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何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について
何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について
Penulis: あおはな

第01話

Penulis: あおはな
last update Tanggal publikasi: 2026-10-05 03:32:49

 雨の音が、屋敷の古い壁に静かに打ちつけている。

 どこかで壊れかけた|雨樋《あまどい》が水をこぼしているのだろうか、ぽた、ぽたと一定のリズムで水音が響き、ハイデンはその音をただ耳に流していた。

 部屋の中は暗い。

 カーテンは閉じられ、蝋燭はもう数日前に使い切ったまま。

 だが、不便ではない——そもそも誰も訪れないこの部屋で、時間は意味を持たない。

 この世界は物語と言って良いのだろうか――既に決められた運命が待っているという事を考えると、考えるだけで恐ろしい。

 それを知っていたのは、彼が――【カノ アキヤ】だった頃の記憶を持っていたからだ。

 高校生の頃、彼は乙女ゲーム『月下の誓い』をプレイしていた。

 妹に勧められて軽い気持ちで始めた恋愛ゲーム。

 だが物語の後半に登場する【悪役令息】である、【ハイデン・ヴァルメルシュタイン】の壮絶な最期を見て、妙に心に残ったのを覚えている。

 ゲームのラスボスとして、主人公のヒロインと攻略対象たちに断罪され、そして冷たく切り捨てられる悪役の姿。その表情はどこか、哀しげに見えてしまった。

 そして気がついた時には、アキヤはその【悪役令息】として生きていた。

 前世の記憶が戻ったのは十三の頃だった。世界の違和感と攻略対象たちの顔、彼らが次に何をするのかまで、頭に浮かぶようになった。

「……やがて、僕は破滅するんだ……」

 それが【物語】として決まっているなら、抗う理由も、意味もない。

 いつか迎えるその瞬間まで、ただ静かに、誰にも関わらずに過ごせばいいと考えた。それが一番楽だったのかもしれない。

 呼吸は浅く、まぶたの裏には重い灰色がこびりついている。そんな朝に、部屋の外から微かに足音がした。

(……使用人が通るような場所じゃないな、あそこは)

 屋敷の裏庭は、もはや放棄されたようなものだった。人も通らず、草は伸び放題だ。気のせいかと思ったが、また、ぴしりと何かを踏みしめる音がする。

 面倒だなと思いながらも、ハイデンはベッドを抜け出した。長く着替えてもいない薄手のシャツのままで、窓辺へと足を引きずる。

 ゆっくりとカーテンを少しだけ引くと、そこには雨に濡れながら立つ男の姿があった。

 無造作に垂れた銀灰色の髪。分厚い外套。背に剣。粗末な装備ながら、その姿に迷いはなかった。

 明らかに傭兵のような姿だ。それなのに、どうしてこの屋敷の庭に入っているのだろうか?

 男はゆっくりと上を見て、まっすぐにこちらを見上げる。

 その目には驚きもなければ、敵意もなかった。ただ、彼は口を動かして言った。

 ――雨の音が、遠ざかって聞こえた気がした。

「……ここで死んでも、誰にも見つからねぇかと思ってな」

 その声には、投げやりな響きも涙のような哀しみもなかった。ただ事実を述べた、というだけの音のように聞こえた。

 ハイデンはしばらく沈黙し、ゆっくりと目線を下ろした。薄く開けた窓の向こうに何も隠さず、灰色の外套を濡らした男がこちらを見上げている。目は鋭いがどこか空っぽのように、まるで自分を見ているかのように感じてしまった。

「……この家は墓地ではありませんよ」

「墓標も建てなくていい。邪魔はしねぇよ」

 あまりに自然に返ってきた言葉に、ハイデンは眉を寄せることすらしなかった。

 ただ、無関心な口調で言い放つ。

「離れなら空いてます。どうぞ、好きに使ってください」

 男はわずかに目を細めた。

「いいのか?」

「死にたいなら、誰に許可を取る必要もないでしょう……それとも、止めてほしかったんですか?」

 皮肉でも挑発でもない。ただ本当に問いかけているだけだ。

 男は少し黙って頭をかき、雨に濡れた髪が額に張り付いている。

「いや……そう思ったなら、やっぱここで良かったんだろうな」

 その言葉に、ハイデンは小さく笑った。

 乾いた、音のない笑みだった。

「……どうぞ、好きに使ってください」

 それだけを言うと、男は静かに一礼した。

 無駄な礼も言葉もなく、水音を踏んで庭の奥――離れの方へと歩いていった。

(……彼は、【誰】なのだろうか?)

 あのような男、【ゲーム】では見た事がなく、普通に考えればたぶん【モブ】のような存在なのかもしれない。ハイデンはそんな事を考えながら、いつの間にか消えてしまった彼がいた場所を、再度見つめる事しか出来なかった。

 ▼ ▼ ▼

 屋敷の中が、わずかに騒がしい気がした。

 もちろん、実際に大きな音がするわけではない。だが、昨日まではなかったはずの気配が、空気の奥に確かに存在していた。

 窓を閉め切った自室の中で、ハイデンは薄い毛布にくるまりながら、ぼんやりと耳を澄ます。

 ――コツ、コツ、と、廊下を歩く足音。

 誰も通らないはずの西翼の回廊だ。あのあたりはもう何年も手入れされていない道。使用人たちも、今や数えるほどしか残っておらず、彼らも極力ハイデンに関わろうとはしない。それが暗黙の了解であり、静かな均衡だったのだ。

 だがその均衡は、昨日、庭に入り込んできたあの傭兵によって崩れた。

 彼の名も知らないし、職も目的も、なぜここに来たのかさえ聞いていない。

『……ここで死んでも、誰にも見つからねぇかと思ってな』

 あのような申し出に、ハイデンは興味もないまま許可を出した。それは、どうでもよかったからだ。

 どうでもよかったはずだった。

 窓の隙間から、ほんの少しだけ風が流れ込む。その風に乗って、微かに香りが混ざっている。

 肉を焼く匂い、香草、炒めた玉ねぎ――屋敷の厨房ではもう誰も料理をしていないはずなのに。

(……離れで、作ってるのか?)

 傭兵のくせに随分と手の込んだことをしている。そう思った瞬間、ぐう、と腹の底が鈍く鳴った。

 ハイデンは眉間を押さえて、溜息をつく。

「……馬鹿らしい」

 身体が勝手に反応しただけだ。空腹なんて、忘れていたはずだったのに。

 窓際の椅子に座り、足を投げ出す。静寂だったはずの屋敷の中に人の気配が戻ってくるのは、妙に耳障りだった。それは、長い間引きこもっていた心に水滴がひとつ落ちるような感覚。

 ハイデンは、それを無視しようとした。これまで通り何も感じないフリをして心を閉じていればいいのだ。

 だが、それでも――不意に聞こえる物音や、鼻先をかすめる温かな香りは、彼の中の何かをゆっくりと溶かしていくようだった。

(……侵略されはじめているように感じる。なんでだろう)

 人が笑うことも、語ることもない。ただ朽ちていくだけの建物に、あの男だけが、まるで無理やり灯りをつけるかのように歩き回っている。

 そもそも、死ぬためにここを選んだのではないだろうか?

 無言の侵略者に、ハイデンは拳を握りしめる。

 ふと、自分の膝の上に手を落とし、力を抜いた。

「――どうせすぐ飽きる」

 そう言い聞かせるように呟いた声が、部屋の壁に反響して微かに返ってきた。その声が、どこか寂しげに響いたのはきっと雨のせいだと、ハイデンは思うようにした。

 それでも、あの男がもういない庭を想像すると――何故かほんの少しだけ物足りない気がした。

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