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第3話

Author: みかんしずく
「念のために言っておくけど、私たちはもう離婚しているの」

怒りをむき出しにする颯に対して、私の声は妙に落ち着いていた。

「離婚は一時的なものだと言っただろう。俺の妻はお前だけだ。指輪だって、一日も外していない。

それなのに、そんなに待てなかったのか。俺のいない間に、別の男のものになったのか」

そう言って、颯は左手を持ち上げた。

薬指にはたしかに、かつて私たちで選んだ結婚指輪がはまっている。

その顔は、まるで妻の裏切りを責める夫そのものだった。

手首をつかむ力があまりにも強く、骨がきしむほど痛くなければ、私は本当に笑っていたかもしれない。

指輪を外さなかったから、何だというのだろう。

それだけで、今さらまともな夫の顔ができるとでも思っているのだろうか。

ばかばかしい。

結婚していた頃、颯はその指輪をはめたまま、平然とほかの女を連れ歩いていた。

そんな男が、今さら裏切られた夫のような顔をしている。

これ以上、言葉を重ねる気にもなれなかった。

私は低く告げた。

「離して」

けれど颯は、私の手を放そうとしない。

「今日ここで話をつけるまで、帰すつもりはない」

振りほどこうとしたけれど、妊娠中の私の力ではどうにもならなかった。

何度か身をよじっても、颯の手はびくともしない。

家を出るとき、ボディガードの同行を断ったことを、今さらながら後悔した。

胸の奥に押し込めていた怒りが、とうとうこらえきれなくなる。

私は冷えた目で颯を見据えた。

「先に裏切って、離婚を言い出したのはあなたでしょう。今さら私を責める資格があると思っているの?」

颯は当然のように言い返した。

「だから、一時的なものだと言っただろう」

私は小さく息を吐いた。

「私は一度も納得していない。あなたが勝手にそう決めただけよ。

もう一度だけ言うわ。私たちは三年前に終わっているの」

颯は一瞬、言葉を失った。

けれど次に口を開いたとき、その表情から怒りとは別のものがにじんでいた。

「その子をおろせ。

そうすれば、今回のことはなかったことにしてやる」

「……正気なの?」

私は彼の手を振りほどこうとした。

けれど颯は、さらに強く私の手首を握りしめた。

もみ合うようにしていたそのとき、颯がふいに目を見開いた。

「危ない!」

次の瞬間、私は強く横へ押しのけられた。

直後、ガシャン、と何かが割れる音がした。

振り返ると、颯の足元に植木鉢の破片が散らばっていた。

そして彼の額から、一筋の血がゆっくりと流れ落ちていく。

背筋が一気に冷えた。

もし今、颯が私を押しのけていなければ。

あの植木鉢は、私の頭に落ちていた。

「大丈夫だ。俺がいる」

颯は青ざめたまま動けずにいる私を、そっと腕の中に抱き寄せた。

低くかすれた声が、耳元に落ちる。

その瞬間、目の前の景色がふっと遠のいた。

今の光景が、遠い昔の記憶と重なる。

十年前。

父は母を裏切り、家にあった金目のものを根こそぎ持ち出した。

残されたのは、膨れ上がった借金だけ。

父はそれを母と私に押しつけ、愛人と一緒に姿を消した。

それから間もなく、借金取りたちが家に押しかけてきた。

怒鳴り声と荒い足音。

逃げ場のない部屋の中で、私と母はただ震えることしかできなかった。

父が見つからないと分かると、彼らは今度は私に目をつけた。

夜の店に売れば、少しは金になる。

そんな言葉を、平気で口にした。

母は泣きながら私をかばい、何度殴られても離れようとしなかった。

それでも男たちは、私を無理やり連れていこうとした。

そのときだった。

偶然通りかかった颯が、私を助けてくれたのは。

あのときも彼は、今と同じように私を腕の中にかばい、震える私の背中をそっと撫でてくれた。

「大丈夫だ。俺がいる。誰にもお前を傷つけさせない」

その言葉を聞いた瞬間、私は救われたのだと思った。

あの優しさに、どうしようもなく心を奪われてしまった。

制服を着て並んでいた私たちは、いつの間にか恋人になり、やがて同じ式場に立った。

私は颯が何もないところから事業を始め、少しずつ形にしていくのを、ずっとそばで見てきた。

一番苦しかったころは、一つのカップ麺を二人で分け合ったこともある。

そのころの颯は、私を抱きしめて言った。

一生愛する。必ず守る。もし裏切るようなことがあれば、地獄に落ちても構わない、と。

あの頃の私はまだ幼くて、愛した人の妻になれたのだと、ただそれだけで幸せだった。

やがて事業は軌道に乗り、颯が外で人と会う機会も増えていった。

母は何度も私に忠告した。

「男はお金を持つと変わるものよ」

それでも私は、本気にしなかった。

たとえ世界中が私を裏切っても、颯だけは違う。

そう信じて疑わなかった。

けれど、その信頼が裏切られるのに、そう時間はかからなかった。

愚かだったのは、私だ。

華やかな場所に身を置くうちに、人は簡単に変わる。

金も、地位も、周囲からの羨望も、少しずつ人の心を狂わせていく。

成功を手にした颯も、結局は例外ではなかった。

一生私を守ると誓った人は、いつの間にか、私ではない誰かへ心を移していた。
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