Masuk二人が結婚したのは、まだお互いに大学進学したばかりである十八の頃だった。当初は大学を卒業してから籍を入れる予定だった。
しかし、女遊びの激しい湊斗を心配した彼の両親が結婚を早めたのだ。瀬奈と結婚することによって、湊斗の女癖の悪さも直るだろうと両親は考えたようだった。
瀬奈も早く彼と一緒になりたいという思いがあったため、受け入れた。
彼女は湊斗の実家である神宮司家の本邸に住まいを移し、彼との同棲生活を始めた。
しかし、結婚してもなお湊斗は瀬奈に冷たいままだった。平然と夜まで遊び歩き、家に帰らないことも多かった。
「アイツにも困ったものだな……瀬奈ちゃん、ウチの息子が悪いね」
「ホンット、誰に似たのかしら……」
「私は平気ですから、気にしないでください」
湊斗の両親は、瀬奈を温かく神宮司家へ迎え入れた。
実の両親からの愛を得られなかった瀬奈にとって、神宮司夫妻は本当の父と母のようだった。特に神宮司夫人は、瀬奈の境遇に胸を痛めているようだった。
「私たちが結婚を早めたせいね……瀬奈ちゃん、他に好きな人ができたらいつでも湊斗と離婚していいからね」
「お義母さん……」
瀬奈にとって、義理の両親は唯一の心の拠り所だった。愛する夫は家に帰らず、外でほかの女と遊んでいる。そんな辛い状況の中で、彼らだけが瀬奈の味方だった。
しかし、不幸は立て続けに彼女を襲った。
結婚してから四年、ちょうど大学卒業を控えた頃に、神宮司夫妻は事故でこの世を去ってしまう。
夫妻が亡くなってからというもの、湊斗は塞ぎ込むようになった。
「湊斗……!」
黒い喪服で瀬奈の前に現れた湊斗は、彼女の首を強い力で掴んだ。
「お前のせいで……お前のせいで父さんと母さんは……!」
「湊斗……やめて……おねがい……」
神宮司夫妻が亡くなった原因は、旅客機での事故だった。長期休みに、二人は夫婦水入らずで海外旅行に行っていたのだ。
そしてその旅行券をプレゼントしたのは瀬奈だった。つまり、瀬奈が贈り物をしなければ夫妻が死ぬことはなかったのだ。
そのことを知った湊斗は瀬奈を憎み、彼女の首を絞めた。
「お前さえいなければ、父さんと母さんがこんなに早く死ぬことはなかった。全てお前のせいだ。お前が来てからすべてが壊れたんだ……!」
「み、湊斗……」
湊斗が首を掴んだまま彼女を持ち上げた。瀬奈が息苦しさにジタバタと手足を暴れさせたそのとき――
「――湊斗、やめなさい」
「………………沙織」
突然湊斗の手が離れ、瀬奈はドサリと床に倒れこんだ。
「ハァ……ハァ……」
息を整えながら顔を上げると、扉の傍に美しい女性が立っていた。沙織と呼ばれた彼女は湊斗にゆっくりと歩み寄ると、彼の肩にそっと手を置いた。
「ご両親が亡くなったのは奥さんのせいじゃないわ。あれは不幸な事故だったのよ。本当はあなたもわかっているはずでしょう?」
「だが、あの女が……!」
「湊斗、あなたの辛い気持ちは私が理解しているわ」
「沙織……」
彼女は包み込むように湊斗を抱きしめると、彼は彼女の背中に手を回して泣き始めた。
「私だけがあなたを理解してあげられるのよ、湊斗」
「……」
そのとき、ほんの一瞬沙織が勝ち誇ったような笑みを瀬奈に向けた。
「……!」
沙織が湊斗の最も寵愛している愛人だということを、香織が知ったのはそのあとだった。
義理の両親が亡くなると、湊斗の女遊びに拍車がかかった。一人、また一人と別邸に女を囲っては彼女たちの元へ足しげく通った。
その間も瀬奈にだけは指一本触れることはなかった。
愛人の数はだんだん増えていき、最終的に彼は七人もの女を囲うこととなった。関係を持っただけの女ならもっとたくさんいるだろうが、その中でも特に彼のお気に入りとなった七人の女が愛人として彼のハーレムに加わることになった。
そして、両親が亡くなってから一年経った頃、彼の愛人の一人が懐妊した。生まれたのは元気な男の子だった。
