Mag-log in「俺さ、優のことが好きなんだよね」
辻本の顔を見ながら、真剣に打ち明ける。
改めて口にするのは、恥ずかしさ半分、反応の怖さ半分で胸の鼓動が早くなる。緊張で胃袋に収まったばかりの飲み物を吐き出してしまいそうになるのを堪えて、辻本の反応をじっと待っていた。
「え?一旦整理していい?飯田がよっしーのことが好きで、よっしーが桜田くんのこと好きだってこと?」
辻本は左右の人差し指を飯田と千晃に見立ててくっつけたかと思えば、右手の中指を優作に見立てて、千晃に見立てた人差し指をくっつける動作をする。
「お前馬鹿か。千晃と俺のことはさっき冗談だって納得してただろ」
「あ、そっか。じゃあ、ってことは……」
「本題は千晃の方だよ」
鶏は三歩歩いたら忘れるとか良く言うが、辻本もそれに匹敵するくらいの間の抜けた奴だということが良く分かった。それが彼の良さでもあるんだけど……。
飯田が彼に説明したことで、漸く頭の中で整理がついたのか、辻本は数秒固まった後、遅れて椅子から転げ落ちると声を上げて驚きだした。結局、飯田の緩衝材は水の泡となり、一度目よりも酷くなっている気がする。
辻本のリアクションによって、一斉に周りの注目が集まる。何事かのように、付近にいる客にジロジロと此方を見られてしまったことが居た堪れない。
千晃は自らの口元に人差し指を当てて辻本を黙らせると、流石の辻本も察したのか素直にすまん、と頭を下げて謝ってきた。
「それって本気の話?みゆゆはどうしたよ」
「うん。それとこれとは別だよ。なんか……。一緒にいるうちに、好きだなって感情が芽生えちゃって……」
優作を好きになった経由を友達に話す恥じらいと、未だに読めない辻本の反応に、肩を竦めて怯えながら、正直に打ち明ける。その傍らで口元を綻ばせている飯田は千晃の様子を楽しんでいるようで、殴打したくなった。
「まあ。でも、桜田くんならよっしーの気持ち分からなくはないかな。カッコいいって言うより綺麗だし」
飯田はともかく、辻本にはあまりいい印象は与えないだろうと思っていただけに、ふむふむ、と腕を組んで深く頷きながら、納得した様子を見せている姿に安堵した。
アイドルで繋がった仲。日頃、面白おかしくふざけ倒している仲だったとしても、寛大に自分のことを受け入れてくる友人がいることは、涙が出るほど有難かった。
やはり持つべきものは友達なのだろう。
「つか、なんだ。結局、千晃はあのあと桜田に告白しなかったわけか」
「するわけないじゃん。つか、無理だし。優は今、好きな人にメロメロだから……。いいんだよ、このままで……」
自ら口にしたことで、数日前に屋上で見た、優作の篠塚に向ける慈愛に満ちた眼差しが脳裏に蘇ってきては虚しくなる。玉砕覚悟で椿に挑んだ時とは関係性も気持ちの持ちようも何もかもが違う。そう簡単に伝えられるものじゃない。否、伝えちゃいけない。
優作とは今の関係以上のものなんてないし、自らそれ以上を求めてはいけない気がした。
「よっしー。桜田っていえばさあ……噂あんの知ってる?」
辻本が握ったスマホを上下に振って、千晃に問う。
優作の噂……?そんなの耳にしたことない。
もしかして、彼の恋愛対象が同性だって言う話ならとっくの昔に知っているが……。
「何?噂って」
辻本が神妙な面持ちで自らのスマホ画面を、千晃の方へと向けてくるとスクロールし始めた。中身は学校の裏掲示板だ。千晃自身、ゲームやアイドルのSNSを覗くことはあるが、自らアカウントを立ち上げて、愚痴やら写真などをあげることはしない。
ましてや学校の掲示板なんて存在は、耳にしたことがあるが、そんな個人の見解で繰り広げられる会話を見たところで自分にとっては不要な情報に過ぎなく、興味がなかった。
案の定、辻本の見せてくれたものの中には『白衣が汚い科学の末永(すえなが)』や『学校のアイドル椿さんを守り隊』などと言った学校の教科担任の悪口や椿についての話題を示唆するスレタイが立っていた。
すると、上から五、六番目くらいの所に『魔性のゲイ?三年A組、桜田』と題名がつけられたスレタイを見つける。辻本は透かさずその題名のスレをタップして、中を開いてみせてくると、目を覆いたくなるような内容ばかりの書き込みに緊張で、脈拍が上がっていく。
「桜田がさぁ、夜な夜な男連れてホテル街歩いてるって話出てんの。桜田くんが好きなよっしーとしてはどうなのって話」
辻本の言葉を聞き流しながらも、次第に込みあげてくる怒り。辻本が千晃にわざわざ教えてきたのは、揶揄っているわけじゃないと分かっている。深刻そうに一緒に画面を眺めている姿から心配してくれているのだろう。
千晃の怒りの矛先はどこの誰かも分からない匿名で、あることないこと書き込んでいる奴らだった。
―――あの格好いい桜田先輩、男とキスしてんのみたぞ。
―――俺は手繋ぎながらホテルに入っていくのみた。
―――この間、校門前で高級車のおっさんに送り迎えしてもらってるとこ見たけど。
―――流石魔性のゲイ、欲求不満でパパ活でもしてんのかww
―――つか、食堂でいつも一緒にいるのって彼氏?
