ロミオ×ロミオ ~女装して潜入した会社で、親友の御曹司に愛され、二重生活が崩壊しそう~

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last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-19
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Bahasa: Japanese
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大学生の啼石玲は、経営難の父の会社【啼石(なかいし)商事】を守るため、女装姿と母方の姓で、買収を進める厎(いたす)ホールディングスへ潜入する。そこで出会ったのは、密かに想いを寄せる親友で、厎社長の息子・耀司。玲の正体に気づかない耀司は、臨時スタッフ「蓮見玲」を女性だと思い惹かれていくが、彼もまた男性である親友への恋を隠していた。会社では女性の同僚、大学では男性の親友。一人二役で耀司に近づくほど、恋と嘘は深まっていく。買収の裏で謎の思惑も動き始める、女装潜入オフィスBL。 

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Bab 1

#1 第1話 父親からの依頼「玲、パパのために女装して企業スパイしてきてくれ」①

「はぁ?! どういうこと?!」

 父、章(しょう)の言葉に、啼石玲(なかいし・あきら)は思わず腰を浮かせた。夕食を終えたあとのダイニングテーブルには、飲みかけの麦茶と、章が放り出したタブレットが残っている。

「だから、そのぅ……父さんの会社が厎(いたす)ホールディングスに買われそうだから、買われる前に反撃しようって話だよ。向こうは救済のつもりらしいけど」

 玲の向かいに座る父・章は、深刻さの欠片もない調子で肩をすくめた。

「救済なら反撃しなくていいだろ!」

 玲はテーブルに両手をついた。グラスの中で氷が跳ね、乾いた音を立てる。

「そりゃ父さんの会社が潰れたら、社員の人たちも困るだろうし、僕だって無関係じゃないよ。でも、何で僕が厎に潜り込まなくちゃいけないんだよ」

「このまま買収されたら、父さん、厎の社長の部下になっちゃうんだぞ?」

 章は不満そうに唇を尖らせた。玲はしばらくその顔を見つめたあと、椅子へ腰を落とした。

「知らないよ」

「大学の同期に頭を下げて、その下で働けっていうのか?」

 章は胸の前で腕を組み、さも耐えがたい屈辱を語るように顎を上げた。

「会社が助かるなら働けよ。しょうもない男のプライドで息子を巻き込むな」

「しょうもなくない。経営者としての尊厳に関わる」

 即座に返された言葉に、玲は呆れて目を細めた。

「今の話を聞く限り、その尊厳はもう残ってないよ」

 玲が冷たく言い切ると、章は心外そうに眉を寄せた。会社が買われようとしているというのに、問題にしているのが自分の立場ばかりなのだから、同情する気にはなれない。

「厎は買収準備で臨時の事務スタッフを増やしてる。蓮見ビジネスサービスにも依頼が来てるんだ」

 章はタブレットを手元へ引き寄せ、画面を数度操作した。差し出された画面には、厎ホールディングス本社での事務補助業務と、勤務期間や条件が表示されている。

 蓮見ビジネスサービスは、玲の母方の会社である蓮見テキスタイルの系列会社だ。厎グループとは以前から取引があり、ホテルや不動産部門だけでなく、本社の繁忙期にも事務スタッフを派遣している。

「そこから、お前を送り込む」

「だからやんないって。てか、僕、まだ大学生なんだけど。会社勤めなんかしたことないし」

 玲は差し出された画面を押し戻した。章は押し返されたタブレットに一度目を落としただけで、まるで問題にならないという顔をしている。

「書類整理とデータ入力が中心だ。専門知識は要らない」

 章は求人情報を指でなぞった。勤務先の欄には、経営企画部補助チームとある。

「潜り込むって言ったよな。普通に働かせる気じゃないだろ」

「別に機密資料を盗めとは言ってない。社内で誰が啼石の案件を動かしてるのか、どんな話をしてるのか、目と耳を働かせてくればいい。何か交渉に使えそうな材料を見つけたら、父さんに教えてくれ」

