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国境なき医師の私、この手でクズ夫を切り捨てる

国境なき医師の私、この手でクズ夫を切り捨てる

By:  山谷いくえCompleted
Language: Japanese
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結婚三周年の記念日、妊娠九ヶ月の私は、寒い夜に、中沢幸平(なかざわ こうへい)の家から何時間も閉め出された。 体がすっかり冷えてしまい、お腹の張りはどんどん間隔を縮め、波のように押し寄せてきた。 そんなとき、幸平からボイスメッセージが届いた。 再生すると、彼の声に他の女の笑い声が重なって聞こえる。 「ごめん、今日ちょっと遅くなる。祐希がさ、一度も夜景を見たことないって言うから」 病院に運ばれる直前、私はスマホを覗いた。彼のSNSが、たったいま更新されている。 窓辺に立つ渡部祐希(わたべ ゆき)、その背後には、街の華やかな夜景が広がっていた。 キャプションには、こうある。 【彼女と世界を見る】 そのとき、私は病院で手術を待っていた。 手術の同意書には、夫の署名が必要なのに、その欄は空っぽだった。 午前三時、彼は別の女のベッドで目を覚まし、私に十万円を振り込んできた。 そして、メッセージが届いた。 【お疲れさま】 私はそのお金をすぐに送り返すと、私は決意を固めた。 何があっても、彼のそばから離れようと。

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Chapter 1

第1話

Eliana's POV

My name was Eliana Torre, and I was the Consigliere for Caputo Industries, the company under the Caputo Famiglia.

Deyork was a city controlled by the mafia, and everyone here always referred to me as the "Ice Lady" because I looked naturally cold and aloof.

Yet, I was also referred to as many Mademen's first love. I had clawed my way up the ranks with my own abilities and professional skills, and I was literally just one step away from reaching Don Lorenzo Caputo's heights.

However, I was the only one who knew how much I drank and threw up at social parties and gatherings—sometimes until my stomach ruptured—just to seal contract deals and projects for the company.

I once even stayed up for three days and nights at the office to complete the dock project he'd approved, finally collapsing at my desk afterward.

I put in all this hard work, gritting my teeth and persevering through it all, just for the opportunity to be promoted to Senior Consigliere at the company and to be worthy of Don Caputo, who was actually my boyfriend in secret.

At least, I thought that we were in love with each other.

All those late-night embraces in the apartment, the warm breakfasts that would suddenly appear on my desk, and him silently deflecting alcohol from me at alcoholic social parties—these were all just kept as secrets between him and me.

However, today, my intimate photos were leaked. They immediately went viral throughout the entire company.

Every photo taken captured me at my most private, indecent, and vulnerable moments.

There were photos of me covered in hickeys all over my naked body, being lost in passion with dazed eyes from being kissed in the Maybach, and more. Each of these photos could only have been captured by someone who was also there during those intimate moments.

Overnight, I went from being a well-respected Consigliere to being called a slut and a whore who slept my way to the top.

I was immediately stripped of the chance to be promoted as the Famiglia rejected my application. I'd even received anonymous text messages asking me how much I charged for a night.

My colleagues' gossip and whispers were like poisoned darts, piercing straight into my ears.

"Wow, who would have thought? She acts all cold and aloof when she's actually so slutty behind doors."

"No wonder she made her way to the top so quickly. She slept her way there the whole time."

I practically ran out of the office with only one thought on my mind—I had to find Lorenzo.

I had to ask him why these photos were even leaked in the first place. I had to know why he did this to me.

I felt as though my heart was about to burst open during the elevator ride to the top floor of the building where the Don's office was located. Tears fell down my cheeks uncontrollably.

The door was left slightly ajar with a crack in the middle, and a very familiar bout of laughter floated out into my ears.

Then, I heard my name being brought up.

"But Lorenzo, I remember Eliana drinking so much she got a stomach ulcer and even working so hard on the projects until she got hospitalized multiple times, all just for the sake of this promotion. And now that you've leaked the photos, everything she's done thus far has been in vain.

"She'll never be able to fight Fiore for the position of Senior Consigliere anymore!"

I felt as though my feet had been nailed to the floor at that. All the blood seemed to drain from my entire body as I felt a chill shiver down my spine.

That was right. Who else would have these photos besides Lorenzo? And who else could have made that anonymous post if not him?