それからというもの、愛人たちは次々と妊娠し、彼の子供を産んだ。今では湊斗は五人の子供の父親となっている。当然、その中に瀬奈の子供はいない。
誰とでも寝ると言われた湊斗は、妻である瀬奈とだけは絶対に夜の営みをしなかったからだ。
それでも瀬奈は彼を愛していた。毎晩彼の帰宅を待ち続けた。
――そうしているうちに、二十年が経過した。
瀬奈はその日一日中泣き続けた。部屋からは彼女の嗚咽が漏れており、邸の者は誰一人として近づけなかった。彼にとっては幸せだったかもしれないが、彼女にとっては辛く苦しい二十年だった。毎日のように愛人の元へ向かう夫の帰りを待ち続け、眠れない夜を過ごした。きっといつかは帰ってきてくれる、そしたらまた昔のように仲の良い二人に戻れるのではないか。そんな僅かな希望を胸に抱きながら。そんな彼はとうとう最後まで瀬奈を顧みることはなかった。彼女の気持ちは無残にも粉々に打ち砕かれた。彼から深く愛された沙織と会うと、より一層自分の惨めさがひしひしと感じられた。沙織は自分と違って湊斗と温かい家庭を築いている。今この瞬間も、彼は沙織と一緒にいるのだ。考えれば考えるほど涙が溢れて止まらなかった。ベッドシーツを濡らしながら泣き続けた瀬奈を猛烈な眠気が襲い、彼女はそっと目を閉じた。***翌日。瀬奈は朝の八時頃に目を覚ました。目覚めた途端に、一筋の涙が彼女の頬を伝った。瀬奈は涙を拭い、一人呟いた。「……もう、泣くのはやめよう」それを最後に、彼女は涙をこらえた。ベッドから起き上がった瀬奈は、着替えを始めた。カーテンを開けると、窓から陽の光が差し込んだ。外では小鳥の鳴く声が聞こえる。ずいぶんと気持ちのいい朝だった。そのせいか、彼女の気持ちも落ち着きを取り戻した。いつまでもくよくよしていられない。瀬奈は前に進まなければならなかった。彼女は部屋の引き出しの奥深くに大事に保管してあったあるものを取り出した。それは離婚届だった。紙にはすでに湊斗の名前が書かれている。決して瀬奈が偽造したわけではない。本物の神宮司湊斗のサインだ。彼のサインが書かれた離婚届を手に、瀬奈は昔を思い出していた。『これを持っておけ』『湊斗……?これは一体……?』湊斗が久々に本邸へ帰ってきたかと思えば、突然呼び出された瀬奈は一枚の紙を手渡された。それがまさに、彼の名が書かれた離婚届だった。『どういうこと……?湊斗、説明してよ』『……離婚届だ、見ればわかるだろう。俺の名はすでに書いてある』『私に名前を書けというの……?』彼は何も言わなかったが、それがまさに肯定を意味していた。両親の死後、彼は以前にも増して瀬奈を嫌い、彼女との離婚を望むようになった。『私、あなたと離婚はしないわ!大体不倫した
湊斗との思い出を振り返っていた瀬奈は、ある大きな木の前で足を止めた。「……昔と何も変わっていないわね」瀬奈は子供の頃、湊斗とよくこの木に登って遊んでいた。昔から運動神経が良かった湊斗に、瀬奈はまるで追いつくことができなかった。そのとき、彼はいつも瀬奈が来るまで待ってくれていて――そんな優しい湊斗はもうどこにもいなかった。この木は何も変わっていないのに、どうして私たちはこんなにも変わってしまったのだろう。瀬奈はそう思いながら、木を見上げた。夏には見事なまでに花を咲かせているが、冬である今は枯れ果て、葉一つ見当たらない。それがまるで、今の瀬奈の心を表しているようだった。最初から、花を咲かせたことなんて一度もなかったが。「奥様……」背後に控えていた一馬が心配そうに声をかけた。「ここはね、私と湊斗がよく遊んでいた場所なの」「ええ、存じております……私は昔から社長についておりましたから」一馬は湊斗の七つ年上で、彼の幼馴染でもあった。湊斗にとっては最も信頼のおける相手で、兄のような存在だった。当然、瀬奈も昔から彼のことを知っていた。「付き合わせて悪かったわね。もう帰りましょう」瀬奈は一馬と共に来た道を戻った。二人でたくさん遊んだこの公園を歩いていると、走馬灯のように彼との思い出が頭に流れた。