LOGINハイデン・ヴァルメルシュタインは、前世の記憶を持つ【転生者】だ。 自分が生まれた世界が、乙女ゲーム『月下の誓い』の舞台であることを知り、やがて「破滅する悪役令息」という運命を受け入れていた。そんな彼の前にある日、ひとりの傭兵が現れる。 彼はそのまま離れに住みついたその男――名も知らぬ傭兵は、毎日無言で食事を置いていく。 ハイデンはその素朴な味に、いつしか心と身体が反応していることに気づく。 互いに死に場所を探していたふたり。 その静かな日常の中で、少しずつ言葉が、温もりが、感情が芽生えていく。 ――これは、「終わり」が定められた者が、 「生きたい」と願ったときに始まる、運命の書き換えの物語。
View More空が暗くなり始めたころに家の主であるハイデンは帰ってきた。 出かける時と同じように、深くフードを被った姿をし、手には本と食材の入った袋。普通に帰ってきたと思ったクリスは玄関に立った彼の【沈黙】に、少し違和感を覚えた。「……遅かったな」 言葉をかけると、ハイデンは短く頷き、袋を台の上に置く。動作に乱れもないが、どこか落ち着きがない。 フードを脱がないまま、視線も合わさずに足元だけを見ている。(……何かあったな) ハイデンの姿を見ながらクリスはそう確信した。 物音を立てぬように足音を殺し、後ろからハイデンの横を通り過ぎる。だが、背後に立った瞬間――ほんの一瞬、彼の肩がぴくりと動いたのを見逃さなかった。「……誰かに、見られてたか?」 問いかけは単刀直入に言ってみたのだがハイデンはすぐには答えない。代わりに、ゆっくりとフードを外し、乾いた声で返した。「……気のせいかもしれない。だけど……」 途中で言葉を切り、彼は窓の外に視線を向けた。 その目の奥にあるのは、ただの不安ではなかった。もっと深く、もっと冷たい――何か【既視感】にも似た怯えのようなもの。(気のせい、じゃねぇな) クリスは、彼の持ち帰った袋を受け取ると、さりげなくカーテンを引く。外に視線を向けるが目立った影はない。 けれど、ハイデンの感じた何かは、確かに屋敷の中まで入り込んでいる。「……本か?」 問いかけると、ハイデンは一瞬、目を伏せた。 袋の中にあった詩集。彼があれほど大事そうにしていたのに今はまだ開いていない。「いいえ……街で、妙な目を感じたので……追ってきているような、そういうのじゃないはずです……けど……」 けど――確かに、始まった気がした。 その言葉を口にする代わりに、ハイデンはただ静かに息を吐き、そして、自分の部屋へと足を向けた。「……すみません、今日の食事用意してくれるのであればありがたいのですが、いらないので……クリスが食べてください」「わかった」「本当にすみません」「……無理はするなよ」「……」 ハイデンは何かを言おうとしていたのだが、口をそのまま塞ぎ、歩き出す。そんなハイデンの背を見送るクリスの視線は鋭さを増していた。 ハイデンの【何か】が変わり始めている。それはクリスにもわかる。(まるで、あいつの中にある過去が……今を蝕んでるみたい
(僕は、何をしているのだろう……?) 薄く光が射し始めた朝――東の空が白み始める頃、ハイデン・ヴァルメルシュタインは食卓の椅子にぼんやりと腰かけていた。 目の前に並んでいるのは、木の皿と湯気の立つスープ。軽く焼き色のついたパンに、素焼きのマグには香り高いハーブ茶。 どこまでも静かで、あたたかく――だが、ほんの少しぎこちない、そんな朝の風景。 奥の台所では、男が無言のまま鍋をかき回していた。 彼の所作はいつも通り、無駄がなく、簡潔だ。だが火加減や食材の様子にまで気を配るその手元には雑さなど微塵もない。 男の名前を聞いた。 男の名は クリス・ラウゼと言うらしい。(あんなに色々と良くしてくれていた?のに名前も聞かないなんて、バカだろう僕……) そんな事を考えながらハイデンはスプーンを手に取り、静かにスープをすくった。一口すすると口の中にやさしい旨味が広がる。「……ちゃんと、火は通ってる」 ぽつりと、呟くように言った。 すると、背を向けていたクリスが、手を止めずに返す。「――文句は食ってから言え」「も、文句を言っているわけではないです……ただ……いえ、なんでもありません」 ぶっきらぼうだが、どこか淡々とした言葉で、思わず反撃したかったのだがハイデンはそれ以上言うのをやめる。同時に、クリスの言葉が何処か心地よいと感じてしまった自分がいる。 気を遣われたわけでも、従われたわけでもない。ただ、そこにいる【人間】として返ってきた当たり前のやり取りだった。「じゃあ、なおさら黙って食え」 クリスの言葉に、ハイデンは少しだけ唇を歪めた。笑ったわけではないが、確かにそれは【反応】でもあった。 ほんの一年前まで、こんな朝など考えたこともなかった。 血筋、魔力、家名、政略――それだけで存在価値を測られ、ただ破滅の【駒】として、生きながらえていた日々。スープの湯気も焼き立てのパンの香りも、そこにはなかった。 静かにマグを手に取り、ハーブ茶を口に含む。少しだけ目を伏せて胸の奥にある微かな感覚に耳を澄ませる。(……この時間が、壊れなければいいなぁ) それは、誰にも聞かせたくないほど小さな願いだった。 食後、ハイデンは無言で外套を手に取り出かける準備を始める。「出かけんのか?」 食器を拭いていたクリスが、横目でそう言った。「ええ、その……読み終わ