I supported myself against the wall, my fingers shaking violently as I thought of shoving the door open. However, the next sentence made me freeze immediately, to the point where I'd even forgotten to breathe.

"Still, I don't get it. Eliana is a really beautiful woman, and yet, you're not even the least bit attracted to her. You can't even bear to lay a hand on her, to the point you had to get your own twin, Vincenzo, to sleep with her for you. I must say, you're really devoted to Fiore after all."

Another voice, sounding exactly the same as Lorenzo's, was heard. The only difference was that his tone was more flippant, casual, and mischievous than Lorenzo's.

"Eliana's completely different at the office compared to when she's under me. You might think she's all prim and proper here, but you gotta see just how seductive and inviting she can be in bed. She can bend her body into any position you can think up. She's really quite the slut.

"Otherwise, why did you think I gave up those busty, booby models just to come back and do this for Lorenzo for three years? Of course, it's because the experience is so good that it's totally worth it!"

Three years.

Those two words felt like they were being seared onto my heart with a red-hot iron sear. It hurt so much that I couldn't even breathe anymore.

To think that every intimate moment, every tender night, and every second I thought was a blatant proof of our love for each other had been done with another man over the last three years.

I hadn't even known that his name was Vincenzo before today. This was the first I'd ever heard of him.

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ノンスケ
ノンスケ
手に入りそうもない高嶺の花だからこそ手に入れたくて、手に入れた途端に興味が失せる、まるで子どものような愛だね。このクズ夫、自分が好きなだけ。人を愛することを知らないやつだった。
2026-06-15 19:32:00
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松坂 美枝
松坂 美枝
読めば読むほど同情の余地のないクズ元夫だった 女を高みから引きずり下ろすまでは愛せるが、女が自分を愛したらそこで奴の中では終わるんだ 奴の中では恋愛は勝負だから そんなだからああいうことになるわけ。ざまあです。
2026-06-15 11:56:54
7