「完全に産業スパイじゃねえか」

 玲は肘をつき、額を押さえた。聞けば聞くほど、まともな話から遠ざかっていく。

「人聞きが悪いな。父親の会社を心配する孝行息子だよ」

「そんな孝行する気はない。学生の僕を巻き込まないで、自分の啼石商事の社員を使えばいいじゃん!」

 その瞬間、章の顔から笑みが消えた。タブレットの縁に置かれた指にも、わずかに力が入る。

 けれど、それは玲が理由を問うより早く、いつものふざけた表情に隠された。社員を巻き込みたくないのか、信用できない事情があるのか。章が説明しない以上、玲に分かるはずもなかった。

 ただの面子で動いているわけではないのかもしれない。そう思わせておいて、何も話さず息子だけを使おうとするところが、玲には余計に腹立たしかった。

「啼石商事の社員が厎へ入ったら、誰だって警戒するじゃないか」

「僕だって啼石の息子だろ」

 章の指先が、そのまま玲へ向けられる。口元に浮かんだ笑みを見て、玲は嫌な予感を覚えた。

「戸籍上は違うだろ?」

 玲は言葉を失った。

 中学生の頃、両親は「財産上の都合」という曖昧な理由で離婚した。その直後、玲は裕福な母方の祖父母の養子となり、戸籍上の姓も母方のものである蓮見へ変わっている。

 もっとも、離婚後も生活は大きく変わらなかった。玲は現在も、章と母と三人で同じ家に暮らしている。

 学校で突然名字が変わることを嫌がった玲は、教師や友人には以前と同じ啼石姓で通してきた。正式な書類を提出する場面以外で、母方の姓を使うことはほとんどない。

「本名で働けば、厎の人間がお前を啼石商事の社長の息子だと気づく可能性は低い」

 章は、玲が反論できないのを見て取ったらしい。機嫌よく椅子の背へ体を預けた。

「それでも嫌だよ」

 玲は椅子を引いて立ち上がった。その脚が床を擦る音が、静かなリビングに大きく響く。

「そんな怪しい仕事、自分でやればいい。僕は部屋に戻る」

「あれれー? 行っちゃうのかぁ?」

 玲が父に背を向けたところで、章のわざとらしく甘い声が追ってきた。

「父さん、この話のついでに、お前に見せたいものがあるんだけどなぁ」

 その言い方に、玲は足を止めた。振り返ると、章はテーブルの下へ手を伸ばし、A4サイズの茶封筒を取り出していた。

「僕のもの?」

「たぶんね」

 章は口元に笑みを浮かべ、封筒をテーブルの中央へ滑らせた。

「これ、お前のだろ?」

「何、それ」

 近づくのをためらう玲の前で、章は封筒から数枚の写真を抜き出した。光沢のある紙が扇状に広げられるにつれ、玲の顔から血の気が引いていく。

 栗色のロングウィッグ。丁寧に作った目元。女性もののワンピースやブラウスを着て、カメラへ笑いかける自分。

 どれも玲が一人で楽しみ、誰にも見せずにいた自撮り写真だった。

「いやぁ、父さん驚いたな。息子にこんな趣味があったなんて」

 章は一枚を指でつまみ上げ、照明に透かすように眺めた。

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#1 第1話 父親からの依頼「玲、パパのために女装して企業スパイしてきてくれ」①
「はぁ?! どういうこと?!」 父、章(しょう)の言葉に、啼石玲(なかいし・あきら)は思わず腰を浮かせた。夕食を終えたあとのダイニングテーブルには、飲みかけの麦茶と、章が放り出したタブレットが残っている。「だから、そのぅ……父さんの会社が厎(いたす)ホールディングスに買われそうだから、買われる前に反撃しようって話だよ。向こうは救済のつもりらしいけど」 玲の向かいに座る父・章は、深刻さの欠片もない調子で肩をすくめた。「救済なら反撃しなくていいだろ!」 玲はテーブルに両手をついた。グラスの中で氷が跳ね、乾いた音を立てる。「そりゃ父さんの会社が潰れたら、社員の人たちも困るだろうし、僕だって無関係じゃないよ。