内海唯花は、はははと大笑いした。彼女は突然彼のストリップショーを見たくなったのだ。結城理仁は立ち上がると、指で彼女の額にデコピンした。デコピンされた彼女は額がひりひりした。「君は一体頭の中で何を考えているんだ。思いつくことは、いつも人とは違うことばかりだ」内海唯花はわざと「おばあちゃんがいつも私にあなたを押し倒して素っ裸にして、あなたと寝ろって言うのよ。おばあちゃんに女の子のひ孫を見せろってね。ちょっと思ったんだけど、おばあちゃんのその願望を叶えてあげる?」と言った。それを聞いた後、結城理仁はまた彼女の額にデコピンを食らわせた。「いったーい」また痛みが走った。内海唯花も遠慮せず、両手で彼の両頬を掴み、二回つねってそれを彼への仕返しとした。「内海唯花」結城理仁は彼女の両手を掴み、厳しい表情になった。内海唯花は楽しそうな顔を急いで真顔に戻し、彼のその深海のような瞳を見つめた。そして恐る恐る言った。「結城さん、何か言いたいことがあるなら言ってよ。それにその顔、そんなに厳しい表情で見つめないでもいいでしょ、すっごく怖いわ」「聞いて」「うん、聞いてるよ。耳の穴かっぽじって、よーく聞いてますとも」「俺たちが寝るか寝ないかは、俺たちのプライベートなことだろう。俺たち二人だけのことだ。それは俺たち自身で決めることで、誰かに従ってやるようなことじゃないよ」結城理仁は二人の「初めて」をおばあさんに干渉されて決めたくなかったのだ。結婚手続きをした時と同じように、彼はおばあさんには伝えてある。結婚後、彼が内海唯花と生活するにあたってやることは、彼自身のことであって、おばあさんには干渉させないと。「そういうことだったのね」内海唯花はそれを聞いてすぐに緊張を解いた。彼の大きな手を外し、後ろを振り返って歩きだした。歩きながら「ただ冗談を言ってみただけ。もちろんおばあさんに言われたからってあんなことしようだなんて思ってないよ」と言った。彼女は男女間に起こる関係は、双方の同意があって成り立つと考えている。自然の流れに任せるものだ。結城理仁は黙って彼女の後ろ姿を見つめていた。なぜだか自分が正しいのに、何かのチャンスを逃してしまったかのように感じる。つまり、彼は彼女から押し倒され、服を脱がされて、ラブラブするチャンスを失った
結城理仁はスーツを脱いで、彼女に渡した。「これも夢の世界に持って行ったら」今は車の中にいて海風に吹かれる心配もないから、内海唯花は遠慮せずに彼のスーツを受け取り、それを体に羽織って夢の中に入っていった。結城理仁は彼女の睡眠の妨げにならないように車の音楽を切った。彼は黙って車を運転し、彼女は静かに眠りにつき、何か夢でも見ているうちに、彼らはやがてトキワ・フラワーガーデンに到着した。ボディーガードたちはマンションの下を巡回していた。この日の夜はずっと彼らの視界から結城理仁は離れていた。清水がペットたちを連れて帰ってきた後、自分たちの主人が妻を連れてドライブに行ったとわかり、ボディーガードたちは少し焦っていた。しかし、その中の一人も主人に連絡しようとはしなかった。夫婦二人だけの時間を邪魔してはいけないと思ったからだ。そしてこの時、結城理仁の車が戻ってきたのを見て、ボディーガードたちは女主人に気づかれないように、それぞれ急いで四方に散らばっていった。特に七瀬に関しては、消えるスピードが相当速かった。焦りすぎて危うく緑地帯に突っ込んでしまうところだった。なぜなら、女主人は彼のことを知っているからだ。ボディーガードたちのその動作を結城理仁は見て見ぬふりをした。内海唯花はかなり大雑把で細かいことを気にしない性格だ。もしそうでなければ、彼らが毎日毎日マンションの下で徘徊していて、すぐに彼女はおかしいと気づくことだろう。車を駐車し、結城理仁はシートベルトを外しながら「内海さん、家に着いたよ」と彼女を起こした。内海唯花はぐっすり寝入っていて、彼が呼ぶ声が聞こえていないようだ。たぶんビールを二本飲んだせいだろう。結城理仁は彼女を二度揺さぶってみたが、それに合わせて彼女の体も左右に揺れるだけで、まったく起きる気配がなかった。「ビール二本でここまで熟睡できるとは。今後はやっぱりあまり酒を飲ませてはいけないな」結城理仁はこれも運命かとあきらめ、車を降りて助手席のほうへ行きドアを開けた。上半身車の中に入り、彼女のシートベルトを外してあげると、彼女の体を自分の懐まで持ってきて、抱き上げる形で車から降ろしてやった。四方に遠く散らばっていたボディーガードたちだったが、みんなこのシーンを目撃していた。それぞれ手で目をこすっていた