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第1話
結婚三周年の記念日、妊娠九ヶ月の私は、寒い夜に、中沢幸平(なかざわ こうへい)の家から何時間も閉め出された。体がすっかり冷えてしまい、お腹の張りはどんどん間隔を縮め、波のように押し寄せてきた。そんなとき、幸平からボイスメッセージが届いた。再生すると、彼の声に他の女の笑い声が重なって聞こえる。「ごめん、今日ちょっと遅くなる。祐希がさ、一度も夜景を見たことないって言うから」病院に運ばれる直前、私はスマホを覗いた。彼のSNSが、たったいま更新されている。窓辺に立つ渡部祐希(わたべ ゆき)、その背後には、街の華やかな夜景が広がっていた。キャプションには、こうある。【彼女と世界を見る】そのとき、私は病院で手術を待っていた。手術の同意書には、夫の署名が必要なのに、その欄は空っぽだった。午前三時、彼は別の女のベッドで目を覚まし、私に十万円を振り込んできた。そして、メッセージが届いた。【お疲れさま】私はそのお金をすぐに送り返すと、私は決意を固めた。何があっても、彼のそばから離れようと。……産科の医師が検査結果を受け取って、眉をひそめた。「一人で来たのですか?旦那さんは?」私は少し笑っただけで、くわしくは説明しなかった。「いないの、夫は」「今のあなたの状態じゃ、誰かがそばについていないとダメですよ」医師は報告書の数値を指さし、有無を言わせない口調で続けた。「血圧が高い、尿蛋白も出てる……重度の妊娠高血圧腎症ですよ。いつけいれんを起こしても、脳出血や常位胎盤早期剥離を起こしても、おかしくない状況です」「わかった。ありがとう、先生」診察室を出ると、スマホが震えた。祐希から写真が届いていた。祐希は私のネグリジェを着て、うちのソファにだらりともたれかかり、私が三年飼っている猫を抱いている。ネグリジェの肩ひもが片方ずり落ちているのに、直そうともせず、肩をむき出しにしたままだった。【舞子さん、このネグリジェすごく気持ちいいね。普段どうして全然着なかったの?】あのネグリジェは、結婚したときに幸平が買ってくれたものだ。ずっと着なかったのは、産後に体形が戻ってから着ようと思っていたからだ。私はその写真を長いこと見つめた。それから幸平にメッセージを送った。【離婚協議書、サイ
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第2話
付き合って三ヶ月の間に、彼はY国に7回も飛んできた。来るたびに、大量の物資を抱えた。薬、医療器具、チョコレート、それから、彼の直筆の手紙だ。【舞子、今日流れ星を見た。願い事をしたんだ。どうか無事に帰ってきてほしい、って。笑うなよ】私はそれらの手紙をブリキの缶にしまい、スーツケースの一番底にそっと押し込んだ。ずっと後になって気づいた。どの手紙の最後にも、小さな字で書き添えられていた。【Y国の子どもたちによろしく。渡部祐希より】祐希は、彼のアシスタントだ。正確には、彼の父の旧友の娘で、経験を積ませるため彼のもとに置かれている。たかがアシスタントだ。当時の私は、なんとも思わなかった。今思えば、本当に馬鹿だった。妊娠は、まったくの偶然だった。Y国での仕事がすべて片づき、次はN国へ行く契約を結ぼうとしていた矢先だ。出発の一週間前、妊娠検査薬に二本の線が浮かんだ。私は慌てて幸平に電話をかけた。彼は港都に出張中で、電話越しに雑踏のざわめきと、女の笑い声が聞こえた。「どうしたんだ」「妊娠したみたい」電話の向こうが、一瞬しんとなった。それから、彼の声は壊れものを扱うみたいに、柔らかく、慎重になった。「ほんとか」「うん」「舞子」彼ははっきりと昂ぶった、かすれた声で私の名前を呼んだ。「待っていてくれ。明日、すぐに帰る」彼は本当に帰ってきた。指輪を手に、花束を抱えて、私の前で片膝をついた。「結婚してくれ。もうあんな遠くへ行くな。俺が養うから」私は迷った。何年も医学を学び、戦場で五年、この手で何百人もの命をつないできた。それを、たった一言で、全部投げ出せというのか。「舞子」彼は顔を上げて私を見た。目が赤い。「お前のいるところで、また戦争が始まったと聞くたびに、俺がどんなに怖かったと思う。お前が戻って来られないんじゃないか、もう二度と会えないんじゃないかって……俺は、お前に出会えたことが、人生でいちばんの幸運なんだ」彼はしばらく沈黙して、声を潜めた。「両親を早くに亡くして、ずっと独りだったんだろ。でも、今は俺がいる……頼む。俺に守らせてくれないか」その言葉が、胸の奥に刺さった。私の両親は海外医療援助隊の一員で、12歳のときに震災で亡くなった。そ