転んで膝を擦りむいたときに手を差し伸べてくれた彼、足の遅い瀬奈を気遣って少し先で待ってくれていた彼、父親に叱られて泣いたときに優しく慰めてくれた彼の姿が鮮明に浮かんだ。しかし、今ではどれも何の意味もないものだった。彼は変わってしまった。理由はわからないが、瀬奈を酷く嫌うようになったのだ。あまりにも突然のことだった。「長かったなぁ……」今年で結婚生活も二十年を迎えようとしている。長いようで短い二十年だった。瀬奈も湊斗ももう三十八歳だ。そんな彼は歳をとってもなお美貌は健在で、今でも多くの女性を惑わせていた。神宮司財閥のトップという地位もあり、湊斗の元には未だに美しい女性たちが寄ってくる。本邸から夫の女性関係の噂を聞くのは何よりも辛いことだった。瀬奈は家までの道のりを一馬と共に歩いている最中、前から見知った顔が歩いてきたことに気が付いた。「誰かと思ったら、湊斗の奥さんではありませんか」「……沙織さん」両親が亡くなったときからずっと湊斗の傍を守り続
二人が結婚したのは、まだお互いに大学進学したばかりである十八の頃だった。当初は大学を卒業してから籍を入れる予定だった。しかし、女遊びの激しい湊斗を心配した彼の両親が結婚を早めたのだ。瀬奈と結婚することによって、湊斗の女癖の悪さも直るだろうと両親は考えたようだった。瀬奈も早く彼と一緒になりたいという思いがあったため、受け入れた。彼女は湊斗の実家である神宮司家の本邸に住まいを移し、彼との同棲生活を始めた。しかし、結婚してもなお湊斗は瀬奈に冷たいままだった。平然と夜まで遊び歩き、家に帰らないことも多かった。「アイツにも困ったものだな……瀬奈ちゃん、ウチの息子が悪いね」「ホンット、誰に似たのかしら……」「私は平気ですから、気にしないでください」湊斗の両親は、瀬奈を温かく神宮司家へ迎え入れた。実の両親からの愛を得られなかった瀬奈にとって、神宮司夫妻は本当の父と母のようだった。特に神宮司夫人は、瀬奈の境遇に胸を痛めているようだった。「私たちが結婚を早めたせいね……瀬奈ちゃん、他に好きな人ができたらいつでも湊斗と離婚していいからね」「お義母さん……」瀬奈にとって、義理の両親は唯一の心の拠り所だった。愛する夫は家に帰らず、外でほかの女と遊んでいる。そんな辛い状況の中で、彼らだけが瀬奈の味方だった。しかし、不幸は立て続けに彼女を襲った。結婚してから四年、ちょうど大学卒業を控えた頃に、神宮司夫妻は事故でこの世を去ってしまう。夫妻が亡くなってからというもの、湊斗は塞ぎ込むようになった。「湊斗……!」黒い喪服で瀬奈の前に現れた湊斗は、彼女の首を強い力で掴んだ。「お前のせいで……お前のせいで父さんと母さんは……!」「湊斗……やめて……おねがい……」神宮司夫妻が亡くなった原因は、旅客機での事故だった。長期休みに、二人は夫婦水入らずで海外旅行に行っていたのだ。そしてその旅行券をプレゼントしたのは瀬奈だった。つまり、瀬奈が贈り物をしなければ夫妻が死ぬことはなかったのだ。そのことを知った湊斗は瀬奈を憎み、彼女の首を絞めた。「お前さえいなければ、父さんと母さんがこんなに早く死ぬことはなかった。全てお前のせいだ。お前が来てからすべてが壊れたんだ……!」「み、湊斗……」湊斗が首を掴んだまま彼女を持ち上げた。瀬奈が息苦しさにジタバタと手足を暴れさせたそのと
瀬奈が一馬を連れてやってきたのは、神宮司家の近くにある記念公園だった。暖かい春の風が吹き抜け、瀬奈は何だか懐かしい気持ちになった。「幼い頃、ここで湊斗とたくさん遊んだわね……」湊斗は最初から瀬奈を嫌っていたわけではなかった。二人は同い年で、同じ小学校に通っていた。中学に入る前までは、お互いの家を行き来してよく遊んでいた。いつからだろう、二人の関係が変化したのは。中学に上がり、別々の中学校へ通うこととなった二人は、これまでよりも会う頻度がかなり減った。それでも瀬奈の湊斗への想いが変わることはなかった。彼女は毎日のように湊斗を想い続け、神宮司家に定期的に手紙を送った。