Masuk行き交う人々の中で、優作の背中を見失わないように掻き分けて早歩きをする。足早に歩く優作のペースが速いのと、すれ違う人を避けながら進んでいるせいか、彼に上手く追いつくことが出来ずに、漸く追いついたのは駅構内に入ったところだった。
勢いで出てきたものの、帰宅ラッシュでごった返している電車の中で話をする状況にもなれず、行き同様に何も言葉を交わさずに家の最寄りの駅まで到着してしまった。
お互いの乗るバス停まで歩き、目と鼻の先に見えてきたところで、「時間を見てくる」と一言残して小走りで時刻表の元まで行く。
腕時計と時刻表を交互に見比べてみると、現在の時刻は二十一時二十分。十分前にバスが出て行ってしまった後だった。次のバス時刻まで一時間もある。夜も遅いし、帰宅する頃には零時近くになりそうだった。
「優、バスないけど少し戻って駅でタクシー拾う?それとも待つ?」
ゆっくりと此方へ向かって歩いてくる優作に声を掛ける。
「いや、歩く」
すると優作は、どちらも選択することなく、バス停を通り過ぎると道路沿い
今更気づいたところで、もう後戻りはできない。吉岡を避けるようになって数日が経った。唯一、吉岡と近づけるのが授業中の隣の席くらい。独りでいる時間なんてないほど、昼休みは水澤に呼び出され、数学準備室に向かう日々だった。 身体から始まった関係故に二人きりになると、水澤は手を出してきて事に及ぼうとする。「学校だから」とか「付き合ったら段階を踏みたい」などと言い訳をして、なんとか貞操だけは必死に守っていたが、その時は躱すことができても時間の問題のような気がした。少し前までは授業中でも時折、喋ることがあった吉岡との会話は全くない。吉岡も自分が意図的に避けている事に気づいているのか、話し掛けてこないのが少し寂しかった。板書に集中する彼を眺めては、想いを募らせる。駄目だと言われたものほど欲しくなるように、彼のペンを動かす手が恋しい。その手に触れたい……触られたい。「そんなに隣が気になる?」周りが見えぬほど吉岡に集中していると、背後から囁かれて我に返った。同時に、首元を指で撫でられて漏れそうな声を押し殺す。咄嗟に辺りを見渡したが、前後左右に人の気配はなかった。しかし、犯人の目星はついている。何食わぬ顔で、ひとりひとり生徒の問題を解くノートを覗きながら窓際の通路を通っていく水澤で間違いなかった。教壇へと戻り際に鋭く睨まれ背筋が凍る。よりにもよって水澤の授業で気を抜いてしまった。それほどまでに、吉岡を恋しく思ってしまう自分は末期だ。後で水澤に酷く問い詰められる予感しかしない。自分が犠牲になるくらいならまだいいが、再び吉岡に目をつけ始めたら、自分の選択が無駄になる。吉岡を恋しいだなんて思っちゃいけない……。頭で分かっていても、視線は嘘をつけないのか、吉岡と話したいと言わんばかりに彼のことを目で追うことをやめられない。ふと、吉岡と目が合ってしまい、すぐさま俯く。好きだと自覚すればするほど吉岡に助けを求めたい自分と、関わってはいけない自分と格闘する。 水澤がいるのは担任の代理期間中だけだと思いたくても、出口の見えない毎日に、助けを
休み明けの登校初日は、吉岡に会いたくて早起きまでして乗ったバス。今は朝のラッシュが過ぎたせいか客は疎らだし、乗客の大半はお年寄りだった。正直、今は吉岡と顔を合わせたくない。否、合わせるべきじゃない。心無い言葉を言ってしまったし、何より水澤の件に関して踏み込まれたくなかった。水澤の言いなりになった訳じゃないけど、いちいち吉岡の好意を気にしてしまう自分に嫌悪感を抱くのも事実だし、そのくせ他の連中と楽しそうにしている吉岡を見ると、モヤモヤして不快に思う自分も嫌だった。それなら一層離れてしまったほうが、吉岡が水澤からも避けられるし、自分も割り切れてしまえば吉岡に対する独占欲も無くなる気がした。優作が吉岡と友達の関係を続けなければすべてが丸く収まる。学校へ着き、下駄箱で上履きに履き替えている途中でチャイムが鳴る。玄関先の真正面にある古ぼけた時計を見遣ると時刻は正午になったところだった。教室に行けば確実に吉岡はいる。昼休みだから例の二人と一緒かもしれないが、同じ空間にいるのは気まずい。優作は上階へと繋がる階段を上り、教室に向かうのを止めると、上ってすぐの非常階段へと向かった。重たい鉄扉をゆっくりと開けた先には、吉岡の次に会いたくない水澤が踊り場の塀に背中をあずけて立っていた。校内禁煙のはずなのに教師という立場があるにも関わらず、堂々と煙草をふかしている男。