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第3話
祐希が謝りに来た日、私は台所でスープを煮込んでいた。彼女は声をあげて泣きじゃくっていた。「舞子さん、あの口紅は本当に、私がうっかり車に置き忘れただけで……社長とは、何もありません。どうか、誤解しないでください……」私は、その言葉を信じることにした。正確に言えば、自分にそう思い込ませたのだ。仕事を辞め、妊娠六ヶ月の私には、もう引き返せない場所まで来ていた。選べる余地がある時だけ、人は正気でいられる。何もかも失くしたら、ただとぼけるしかないのだ。幸平が帰宅すると、どっか上の空で薄く笑った。「ほら、言っただろ。別に何もないって祐希は本当に優しすぎるんだよ。お前に変に思われたくないから、わざわざ謝りに来たんだ」そう言いながら、後ろから私を抱きしめ、あごを肩にのせた。「舞子、やめてくれよ。前は、そんなんじゃなかった」前?そう、前の私は、幸平の妻なんかじゃなかった。あの頃の私の世界には、手術台があった。難民キャンプがあった。助けを待つ人たちがいた。男の帰りを待つために、台所でスープを煮込んだりはしなかった。たかが口紅一本で、夜通し眠れなくなることなんて、なかった。結婚してからの毎日は、恐ろしいほど退屈だった。一日の行動範囲なんて、半径三キロもない。家と、スーパーと、産婦人科の健診だけ。幸平の仕事はどんどん大きくなり、つきあいの数も増えていった。祐希はアシスタントからパートナーになり、そして、彼の隣にいるたった一人の女になった。会社の忘年会で、誰かがこっそり私の腕を引き、声をひそめた。「奥さん、知らないのですか?祐希さん、毎日社長とべったりで、社内じゃもう噂だらけですよ」私は、少し離れたところで祐希とグラスを合わせている幸平に目をやり、かすかに笑った。「噂なんて、させておけばいいのよ」相手はきょとんとしていた。まさか私がそんな反応をするとは思わなかったのだろう。でも、その人は知らない。私がとっくに調べ終えていた。祐希が住んでいるあの部屋は、幸平名義だった。あのマンションは、結婚して二ヶ月目に、彼が現金で一括購入したものだ。婚姻届を出した日、彼はばつの悪そうな顔で一枚の契約書を差し出した。「これ、母さんの意向なんだ。サインしないと、結婚を認めないっ
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第4話
事の転機は、妊娠九ヶ月のときに訪れた。幸平は出張中で、祐希がひとりでやって来た。彼女は高価なワンピースを着て、私には手の届かないハイヒールを履いていた。リビングをゆっくり一周すると、晴れやかな笑みを浮かべる。「舞子さん、お宅、すごく広いね」私は相手にしなかった。祐希は気にする様子もなく、ソファに腰を下ろすと、勝手にテーブルの上の妊婦健診の報告書をめくり始めた。「あら、来週、帝王切開なの」私は歩み寄り、彼女の手から報告書を取り上げた。「何しに来たの」祐希は笑った。その笑みは、いつも幸平の前で見せる顔とはまるで別人だった。か弱さも、無垢さもない。背筋が凍るような冷たさだけが、そこにはあった。「ねえ、舞子さん、ひとつ教えてあげようか」「言え」「知ってる?幸平の母さんが先週、私に電話してきたの」私は息を呑んだ。「婚約指輪、どんなのが好きかって聞かれた」空気が一瞬で凍りついた。祐希は立ち上がり、私の目の前まで来ると、わずかに顔を上げて私を見た。彼女のほうが背が低いのに、その視線は明らかに見下ろすものだった。「幸平の母さんは言ってたよ。中沢家の嫁は、釣り合う家柄か、仕事の役に立つ人間じゃなきゃ駄目だって。あなた、自分はどっちだと思う?孤児で、身寄りもなくて、仕事も辞めて男に養ってもらってるだけのくせに。私に敵うと思ってるの?」祐希はまた笑った。バッグからスマホを取り出し、一枚の写真を表示させて私の前に突きつけた。Lineのトーク画面のスクリーンショットで、相手の名前は「お母さん」となっていた。【中沢おばさん、幸平の奥さん、妊娠したみたいだよ】【知ってる。幸平には言ってた。子どもは産んでもいいけど、私はあの女を認めないから】【そんな、かわいそうに】【何がかわいそうなもんか。自分から幸平にしがみついてきて、こっちは頼んだわけじゃない】私はそのやりとりを凝視した。手にしていた報告書を、ぐしゃりと握りつぶしていた。祐希はスマホをしまい、いかにも思いやりがありますよというように、私の肩を軽く叩いた。「舞子さん、ゆっくり体を大事にね。赤ちゃんが生まれたら、中沢家からお金を用意させるから」彼女は玄関まで行くと、一度振り返って私を見た。「そうだ、子ども
