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第一章 第7話 赤紙

作者: 輪廻
last update 最終更新日: 2026-01-08 20:33:05

その日の朝は、何時もと変わらぬ平穏な朝でした。週番で当直をしていた【彼岸】の隊員さんが、午前六時に起床ラッパ代わりとして自分の好きな音楽を大音量で流し、その音で皆が一斉に目を覚まします。

タオル片手に手洗い場へと向かい顔を洗っていると、外の方から歌を歌いながら隊列を組んで朝のジョギングをしている【彼岸】の皆様の元気な声が聞こえてきて、冷たい水の感触も相まってシャキッとすることが出来ます。

冷水で丁寧に顔を洗い終えたら、再び部屋に戻って今度は着替えをします。

私たち巫女も、任務がない時は日替わりで神社のお仕事をしているため、当番の日は部屋に備え付けられた姿見の前で白足袋を履き、寝間着から巫女装束に着替えて、後ろ髪を白い和紙で一つに結わえます。私は今日は非番でしたが、··のお手入れという役目があるので、当番の時と同じ巫女装束に着替えました。

着替えを済ませたら、洗濯物を洗濯籠に入れて部屋の入口の傍へ置き、朝食を摂るべく食堂へと向かいます。洗濯物を自分で洗濯機まで持っていかないのは、使用人から仕事を奪ってはならないという、宗一さんの意向です。

食堂で宗一さんや清さん、そして正式に宗一さんのお嫁さんになった薫さんや、薫さんと宗一さんとの間に出来た子供たちと顔を合わせて挨拶した後、皆で朝食を摂ります。

このひと時は和やかで、とても癒される時間です。他愛もない話で盛り上がり、皆が楽しそうな笑顔で……こんな素敵な時間が、永遠に続けば良いのにと、ついついそう思ってしまいます。

朝食を終えたら歯磨きをし、当番なら神社へ……非番ならそのまま自由時間です。普段はしないおしゃれをして、お気に入りの服に着替えて、【彼岸】の皆様の護衛付きではありますが人里へ買い物に行ったり、都会の娯楽施設なんかに行くのも許されています。門限さえ守れば、非番の日はある程度の自由が担保されているのです。

私は自分用にサイズを調整された赤い鼻緒の草履を履き、ミコトから貰った横笛を持って彼女の居る··へと向かいました。道中、当番の巫女たちや、銃器を手に巡回している【彼岸】の方々とすれ違い、軽く手を挙げて挨拶しながら、そよ風や小鳥の囀りに耳を傾けました。

"声なき声に、耳を傾けよ"──教育プログラムの中で、清治さんから何度も何度も教わったことです。風のざわめきや馬の嘶き、寄せては返す波の音に小鳥の囀りなど、遍く·は時に人の言葉より雄弁に物事を語ります。

清治さんのような現人神《うつしおみ》、宗一さんや清さん、八雲ちゃんのような夢見鳥ならば、声なき声を聞くことなど容易なのでしょうが……未熟な私ではまだ、ただのそよ風や小鳥の囀りにしか聞こえません。何時になれば、声なき声が聞こえるようになるのか……何とも、歯痒いです。

そんなことを考えながら、私は··に通ずる整備された石の階段を一歩一歩、慎重に踏みしめながら登っていきました。

季節は七月半ば……梅雨明け直前。昨日は雨だったので石段は光沢を伴うほどに濡れており、非常に滑りやすくなっていました。況してや私が履いているのは草履……足を滑らせて石段を転げ落ち、打ちどころが悪く即死などといった笑えない事態は十分想定されます。

石段を何とか登り終えると、その先に··は居ました。何時ものようにさざれ石の上に腰掛け、横笛で物悲しい旋律を奏でています。

旋律に合わせ、··内に落ちた雨水が次々と宙に浮き、大きな弧を描きながら天へと還ってゆきます。束の間、··内に小さく美しい虹が掛かりました。

ミコトの奏でる旋律に重ねるように、私もまた即興で旋律を紡ぎます。時間にして凡そ数秒後……··内に降り注いだ雨水は全て、天へと還ってゆきました。

さざれ石の上からひらりと、軽やかな動きでミコトが降り立ちます。言葉こそ発しませんが、私を見てくすりと可愛らしく微笑むのは何時も通りです。

軽く掃除を済ませ、私は夢見の練習を始めました。··内の砂利を宙に浮かせる……それを脳内で事細かにイメージし、鮮明なる光景として仕立て上げ、現象として具象化させる。

最初の頃は一つも具象化出来ませんでしたが、清治さんの組んだ教育プログラムと、ミコトとの交流の結果、ある程度のことならば大体は具象化させることが出来るようになってきました。

「────」

十数個ほどの砂利が宙で静止しているのを見て、ミコトは笑顔でパチパチと、何度か拍手をしてくれました。初めて会った頃は不気味で怖かった彼女ですが、いざ交流を深めてみると意外と穏やかで優しく、逆に何故周囲から恐れられていたのか理解に苦しんだものです。