思い立ったが吉日。結城理仁は今まさに内海唯花の部屋にいる。簡単にこそこそと引き出しや棚の中を探すことができる。暫くの間、彼女が隠すであろう場所を探し回ったが、彼女の分の契約書は見つからなかった。彼女は一体どこになおしているんだ?結城理仁はドレッサーの前に立ち、ドレッサーを見つめ自分があと探していないのはどこだろうと考えていた。すべての引き出しは、もう開けて探してみた。最後に、彼はテーブルの上に置かれた髪飾りの絵が描かれた紙に視線を落とした。彼はその紙を手に取った。内海唯花のスケッチはとても綺麗だった。彼女は髪飾りの絵を描いてどうするつもりなのだろうか?結城理仁は内海唯花が髪飾りのスケッチをしてどうするつもりなのかわからなかった。彼がその紙を裏返してみると、その面はまさに彼が今探している契約書だった。彼女はなんと契約書の紙の裏面にスケッチをしていたのだ。だから彼が引き出しや棚を探しても、どうしても契約書が見つからないわけだ。結城理仁は内海唯花の契約書を折りたたみ、ポケットの中に押し込んだ。そして、ベッドのところまで歩き、端に腰かけて唯花の寝顔を暫くの間見つめ、手を伸ばし彼女の頬を軽くつねった。すると、口角を上げ不敵な笑みを浮かべた。「内海唯花、君は一生、この俺だけのものだ!」おばあさんがもしこの場にいたら、彼に一発お見舞いすることだろう。なにが自分から妻を好きにならないだ。今こっそり契約書を探しているのは一体どこのどいつだ?結城理仁は内海唯花の契約書を盗むのに成功した後、上機嫌で彼の部屋に戻っていった。そして、自分の分の契約書を取り出し、ライターを持ってトイレに身を潜めると、二人分の契約書に火をつけ燃やしてしまった。そしてその燃えカスをトイレにきれいさっぱり流してしまった。内海唯花が時間を巻き戻す能力がない限り、一生あの契約書を見つけることができなくなった。……佐々木唯月が目を覚ました時、すでに夜中の十二時だった。彼女はまだお風呂に入っていなかった。本当は息子をあやして寝かしつけてから、起き上がって風呂に入るつもりだったのだが、自分も一緒に寝てしまったのだ。目が覚めてようやく自分がまだお風呂に入っていないことを思い出した。彼女は起き上がり、まずは部屋を出て玄関を確認しに行き、まだ内
佐々木唯月の頭の中は一瞬にして真っ白になった。まさか電話に成瀬莉奈が出るとは思っていなかったのだ。すぐに、彼女は携帯を耳から離し、通話の内容を録音し始めた。義弟が友人に頼んで佐々木俊介の不倫の証拠を集めてくれたのだが、彼女にそれは佐々木俊介が精神的な浮気をしている証明であるだけで、二人は実際には体の関係になってはいないと教えてくれていたのだ。この時、あのクズ男と女狐はきっと一緒にいるはずだから、佐々木唯月は録音しようと思い立ったのだ。「あなたは誰?」彼女のその沈黙は電話の向こうの成瀬莉奈をつけ上がらせるのに十分だった。唯月は台本にあるかのように話を進めることにした。佐々木俊介が浮気をしていると知った後、彼女が天地を揺るがすほど大騒ぎすれば、佐々木俊介はそれに嫌気をさして、息子のことなど、どうでもよくなり、彼女と離婚すると言うことだろう。もし彼女が泣きも喚きもしなければ、佐々木俊介たちは彼女が離婚を望んでいると思い、逆に彼女を引き留めて、時間稼ぎをするだろう。「私は俊介の秘書の成瀬莉奈ですけど、そういうあなたはどちら様?」成瀬莉奈はわかっていてわざとそう聞き返した。「私が誰かですって?私は彼の妻ですけど!俊介はどこ?あんた達今どこにいるの、何をしているのよ。俊介を電話に出させて!」佐々木唯月はそう言いながら喚きだした。聞いた人に彼女がとても怒っていると思わせるような様子だった。彼女のその怒りが成瀬莉奈を勝った気にさせた。成瀬莉奈は電話を切らず、ただこう言った。「言ったでしょ、俊介は今シャワーを浴びてるって。そんなに早く出てこないわよ。俊介はあなたに、今夜は接待があるって言わなかった?私は彼の秘書だもの、もちろん彼と一緒に接待に行ったのよ。私たち、お酒を飲んだから、車の運転ができなかったの。俊介がホテルの部屋をとってくれて、お酒が抜けたら帰る予定だったの。まさか奥さんがこんな夜更けに電話して探りを入れてくるなんてね」成瀬莉奈のその最後に放った言葉は、どうも嫌味が含まれている。「運転代行がたくさんあるでしょ。呼べばすぐ来て家まで送ってくれるんじゃないの?どうしてわざわざホテルに泊まる必要があるの。あんた達、私に隠して何かやったんじゃないでしょうね。成瀬とか言ったわね、あんた、言いなさい!正直にいいなさいよ