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第5話
幸平は罪悪感で、一瞬表情が凍りついた。瞳孔が縮まり、唇がわずかに開く。まさかそんな言葉が出るとは思っていなかった、という顔だ。ほんの数秒の間に、彼の目の奥をよぎった後ろめたさを、私ははっきりと見てとった。そしてすぐに、その表情は変わった。罪悪感はきれいに消え去り、代わりに図星を突かれた怒りが浮かぶ。彼は勢いよく立ち上がり、私に指を突きつけた。「舞子、どういう意味だよ」私は淡々と言った。「言葉通りだよ」「お前……」彼は深く息を吸い、首に青筋を浮かばせた。何かを必死に堪えているようだった。「朝っぱらから見舞いに来て、花も弁当も買ってきてやったのに、その言い草かよ」「花はついでに買っただけだし、弁当は下のコンビニでしょ」私は花束をちらりと見やった。「私がバラを一番嫌いだってことすら、忘れてるのね」彼は完全に頭に血が上り、声を張り上げた。「舞子、いったいどうしたいんだよ」病室の入り口で、看護師がちらっとこちらを覗いたが、声に驚いてすぐ引っ込んだ。「俺は外で必死に働いてるのに、そんなふうに疑うのか。妊娠してからお前、変わったよ。前のお前はこんなじゃなかった」「前の私?」私は笑った。「あなたと知り合う前の私は、確かにこんなじゃなかったね」「お前……!」彼は怒りで顔を真っ赤にし、震える指で私を指した。「自分の顔、鏡で見てみろよ。くたびれたツラして、気だけは強いんだな。祐希の言う通りだ、暇すぎていちゃもんつけてるんだよ」そう言うと、彼は憂さを晴らすように、どんどん言葉が荒くなっていった。「彼女が毎日会社でどれだけ俺を助けてくれてるかわかってるのか。お前はどうだ、俺の金を使う以外に何ができる?彼女がお前をどう評してるか知ってるか?お前はただの……もういい、話す気もうせた」私は彼の顔を見つめた。かつて私の心を動かしたその人は、変わってしまった。突然、この人がわからなくなった。いや、最初から一度も、私はこの人を知らなかったのかもしれない。彼はテーブルの上の車のキーを乱暴につかみ、青ざめた顔で背を向けた。出口まで行くと、振り返って言った。「好きにしろ!弁当は犬にでもやれ」ドアが激しく閉まり、窓ガラスがびりびりと震えた。ベッドの背にもたれかかり、私はその
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第6話
幸平には、育ての親が海外に住んでいることは話していなかった。実の両親を亡くしたあと、私を引き取ってくれたのは今の養父母だ。学費を出してくれて、医学部まで行かせてくれた。戦地医療に行きたいと言ったときも、背中を押してくれた。血のつながりはなくても、私は孤児なんかじゃないと、そう思わせてくれた人たちだ。戦地に行く直前、育ての父が私の手を握って言った。「舞子、外でどうにもならなくなったら、いつでも帰っておいで。父さんが面倒みるから」迷惑はかけられないと思って、ずっと帰らなかった。それに、あのころの私は本気で信じていた。幸平のいる場所こそが、自分の居場所なんだ。今なら、わかる。家と呼べる場所は、部屋を買ってくれることでも、「俺が養う」と言われることでもない。心から幸せだと思える場所のことだ。予定していた帝王切開の日、私は前日から入院して、すべての手続きを済ませた。緊急連絡先を聞かれて、長いあいだ迷った末に、育ての父の番号を書いた。手術は午前10時からだった。8時半、術前処置に来た看護師が、ためらいがちに尋ねた。「旦那さんは、まだですか」「もうすぐ来ます」そう答えた。9時ちょうど、最後の望みをかけて、彼にメッセージを送ろうとした。けれど、ブロックされたままの画面には、やはり送信できませんと表示された。ベッドに横になったまま、スマホをじっと見つめる。SNSが更新されていた。祐希が動画をアップしていた。高級レストランで、彼女の隣には幸平、向かいには品のいい中年夫婦が、にこやかに座っていた。祐希はとても嬉しそうに笑って、ワイングラスを掲げてカメラにピースをしている。キャプションには、【今日、彼を親に紹介したよ】とあった。私はその動画を、いつまでも見つめていた。9時50分、手術室へ運ばれた。病院の廊下は長くて、照明がやけに白くまぶしかった。ストレッチャーの車輪が床をきしませて、ギィ、ギィと音を立てる。手術室の扉が閉まった。医師が私の名前を呼び、麻酔科医が薬を準備し、看護師が血圧計のカフを巻いている。私は静かに目を閉じた。手術は順調に終わった。女の子で、産声はとても力強かった。看護師が赤ん坊を私の顔の前に抱き上げる。「ほら、女の子ですよ」し
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第7話
