Se connecter結婚式の準備は、私より律のほうが熱心だった。花は二人で選び、ドレスの試着にも付き合ってくれた。招待客リストを何度も確認し、招待状のフォントまで、真剣に選んでいた。私は思わず笑った。「そこまでこだわるの?」彼は迷わず答えた。「僕にとって結婚式は、ただの形式じゃない。美月を一生大切にすると、みんなの前で誓う日だから」式の日は、よく晴れていた。ウエディングドレスを着た私は、祭壇の前で律と向かい合った。客席では、遥が顔をくしゃくしゃにしながら泣いていた。涙を拭いながら、彼女は口だけを動かして言った。「美月、幸せになってね」私は笑ってうなずいた。司式者が律に尋ねた。「白瀬律さん。林美月さんを妻とし、生涯愛し続けることを誓いますか?」律は穏やかなまなざしで私を見つめた。「誓います。どんなときも美月さんの意思を尊重し、美月さんが自分らしく生きていけるよう、そばで支え続けます」会場に温かな拍手が広がった。司式者が、今度は私に尋ねた。「林美月さん。白瀬律さんを夫とし、生涯愛し続けることを誓いますか?」答えようとしたとき、ふと会場の外に人影が見えた。黒いスーツを着た、ひどく痩せた男。尋人だった。2年ぶりに見る彼は、まるで別人のようだった。以前は自信に満ち、すべてを手にしているように振る舞っていた。今の彼は、会場の入り口付近で、目を赤くして立っていた。その姿からは、かつての自信も余裕もすっかり消えていた。尋人は、まだ叶うはずのない望みにすがっているようだった。私が「誓いません」と答えることを。もう一度、彼のもとへ戻ることを。私は一度だけ尋人を見て、静かにほほ笑んだ。挑発でも、復讐でもなかった。尋人との7年は、ようやく過去になったのだ。私は律へ視線を戻し、まっすぐ見つめた。「誓います」会場に祝福の拍手が広がった。律は私の手を取り、そっと唇を重ねた。その瞬間、会場の入り口から、すすり泣く声が聞こえてきた。けれど、私はもう振り返らなかった。式のあと、遥から、尋人がしばらく会場の入り口に立ち尽くしていたと聞いた。帰り際、尋人は遥に箱を一つ託したという。箱の中には、2年前に私が置いてきた婚約指輪と、一通の手紙が入っていた。私は手
私は思わず聞き返した。「私、入社したばかりですが……」律は穏やかな口調で、迷いなく答えた。「能力と勤続年数は関係ありません」その言葉に、胸が熱くなった。人に尊重されるとは、こういうことなのだと初めて知った。何を言っても、「どっちでもいい」と流されることじゃない。当然のようにキッチンへ立たされ、洗い物を押しつけられることでもない。自分の希望を口にしただけで、「大袈裟だ」と黙らされることでもない。私の能力も、私の選択も、ひとりの人間としての私自身も、きちんと見てもらえること。それが、尊重されるということなのだ。……月日はあっという間に過ぎた。いつしか、尋人を思い出しても胸は痛まなくなっていた。共通の友人から、ときどき彼の近況が耳に入った。尋人と茉莉は、激しく揉めた末に別れたらしい。スイスでの挙式費用は、ほとんど尋人が負担していた。指輪やドレス、会場代、航空券、ホテル代など、費用の総額は数千万にのぼったという。騒動のあと、尋人は茉莉に指輪を返すよう迫ったが、彼女は応じなかった。二人がショッピングモールの入り口で激しく言い争う様子が撮影され、SNSで拡散された。動画では、茉莉が泣きながら彼を責め立てていた。「今さら後悔してるの?式を挙げようって言ったのはあなたでしょ!今になって、美月だけを愛してたみたいな顔しないでよ!本当に美月を愛してたなら、どうして私とスイスに行ったの?」尋人は黙って立ち尽くし、何も言い返せなかった。茉莉の言っていることは、すべて事実だったからだ。その後、茉莉は街を離れたらしい。海外へ渡ったとも、名前を変えて新しい生活を始めたとも噂された。尋人も、友人たちの前に姿を見せなくなった。それでも、私には何度もメールを送ってきた。ラインも電話も、とっくにブロックしていたからだ。最初のメールは、長い謝罪文だった。2通目には、付き合い始めた頃の夢を見たとあった。3通目には、昔よく通ったラーメン店の前を通ったと書かれていた。そこで初めて、7年も一緒にいたのに、私がネギを食べられないことさえ覚えていなかったと気づいたらしい。4通目には、荷物を整理していて、私が編んだマフラーを見つけたとあった。メールの最後は、こう結ばれていた。