―――そういうのは彼氏に満たしてもらえよwww
どこまでが本当なのかは分からない。だけど、人のことを面白可笑しく書いていい理由にはならないし、それに便乗してゴシップに群がるハエ共が心底気持ち悪い。
たかだかネット上の書き込みを真に受ける事なんてないが、自分は優作のことを何も知らないのだと思い知らされた。
「千晃、これ見たからって全部が本当な訳じゃないし、気にする必要ないぞ」
「そうそう、こんなの只の暇人か、桜田くんのことを妬んでいる奴が適当に書いただけだから、気にしない、気にしない」
千晃は俯きながらテーブルの上で強く拳を握り、感情のままに湧き上がる、やり場のない怒りを堪えていると、飯田と辻本にいなされる。そうだ、わざわざこんなネット上の書き込みに心を乱されるなんて馬鹿馬鹿しい。
「おい、辻本。ならわざわざ、知らない千晃に見せなくても良かっただろ」
飯田も彼なりに心配してくれているのか、何も考えずに話す辻本を咎めていたが、辻本はちっちっち、と人差し指を顔の前で振り子のように左右に揺らした。
「飯田っち、それは聞き捨てならんよ。俺なりに心配してんの。俺の推しが散々ネットで叩かれていたらさ、全力で守りたいって思うじゃん?よっしーが桜田くんのことそう思ってるなら、知らない方がショックじゃない?」
確かに辻本の言うことも一理ある。ネット上の件に関しては嘘とも断定できないのは自分が優作のことを良く知らないからだ。
いつも一緒に居るのにもかかわらず、彼のプライベートは何一つ知らなかったのを思い知らされた。どんな家に住んでいるのか、家族はいるのか、普段の休みは何をしているのか。何が好物なのか。それでいてよくもまあ、一丁前に優作のことを好きになって嫉妬できたものだと呆れを通り越して笑いたくなる。
千晃は両手で顔を覆うと、嘆き声と共に深い溜息を吐いた。
「ショックだよ。なんなら今すげぇショック受けてる。優のことが好きなのに、何も知らなかったのが情けない」
「千晃、詳しいことは分からないけど、俺らはお前のことを応援するよ」
飯田の言葉が胸にじーんと響き、目頭が熱くなる。今
日の優作は確実に何かあったに違いない。
だとしたら本当のことを知りたい……。
友達としてでもいいから、俺に何かできることがあるのであれば……。
「俺さ、優のことが好きなんだよね」辻本の顔を見ながら、真剣に打ち明ける。改めて口にするのは、恥ずかしさ半分、反応の怖さ半分で胸の鼓動が早くなる。緊張で胃袋に収まったばかりの飲み物を吐き出してしまいそうになるのを堪えて、辻本の反応をじっと待っていた。「え?一旦整理していい?飯田がよっしーのことが好きで、よっしーが桜田くんのこと好きだってこと?」辻本は左右の人差し指を飯田と千晃に見立ててくっつけたかと思えば、右手の中指を優作に見立てて、千晃に見立てた人差し指をくっつける動作をする。「お前馬鹿か。千晃と俺のことはさっき冗談だって納得してただろ」「あ、そっか。じゃあ、ってことは……」「本題は千晃の方だよ」鶏は三歩歩いたら忘れるとか良く言うが、辻本もそれに匹敵するくらいの間の抜けた奴だということが良く分かった。それが彼の良さでもあるんだけど……。飯田が彼に説明したことで、漸く頭の中で整理がついたのか、辻本は数秒固まった後、遅れて椅子から転げ落ちると声を上げて驚きだした。結局、飯田の緩衝材は水の泡となり、一度目よりも酷くなっている気がする。辻本のリアクションによって、一斉に周りの注目が集まる。何事かのように、付近にいる客にジロジロと此方を見られてしまったことが居た堪れない。千晃は自らの口元に人差し指を当てて辻本を黙らせると、流石の辻本も察したのか素直にすまん、と頭を下げて謝ってきた。「それって本気の話?みゆゆはどうしたよ」「うん。それとこれとは別だよ。なんか……。一緒にいるうちに、好きだなって感情が芽生えちゃって……」優作を好きになった経由を友達に話す恥じらいと、未だに読めない辻本の反応に、肩を竦めて怯えながら、正直に打ち明ける。その傍らで口元を綻ばせている飯田は千晃の様子を楽しんでいるようで、殴打したくなった。「まあ。でも、桜田くんならよっしーの気持ち分からなくはないかな。カッコいいって言うより綺麗だし」飯田はともかく、辻本にはあまりいい印象は与えないだろうと思っていただけに、ふむふむ、と腕を組んで深く頷きながら、納得