幸平の笑みが、そのまま固まった。「教えてよ。これが、あなたの言う『もっといい生活』なの?」「舞子、俺……ちゃんと償うから」「償うって、どうやって」私は言葉を遮った。「過ぎてしまったことは、もう取り返しがつかないのよ。私が子どもを産んでる時、あなたは他人の親と食事をしていた。それと同じよ」幸平の顔色が変わった。「なぜ、それを……」私は黙ったままだった。「祐希が送ったのか」声が急に荒くなる。「彼女がふざけてやっただけだ。本気にするなよ」よくもそんなことが言えるものだ。彼にしてみれば、私の感じることなんて、全部ただの八つ当たりにしか見えないんだろう。「幸平」私は子どもをそっとベッドに寝かせ、顔を上げて彼を見た。「離婚協議書、読んでくれた?」彼の表情がわずかにこわばる。「本気で離婚するつもりか」「ええ」「よく考えたのか。女ひとりで子どもを抱えて、どうやって生きていくんだ」私は彼を見つめて、思わず笑ってしまった。「幸平。私が誰だか、覚えてる?」「はあ?」「私は国境なき医師団の医者よ。Y国で開腹手術を何度も行い、難民キャンプでは43人の赤ちゃんを取り上げてきた」彼の顔から、血の気がさあっと引いていく。「私があなたと別れたら、生きていけないとでも思った?」「舞子、そういう意味じゃない……」「もういい。どうでもいいわ」くるりと背を向けて、引き出しから署名済みの離婚協議書を取り出し、彼の前に差し出す。「本当に私のことを思うなら、サインして」彼が受け取らないのを見て、私はそれをテーブルに置き、もう一度子どもを抱き上げた。「三日待つわ。それまでにサインがなければ、弁護士を立てるから」幸平は離婚協議書に目もくれず、背を向けて歩き出す。ドアを閉める間際、言葉を残した。「離婚なんて絶対にしないからな。できるものならやってみろ」私は相手にしなかった。腕の中で、子どもが静かな寝息を立てている。小さな寝顔を見おろして、私はそっとささやいた。「ママと一緒におうちに帰ろうね」十日後、幸平は弁護士に追い詰められ、ようやくサインした。だが、彼自身は一度も姿を見せず、離婚協議書も弁護士が届けてきた。取り決めに従い、マンションとまとまったお金が私
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第8話
「ねえ、忘れたの?私の仕事」「……は?」「医者よ。DNA鑑定が偽造かどうかなんて、見ればすぐにわかるの。あなたが使った機関、三回も偽りの報告書を出して、もう免許取り消しになってる。それすら調べずに、私を脅そうなんて、よくそんなことができるわね」電話の向こうが、一瞬で静まり返った。「それに、出生届の父親氏名の欄はもともと空欄だった。幸平は、法的に一度だってこの子を認めていない。だから、この子が彼の子かどうかなんて、どうでもいいのよ」「あなた……」「ましてや、私、最初からあの人を父にするつもりなんてなかったから」言い終えると、私は電話を切った。幸平は結局、あの偽の鑑定書のことを知った。もちろん、私が言ったわけじゃない。祐希が彼と喧嘩したときに、うっかり口を滑らせたのだ。その夜、知らない番号から着信があった。幸平だった。酒に酔っていて、声はひどく曖昧だった。「舞子、悪かった……俺、祐希がまさか、あんなことを……」「酔ってるのよ」「酔ってない。ちゃんとわかってる……舞子、会いたい。俺たちの子どもにも、会いたいんだ……」「幸平、私たち、もう離婚したでしょ」「わかってる。でも後悔してる……本当に後悔してるんだ。戻ってきてくれないか。祐希は異動させた。もう二度と俺たちの前に現れない。だから、戻ってきて、やり直そう……なあ」私は子どもを抱き、窓辺に立った。窓の外では、街の灯りがきらめき、まるで星の海のように広がっていた。「幸平」「ああ」「プロポーズのとき、なんて言ったか、覚えてる?」「……覚えてる」「『ずっと守る』って言ったわよね」「……」「守ってくれたこと、一度でもあった?」電話の向こうが、黙り込んだ。「なかったよね。あなたが守ったのは、渡部祐希だったり、自分の仕事だったり、世間体だったり。私だけは、一度も守ってくれなかった」「舞子……」「もう、あなたに守ってもらう必要はないの」私は腕の中で眠る子どもに目を落とし、声をひそめた。「私には、守らなきゃいけない人がいるから」電話を切ったあと、すぐにその番号を着信拒否にした。一年後。私はN国の難民キャンプに立っていた。国境なき医師団の青いベストを着て、手にメスを握っている。目の前の簡易手術台には、8
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第9話