優作を見るなり、虚ろな瞳をしていた瞼が細く笑った。「なんか優作が此処に来る気がしていたんだよね。午前中の授業さぼって昼から登校?どこで何してたのかな?」水澤に干渉される筋合いはない。優作は水澤の問いを無視して、鉄扉を開けて踵を返そうと校内へ一歩踏み出した瞬間、扉にカンッと何かが当たった音がして足を止めた。音を立てて地面に落ちていった物体を目で追うように足元を見ると、黒色の四角い小さい箱のようなものが落ちていた。上部に裂け目があることと、水澤が煙草を咥えていることから、多分ジッポだろう。「優作、それ取ってくれる?」落ちているものを拾わずしてその場から去る選択もあったが、この狭い学校で水澤と鉢合う場面は避けられない。首を絞められて逆上さ
吉岡と下校する放課後。文化祭の話し合いでの出来事が尾を引いているのか、今日の吉岡は静かだった。数学準備室の時も感じたが、今まで見てきた中で温厚な吉岡が、ここまで皮肉交じりの言葉を吐いたことに戸惑いもあった。水澤は吉岡にまで、あやふやにして触れないようにしてきた部分に突っ込んできた。彼を下手に関わらせたくなかったのに、あろうことか水澤から吹っ掛けてきては、彼はその挑発に乗ってしまった。その二人を強く止めることが出来なかったことに後悔する。そもそも、自分が吉岡と喋らなければよかった話……。「ねえ、優。あいつとどういう関係あんの」静かだった吉岡の口が開かれる。お人好しの吉岡だから目の前であんなことが起こってしまった以上、問うてくることは予想がついていた。「別にあいつとは何でもないし、吉岡が気にすることじゃない」「なんでもなかったら、水澤が俺に挑発してくることなんてないと思うんだけど。昨日のことだって、優の様子変だったじゃん」本当は誰かに縋りたくて、怖くてたまらないのに巻き込みたくないから、突っぱねても吉岡は引き下がってくれない。「困っているなら俺に言ってよ。なんか苦しそうで見てられない……。水澤と何かあるんだろ?優のこと助けたいんだよ」彼自身の言葉が心配からくるものだと分かっているからこそ、涙が出るほど嬉しいのに、彼には頼ってはいけないという思いが複雑に混ざり合う。吉岡なら助けてくれるかもしれない……。だけど、自分がされることならいくらでも我慢できるが、あんな敵意剥き出しの水澤と対峙して吉岡が危険にさらされるは耐えられない。もう放っておいてほしい……。優作は両こぶしを力強く握ると、立ち止まっては吉岡の方を向く。「うざっ、お前ってそんな干渉するやつだったっけ。そういうことお前がすると、重いからやめろよ」自分で言葉を発していて、あまりにも無慈悲である自覚はある。本人は必死で優作への想いに整理をつけようとしていると分かっているからこそ触れるべきではないこと。そして、彼の性格上そう簡単に友達が困っていたら見捨てられる奴じゃないことも分かっ
翌朝。あまり気が進まなかったが、重たい足取りで学校へと向かった。勿論始業には間に合わなかったのでホームルームと一時限目の間の休み時間に教室へと潜り込み、座席に座る。一時限目はロングホームルームだったのか、始業のチャイムが鳴るなり、男女二人の学級委員が黒板前に出てきては、女の方が何やら板書を始めていた。一方で、水澤は教室前方の隅っこで椅子に座り様子を眺めている。男の方が「では、本年度の文化祭のクラスの出し物について決めたいと思います。何か案はありますか?」と話し始めると、クラスの奴らが一斉に騒ぎ始めた。夏休み明け早々、文化祭の準備なんて忙しないが、優作には全くもって関係のない話。優作はお化け屋敷や喫茶店など様々に出てきた案をひたすら黒板に板書していく姿を、ぼんやりと眺めていた。「優、ゆーう?」隣から名前を呼ばれて振り向くと、吉岡が右手を口元に添えながら小声で話し掛けてきていた。「なに?」「何って……。今、自分には全く関係ないと思って聞いていたでしょ。ちゃんと出なよ?」「出たって、つまらないだけだし」ふと、視線を感じて教室前方の方を見ると、水澤が此方へ視線を送ってきていた。目が合った瞬間に笑いかけてきたが、優作はすぐさま逸らす。逸らしてもなお、水澤の視線を意識するあまり、落ち着いて吉岡と会話をする気にはなれなかった。水澤には全て見透かされてしまっていた。吉岡が自分のことを好きなことも、表面上は友達としてやっていても、自分の中で複雑の位置であることも。 吉岡が快諾した関係だったとしても、優作に好意を寄せていることには違いないし、時々ボロが出てしまう時だってある。今週中に縁を切ることを要求された以上、下手に吉岡と仲睦まじく話をして、水澤を刺激するのは良くない気がした。「そんなこと言わないで最後くらい出ようよ」そんな警戒心を持つ傍らで乗り気にならない優作の返答を聞いた吉岡が一瞬だけ寂しそうな表情をしたのを見て、最後なのだから出席してもいいかもなんて思えてしまう。「気が向いたら……」頑なに断るのも可哀そうな気がして、曖昧に濁した返事をした。