彼女が息子の世話をしなければならないと知っていて送ってきたのだ。この時間は確かに息子を一人で家に残し、ホテルまで行って浮気現場を押さえることなどできない。妹に電話しようか?佐々木唯月は悩んでいた。こんな時間に妹にお願いする?少し躊躇った後、唯月はこれは佐々木俊介の浮気現場を押さえるチャンスで彼女に有利になるのではないかと思った。それで、彼女は内海唯花に電話をかけた。内海唯花はビール二本飲んで熟睡してしまい、結城理仁に抱きかかえられて家まで連れて帰ってもらうほどで、電話に気づかなかった。佐々木唯月が電話をかけてきて、唯花の携帯が何度も鳴っていた。そして、ようやく彼女は夢の世界から現実世界へと戻ってきた。携帯を掴み、彼女は誰からの着信か確認することなく電話に出た。「もしもし、どなたですか」「唯花、私よ、お姉ちゃんよ」「お姉ちゃん、どうしたの?」ようやく我に返った内海唯花は姉が今日クズ夫に離婚を叩きつけると言っていたことを思い出した。それで夫婦が喧嘩したのだと勘違いし、眠気が一気に吹っ飛んだ。勢いよくベッドから起き上がると急いで尋ねた。「お姉ちゃん、どうしたの?まさか佐々木俊介の奴がまた暴力を振るってきた?」「あいつ家に帰ってきてないの。接待があるって言ってて、夜遅くにしか帰れないって。だけど、もうすぐ一時よ、それでもまだ帰ってきてないの。だから、私、あいつに電話をかけたのよ。それで電話に出たのは、あの成瀬莉奈って女だったわ。あの人たち今一緒にホテルに泊まってる」「お姉ちゃん、あいつらの浮気現場を押さえに行きたいのね?」やはり実の妹、内海唯花はすぐに姉の考えを見抜いた。「泥棒を捕まえるためには足跡を、浮気現場を押さえるには二人でいるところを確かめよって言うものね。どちらにせよ現場を取り押さえれば、私も胸を張って離婚を叩きつけられるわ」「お姉ちゃん、あいつらがどこにいるかわかる?」「わかるわ。成瀬って女、相当調子に乗ってるみたいよ。ホテルの住所を私に送ってきたの。唯花、私がホテルに行ってくる。あなたはうちに来て陽を見ていてくれないかしら。私が出かけてる間に陽が起きて私がいないと驚いて泣いちゃうから」「お姉ちゃん、私も一緒に行く」「大丈夫よ」「お姉ちゃん、あいつらは二人で、お姉ちゃんは一人で行
内海唯花はそう言いながら自分のキーケースから一本の鍵を取り出して結城理仁に手渡した。「これはお姉ちゃんの家の鍵よ」結城理仁の黒い瞳が瞬いた。佐々木俊介が接待だったことを彼は知っていた。彼が九条悟に佐々木俊介の不倫の証拠を集めさせた時、噂好きの九条悟はその証拠を提出した後、どうもまだ百点満点とは思えず、納得がいかなかったので、裏でこっそりと佐々木俊介を監視していたのだ。それで、佐々木俊介が会社を出てからの一挙一動は、九条悟にすべて把握されていたのだった。夜、結城理仁が内海唯花に付き合って海辺に行っている時、隙を見て九条悟にメッセージを送り、チャンスを狙って裏で佐々木俊介と成瀬莉奈の関係がもっと進むように手を回していたのだ。佐々木俊介が完全に家庭と結婚生活を裏切っていることを実証するために。佐々木唯月が離婚を切り出す時、倫理的観点からも優位に立つことができる。今佐々木俊介と成瀬莉奈は一緒にいる。これは彼ら二人が自然の成り行きでそうなったことなのか、それとも結城理仁の裏工作による結果なのだろうか?結城理仁はすぐにはその答えを出せなかった。しかし、どちらにしても結果は同じだ。「君は彼らがどこのホテルにいるかわかる?」「お姉ちゃんが教えてくれないの。私には来るなって」内海唯花はどうしようもなかった。姉に彼女の助けが必要な時に、姉のほうは彼女を遠ざけ、自分でどうにかしようとしている。「俺のあの情報通な友人に連絡して、調べてもらうよ」「こんな夜中に……」「問題ない。いつかあいつにご馳走してやればいいから」それなら九条悟に一日休暇をあげれば済む話だ。「内海さん、出かけないで、ここでちょっと待ってて。それから、君の車の鍵を一緒に渡してくれ、清水さんに起きてもらって、義姉さんの家に行って陽君の面倒をお願いするから。俺は君と一緒に君の姉さんのところに行く」結城理仁はそう内海唯花に言うと、彼女が車の鍵を取り出すのを待って、それを受け取り家の中に入っていった。清水の部屋のドアをノックする時、彼は九条悟にも電話をかけた。九条悟は夜更かしをするのが好きなので、遅くに寝て朝も遅くに起きる。なにか面白いことがあれば、早めに会社に出勤してくるのだが、それがなければ、彼は結城理仁よりも遅く出勤してくる。結城理仁から電話がかか
結城理仁は玄関の鍵をかけた後、内海唯花の手を引き、歩きながら言った。「友達に調べてもらった。君の義兄はマニフィークホテルという神崎グループ傘下のホテルにいるらしい。俺は結城グループで働いていて、この二つの会社は犬猿の仲だから、神崎グループの社員に俺だとばれては困る。それで黒ペンで書いたんだよ。これなら、俺だって気づかれないだろう」内海唯花は彼の顔に描かれた先天母斑を何度も見た。切迫した状況の中で、彼はこのような細かいところにも考えが回るようだ。このように細かいところまで考えが及ぶ人だから、結城グループという大企業でエリートをやれるわけだ。内海唯花は今おばあさんが言っていたことを信じられた。おばあさんは当初、彼女の前で結城理仁のことをべた褒めする時に言っていた。結城理仁はとても細かいところに気がつく人間だと。