後のことは、人づてに聞いた。幸平の会社が倒産した。祐希の父が出資を引き揚げ、資金繰りが一夜にして行き詰まった。幸平は、数十億を超えていた資産から一転、数億の借金を抱えることになった。祐希は、彼が一番金を必要としているときに、ありったけの金を持ち逃げした。輸出入貿易をやっているの男と一緒に海外へ逃げたのだ。幸平はひとりで借金を背負い、会社は倒産し、自宅まで手放した。そして、六畳ほどの賃貸アパートに移り住んだ。港都市で彼を見かけた者がいる。ひどく老けこんで、髪は半分以上白くなっていた。まだ四十前なのに、五十がらみに見えたそうだ。彼はその相手に尋ねたらしい。「川瀬舞子がどこにいるか、知らないか」相手は首を振った。「いや、知らない」幸平はその場に立ち尽くし、それ以上は何も聞かなかった。その話を耳にしたとき、私は難民キャンプで、地雷で脚を失った老婆の切断手術をしていた。手術灯がやけに白くまぶしくて、床には血が広がり、老婆はずっと泣いていた。私は声をひそめて、当地の言葉で言った。「大丈夫、私がちゃんと治すから」老婆は私の手をぎゅっと握りしめ、尋ねた。「外国から来たのね……あなた、ひとりなの?」私は笑った。「いいえ、娘がいるの。家族もいる」手術室を出ると、空の端に息をのむような夕焼けが広がっていた。オレンジ色の光が、燃え尽きることのない炎のように揺らめいている。私はスマホを取り出し、育ての母に電話をかけた。「お母さん、赤ちゃん、もう寝た?」「寝たよ。代わろうか?」「ううん、起こさないで。そのまま寝かせてあげて」電話を切ると、私は夕焼けのなかで深く息を吸い込んだ。風が強くて、白衣がばたばたとはためく。遠くでは、子どもたちがサッカーをし、女たちが食事の支度をし、男たちは雨で壊れたテントを直していた。これが生活で、これが生きるということ。私が力を振り絞って、ようやく自分自身を……取り戻した。幸平はかつて、私にこう言った。「舞子、お前はまるで全身が輝いているみたいだ」そのとおりだった。私は確かに輝いていた。でも、それは彼の帰りを待つ台所じゃない。ひとりで順番を待った産婦人科の待合室でもない。眠れずに過ごした夜のなかでもない。私が輝いていたのは
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第10話
写真の中の彼女は、手術着を着てマスクをつけていた。顔には汗がにじみ、なのに目だけは、まっすぐに光を宿していた。幸平はその写真を長いあいだ見つめていた。そして、ふと胸の奥から言葉がせり上がってくるのを感じた。この女は、自分のものじゃない。だが、そう思えば思うほど、手に入れたくてたまらなくなった。彼は頻繁にY国へ通うようになった。最初の訪問では、舞子は15分だけしか時間をくれなかった。「このあと、まだ三件も手術があるから」と彼女は言った。二度目に行ったときは、カップ麺をごちそうしてくれた。「食堂が閉まっちゃって、これしかなくて」と笑った。三度目、四度目、五度目と会ううちに、彼女は少しずつ彼に笑顔を見せるようになった。手術が終わると、「今日はうまくいったよ」とメッセージをくれることもあった。空港へ迎えに行けば、遠くから手を振ってくれる。気がつけば、日々のちょっとした出来事まで話してくれるようになっていた。ふたりの関係はどんどん深まり、ツタが絡み合うように、いつの間にか離れられなくなっていた。これでうまくいった、と幸平は思った。舞子の妊娠を知った日、幸平は別の街で大事な会議に出ていた。電話を切った瞬間、体が震えるほど興奮して、頭の中はそれだけだった。──彼女はもう逃げられない。翌日、すぐに飛行機で舞子のもとへ戻り、プロポーズした。片膝をついて、目は真っ赤に充血していた。自分でも何を言ったかろくに覚えていない。誓いの言葉を並べたてたはずだ。ただ、あのときの舞子の目だけは、はっきりと覚えている。初めて会った頃の、つき放すような冷たさは消えていた。かわりに浮かんでいたのは、やわらかな優しさと、迷いをたたえた依存だった。勝った──その瞬間、そう思った。その後のことは、誰にも話したことがない。幸平は、玄関で自分の帰りを待つ舞子の姿が好きだった。かつて戦場でメスを握り、人の命を救ってきた女が、エプロン姿でスリッパをそろえ、「今日、疲れた?」と声をかけてくる。それがたまらなかった。自分なしでは生きていけないと思い込んでいる、そんな舞子が好きだった。胸の一番深いところにしまい込み、誰にも明かさないまま、彼はその感覚に浸るようになった。彼女を神の座から引きずり下ろし、自分だけを見上
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