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第2話

Author: ピーちゃん
あずさは病室へ戻ることなく、タクシーに乗って家へ直行した。夜になって荷物をまとめ終えたころ、賢吾がドアを開けて帰ってきた。

「お義母さん、今日も三度も茶碗を投げつけてきたわ。私がみやびほど気が利かないんですって」

顔を上げずに告げると、賢吾はネクタイを緩め、うんざりした声を返す。

「二年も寝たきりだったんだ。機嫌が悪くても仕方がない。少しぐらい我慢してやれないのか」

「我慢?」あずさは思わず笑った。昼間スープで汚されたワンピースを手に取って見せる。

「これ、わざとよ。今朝、自分から浴びせかけてきたの」

「それがどうした!いい加減にしてくれないか!」賢吾はワンピースを奪い取り、ベッドに投げ捨てる。

「あずさ、昔のお前はこんなんじゃなかったんだぞ!」

「じゃ私はどんな人間だった?」あずさは立ち上がり、目頭が熱くなる。

「毎朝五時に起きてお粥を作ってた家政婦?それとも膝をついて床を磨きながら、『厄病神』って罵られても言い返さない意気地なし?」

賢吾は喉仏を上下させ、顔をそらした。

「……お前だってわかってるだろ、母さんが寝たきりになった理由を」

空気が凍りつく。

あずさは拳を握り締め、爪が掌に食い込む。

――すべては一本の電話から始まったのだ。

二年前の結婚記念日の夜。肌を重ねた直後、百合子から電話がかかってきた。

「今日は出ないで」あずさは裸足のままカーペットに立ち、賢吾の腰に腕を回した。「今日は記念日なんだから」

賢吾は迷いながらも、唇を重ねたのち囁いた。「一分だけ、頼む」

「毎回それよ!」限界に達したあずさはスマホを奪い、床に叩きつけた。

「どうせ今度も仮病でしょ?この電話に出るなら、離婚するわ!」

賢吾の瞳には複雑な感情が浮かんでいた――驚き、諦め、そして妥協。

彼はため息をつき、スマホを拾って横におくと、彼女を抱き寄せる。

「わかった。もう出ないよ」

だが翌日になって、昨夜百合子は脳出血を起こして救急搬送されたことがわかった。賢吾が電話に出なかったため、処置が遅れて半身不随になったのだ。

「わかってる、あれは私のせいだから、償わなきゃいけないって」

あずさは絞り出すように言う。喉から出た声がひどく掠れていた。

「だからといって、二年間も馬車馬のように尽くさなきゃいけないの?お義母さんにご飯を服に吐かれても、みやびに家政婦扱いされても、黙って受け入れろっていうの?」

賢吾は苛立ったように髪をかきむしる。

「もういい……それより、明日からみやびにこの家に引っ越してもらう」

「……え?」

「母さんが気に入ってるんだ。ただ数か月だけ、母さんの容体が落ち着いたら出ていってもらうから」

子どもをなだめるように、賢吾が言った。

「あのね、賢吾」あずさは静かに返す。「今日、区役所に行ったの」

その一言で、彼の体が硬直した。

「職員に言われたわ。離婚届が出されてるって」

あずさは彼を見据える。

「一か月前、あなたが『治療費の清算だから』って私の印鑑を借りたのって……離婚届を書くためだったのね?」

「……気づいてたのか?」賢吾は慌てて彼女の手首を掴む。

「母さんが自殺するって騒いでたから、仕方なく出しただけなんだ。別に本気じゃない」

「本気じゃなくても、私に知らせるくらいできたでしょ?」

あずさは彼の手を振りほどき、声を震わせる。「七年も一緒にいたのに、私には事情を知る権利すらなかったの?」

「黙れ!」賢吾の怒りは完全に爆発した。「お前だってわかってるんだろ?母さんとお前の間に挟まれた俺が一番苦しんだって!」

あずさは呆然とした。頭の奥で、過去の記憶が次々に蘇る。

初めて森崎家に挨拶に行った日。百合子は賢吾の目の前で彼女にスープをぶちまけ、「森崎家の嫁はみやびだけだ」と言い放った。

その夜、賢吾は彼女を抱きしめながら謝った。「母さんはああいう性格だから……頼む、俺のために我慢してくれ。俺だって窮屈な思いをしてるんだ」

結婚式の日。百合子は頑として出席せず、彼はあずさの手を握りながら「時間をかければきっと認めてくれる」と言った。

そして百合子が倒れたとき、彼は土下座してあずさに仕事をやめるよう頼んだ。「あずさ、母さんの面倒を見れるのはお前しかいないんだ」

そのたびに、彼女は賢吾のお願いを聞き入れてしまった。

「ねえ、賢吾」あずさは心から疲れた。「まだ……私を愛してるの?」

彼は驚くように瞬きすると、反射的に答えた。「もちろんだ!」

「だから、あずさ……俺を追い詰めないでくれるか?」

あずさはため息をついた。あと数日でこの家を出られる、それまでの辛抱だ。

無言で頷くと、賢吾は話題を切り替えるように言った。

「そうだ、みやびは客室に泊まらせる……お前も早く休め」

寝室に入ってドアを閉めると、あずさはベッドに座り込んだ。

月明かりがカーテンの隙間から差し込み、埃をかぶった写真立てを照らす。

そこには、海辺で賢吾に背負われて笑っている自分がいた。

ドレスを濡らした自分に、賢吾が振り向いて笑う。「しっかり掴まってろ、俺のお嫁さん!」

七年の愛は、結局は泡沫のように消えていくのだった。

スマホを手に取り、あずさは一通のメッセージを送る。

【七日後、予定通り迎えに来て】

送信ボタンを押したその瞬間――階下からドンッと鈍い音が響いた。
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