当然、彼が心から優しくしようと思った時に、彼のその細かい気配りが至る所でお目見えするのだ。「後で帰ってきたら、水と石鹸でしっかり洗ってね」内海唯花は本屋兼文房具店を営んでいるから、皮膚についたペンのインクの落とし方をよくわかっているのだ。正直に言うと結城理仁は帰ってきたら、内海唯花に顔についているインクを落としてもらいたいと思った。その言葉が口元まで来て、彼はまたそれを吞み込んでしまった。そんなことを言う勇気がなくて、口に出せなかった。そんなことではおばあさんから「あんたその口はなんのために付いているのよ?言いたいことははっきり言いなさい!」と言われることだろう。九条悟なんかは「ボス、怖がらずに堂々と口にするんだ!」と言うはずだ。内海唯花夫婦と清水のほうは急いで行動を開始していた。一方、成瀬莉奈のほうはというと、佐々木唯月からの電話を切った後、浴室のドアをノックしに行った。佐々木俊介がドアを開けると、彼女はその中に入っていった。暫くしてから、二人は浴室から出てきた。彼女は佐々木俊介に抱きかかえられて出てきた。その美しい顔には恥じらいの色がにじみ出ていて、バカでも彼らが浴室の中で何をしたのか想像に難くない。キングサイズベッドに横になり、佐々木俊介の胸に抱かれた成瀬莉奈は突然口を開いた。「俊介、言うのを忘れてたけど、さっき奥さんから電話がかかってきて、さっさと家に戻って来いって怒鳴り散らしていたわよ。私が
成瀬莉奈は佐々木俊介の胸に寄りかかり、甘えた声で言った。「俊介、ごめんなさい。電話に出るべきじゃなかったわ。彼女が何かあなたに急用があるのかと思って、うっかり出ちゃったの」「いいんだ、どうせいつまでも隠し通せることじゃないし、遅かれ早かれあいつには教えることだったんだ。伝えるタイミングを見定めるより、成り行きに任せたっていいや。あいつが疑ってるってんなら、帰って直接、正直に話してくるよ」佐々木俊介が成瀬莉奈を悲しませるような真似をするはずがない。彼の心はだいぶ前から成瀬莉奈に寄っていて、唯月にはまったく愛情の欠片も残っていなかった。しかし、両親と息子のことを考えて、ずっと我慢していたのだ。そうでなければ、唯月のことなどとっくの昔に追い出していたところだ。「俊介、もしあなた達が離婚するなら、あの女があなたの財産を半分持って行くってことになるの?」成瀬莉奈は佐々木俊介の財産の半分を佐々木唯月に持って行かれるのは嫌だったのだ。彼女は唯月には何一つ渡すことなく、裸同然で去って行かせたかった。佐々木唯月が仕事を辞めてから数年、子供もまだ小さく、2歳過ぎだ。彼女がまた職場復帰したくても、恐らくそれは難しいだろう。離婚して何もかも失った後、成瀬莉奈は唯月のどん底に落ちぶれた様子を拝むことができるのだ。もしかしたら、唯月は子供を背中におぶって、街中で乞食になっているかも。佐々木俊介は冷たく笑って言った。「あいつがよこせと言っても、俺が大人しく渡すと思うか?結婚してから、あいつはこの家のために一円だって稼いでないんだ。家は俺が結婚前に買った財産だし、結婚してからも俺がローンを返してきた。だから、あいつにこの家を分けてやることなんかないよ。あいつは家のリフォーム代をちょっと出しただけだ。どのみち俺はそのリフォーム代もあいつに払ってやる気はない。もし欲しいんだったら、内装の壁紙でも剥がして持ってけばいいんじゃね?俺の貯金は……」彼が部長になったのも、ここ二年のことだった。収入は以前と比べて何倍にもなってはいたが、普段の出費も増えている。それによく成瀬莉奈に高価な物を買ってプレゼントしているので、彼は稼いだ分からそんなに貯金していなかった。ただ三百万前後といったところだろう。しかし、彼の副収入のほうは多かった。その副業で稼いだお金は、会社
唯花は清水が掃除しようとするのを見て、特に気にせず先に出かけた。清水は彼女を玄関まで見送り、エレベーターに乗ったのを確認してから、家に戻り急いで携帯を取り出して理仁に電話をかけた。最初、理仁は電話に出なかった。清水は連続三回もかけたが、それでも出てくれなかった。仕方なく、清水は彼にメッセージを送った。「若旦那様、若奥様が薬を飲みました」すると、一分も経たず、理仁は自ら電話をかけてきた。「唯花さんが何の薬を飲んだんです?」理仁の声はいつものように感情が読めないくらい冷たくて低かったが、彼をよく知っている清水はわかったのだ。彼は今緊張している。「若奥様は寝不足で、頭と目が痛いと言って、鎮痛剤を飲みましたよ」理仁は一瞬無言になった。びっくりしたじゃないか!清水がはっきり説明してくれなかったせいで。彼は唯花が薬を飲んで極端な行動をしたのかと勘違いしたのだった。いや、これは彼の考えすぎだ。唯花は明るい性格だから、他の誰かがそんな極端な行動をしようとも彼女はしない。ましてや理仁が原因でそんな行動をすると思うなんて、自意識過剰にもほどがある。