帰宅ラッシュなのか、人通りの多い駅前。すれ違う人の波を掻き分けて改札口へ向かうと、尻ポケットを触った途端にその場に立ち止まった。優作の後に続いて改札を通ろうとしていた男に肩を押され、舌打ちされながらも、すぐさま横に逸れる。スマホがない……。いつもは、ズボンのポケットに入れて肌身離さず持っている筈のモノがない。何処かに置き忘れてきただろうかと考えているうちに、楓の店でテーブルに置いたきりだったことを思い出した。水澤のいる空間から早く離れたかったのが先行して、すっかり持って帰ってくるのを忘れてしまったのだろう。アイツのいる店になんか戻りたくなかったが、戻らないと自宅には帰れない。優作は本日何度目かも分からない、溜息を吐くと踵を返した。「へえー、優作って友達少ないんだね。登録が楓さんしかいなくて驚いたよ」振り返った先にいたのは、先ほど此奴が嫌で店から出たはずの男が立っていた。スマホを片手にそう呟く男の手元にあるものは、紛れもなく優作のものだった。プライバシーなど関係なしに、所有物かのように弄っている水澤に慌てて駆け寄っては、スマホに向かって手を伸ばしたが簡単に躱されてしまう。別に見られて困るようなものはないが、個人情報を他人に見られるのは気分が良くない。「彼氏としては安心かな。僕、こう見えて束縛激しいからさ、他の男と繋がっているだけでも気が気じゃないんだよね」「俺は、あんたの恋人になった覚えはないんだけど」勝手に恋人になった前提で話を進めているが、一度たりとも水澤を受け入れてなどいない。水澤は鼻で笑い、此方へ近づいてくると右手を掴んできては持っていたスマホを渡してきた。一瞬でも絡んでくる手を不快に思ったが、すんなり返してくれたことに安堵する。「優作には拒否権はないって言ったはずだよ?けど、君にはちょっと悪い虫がついているみたいだね。吉岡君だっけ?」「吉岡がなに?」急に吉岡の名前が出てきて、ドキリとした。「君の友達みたいだね。クラスの女の子たちが教えてくれたよ。優作はその吉岡って男と一緒に
放課後はいつものように吉岡と下校した。バスの下車で別れて帰宅したはいいが、心ここにあらずで、一人自宅に居ても落ち着かなかった。水澤が現れてから嫌な予感が拭えない。自分が蒔いた種とはいえ、誰かにこの気持ちを吐露することで和らぐことができたのなら……と思っていた。私服へと着替えて楓の店へと向かう。店に入るなり、カウンターで紙煙草を片手に出迎えてくれた楓の姿に安堵した。「あら、優ちゃんおかえり」挨拶をしてくる楓を無視していつものように、真正面のカウンター席へと座る。時刻は午後七時と、そろそろ常連客が来て楓が忙しくなるころだろうかなんて頭の片隅で思っては、スマホをテーブルの上に置いた。「今日は学校行ったんでしょうね?」「ああ」店に来ての第一声が学校に行ったか行ってないかの話だなんて、まるで母親のようで鬱陶しく思うが、今の優作には安心感を覚える。「行ったのならいいんだけど、優ちゃん。卒業だけはちゃんとしなさいよ」果汁ジュースを優作の目の前に置きながら、疑いの視線を送ってくる。「はいはい。つか、なんで吉岡に連絡先教えてんだよ」優作は、しっかり小言を言ってくる楓の言葉を聞き流しては、今朝方、吉岡が楓の番号を知っていたことを思い出していた。「いいじゃない。千晃君って可愛いし優しいじゃない?それに、誰かさんと違って素直だし」明らかに自分のことを示唆している。楓の意地悪さは昔からではあるが、優作も負けてはいなかった。「その誰かさんがこうなったのは、意地悪い叔父に育てられた結果だと思うけど」「まぁ、失礼ね。もう、一層のこと優ちゃんが千晃君に落ち着いてくれないかしら」時折、煙草の灰を気にしながらも優作の偏屈じみた返答にも笑って返してくる。「ゲホゲホ……。はぁ?なんで……それはない!」楓の心の器の大きさに関心をしながらも、果汁ジュースに口をつけた途端に、楓からの思わぬ発言に咽てしまった。「またーそんなこと言ってー。お似合いだと思うわよ?」







