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第二章 第20話 星神の使者

Penulis: 輪廻
last update Tanggal publikasi: 2026-02-12 20:59:10

ふと──

透き通ったソプラノの歌声が耳に届き、私は足を止めました。私が不意に立ち止まったのを不審に思ったか、金剛さんもまた歩みを止めます。

歌声は前方……厳密には、石段が組まれた山道の先──香々星之宮の方から聞こえてきます。既に、香々星之宮までの道程は半分を過ぎて折り返しに入っていました。

「────」

「──如何なさいました、奏さま? 急に立ち止まって」

「……歌が、聞こえます。金剛さんにも、聞こえますか?」

小声で私が尋ねると、金剛さんもまた小さく頷きます。幻聴の類……という訳では、どうやらなさそうです。それまで私たちを興味津々といった様子で観察していた·······たちも、聞く者を悲しい気持ちにさせる綺麗な歌声に目を閉じ、静かに耳を傾けています。

歌声が紡ぐ旋律を小さく口ずさみながら、私は何故このタイミングで歌が聞こえるようになったのか、少し思案してみることにしました。

「…………」

目的地である香々星之宮が近付いてきたから、それまで聞こえなかった香々星之宮からの歌声が、風向きなどの関係で私たちの耳に届くようになったのでしょうか。

それにしては何処か奇妙です。若しそうであれば、香々星之宮へと続く道を進む過程で、最初は微かに……目的地に近付くにつれて徐々に大きく、と段階的に聞こえるようになる筈です。

それに、香々星之宮へと続く道は今、全くの無風状態……風向き以前の問題です。

つまり、ふとした拍子にはっきりと聞こえてきた、今回のようなケースには全く当てはまりません。それ即ち歌声の主は、私たちが香々星之宮へと続く道程の折り返しに入ったタイミングで歌い始めた、ということになりましょう。

この時点で、ほぼ結論は出ていました。

──私と金剛さんが香々星之宮へと近付いてきているのを察した···が、何らかの意図を持って歌を歌い始めた。それしか、考えられないと。

そう知覚したのと、ほぼ同時でした。

──ふふっ……

耳許で、私と同い年くらいの少女の笑い声を聞きました。耳朶《じだ》に吐息が掛かるかと思う程の至近距離。

振り返っても、少女は疎か金剛さん以外の人の、影も形もありません。いるのはただ、歌声に耳を傾ける·······たちだけ。

清治さんの元で教育プログラムを受けていなかったら、この時点で血の気が引いていたことでしょう。居る筈のない少女の笑い声、そして吐息……この世ならざる者であることは、疑いようもありませんから。

次に違和感を覚えたのは、足元でした。私の足元をすうっと、ほんのりと冷たい隙間風のようなものが吹き過ぎてゆくのを感じ、私は小さく息を呑みました。

和紙で結わえた後ろ髪も、白の小袖も、緋袴の裾も……一切揺らいでいないにも関わらず、ただ足元を風が拭き過ぎてゆく感覚のみを身体が感じているのです。

それが単なるそよ風であったなら、どれほど気が楽になったでしょう。本当に単なるそよ風だったなら……緋袴の裾がほんの微かでも揺れ動くのですから。

──ふぅっ……

今度は私の耳許に、軽く息が吹き掛けられます。私の隣に立ち、周囲を警戒している金剛さんの仕業などでは断じてありません。息遣い、それから声……明らかに先刻の笑い声の主です。

もっと言えば、歌声の主でもありました。歌声と笑い声は息遣いや声の特徴が全て共通していたからです。

私の反応を面白がっているのでしょうか。歌声に混じって耳に届く少女の笑い声は無邪気で、それ故に余計に恐ろしく感じられました。一体何が彼女をそこまで楽しませているのだろう、と。

「……早く行きましょう、奏さま。このまま、ここで立ち止まっていては危険であると……私はそう考えます」

私の纏う雰囲気や表情の、ほんの僅かな変化を鋭敏に読み取り、何か恐ろしいことが今私の身に起こっていることを察したのか、金剛さんがそっと耳打ちしてきます。

「いえ──金剛さん。今、迂闊に動けば、相手を徒《いたずら》に刺激しかねません。私は反対です」

相手は私たちを試している……相手の望む回答を引き出すことが出来なければ、これ以上先に進むことは許されないだろう。確証はありませんでしたが、何故だかそんな気がしてなりませんでした。

そして、その考えは奇しくも当たっていました。

「……痛っ!?」

私をこれ以上先に進ませまいと、···が私の両足首をぎゅっと掴んできたのです。見ると、青白い人間の手が何もない空間からぼうっと生え、白足袋に包まれた私の足首を強く握り締めていました。

「ちっ──何とも、厄介な真似を……これも、·······とやらの仕業か……!」

異変に気付いた金剛さんは、咄嗟に手にした小銃の銃口を向けるも、そのまま撃てば私の足まで撃ち抜きかねないと即座に理解したようで、舌打ち混じりに小銃から手を離すと、代わりに近接戦用のアーミーナイフを無駄のない動きで素早く抜きました。