彼女の心の中で、彼は明凛とも比べられないのだ。「若旦那様、若奥様は朝食を食べた時いろいろ話してくださいました」清水はため息をついた。「若旦那様、どうか考えてください。若旦那様は一体若奥様のどこが好きなんですか。もし若旦那様の思う通りに彼女を変えようとしたら、変わった若奥様はまだ若旦那様が好きな彼女でしょうか」「彼女は何も話してくれなかったんですよ。隼翔も知っていることを、俺が知らないなんて」「若旦那様こそ、あらゆることを若奥様に話しているんですか。どうか忘れないでください。若旦那様はまだ正体を隠しているではありませんか。若旦那様のほうが多くのことを隠しているでしょう」理仁は暗い顔をした。「清水さん、どっちの味方なんだ?」「もちろん若旦那様の味方ですが、だからこそ、こんな身分に相応しくないことを口が酸っぱくなるぐらい言ってるんです。でないと、ただの使用人である私が、こんなことを言いませんよ」「清水さんのことはちゃんと尊重していますよ」理仁は確かにプライドが高く横暴だが、使用人に対する礼儀はきちんとしていた。「おばあ様は実家に帰ったばかりなのに、ま
「これは彼がまだ私のことを完全に家族として見ていない証拠ですよ。彼自身がそれをできてないのに、どうして私にだけ要求できるんですか?他人に厳しいのに、自分に甘いにもほどがあるでしょう。それは強引ではありませんか?なんでも彼を中心として考えないと、すぐ怒るし、しかも、私が彼を家族として見ていないって言いだすんですから。私も苛立って、彼が自己中心過ぎて、心が狭いじゃないって言ったら、あっちは電話を切っちゃいました。それでメッセージを送っても全然返事してくれませんでしたよ。毎回こうなんです。怒るとメッセージも電話も無視して、まるでわがままで面倒くさい彼女みたいです」清水「……」若旦那様は確かにそんな性格で、若奥様の分析はいかにも正しかった。理仁は小さい頃から後継者として育てられ、弟たちは常に彼を中心にしていた。結城グループを引き継いだ後は、おばあさんと両親はもう一切手を出さず、彼を本当に結城グループのトップにさせた。会社では、彼の言うことが絶対で、誰も反論できないのだ。弟たちも社員も、相変わらず彼を中心に動いている。元々独占欲が強い性分だったので、そんな環境で育てられたら、ますます自己中心的な性格になってしまった。彼は全てを支配するのに慣れてしまっているのだ。周りの人が自分に従うのが当然だと思っている。唯花は人生を彼に支配されたくないし、何でも従ったり依存したりするのも嫌だった。だから、理仁は自分が唯花に無視されたと思っていた。それで、唯花が彼を重視しておらず、家族として見ていないと感じてしまったのだ。しかし唯花の言った通り、彼自身はすべてのことを何も隠さずに彼女に教えているだろうか。「清水さん、日数を数えてくれますか?今回はこの冷戦が何日続くか見てみましょう。もうメッセージを送るのも面倒くさいと思いました。送ったってどうせ見ませんよね。また私のLINEを削除したかもしれませんよ。もし本当に削除してたら、今度こそ絶対また友だちに追加しませんからね!」清水は彼女を慰めた。「……結城さんは確かに少し横暴なところがありますが、本当に唯花さんが彼を重視していないと、他人扱いされてると思い込んで、それで怒っているんでしょう」「ちゃんと説明したのに、それでも納得できないなら、私にどうしろって?もういいわ、怒りたいなら勝
「内海さん、焦らなくて大丈夫ですから、ゆっくり朝ごはんを食べてください。さっきお姉さんから電話があって、教えてくれました。陽ちゃんをお店に連れて行ったら、そこに牧野さんがいらっしゃったそうです。だから私たちは直接お店に行けばいいから、お姉さんのお家に行かなくていいですよって」それを聞いて唯花はホッと胸をなでおろした。そして食卓に座った。清水は今朝いろいろな具材のおにぎりを用意してくれていた。それから、味噌汁とおやつに黄粉餅まで。黄粉、餅……唯花は携帯を取り出してその小皿に盛られた黄粉餅の写真を撮り、あの怒りん坊に送ってやった。もちろん、結城某氏は彼女に返事をしてこなかった。唯花はぶつくさと不満をこぼした。「内海さん、おにぎり、美味しくなかったですか?」清水は唯花が何かを呟いているのを聞いて、おにぎりが美味しくなかったのかと勘違いし、尋ねた。「内海さんはどんな具材がお好きなんですか。教えてくれれば、明日作りますよ」「清水さん、私好き嫌いないので、どんな具材でも好きですよ。ささ、清水さんも座って、二人で食べながらおしゃべりでもしましょうよ」理仁が家にいないので、清水はかなり気楽にできる。若奥様の前では若旦那様はかなり和らいだ雰囲気を持っているが、理仁のあの蓄積された威厳では清水が一緒に食卓を囲む時にはやはり常に気が抜けないのだ。「清水さん。あなたは結城家の九番目の末っ子君を何年もお世話してきたんですよね。