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第7話

作者: 悠々たる魚
「凛さん、はい、フーフーして冷ましたからね」

理恵が身をかがめると、胸元から痛々しくも生々しい赤いキスマークが覗いた。昨夜の激しさが容易に想像できる。

凛の視線に気づき、理恵は慌てて立ち上がって胸元を隠すと、頬を赤らめて恥じらうように言った。

「私……婚約者がいるの。彼、すごく優しくて……」

「哲也みたいに優しいの?」

凛の穏やかな声からは、いかなる感情も読み取れなかった。

「うん。背が高くてお金持ちでイケメン。それにすごく体力があって、昨日の夜は死んじゃうかと思うくらい疲れちゃった……」

凛は理恵の言葉を遮った。「なら、末永くお幸せに。元気な赤ちゃんを産んで、一生お二人で添い遂げられるといいわね」

その言葉に理恵の顔には幸せそうな笑顔が咲いたが、哲也の体はこわばり、その顔には明らかな動揺が浮かんでいた。

「哲也、どうして理恵に祝福の言葉をかけてあげないの?」

凛は顔色の悪い哲也を見つめ、小首を傾げて不思議そうに尋ねた。

哲也は保温容器を奪い取るように受け取ると、一瞬だけ気まずそうに目を逸らし、無理に笑顔を作って話題を逸らした。

退院の日、哲也は凛を抱きかかえて病院を出た。沿道には花束と拍手が溢れていた。

だが、凛の表情からは以前のような幸せそうな面影は消えていた。ただうつむき、誰にも顔を見られたくなかった。もし見られれば、その瞳が光を失い、死の静寂に包まれていることに気づかれてしまうから。

理恵は凛の世話をすると言って、一緒に邸宅へついてきた。

「凛、少し休んでて。俺がご飯を作って、後で呼びに来るから」

哲也の背中を追って小躍りしながら階段を降りていく理恵を見送り、凛は布団をめくって起き上がった。

廊下の隅に立つと、キッチンの様子がはっきりと見えた。

露出度の高いピンクのキャミソールを着て、ウサギの耳のヘアバンドをつけた理恵。彼女はまな板の上のニンジンを一本手に取り、それを口にくわえると、背伸びをして可哀想な子犬のような目で哲也を見つめた。

哲也は体をビクッと震わせ、両手を固く握りしめた。青筋が浮かぶその手は、怒りを抑えきれない様子で、低い声で叱責した。

「最近調子に乗りすぎだぞ。誰が家の中でそんな格好をしていいと言った?少しはおとなしくしてろ。理恵、二度と同じことは言わないぞ……」

言い終わる前に、哲也の唇はニンジンで塞がれた。

理恵の蠱惑的な声は、男を誘い込むような響きを帯びていた。

「大丈夫、凛さんは寝てるわ。ねえ、哲也さん、こういうのすごくスリルがあってドキドキしない?男の人ってこういうのが好きなんでしょ?それとも、怖気づいちゃってできないの?」

哲也の瞳に欲望の炎が燃え上がり、理性が完全に吹き飛んだ。大きな手が理恵を力任せにシンクの端へと押し付けた。

二つの体が、激しく絡み合う。

凛は静かに手元のスマホの録画停止ボタンを押し、背を向けて部屋へと戻った。

ダイニングテーブルに並べられた豪勢な料理を見ても、凛の食欲は一切湧かなかった。

哲也はサラダを取り分け、心配そうにうつむきながら口を開いた。

「凛、どうして食べないんだ?俺の作ったこの料理、一番好きだっただろ?もっと食べて体力をつけないと」

凛が頷いて箸を持とうとした瞬間、鮮やかなニンジンが目に入った。

「凛さん、ビタミンも取らなきゃダメだよ」

その猫撫で声に、凛の胃は激しく波打った。彼女はうつむき、込み上げる吐き気を必死に抑え込んだ。

だが視界の端で、テーブルの下で理恵と哲也の脚が絡み合い、小さく揺れているのが見えてしまった。

うつむいて料理を口に運ぶ哲也の顔からは、何の感情も読み取れなかった。

彼のスマホの画面が光り、凛はそこに表示されたメッセージを瞬時に捉えた。

【ねえ哲也さん、さっきのすごくスリルあったでしょ?】

哲也は慌ててスマホを手に取り、素早く文字を打ち込んで返信した。

【この間のお仕置きじゃまだ懲りてないようだな。後でたっぷり教育してやるから覚悟しておけ】

スマホを置くと、哲也は凛の頭を撫で、申し訳なさそうな優しい声を出した。

「凛、会社で急なトラブルがあって、1週間ほど出張に行かなくちゃならなくなったんだ。一人で留守番になるけど、大丈夫か?」

凛は小さく「ええ」とだけ返し、それ以上は何も言わなかった。

テーブルの向かいで、理恵が軽やかに言葉を繋ぐ。

「私が凛さんへのお土産、ちゃんと忘れずに買ってくるように監視しておくね!」

哲也は隣の凛の不機嫌さを敏感に察知し、再びその頭を撫でようと手を伸ばした。

凛は少しだけ顔を背けて哲也の手を避け、すっと立ち上がった。

「ごちそうさま。二人でゆっくり食べて」

冷ややかな凛の背中を見送りながら、哲也の漆黒の瞳に強い不安がよぎった。心臓が理由もなくざわめき、何か大切なものを失ってしまうような気がした。

だが、彼は首を振ってその考えを打ち消した。

バレるはずがない。理恵だってバレるようなヘマはしないはずだ。

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