、額をくっつけた。「……いえ……。イアン様がされた、酷い扱いを慮らず、一方的に気持ちや行為を押し付けたのは、俺です」「でも、きみは必死に、私の尊厳を取り戻そうとしてくれていた」 ジュリアンを見つめる榛色の瞳が、微かな希望を抱いたように笑んだ。 腕が、ジュリアンの体を抱き、ベッドの上にそっと倒す。 そしてアルからのキスを、ジュリアンはすんなりと受け入れた。「いやに、素直ですね」「言っただろう、きみとキスがしたかったって」 肩に掛けた両腕に力を込めて、ジュリアンはアルに抱きついた。「イアン様?」「様付けはやめてくれ、アルフォンス」
しばらく、穏やかな日常が続いたある日。 執務室に、慌ただしい足音とともにアルが駆け込んできた。「イアン様!」「アル。ノックをしなさい」 嗜めるジュリアンに、アルがぶるぶると頭を振る。「落ち着いてる場合じゃありません! ヤバイの来ました!」「そんな家名、知らないんだけど、どこの誰?」「違います! ヤベーのが来たんですよ! ヴァレンティン伯爵家の奥方……じゃない、引退した奥様です!」「えっ? アデライン様がっ?」 ジュリアンは独立した準男爵家であり、ローデンフェルはその領地だが。 ヴァレンティンの姓を名乗っている以上、無縁とも言い切れない。 父のヴィクトルならともかく、本家の直系であるアデラインが来たとなれば、アルの狼狽えも大げさとは言えない。 ジュリアンは廊下を早足で急ぎ、扉の前で服の埃を払ってから、応接室へと入った。「アデライン様。ご無沙汰をしております」「こんにちは、ヴァレンティン卿。突然の訪問、すみませんわね」 ジュリアンが最後にアデラインに会ったのは、入団試験を受けるために王都に旅立った日だ。 アデラインは相変わらずきりと背筋を伸ばしていたが、その黒髪に白いものが混ざり始めている。「このような田舎まで足をお運びくださり、恐縮です」 茶器をやや乱雑に扱いながら、ぎこちない仕草でアルがお茶を運んできた。「なにもありませんが……」「気遣いは不要です」 向かい側のジュリアンを、アデラインは真っ直ぐ見つめてくる。 その後ろには、アデラインの腹心である老齢の執事が立っていた。 ギクシャクしながらテーブルから離れたアルに、ジュリアンはちらと視線を送る。 それに気付いたアルは、トレイを持ったままぴしりと気をつけのポーズで扉の傍に立った。「それで、ご要件はなんでしょう?」「今日は、あなたに謝罪に来ました」 ローデンフェルの所有権を主張
ラファエルを残して、クリスとカイルはマークと共に現場に向かった。 本人は付いて来たがったが、ローデン泉館を仕切っているラファエルがフロントを離れるのは、目立ちすぎるために留守番を任されたのだ。「その、カーブを行った先の……」 先頭を走っていたマークが、そこで言葉をつまらせる。「どうした?」「まさか!」 ほとんど悲鳴に近い声を上げ、マークは青ざめた。「しっかりしろ!」「ない! ギルバートの死体が……」 マークは、なにもない地面に膝を付き、オロオロしながら地面を叩いた。「ここに! 確かにここに倒れていたんだ! 胸から血を流し、目を見開いて!」「なにも……ないな……」 カイルの言葉に、マークは激しく頭を振る。「いや! そんなはずは……。あった……はずなんだ……」「落ち着け!」 クリスは腕を組み、しばらく周囲を見回しながら考え込むように口を噤む。 マークは呆然とクリスを見上げ、カイルは立ち尽くしていた。「……マークの見間違いの可能性は、一番最後に回すとして」 不安げなマークを安心させるようにクリスが言うと、カイルも同意を示して頷く。「確かに。マークの性格的に、それが一番ありえない」「本当に……信じてくれるのか?」「当然だ。と言うか、ギルを殺るなら、相談しろ」「クリストファー様は、止めると思いまして」「ギルが騎士団長の息子で、伯爵家の跡取りである限り、止めたさ。恨みを晴らすことよりも、アレを殺したあとに発生する面倒が大きすぎたからな」 アルやマークと違い、クリスはギルバートがジュリアンに行っていた暴行の詳細を知っている。 その反吐が出るような内容に、憤