【紀野の母親も相当ひどい。浮気相手にお母さんって呼ばせて、婚約者には7年も皿洗いさせてたってこと?】私はそれ以上、何も発信しなかった。言い逃れできないほどの証拠は、すべて出したからだ。言い争う必要はない。真実を、誰もが見える場所に並べる。それだけで十分だった。ほどなくして、尋人が長文の謝罪文を投稿した。自分は愚かで、身勝手で、卑怯だった。7年間支え続けてくれた私を裏切り、すべてを壊した。スイスでの式は、人生最大の過ちだった。謝罪文には、そう書かれていた。それでも、コメント欄の批判は収まらなかった。【謝って済むなら法律はいらない】【反省してるんじゃなくて、自分が終わったってわかっただけでしょ】【元婚約者をこれ以上巻き込むな。放っといてあげて】【今さら愛してると言われても、何の価値もない】……一方、茉莉は最後まで自分の非を認めなかった。彼女はライブ配信で、涙ながらに釈明した。自分は浮気相手ではない。尋人と本当に愛し合っているのは自分で、私が7年間、二人の間に割って入っていただけだと。私さえいなければ、とっくに尋人と結ばれていたとも訴えた。しかしコメント欄は批判で埋まり、彼女は途中で配信を打ち切った。さらに、スイスでの式で彼女が自ら取材に応じていた映像まで掘り出された。その中で、彼女は記者にこう話していた。「この日をずっと待っていました。ようやく、いちばん愛する人と結ばれました」さらに、過去のSNS投稿までさらされた。そこには、こう書かれていた。【どれだけ遠回りしても、最後に選ばれるのは私】批判の矛先は、すぐに茉莉へ向かった。茉莉のSNSには批判が殺到し、フォロワーは一気に減っていった。彼女がSNSで作り上げてきた「清楚で一途な女性」というイメージも、すっかり崩れた。……尋人も無傷では済まなかった。彼の勤務先の問い合わせ窓口には批判が相次いだ。取引先からも、今後も尋人を担当者にしてよいのかと説明を求められた。会社は彼を支社の責任者へ昇進させる方針だったが、今回の騒動で白紙になった。ほどなくして現在の担当からも外され、内勤部署へ異動させられた。尋人の母は、さらに厳しい状況に追い込まれた。彼女が暮らすマンションでも、騒動は
「7年をそんな簡単に終わりにできるのか?」私は彼を見つめた。その言葉は、かつて何度も自分に言い聞かせていたものだった。7年も一緒にいたのだから、簡単に手放してはいけない。もう少し我慢すれば、いつか彼も変わる。そう自分に言い聞かせてきた。でも今ならわかる。一緒にいた時間の長さは、傷つけられ続けていい理由にはならない。むしろ、その7年が教えてくれた。これ以上自分の時間を無駄にしてはいけないと。「尋人。7年は決して短くない。だからこそ、これ以上あなたのために時間を使いたくない」彼は何も言えず、立ち尽くした。私はその脇を通り抜けようとした。突然、背後から私に抱きついた。声は涙でかすれていた。「行かないでくれ。美月、俺を捨てないで。茉莉とは縁を切る。母さんとも距離を置く。どれだけ責められても構わない。だから戻ってきてくれ」私は腰に回された彼の手を、指を一本ずつ外しながらほどいていった。7年間、私を縛りつけていたものを、一つずつ断ち切るように。「尋人、今になって後悔してるのは、私を心から愛してたからじゃない。何があってもあなたを一番にしてくれる人を失ったと、ようやく気づいたからでしょ。でも私は、都合のいい女なんかじゃない。いつでも戻れる場所でもない」私は最後に一度だけ振り返った。「もう私にかかわらないで。また来たら、集めた証拠を全部公表する」彼は立ち尽くしたまま、何も言わなかった。私は振り返らず、マンションのエントランスへ入った。彼が追ってくることはなかった。……これで終わったと思っていた。けれど、私は茉莉を甘く見ていた。3日後、彼女はSNSに長文を投稿した。タイトルは【愛し合っているだけなのに、どうして責められなければならないの?】だった。自分と尋人は高校生の頃から想い合っていたものの、長い間すれ違ってきたのだと書かれていた。スイスでの式も、付き合っていた頃の約束を叶えただけで、誰も傷つけるつもりはなかったという。さらに、私が勝手に思い詰めて式から逃げ出し、紀野家に恥をかかせたかのように匂わせていた。最後は、こう締めくくられていた。【愛に順番があるのなら、先に彼を愛したのは私です】遥はスクリーンショットと一緒に、メッセージ