それ以降、お互い無言のままバスが到着する。プシュッーっという開閉音と共に降車口が開かれてバスに乗り込む。乗車するなり、後方のステップを踏んで上がると、お互い左右二手に分かれた。最後尾の座席からひとつ前の左右の窓際。優作は運転席側で千晃はその反対側に座った。一緒にいるからと言って優作と隣に座ることなど滅多にない。近づきすぎず離れすぎずの彼との関係そのものを表しているみたいで、今日はやけに胸が苦しい。電車通学が圧倒的に多い、うちの学校はバスを使う学生は数少ない。下校ラッシュではあるものの、客は前方に疎らに座っているだけでエンジン音だけが聞こえる静かな車内。ふと、通路を挟んだ優作に視線を向けると、窓に頭を預けて瞼を閉じていた。その寝顔が雑誌のモデルやら俳優やらを思い起こさせる程、整った美しい顔立ちに思わず見とれてしまう。千晃は無意識に手で枠ぶちを作ってはふち越しに優作を覗く。ふち越しの彼を見た途端に自分以外に誰にも見せたくないと思ってしまった。優作が恋をしているから情が移っただけと思いたかったが違う。もっとこう、独占的なもの。篠塚を前にして照れ笑いをしていた優作を思い出すたびに、怒りの感情に似た嫉妬心が湧いてくる。 きっとあの男であれば、今こうして彼の隣に座っても許してくれるのだろう。ここ最近、優作を見るだけで様々な感情が自分の中で生まれていくのが分かる。憎んだり、惨めになったり、愛おしく思ったり……。自分も鈍感じゃないからその感情が何を示しているのか、気づいていた。優作の寝顔を慈愛の眼差しで眺めていると、最寄りの停留所へ到着する車内アナウンスが耳に入り、我に返った。千晃の自宅は優作よりも二つ早い。この二人の時間に名残惜しさを感じながら、千晃はバスの『止まります』ボタンを押す。案内によって意識が戻ったのか、優作は体を微動させるとゆっくり瞼を持ち上げた。お昼寝から目覚めた子供のように目をこする優作の姿が愛おしくてたまらない。優しく頭を撫でてあげたい。千晃は座席を立ち上がると、移動を続ける車内で身体を揺らしながら、優作側の座席へ近づく。座席の手摺に捕まり、優作の頭に手を伸ばすと荒々しくかき回した。「何すんだよ」優作は突然、かき回された頭を抑えて髪の毛を整えながらも睨みつけてくる。これが、優作に特別な感情を抱いているなんて気づかれたくない千晃の精
それは突然のことだった。不運と幸運は平等に訪れると言うように、優作の幸運はその日のうちに舞い降りてきた。「桜田先輩ですよね?」「そうだけど……」優作と帰る放課後。教室から出て、数歩歩いたところで、向かい側から昼間の青年が、此方に向かってくるなり、優作に声を掛けてきた。昼の出来事もあり、彼の表情は、青年を前にして強張っていたが、青年からは敵視しているような様子は見受けられなかった。「桜田先輩。お昼はすみませんでした。先輩、椿先輩のお友達だったんですね。椿先輩から聞きました。桜田先輩、冷たいところもあるけど、それは仲いいからだから柴犬くんは気にしないでって……」昼の態度が嘘だったかのように手のひら返しをしてきた青年に、一瞬だけ優作と顔を見合わせる。 謝罪をしてくださいと要請してきた彼がいま、優作に向かって頭を下げてきている。