理仁さんと知り合ってからもう何年も過ぎているでしょう?彼ってなんだか俺様な感じしません?自己中心でわがままだと思ったことありません?彼の前で少しも隠し事をしちゃいけないって要求されたことは?」清水はちょうど味噌汁に口をつけたところで、彼女からこの話を聞き、顔をあげて唯花のほうを向き、心配そうに尋ねた。「内海さん、どうしてこのようなことをお聞きになるんですか?」唯花は餅をつまみながら、言った。「昨日の夜、理仁さんとたぶん喧嘩になって、今、ちょっと、また冷戦に突入しちゃったかなって」清水「……」夜が明けたと思ったら、若旦那様と若奥様はまた喧嘩なさったのか。しかも、また冷戦に突入しただって?「内海さん、結城さんとどうして喧嘩になったんですか?」ここ暫くの間、若旦那様と若奥様の関係は見るからにと
数分後、ベッドに座って少し何かを考え、ベッドからおりて自分の生活用品を片付け始めた。そして、それを持って自分の部屋へと戻った。彼の部屋で、彼のベッドで寝るのをやめよう。唯花は怒って、また自分の部屋に戻り寝ることにしたのだ。そして一方の理仁もこの時悶々としていた。唯花からメッセージが届き、彼はそれを見たが返事はせず、そのまま削除してしまった。彼はこの時、ただ唯花から彼は心が狭いと責められ、家族として見てくれていないことだけが頭の中を巡っていた。携帯をテーブルの上に置き、理仁は起き上がってオフィスの中を行ったり来たり落ち着かない様子で、とてもイラついていた。そして、彼はコーヒーを入れに行った。コーヒーを飲んだ後、無理やり自分を落ち着かせて、仕事に没頭し始めた。徹夜する気だ。唯花ははじめは怒りで寝返りを打ち、なかなか寝付けなかったが、一時間少し粘ってやっと怒りが収まってきた。彼も別に初めてこんなふうになったわけではないし、毎回毎回彼のせいでこのように怒っていては、寿命が短くなってしまって、損してしまう。それで彼女は怒りを鎮めて、夢の世界へと旅立つことにした。怒りたい奴は勝手に怒っていればいいさ!すぐ怒る奴はいつも彼を中心にして世界が回っている。自分だって全てのことを彼女に教えることはできないくせに、彼女には小さい事から大きい事まで全てを話すよう要求するのだ。彼は今ここにいないのに、言ったとして、帰って来てくれるというのか?姉の今回の件は、実際彼女自身も特に何もしていないのだ。彼女の伯母が佐々木家の母親と娘に自己紹介をしただけで、あの二人を驚かせてしまったのだ。そしてその後どうするかを決めたのは姉だ。陽のことを考え、姉は最終的に和解することにしたのだ。これは姉が決めたことだ。彼女は姉が決めたことは何でも尊重する。それなのに彼ときたら、また隼翔が知っていて、彼は知らなかったと言って噛みついてきた。東隼翔は姉の会社の社長だぞ。そんな彼が会社の目の前で起きたことを知っているのは、それは当然のことだろう?別に彼女がわざわざ東隼翔に教えたわけではないというのに。なんだか彼は勝手にヤキモチを焼くみたいだ。この夜、唯花は遅い時間にやっと眠りにつくことができた。出張中の理仁はコーヒーを二杯飲んで、翌日の
姉と佐々木俊介が出会ってから、恋愛し、結婚、そして離婚して関係を終わらせ、危うくものすごい修羅場になるところまで行ったのを見てきて、唯花は誰かに頼るより、自分に頼るほうが良いと思うようになっていた。だから、配偶者であっても、完全に頼り切ってしまうわけにはいかない。なぜなら、その配偶者もまた別の人間の配偶者に変わってしまうかもしれないのだからだ。「つまり俺は心が狭い野郎だと?」理仁の声はとても低く重々しかった。まるで真冬の空気のように凍った冷たさが感じられた。彼は今彼女のことを大切に思っているからこそ、彼女のありとあらゆる事情を知っておきたいのだ。それなのに、彼女は自分から彼に教えることもなく、彼の心が狭いとまで言ってきた。ただ小さなことですぐに怒るとまで言われてしまったのだ。これは小さな事なのか?隼翔のように細かいところまで気が回らないような奴でさえも知っている事なのだぞ。しかも、そんな彼が教えてくれるまで理仁はこの件について知らなかったのだ。隼翔が理仁に教えておらず、彼も聞かなかったら、彼女はきっと永遠に教えてくれなかったことだろう。彼は彼女のことを本気で心配しているというのに、彼女のほうはそれを喜ぶこともなく、逆に彼に言っても意味はないと思っている。なぜなら、彼は今彼女の傍にいないからだ。「私はただ、あなたって怒りっぽいと思うの。いっつもあなた中心に物事を考えるし。少しでも他人があなたの意にそぐわないことをしたら、すぐに怒るでしょ」彼には多くの良いところがあるが、同じように欠点もたくさんあるのだった。人というものは完璧な存在ではない。だから唯花だって彼に対して満点、パーフェクトを望んではいない。彼女自身だってたくさん欠点があるのは、それは彼らが普通の人間だからだ。彼女が彼の欠点を指摘したら、改められる部分は改めればいい。それができない場合は彼らはお互いに衝突し合って、最終的に彼女が我慢するのを覚えるか、欠点を見ないようにして彼に対して大袈裟に反応しないようにするしかない。すると、理仁は電話を切ってしまった。唯花「……電話を切るなんて、これってもっと腹を立てたってこと?」彼女は携帯をベッドに放り投げ、少し腹が立ってきた。そしてぶつぶつと独り言を呟いた。「はっきり言ったでしょ、なんでまだ怒るのよ。怒りたいな