「予定どおり婚姻届を出そう。これからは、ちゃんと美月を大事にする」私は彼を見つめ、呆れて笑いそうになった。「尋人。あなた、今でも私が気にしているのは、入籍のことだと思ってるの?」彼は固まった。「違うのか?」私は小さく笑った。「違うよ」私はポケットからスマホを取り出し、まとめておいた記録を開き、画面を彼に向けた。「いくつか聞きたいことがあるの」そこに並ぶ内容を目で追い、次第に表情をこわばらせた。私は最初の質問を口にした。「私の25歳の誕生日、私は一晩中、あなたの帰りを待ってた。急な残業だって言ってたけど、本当はどこにいたの?」彼は答えに詰まった。「俺は……」「本当のことを言って」彼はうつむいた。「茉莉と映画を観に行ってた」「どうして?」「あの日、彼女が落ち込んでいたから」私はうなずき、次の項目を開いた。「7周年の記念日に、私にブレスレットをくれたよね。でもあとで、茉莉も同じものを持っていると知った。あのとき、どういうつもりだったの?」気まずそうに目をそらした。「そこまで考えてなかった」「そう」私はスマホから顔を上げ、彼を見た。「じゃあ、どうして茉莉のだけ限定ボックスに入っていて、私のは普通の箱だったの?」さっと青ざめた。長い沈黙のあと、彼はかすれた声で言った。「茉莉が、その箱を気に入ったって言ったから……それで……」「限定ボックスのほうを茉莉にあげたのね」言いよどむ彼に代わって、私が続きを口にした。尋人の顔がこわばった。私はそのまま続けた。「私が体調を崩して寝込んでいた夜、会社で急用ができたって言って出ていったよね。本当は茉莉のところへ行ったんでしょう?」彼は目を閉じた。「……ああ。マンションが停電して、暗いのが怖いって言うから」私は力なく笑った。「私だって、ひとりで寝込んでいるのはつらかったよ。でも、あなたは戻ってこなかった」彼の目が潤んだ。「美月、そんなにつらいとは思わなかった」「メッセージで伝えたよ。具合が悪くて、ベッドから起き上がれないって。でも、あなたの返事は『わかった』の一言だけだった」そのやり取りを思い出したのか、何も言えなくなった。私はスマホをポケット
「ほら、指輪まで置いていったんだ。美月は……俺を捨てたんだ」その言葉を最後に、グループビデオ通話が切れた。遥からメッセージが来た。【私もすっきりしたよ】【でも美月、本当にこのまま何も言わなくていいの?】私はしばらくスマホを見つめ、返信した。【うん。もう、話すことは何もないから】7年も一緒にいれば、言いたいことはいくらでもあった。ただ、伝えるべきことは、失望するたびに何度も口にしてきた。彼は聞かなかった。だから、私はもう話さない。……結婚式を取りやめた日、私は10時間もぐっすり眠れた。目を覚ますと、窓から差し込む日差しが、ベッドの足元まで伸びていた。リビングでは母が、りんごの皮をむいていた。どうして実家に戻ったのか、母は聞かなかった。どうして式を取りやめたかも、聞かなかった。ただ、りんごを小さく切って差し出してくれた。「食べなさい」鼻の奥がつんとして、泣きそうになった。この数年、私は尋人のことを優先するあまり、自分のことはずっと後回しにしていた。年末年始の予定も、まず彼の都合に合わせた。ボーナスが入れば、自分のものより先に、彼に何を買おうか考えた。尋人の母に何か言われるたび、何日も悩んだ。好きな人のためなら、自分のことは後回しにして当然だと思っていた。我慢し続ければ、いつか思いは届くのだと。でも、我慢したからといって愛されるわけではない。ただ、自分をすり減らしていただけだった。……式を取りやめた翌日、私は証拠を整理し始めた。ラインのメッセージ。スイスの記事のスクリーンショット。彼が茉莉のために買ったドレス、指輪、ホテルの予約確認メール。茉莉が彼に送った、甘えた口調のボイスメッセージ。それから、彼が電話で「友人の結婚式に来ている」と嘘をついたときの通話の録音。私は集めた証拠を、時系列に沿って整理していった。日時。金額。出来事。傷つき度。遥は私が作った表を見て、しばらく黙った。「美月、これ……」私は言った。「あとで、向こうの都合のいいように話を変えられたくないの。それに、私自身も忘れないようにしておきたいから」その表には、全部で32項目あった。25歳の誕生日、彼は残業だと言った。実際