椿の行動は理解できないが、その椿の言葉によって簡単に踊らされているこの青年もどうなのだろうか……。 これが、恋に盲目ってやつなのか……。一方で優作も青年を前にして表情が徐々に和らいでいくのが分かった。「いいよ、俺も君の誤解を生むようなことをして悪かったから。ごめんね」何時も千晃の前で向けてくるような気だるげな態度とは違う。表情や雰囲気もろとも、優しくて澄ました先輩の姿をしている。自分が悪かったとしても、自ら折れる事なんて滅多にない。見たことのない優作の表情。普段であれば面白可笑しく傍観している筈なのに嫌な胸騒ぎがした。「あのっ。厚かましいかもしれませんが、お友達になってください!」千晃の予感はすぐに的中し、四十五度よりも更に深く頭を下げてくる青年。そんなの虫が良すぎる話だ。あんなに敵視していた青年が急に優作と友達になりたいだなんて、椿とお近づきになりたい為に優作に取り入っているようにしか思えなかった。流石の優作だって馬鹿じゃないはずだ。幾ら好きな人とは言え、椿に告白をしていた人間。快く受ける筈がないと思いたかったが、優作は一歩前へと踏み出すと、青年に向かって右手を差し出してきた。「いいよ、俺でよければ」そんな千晃の期待も虚しく、優作は何の躊躇いもなく青年を受け入れる。落ち着いた先輩を演じている彼の頬が仄かに赤く染まり、青年を見ている瞳が恋をしていると訴えているように捉えて離れなかった。そんな青年も頭を上げると
「あ、あのっ」頬を強張らせながらも優作の目の前に立ち、彼を見据えている。青年からは、決して友好的な雰囲気を感じられず、腿の横で握られている拳が震えていることから、憤りのようなものを感じた。「謝ってください!」大人しそうな青年からは想像のつかない声量に千晃だけではなく優作と椿も驚いていた。「椿先輩に謝ってください!女性にこんなことするなんて失礼です」一驚している優作に向かって再度、強めの口調で椿への謝罪を求めてくる青年。先程の椿に対しての優作の冷たい態度をしっかり見られていたのだろう。青年に怒鳴られたことで状況を把握した優作は目を伏せてしまった。気になる想い人と嫌いな女に挟まれてしまったこの状況は彼にとっては不都合である。青年は敵意剥き出しで優作のことを睨みつけ、隣の椿はその青年に期待したように見つめるだけで、助言をしてやらない。完全に優作が悪者の不利な状況。彼が板挟みになって苦しんでいることは一目瞭然で、唇を噛んで顔を歪ませていた。好きな人から求められた謝罪を応えることは、彼にとって苦痛で仕方がないはずだ。この場を丸く収めるのであれば椿と青年の気持ちを考慮して、謝るべきかもしれないが、しつこい椿もどちらかが悪いとは言い切れない。そんな優作の顔など見ていられる訳もなく、千晃は椅子から立ち上がると青年に向かって深々と頭を下げた。「ごめんね、優ってこういう奴だからさ。悪気はないんだ。俺が代わりに謝るから今回はこれで……」「椿、ごめん」今にも泣きそうな優作を想ってフォローに徹しようとしたが、向かいの席から優作が小さく呟くと、席を立ち上がり、それだけを言い残して食堂を出て行ってしまった。青年はやり切ったような安堵の表情を浮かべて息を吐く。一方椿は、優作が自分に対して謝ったことが余程嬉しかったのか、「うそっ。優作くんが謝ってくれたあー」と歓喜の声をあげていた。好きな人が自分の嫌いな奴の味方につかれるのは、優作には堪えたんじゃないだろうか。仮にも相手は椿が好きな人間だったとしても、もう少し言い方とか、周りの配慮があっても良かった筈なのに……。千晃は優作が