しかし彼からの返事は返ってこなかった。会いたいと言っても忙しいとはぐらかされるばかり。神宮司家を直接訪れても門前払いされた。そんな状況が数年続き、高校一年生になった頃、瀬奈はようやく湊斗に会うことができた。その日、いつものように神宮司家を訪れていた彼女は、たまたま門の前に立っていた彼を見つけたのだ。およそ三年ぶりに見る彼の姿。最後に見たときよりもだいぶ大人っぽくなっていた彼に、瀬奈は涙がこみ上げてきた。そして再び燃え上がる彼への思い。瀬奈は湊斗に駆け寄った。「湊斗!久しぶりね!会いたかったわ!」「……」久々に会った彼は、以前とは別人のように瀬奈に冷たい目を向けた。「どうしてこれまで会ってくれなかったの?私たちは婚約者なのに!私、あなたに会えなくてとっても寂し――」「俺に触るな」湊斗は伸ばされた瀬奈の手を無慈悲に振り払った。「湊斗……?」瀬奈はどうして彼がそのような態度を取るのかがわからなかった。困惑していたそのとき、瀬奈の背後から女の明るい声が聞こえた。「――湊斗!お待たせ!」振り返ると、瀬奈と同い年くらいの女性が立っていた。「……優里亜」優里亜と呼ばれた彼女は、突然湊斗の腕にしがみついた。瀬奈は固まった。婚約者である彼女ですら、そのような行動はとったことがない。湊斗は瀬奈と違って彼女の手を振り払わなかった。二人の関係は、ただの友人同士というにはあまりにも距離が近すぎた。だとしたら恋人だとでもいうのか。瀬奈は信じたくなかった。湊斗は彼女の婚約者だったからだ。何もできずにただじっとしていると、湊斗の腕にしがみついていた彼女の視線がこちらに向けられた。
「彼と結婚してからもう二十年が経つのね……」暁(あかつき)家の令嬢であり、今は神宮司夫人である瀬奈(せな)は広い部屋でポツリと呟いた。彼女は今日もある人物を待ち続けている。来るはずがないとわかっていながらも、瀬奈は二十年間ずっと彼の来訪を心待ちにしているのだ。「一体どこから私は間違えてしまったのかしら……」ベッドサイドに腰かけた瀬奈は、彼と初めて出会ったときのことを思い浮かべた。「初めまして、神宮司湊斗です」「……」神宮司湊斗(じんぐうじみなと)と名乗った彼に、強く心惹かれたのを瀬奈は今でも覚えている。一目惚れだったのかもしれない。サラサラの黒い髪、高い鼻梁、切れ長の美しい瞳、幼いながらに整った顔立ち。瀬奈は一瞬にして彼に心を奪われてしまった。暁グループの令嬢だった瀬奈と、神宮司財閥の御曹司だった湊斗。二人は許嫁だった。そのことを父親から聞かされたとき、瀬奈はとても喜んだ。彼女にとって初恋の相手であり、愛する湊斗と結婚できるのだと。しかし、彼のほうはそうではなかった。湊斗は瀬奈との婚約中、多くの女性と浮名を流した。学校の同級生、年上の社会人、父親が経営する会社の社員にまで。彼は相手の身分関係なく手を出した。瀬奈は自分には指一本触れないにもかかわらず、他の女性と関係を持ち続ける湊斗に不満がないわけではなかった。しかし、彼に嫌われるのを恐れていた瀬奈は何も言うことができなかった。「結婚前に遊びたいだけだろう。神宮司家の正妻になれるのだから、それくらいは目を瞑りなさい」父親は湊斗が遊んでいることを知っていたが、瀬奈に我慢しろと言った。両親からも味方してもらえなかった瀬奈は、必死で自分に言い聞かせた。彼女たちはただの遊びであり、自分は神宮家の夫人となる女だ。だから結婚すればきっと自分だけを見てくれる、とそう信じていた。しかし、現実は残酷だった。湊斗は結婚してもなお、瀬奈の元には訪れることなく、愛人の元で夜を過ごした。そのことを責めた瀬奈に、彼は言い放った。「お前を愛することはできない、これからは俺の行動に口を出さないでくれ」彼の目は初めて出会った頃とは別人のように冷たかった。それから湊斗は瀬奈に指一本触れることなく、多くの愛人を囲い、彼女たちとの間に五人もの子供をもうけた。そのうちの誰かに会社を継がせるつもりのようだ。「奥様っ