「理仁、彼女がお前に教えなかったのは、きっと心配をかけたくなかったからだ」隼翔は自分のせいで彼を誤解させてしまったと思い、急いでこう説明した。しかし、理仁は電話を切ってしまった。隼翔「……しまった。もしあの夫婦が喧嘩になったら、どうやって仲裁しようか」結城理仁という人間は誰かを好きになったら、その相手には自分のことを一番大事に思ってもらいたいという究極のわがままなのだ。彼のように相手を拘束するような考え方は、時に相手に対して彼がとても気にかけてくれていると感じさせもするし、時に相手に窮屈で息苦しさを感じさせるものだ。致命的なことに、理仁は自分が間違っているとは絶対に思わない。彼が唯花にしているように、彼が彼女を愛したら何をするのも唯花を助けたいと思っている。しかし、唯花は非常に自立した女性だから、いちいち何でもかんでも彼に伝えて助けてもらおうとは考えていない。しかし、彼は唯花がそうするのは理仁のことを信用しておらず、家族として認めてくれていないと勘違いしてしまっているのだった。隼翔はまた理仁に電話をかけたが、通話中の通知しか返ってこなかった。「まさかこんな夜遅くに内海さんに電話をかけて詰問を始めたんじゃないだろうな」隼翔は頭を悩ませてしまった。彼もただ二言三言を言っただけなのに、どうしてこんなおおごとになったのだ?悟は普段あんなにおしゃべりだというのに、一度もこんな面倒なことになっていないじゃないか。理仁はこの時、本当に唯花に電話をかけていた。夫婦はさっき電話を終わらせたばかりだから、理仁は彼女がまだ寝ていないと思い、我慢できずに電話をかけてしまったのだ。確かにこの時、唯花はまだ寝ていなかった。携帯が鳴ったので、布団の中から手を伸ばし携帯を取ってからまたすぐ布団の中に潜り込んだ。寒い。少しの間暖房をつけていたが、すごく乾燥するから彼女は嫌で切ってしまったのだ。理仁の部屋には湯たんぽはない。理仁という天然の暖房は出張していていないから、彼女は布団にくるまって暖を取るしかなかった。携帯を見るとまた理仁からの電話だった。彼女は電話に出た。「どうしたの?もう寝るところよ」「今日何があったんだ?」理仁のこの時の声は低く沈んでいた。唯花は彼と暫く時間を一緒に過ごしてきて、彼の声の様子が変わったのに気
彼女とは反対に、彼のほうはどんどん彼女の魅力にやられて、深みにはまっていっている。「プルプルプル……」そして、理仁の携帯がまた鳴った。彼は唯花がかけてきたのだと思ったが、携帯を見てみるとそれは東隼翔からだった。「隼翔か」理仁は黒い椅子の背もたれに寄りかかり、淡々と尋ねた。「こんな夜遅くに俺に電話かけてきて、何か用か?」「ちょっと大事なことをお前に話したくてな。お前のあのスピード結婚した相手に伯母がいることを知っているか?それは神崎夫人みたいだぞ。彼女がずっと捜し続けていた妹さんというのは、お前の奥さんの母親だったんだ」隼翔は悟のように噂話に敏感ではない。人の不幸を隣で見物して楽しむようなタイプではないのだ。しかし、彼はこのことを親友にひとこと伝えなければと思った。「神崎グループとお前たち結城グループはずっと不仲だろう。神崎玲凰とお前が一緒にいることなんてまず有り得ないだろうからな。お前たちの関係はギスギスしててさ……そう言えば」隼翔はようやく何かに気づいたように言った。「お前があの日、神崎玲凰を誘って一緒に食事したのは、お前の結婚相手が神崎夫人の姪だと知っていたからなのか?だから、早めにあいつとの関係を良くしておこうと?」理仁は親友に見透かされて、恥ずかしさから苛立ちが込み上げてきた。彼らは電話越しで距離があったから、隼翔は理仁が当惑のあまりイラついていることに気づかなかった。「あの日は気分が良かったし、神崎玲凰が珍しく顧客を連れてスカイロイヤルに食事に来たもんだから、俺は寛大にもあいつらに奢ってやっただけだ。ただうちのスカイロイヤルは噂に違わず最高のホテルだと教えてやろうと思っただけだ。俺は別に神や仏じゃないんだから、どうやって先に神崎夫人が捜していた妹が俺の義母だなんてわかるんだ?俺もさっき妻に聞いて知ったばかりだぞ」まあ、これも事実ではある。しかし、彼は予感はしていた。神崎夫人の妹が彼の早くに亡くなってしまった義母だと。だからあの日、神崎玲凰に出くわしたから、彼は太っ腹に彼ら一行にご馳走したわけだ。「知ってるなら、どうするつもりだ?」隼翔は彼を気にして尋ねた。「神崎グループとはわだかまりを解消するのか?」「唯花さんと神崎夫人が伯母と姪の関係でも、俺ら結城グループの戦略変更はしないさ。強