白銀の塔がそびえる王都の中心に建てられたその城は、晴天の光さえもどこか冷たく反射させている。磨き抜かれた大理石の廊下を、衛兵たちが規則正しく整列し剣を構える姿にも一切の乱れはない。全てが無駄なく整えられた、王国という名の巨大な機構――その中枢である場所だった。 アゼル・ヴァルメルシュタインは、政務室へと向かっていた。 深紅と黒を基調とした正装を纏い、貴族として完璧な足取りを崩すことなく。その精悍な顔立ちと、どこまでも冷静な灰銀の瞳は歩くだけで空気を引き締める。「――入室を許可する」 扉の前に立つ兵士が告げた。 重厚な扉は、音ひとつ立てずに開く。 政務室には、三人の王族関係者が揃っていた。 中央に座るのは、第一王子・ライナルト殿下。即位こそしていないが、すでに実務のほとんどを担い事実上の【王】としての権限を持つ若き王族だ。 その右に宰相・ミランダ公爵。左には、軍部を統べる老将・バルデン将軍の姿もある。 アゼルはすっとその場に一礼し、静かに言葉を発した。「本日は、お招きいただき光栄に存じます。ヴァルメルシュタイン家当主として、また陛下の忠臣として参上仕りました」 その声音に、嘘ではない。 アゼルは、王家に忠誠を誓っている。ただし――その忠誠に、人間性は不要だ。「……アゼル、早速なのだが【魔術研究報告】の件について再度、君の所見を聞かせてほしい」 ライナルトが、静かに促す。無駄のない言葉と視線に対し、それに応えるようにアゼルは一歩前へ出る。「……魔術兵器としての研究は、ここ十年で大きく進展しました。現在は【生体魔術】に頼る必要はありません。既に過去の段階です」 そこまで述べると、視線がわずかに揺れる。「我が弟――【ハイデン・ヴァルメルシュタイン】。彼の魔力量は、確かに規格外であり過去に類を見ない天賦の才です」 だが、と言葉を区切る。「同時に、制御困難であり世論にとっても不安定な象徴となり得ます」 ミランダ公爵が眉を顰めた。「彼が、王国にとっての脅威になりかねないとそう申すか?」「いえ。あくまでも【可能性】としての提示です。王国の未来において予測されるいかなる局面においても、選択肢を備えておくべきかと」 言葉には、一切の揺らぎがない。計算され尽くした冷静さと、必要最低限の抑揚。アゼルの言葉に対し、バルデン将軍が胡坐をかいたま
朝の王都には、黄金の光が差し込んでおり、まるで輝いているようにも見える。澄んだ冷たい空気が、石畳の街路を滑るようにすり抜けてゆく。 その街の中央――聖セントマリア学園の正門前に、一人の少女が立っていた。 リリア・セントマリアーー新調された制服に身を包み、彼女はゆるやかな笑みを浮かべている。 白と金を基調とした制服には、繊細なレースと刺繍が施されており、それはブロンドがかった明るい髪色や、澄んだ青の瞳と相まって、まるで物語の中から抜け出たような美しさを際立たせていた。 通り過ぎる少女たちの視線が、彼女に吸い寄せられていく。「――あの子が、新入生?」「もしかして噂のお嬢様では?」 ひそやかなざわめきと好奇の視線。けれどそれすらも、リリアにとっては馴染み深い【舞台】にすぎなかった。(……やっと、始まるのね) 胸の内でそっと呟く。 その声は、【リリア】ではなく、【タチバナ カナコ】と言う、嘗ての名を持つ少女のモノだった。 高校二年の冬――それは、本当に何気ない日常の一日だった。 期末試験が終わって、放課後の帰り道にそれは起こった。 その日は風は冷たく、空はどこまでも青かった。制服のコートのポケットには小さく握りしめたチョコレート菓子。明日は、少しだけ好きだったクラスメイトに話しかけてみよう――そう思っていた。 でも、その【明日】は来なかった。 信号が変わったはずだった。ちゃんと左右も確認した。なのに、次の瞬間、世界は一瞬にしてひっくり返っていた。 眩しい光と、鋭い金属音。耳鳴りのような衝撃と、急速に遠のいていく喧騒。 そして、温かさ――皮肉にも最後に感じたのは、流れ出す血の温度だった。 誰かの悲鳴が聞こえた。 駆け寄る足音。呼びかける声。 けれど、すべてが遠かった。 まるで、自分だけがガラスの向こう側に取り残されたような――そんな不思議な静けさに包まれていた。(あ、私……死んだんだ) それはあまりにも呆気なくて、簡単に終わってしまった【世界】だった。 けれど――次に目を開けたとき、彼女はまったく違う景色の中にいた。 ふかふかの天蓋付きのベッドに薔薇を思わせる繊細な意匠のカーテン。暖炉の火がぱちぱちと燃え、どこからか花の香りが漂っている。 見知らぬ天井。けれど、まったく知らないわけではなかった。 自分が見ていた世界は間