綺麗に巻かれた髪を揺らしながら忍び足で椿が優作に近づいてきている。静かに、着実に近づいてくる椿と目が合うと、黙っていてと言わんばかりに、人差し指を口元に当てて黙認を促してきているが、優作には既に気配で勘付かれているのであろう。嫌いなものほどよく目につくし、警戒心は強くなると、よく言ったものだ。「わあー‼優作くん、ここにいたんだあー」椿は優作を驚かすように彼の両肩に手を置くと、上半身ごと背中に伸し掛かっていた。彼女の重みで前のめりになった優作は、眉間に皺を寄せて心底嫌そうな表情をしている。 椿を羨んでいる男どもからすると、彼女の胸は確実に背中に当たっているし、鼻の下は伸び放題、どんなに夢のような光景だろうかと思う。「っち。うざいのが来た」「うざいって酷いなぁー。そんなこと言って、理友菜のこと待ってたんでしょ?」椿を毛嫌いしている彼は、相変わらずの塩対応であるが、そんな椿もめげずに何度も彼に挑むのだから相当な鋼のメンタルの持ち主である。むしろ、冷たくあしらわれているのに、星でも散りばめたように目を輝かせて、この状況を楽しんでいるようにも見える。千晃のことなど端から眼中にもなく、彼に伸し掛かるのを止めると、左隣の椅子に背もたれを脇に抱えて座った。優作だけを捉えて離さない瞳に可愛らしく振る舞うことによって彼の気を引こうと必死だ。「ねえ、優作くん。今日こそは連絡先を交換しようよ?」右手には赤い頭巾を被った兎のキャラクターが目につくピンク色に、キラキラとスワロフスキーを散りばめてあるケースのスマホを握りながら、もう片方の手は優作の膝の上に置かれる。当の本人は、僅かにピクリと眉が動いたものの、椿を空気扱いしているのではないかと思うほどに見向きも返事もしない。しかし、表情は険しくなる一方で、いよいよ我慢の限界だったのか、目の前で椿の手が弾かれる音がした。「きゃっ」「膝、やめてくんない?不愉快だから」「ごめん……」彼女は驚いたように可愛らしい声を上げると、弾かれた手を自分の胸元へと持ってきて摩っては酷く落ち込んでいるようだった。
正直なところ、優作が千晃のことを友達と思っているかは、本人しか知らないところだし、しつこく纏わりついてくるハエのような、金魚の糞のような存在にしか思っていないのかもしれないけど……。「優、お待たせ」優作のいる席までカレーを運び、テーブルに置く。声を掛けたが、彼は左に顔を背けたまま動かなかった。 一点だけを見て、彼の瞳は何かを捉えている。千晃は彼の視線の先を追うように同じ方向を見遣ると、ひとつ隣のテーブル席に、例の一目惚れした青年が、一人で学食を食べていた。奇遇にも優作と同じメニュー。何故だか凄く、胸がモヤモヤする。「優」もう一度、優作に呼びかけても返事がない。青年を映して離れない瞳に千晃の中で漠然とした不安が過る。今日までそんな素振りを見せていなかったし、むしろ忘れかけていたくらいだ。彼の姿を目に留めた突端、周りが目に入らなくなるほど、優作が青年に惚れていたなんて思いもしなかった。優作が恋をしている姿なんて滅多にお目にかかれないから、微笑ましく見守りたいところではあるが、素直に喜べない自分もいた。むしろ、こんな姿を見ているのが嫌で、意地でもその視線を此方へと向かせたくなる衝動に駆られる。「おい、優」千晃は眉間に皺を寄せながら、彼の額を目がけて人差し指と親指で弾く。「いたっ」見事的中した指は、優作の額にあたり、痛みが生じたことで、漸く存在に気づいてもらえた。その直後に、「よくも邪魔をしてくれたな」と訴えるような鋭い眼差しを向けられる。千晃は優作の攻撃的な視線に気づかないフリをして、黙って彼の向かいの椅子に腰を下ろした。「御礼くらい言えよな」何故、自分がこんなにもムキになっているのかは分からないけど、虫の居所が悪い。「吉岡、ありがとう」そんな千晃の感情を知ってか知らずしてか、優作が珍しく素直に御礼を言ってきたことにより、沸々としていた苛立ちのようなものが一瞬で収まっていった。カレーを乗せた匙をとって自らの口元へと運ぶ優作を眺めながら、先ほどの自分の醜さに反省をする。普段であれば、千晃が