唯花は彼の電話に出た。「俺は湯たんぽなんかじゃないぞ!」唯花が電話に出たと思ったら、彼はいきなり不機嫌そうな声で呼び方を訂正してきた。唯花は笑った。「だって今寒いんだもの。だからあなたを思い出したの。あなたって湯たんぽなんかよりずっと温かいから」理仁はさらに不機嫌な声をして言った。「寒く感じなかったら、俺のことを思い出しもしないと?」唯花は正直に認めた。「寒くなかったら、たぶん、こてんと寝ちゃうでしょうね。あ、あとあなたに『おやすみ』のスタンプも送ってあげるわよ」理仁は顔を暗黒に染めた。「もうお仕事は終わったの?まだなら頑張ってね。私は寝るから」唯花は電話を切ろうとした。「唯花さん」理仁は低い声で言った。「神崎夫人との鑑定結果はもう出たの?」「出たわ。神崎夫人は私の伯母さんだった。だから私と彼女は血縁者なの」理仁はそれを聞いて心の中をどんよりと曇らせていたが、それを表面には表すことはなかった。話している口調もいつも通りだ。「親戚が見つかって本当に良かったね」「ありがと」姉と十五年も支え合って生きてきて、突然実の伯母を見つけたのだ。唯花はまるで夢の中にいるような気持ちだった。なんだか実感が湧かない。「そうだ、理仁さん。おばあちゃんがまた自分の家に引っ越して行っちゃったの。今夜辰巳君が迎えに来たみたい。私は家にいなかったから、清水さんが教えてくれたのよ」この時理仁が思ったのは、ばあちゃん、脱兎のごとく撤退していったな!だ。「ばあちゃんが住みたいと思ったら、そこにすぐ住んじゃうんだ。俺はもうばあちゃんがあちこち引っ越すのには慣れっこだよ」おばあさん名義の家もたくさんある。よく今日はここに数日泊まって、次はあそこに数日泊まってというのを繰り返していた。だからおばあさんから彼らに連絡して来ない限り、彼らがおばあさんを探そうと思っても、なかなか捕まらないのだった。「今日他に何かあった?金城琉生は君の店に来なかっただろうね?」「あなたったら、こんなに遠くにいるのに、餅を焼いてる匂いでもそっちに届いたわけ?金城君はとても忙しいだろうから、私に断られた後はたぶんもう二度と私のところに来ないはずよ。だから安心して自分の仕事に専念してちょうだい。私は絶対に浮気なんかしないんだから」そして少し黙ってから
清水は自分が仕える結城家の坊ちゃんをかばった。「内海さん、私があなた方のところで働いてそう時間は経っていませんが、私の人を見る目には自信があります。結城さんと唯月さんの元旦那さんとは全く別次元の人間ですよ。結城さんは責任感の強いお方ですから、彼があなたと結婚したからには、一生あなたに対して責任を負うことでしょう。結城さんは女性をおだてるのが得意な方ではないですし、若い女性が自分に近づくのを嫌っていらっしゃいます。見てください、牧野さんに対しても会った時にちょっと会釈をする程度で、あまりお話しにならないでしょう。このような男性はとてもスペックの高い人ですけど、誰かを愛したらその人だけに一途です。内海さん、お姉さんの結婚が失敗したからといって、自分の結婚まで不安になる必要はないと思いますよ。愛というものは、やはり美しいものだと思います。結婚だって、幸せになれるものなんですよ。みんながみんな結婚してお姉さんのような結婚生活を送るわけではありませんでしょう。私は以前、結城さんの一番下の弟さんのベビーシッターをしていました。彼の家でもう何年も働かせてもらって、結城家の家風はとても良いということをよく知ってるんです。結城さんのご両親世代は愛や結婚というものに対してとても真剣に受け止めていらっしゃいます。とても責任感の強い方々ですよ。結婚したら、一生奥さんに誠実でいます。結城さんもそのようなご家庭で育ってらっしゃったから、責任感のあって、誠実な結婚というものをたくさん見て来られたでしょうし、彼自身も一途な愛を持っていることでしょう。今後、内海さんが結城さんと何かわだかまりができるようなことがあったり、結城さんが内海さんに何か隠し事をしていて、それが発覚したりした時には、しっかりと彼と話し合ってみてください。立場を逆にして、相手の立場に立ってみれば、それぞれの人にはその決断をした理由というものがあるんですから」唯花は理仁のあのプライドが高い様子を思い出し、確かに佐々木俊介よりも信頼できるだろうと思った。それに、結婚当初、彼女に何か困ったことがあった時に、彼女と理仁は一切の感情を持っていなかったが、彼はいつも彼女のために奔走して解決してくれた。今までのことを思い返してみれば、理仁が俊介よりも責任感が強いということがすぐ見て取れた。そして、唯花は言った。