「──奏さまから、疾く離れろ……この、下郎が……!!」

私の足首を尚も強く握り締める青白い手の甲に、金剛さんは躊躇なくナイフを突き立てます。緋色の血が滾々と溢れ出すも、握力は弱まるどころか更に強まる一方です。

このまま行けば、私の足首の骨は粉々に砕けてしまうことでしょう。骨の軋む音がみしみしと聞こえてきます。

「金剛さん! 一旦、攻撃の手を止めて下さい!」

力業では無理──別方向からのアプローチが必要と判断した私は、金剛さんに攻撃の中止を要請しました。彼が青白い手を私から引き剥がそうと奮闘すればするほど、私の足首の骨が粉々に砕け散る可能性は高まります。

「──何か妙案でも? なければ貴方は、歩行能力を永遠に喪うこととなりますが?」

渋々ナイフを鞘へと収めながら、金剛さんは私の目を見て問うてきます。私は首肯しつつも目を閉じ、·······たちが耳を傾ける·、それが紡ぐ旋律を把握することに注力しました。

旋律を聴きながら、軽く口ずさむ……それを何度か繰り返す内、私は·の紡ぐ旋律に聞き覚えがあることに気が付きました。

御陵本家の屋敷裏に広がる··──そこでミコトが何時も横笛で奏でている、物悲しくも美しい旋律。歌のメロディラインは、ミコトが奏でていたそれと全く同じだったのです。

これさえ分かれば、後は簡単です。私は懐よりミコトからの贈り物である横笛を取り出し、相手の歌声と調和させることを心掛けながらその場で吹き始めました。

「────」

歌や音楽というものは本来、魂を響かせて相手に伝えるメッセージのようなもの。言葉が通じずとも、音楽を通じて感情や想いを伝えられる。祝詞の奏上、読経、鎮魂歌、それらも同じです。神や死者に感情や想いを伝えるメッセージなのです。

私の笛の音色が届いたのか、歌声の主も反応を示します。

それまでハミング、或いは鼻歌だったのが、私の笛の音を伴奏代わりに、しっかりとした歌詞のある歌を歌い始めたのです。

──来たれ、来たれや、此方《こち》へ、此方へ

──来たれ、来たれや、此方へ、此方へ

──此方は浄土、君が楽土

──彼方《をち》は穢土、君が常世

──君は泡沫、今は幻

──君が面影、遥か陽炎

──禊げ、禊げや、諸共に

──憂き世を絶ち、天地《あめつち》を絶つ

──我らが楽土は、君がために

──来たれ、来たれや、此方へ、此方へ

──来たれ、来たれや、此方へ、此方へ

──此方は幽世、君が寝《い》ぬ場所

──彼方は現世、君が往《い》ぬ場所

──君は射干玉《ぬばたま》、星々の寄る辺

──君が面影、遥か陽炎

──祓え、祓えや、諸共に

──現世を絶ち、玉の緒を絶つ

──我らが浄土は、君がために

──君が御霊に、願わくは久遠の安らぎを

──千代に八千代に、永久に

相手が歌い終わるのに合わせ、私もまた笛の音で旋律を紡ぐのを止めました。足首を掴んでいた青白い手は何時の間にか姿を消しており、骨が砕けて歩行能力を喪失する事態だけは何とか回避することが出来ました。

「────」

歌声が止んだことで、私は再び·······たちの注目の的になりました。しかし、彼らから注がれる視線は、先程までとは何処か異なるものとなっていました。

金剛さんと一緒に石段を登っていた時、彼らから注がれた視線はあくまで·····に向けられるものでしかありませんでした。それが今や、一定の敬意……畏怖や畏敬の念が籠もったものへと様変わりしていたのです。

一体、自分たちの身に何が起こっているのだろう──

困惑を隠せない私の耳に、パチパチと小さな拍手の音が届きました。

「────」

私と金剛さんの目の前に、巫女装束を身に纏った少女がまるで陽炎のようにゆらぁと、音もなく姿を現します。その身は薄らと透けており、肌には生気が感じられず、胸には大きな杭が深々と打ち込まれ、白の小袖は血で真っ赤に染まっています。誰の目にも、眼前の巫女が死者であることは明らかでした。

「ふふっ……」

巫女は金剛さんには興味関心を示さず、私のみに視線を向けたまま、端正な顔に無邪気な笑みを浮かべながら尚もパチパチと拍手を続けます。

そして徐ろに拍手を止めると、涼やかな瞳で私を見つめながら一言、こう言ったのです。

──おめでとう、と。

「……それは一体、どういう意味……ですか……?」

状況が飲み込めない私に対し、巫女はころころと鈴の鳴るような声で笑いながら、

「ふふっ……言葉通りの意味ですわ。さぁ……此方へ」

そう言うと巫女は私に着いてくるよう、笑みを湛えたまま小さく手招きします。どうやら、私たちを香々星之宮まで先導してくれるようです。周囲の·······たちの反応を見るに、ここは巫女の言動に従った方が良さそうです。

「──行きましょう、金剛さん。どうやら……私たちは、認めて頂けたみたいですから……」

「──そのようで。では……」

香々星之宮に祀られし星神・天津甕星が課したと思われる試練に打ち勝てた私たちは、彼の星神の使者と思しき巫女の先導の元、不揃いな石段の組まれた足場の悪い山道を再び進み始めました。

言葉に出来ない不安と恐怖を、胸中に秘めながら……

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