言葉は発しませんが、喜怒哀楽といった基本的な感情はしっかりと持っているようで、倫理観や価値観も人のソレに近いものを有しているようでした。それに、ごく稀に声を上げて笑うのですが、その声が本当に可愛らしくて……何時までも聞いていたいとさえ、思う程です。

「うーん……次はもう少し、浮かせる数を増やしてみるとかしてみた方が良いのかな? それとも、具象化する内容を変えてみるとか? ここら辺一帯は、今は晴れているから……逆に曇らせてみるのはどうかな……」

目の前の結果に満足しつつも、より具象化する規模を大きくしようか迷う私……そんな私のところへ、とことこと小さな歩幅で歩み寄ると、ミコトは微笑みを湛えたまま、何度か首を横に振りました。

夢見は強大です。やろうと思えば、それこそ·······の上位神格たちとなんら遜色ない程の大規模災害の具象化さえ出来るでしょう。ですが、ノーリスクで使える代物ではありません。具象化する内容・規模が複雑かつ大規模になる程、何らかの代償を伴います。

強過ぎる力──それには責任が伴うもの。夢見とて、決して軽々しく扱って良いものではないのです。だからこそミコトはやんわりと、私に警告したのです。それ以上は良くない、これ以上規模を大きくしたら、身体に何かしらの大きい負荷が生じる……と。

「あぁ……ごめん、ね。これ以上は良くないよね。うん、分かった。ミコトの言う通り、ここまでにするよ」

私が着ている白の小袖……その裾を掴むミコトの、雪のように白く小さな手を優しく握りながら、私はこくりと頷きました。ミコトはそれを聞いて安心したのか、小さな声で嬉しそうに笑ってくれました。

それから私は、··内にある社……そこの入り口前にある数段ほどの階段の一番下に腰掛けながら、ミコトに日常の中で体験した様々な何気ない出来事や、巫女としての教育プログラムを受けていた時の思い出を語って聞かせました。

ミコトは話を聞くのが大好きです。どんなに平坦な、何の変哲もない日常の話でも、興味津々と言った様子で聞いてくれます。基本的には··にいて、気が向いた時に御陵本家の屋敷へと足を運ぶようですが……それ以外の外界のことはよく知らないみたいでした。

私の隣に腰掛けて、ミコトは私の語る何気ない日常の話に耳を傾けます。こくこくと頷き、偶に笑って……そよ風が吹き過ぎる度、神々しい艶を放つ彼女の真っ白な長髪や身に纏う装束の裾がさらさらと揺れて……お香のような心地好い匂いが香りました。

どれくらい、そうしていたでしょう。ミコトに話を聞かせるのに夢中になっていた私は、··に清さんがやって来たことに気付きませんでした。

「──奏ちゃん、奏ちゃん」

何度か声を掛けられ、はっと我に返ると、··の入り口……外界との境界線に建てられた鳥居の下に、清さんがポツンと独り佇んでいました。

清さんは今日は神社でのお仕事は非番で、··のお手入れの役目に関しても、私がミコトとの交流を許可されてからは私と交代で··のお手入れをしていたので、普段見慣れた巫女装束や和服姿ではなく、珍しく洋服姿でした。

半袖の白い無地のブラウスの上から薄手の黒いカーディガンを羽織り、紺色の膝丈スカートからスラリと伸びた細く華奢な足には、夏場ということもあり薄手の黒いストッキングと黒のパンプスを履いていました。

無地の地味な服装ながら、天より与えられし本人の類い稀なる美貌……そして風に靡く、和紙で一つに結わえられた艶やかな黒の長髪も相まって、実に耽美的です。深窓の令嬢などという言葉さえ、成長した清さんの前では陳腐な表現でしかないでしょう。

コツコツとパンプスの踵の音を響かせながら、清さんは石畳の上を歩き、私とミコトの前までやって来ます。あどけなさは残りつつも年頃の少女へと相応に成長し、すっかりミコトと瓜二つとなったその顔には、何時も浮かべている筈の愛らしい笑みがありませんでした。

今日は非番の筈の清さんが、··に来る──何かが妙でした。

「……清、さん? どうか、なさいましたか?」

違和感を覚えた私が、遠慮がちにそう尋ねてみると……清さんは、心做しか少し悲しそうな表情を浮かべつつ……懐から一枚の手紙を取り出し、その手紙を私へとそっと差し出しました。

「…………!」

差し出された、血のように真っ赤な手紙……それを見て、私は緊張のあまり思わず息を呑みました。隣に居たミコトも手紙や私たちの表情を見て事の重大さを悟ったか、その顔から瞬く間に笑顔が消えます。

それは──·······に関する調査任務のため、担当者となる"日ノ本の裏御三家"に属する巫女宛に送られる召集令状……その中でも特に、緊急性・危険性の高い調査任務の担当者宛に送られるもの。通称"··"と呼ばれる、極めて特殊な召集令状でした。

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