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第3話

Penulis: 葉子
遥はラグドールを抱きしめたまま、ぼんやりと物思いにふけっていた。

そこへ、台所から絵梨が出てきた。

彼女は遥が猫を抱いているのを見ると、まっすぐ彼女の前まで歩み寄り、「江口さん、手を洗ってきてくださいね。もうすぐご飯ですよ」と言いながら、自然な動きで猫を彼女の腕から取り上げた。

その猫は、彼女の手を嫌がることもなく、むしろ甘えるように懐へとすり寄った。

その瞬間、遥の心はずしりと重く沈んだ。

その猫は本来、人懐っこくない。遥でさえ、心を許させるのに随分時間がかかった。けれど今は、まるでずっと一緒にいたかのように、猫は絵梨に懐いていた。

遥は、絵梨が慣れた手つきで餌と水を用意する様子を見つめながら、その瞳の温度を徐々に冷やしていった。

だが絵梨はそれに気づかないふりで、どこか無邪気に誇らしげな声をあげた。

「この子、本当に気難しいんですよ。でも義人がちゃんと餌のあげ方を教えてくれたから、なんとかできてるんです」

遥の指先がわずかに震え、押し殺すような静かな声で言った。

「その猫は、私の猫」

絵梨は猫を抱いたまま、無垢な笑みを浮かべた。

「そうなんですか?知らなかったな。義人、そんなこと一言も言ってなかったですよ。ただ、猫の世話を頼まれて来てるだけです」

彼女は猫を見下ろしながら、愛しげにその毛並みを撫でた。

「最近はすごく懐いてくれて、餌もすんなり食べてくれるんです。義人が家の鍵をくれたおかげで、出入りも楽で助かってます」

その言葉に、遥の目が鋭くなった。胸の奥に重たいものがのしかかる。

「鍵?いつのこと?」

絵梨は笑いながら言った。

「もうだいぶ前ですね。言ってなかったんですか?」

少し間を置き、声を和らげた。

「江口さん、気に障ったらすみません。義人、お仕事すごく忙しいでしょう?食事の時間もバラバラで、私が少しでもお手伝いできればって……」

「お手伝い?」

遥は皮肉めいた笑みを漏らした。

ちょうどそのとき、義人が台所から現れた。二人の様子を見て、眉をひそめる。

「何を話してるんだ?」

絵梨はすぐに猫を下ろし、困ったような顔で義人を見つめた。

「義人、何か言い方、まずかったですかね……江口さん、ちょっと不機嫌みたいで。鍵の話、しないほうがよかったか?」

義人は遥に目を向けた。そこには、わずかな苛立ちがにじんでいた。

「遥、君どうしたんだ?」

遥は冷たい目で彼を見返した。

「別に。ただ、食欲がないだけ」

義人は明らかに不快感を抑え込んでいる様子で、低く静かな声で言った。

「また何を拗ねてるんだ?みんな君のために集まってくれたんだぞ。もう料理も出るんだ、我がままが過ぎるんじゃないか?」

遥は、ゆっくりと言葉を選ぶように反問した。

「我がまま?義人、これは『私の』退院祝いの会だったのよね?」

彼は顔をしかめた。

「ああ、もちろんだ」

「そう。じゃあなんで、来てるのは全部、絵梨の友達なの?一人も私の知り合いはいないじゃない」

義人が返事をする前に、絵梨が慌てて話を収めようと笑いながら言った。

「江口さん、誤解しないでくださいね。義人、何日も前からこの日の準備してたんですよ?みんなであなたをびっくりさせようって」

義人の顔はますます険しくなり、声にも苛立ちが混じる。

「考えすぎだろ。彼女の友達だって、君を祝うために来てくれたんだ。小さなことにこだわるなよ」

遥の目元がわずかに潤んだが、声は終始冷静だった。

「小さなこと?義人、あなた自身に聞いてみたら?今日って、誰のための日だったの?」

彼女は返事を待たずに踵を返し、振り向きもせずその場を後にした。

義人はその場に立ち尽くし、顔にはますます重苦しい影が落ちていった。

絵梨は視線を落とし、小さな声で言った。

「義人、もしかして……私、何か悪いことしちゃいましたか?江口さん、本当に怒ってるみたいで……」

「君のせいじゃない」

義人は短く言い捨て、険しい顔のまま彼女を置いて追いかけていった。

遥が家に戻って椅子に腰を下ろした途端、インターホンが鳴った。

玄関を開けると、義人が険しい顔で立っていた。

「遥、いったい何がしたいんだ?」

その声は低く抑えられ、だがいつ爆発してもおかしくない怒気を孕んでいた。

「僕はもう十分疲れてる。いい加減、無茶を言うのはやめてくれないか?」

遥はドア枠に体を預け、彼の目をまっすぐ見つめながら、かすれる声でつぶやいた。

「無茶……?」

「そうだよ!」

義人の声が少し上擦った。

「最近、仕事も忙しくて余裕がない中で、あのパーティーだってわざわざ時間作って準備したんだ。どうしてそれを分かってくれないんだよ!」

遥はしばらく沈黙したあと、ふっと下を向き、苦笑を漏らした。

「ねえ、義人……付き合いたての頃、私ってちょっとわがままだったでしょう?」

義人は返事をしなかった。眉を寄せたまま、彼女を見ていた。

「その頃、私が『うざくない?』って聞くと、あなたはいつも『うざくないよ』って言ってくれた」

遥は顔を上げ、静かな目で彼を見つめた。

「数年経って、あなたはもう私を『うざい』って思うようになったのね。疲れたって……」

義人は何か言いかけて口を開いたが、言葉が出てこなかった。

遥はその姿を見て、疲れたように笑い、そっと言った。

「もういいよ。帰って。もう、話す気力もないわ」

そのまま彼の目の前でドアを閉めた。

静寂が戻った部屋。

外では、義人が眉をひそめたまま動かずに立っていたが、もう二度とノックはしなかった。

ドアのすぐ内側で、遥は背を預け、頬を涙がつたった。

その涙は静かに、しかし痛烈に、彼女の肌を刺すようだった。

――変わらないと思っていたものは、結局、すべて変わってしまったのだった。
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