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第274話

Author: 無敵で一番カッコいい
明日香が教室に着いたとき、いつもと変わらない日常がそこにあった。

ただ一つ違っていたのは、数学オリンピッククラスの彼女の席に、珠子が座っていたこと。

また頭が痛くなる。

あれだけ努力したのに、結局すべては水の泡。何も手元には残らなかった。

6組の授業の進みは早く、教科書の内容はすでにすべて終了し、今は総復習の段階に入っていた。

数日間も学校を休んでいた明日香にとって、取り戻さなければならないことは山ほどあった。

けれど、一番の気がかりは、やはり淳也のことだった。

珠子がクラスに来てから数日が経ち、クラスの進度は想像以上に早い。無駄にできる時間などなかった。

昼休み前、最後の授業が終わると、珠子が明日香に声をかけてきた。

「明日香、一緒にご飯行こうよ!」

明日香はちらりと顔を上げる。

「......もう少しで終わるから、先に行ってて」

珠子は首をかしげ、明日香の手元をのぞき込んだ。

「それって、勉強計画?」

「淳也用。成績がちょっと危ないから、補習すると言った手前、途中で投げ出すわけにはいかないの」

「そうなんだ!じゃあ私は先に行くね。午後また授業あるし!」

珠子が元気に去っていくのを見送ったあと、明日香は再び視線をノートに戻した。

この計画表は、ただの補習ではない。

淳也にも目標を持ってほしい。

今、自分が何をすべきか、どこを目指すのかを知ってほしい、そんな願いを込めていた。

計画をまとめ終えると、明日香は1組へと向かった。

外はどんよりとした曇り空。しとしとと冷たい雨が降り始めていた。

誰もいない1組の教室。

中に入ると、淳也が机に突っ伏して眠っていた。

明日香は静かに近づき、そっと彼の肩を叩いた。

「淳也、図書館行こう」

淳也は顔を上げず、明日香の手を振り払った。

「......うるさいな」

明らかに機嫌が悪かった。

明日香は椅子を引き寄せて隣に座り、彼の額に手を当てた。

「熱は......ないみたいね」

「淳也、最近どうしたの?帝大受けるって言ってたじゃない。このまま怠けてたら、夢のまた夢になるわよ......」

彼女の声が教室に響いた。うるさそうに目を開けた淳也は、頭を片手で支えながら前髪をかき上げ、明日香をじっと見た。

その目は赤く充血していた。

次の瞬間、淳也は立ち上がり、苛立ったように
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