でも、何で僕が厎に潜り込まなくちゃいけないんだよ」「このまま買収されたら、父さん、厎の社長の部下になっちゃうんだぞ?」 章は不満そうに唇を尖らせた。玲はしばらくその顔を見つめたあと、椅子へ腰を落とした。「知らないよ」「大学の同期に頭を下げて、その下で働けっていうのか?」 章は胸の前で腕を組み、さも耐えがたい屈辱を語るように顎を上げた。「会社が助かるなら働けよ。しょうもない男のプライドで息子を巻き込むな」「しょうもなくない。経営者としての尊厳に関わる」 即座に返された言葉に、玲は呆れて目を細めた。「今の話を聞く限り、その尊厳はもう残ってないよ」 玲が冷たく言い切ると、章は心外そうに眉を寄せた。会社が買われようとしているというのに、問題にしているのが自分の立場ばかりなのだから、同情する気にはなれない。「厎は買収準備で臨時の事務スタッフを増やしてる。蓮見ビジネスサービスにも依頼が来てるんだ」 章はタブレットを手元へ引き寄せ、画面を数度操作した。差し出された画面には、厎ホールディングス本社での事務補助業務と、勤務期間や条件が表示されている。 蓮見ビジネスサービスは、玲の母方の会社である蓮見テキスタイルの系列会社だ。厎グループとは以前から取引があり、ホテルや不動産部門だけでなく、本社の繁忙期にも事務スタッフを派遣している。「そこから、お前を送り込む」「だからやんないって。てか、僕、まだ大学生なんだけど。会社勤めなんかしたことないし」 玲は差し出された画面を押し戻した。章は押し返されたタブレットに一度目を落としただけで、まるで問題になら
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#2 第1話 父親からの依頼「玲、パパのために女装して企業スパイしてきてくれ」②
「どこで、それ……」 喉が強張り、玲の声は掠れた。「リビングのタブレット。お前、スマホの写真を家族共有のクラウドに同期してただろ?」「してない」 玲は反射的に否定した。章は手にした写真をひらひらと振り、動かぬ証拠だと言わんばかりに見せつける。「したから入ってたんだよ」「勝手に見るなよ!」 玲は写真を奪おうと身を乗り出した。だが章は、待ち構えていたように椅子ごと後ろへ滑り、伸びてきた手をかわす。「最初は母さんにも見せようかと思ったんだけどね。さすがに息子のプライバシーだから、見なかったことにしようと思ったんだ」「じゃあ何で印刷してるんだよ!」 玲が声を荒らげても、章は悪びれるどころか首を傾げた。「個人的に欲しかったから」「最悪だ!」 玲はテーブルの上の写真を両腕でかき集めた。その横で、章は手元に残した一枚を眺め、満足そうに頷いている。「しかし、よくできてるな。メイクも自然だし、父さんの秘書より美人なんじゃないか? 俺と母さんの遺伝子のいいところを全部取ったなぁ」「それも寄越せ」 玲が手を差し出す。章は写真を確かめるふりをして、わざと返そうとしない。「親としては、つい友人や社員に自慢したくなる出来だよ。最近はそういう動画配信者も増えてるし、始めたら大学でも人気になれるんじゃないか?」 章は写真を玲の手が届かない高さまで持ち上げた。「やめろ」「どうして? かわいい息子の写真を見せるだけだよ。写真付きで」 写真を添えて何を言いふらすつもりなのか、わざわざ聞き返す必要はなかった。「やめてくれ。頼むから」 先ほどまでの勢いを失い、玲は章の袖を必死につかんだ。 女装することそのものを恥じているわけではない。服や化粧を選び、普段とは違う自分の姿を作る時間は好きだった。 だが、誰にでも知られて構わない趣味ではない。だから玲は人目を避けて一人で楽しんでいる。 章は青ざめた玲の表情を確かめてから、ようやく写真をテーブルへ戻した。「で、さっきの潜入の話なんだけど」「それとこれを結びつけるなよ!」 玲は取り返した写真を胸へ抱え込み、章から半歩離れた。「厎ホールディングスには、お前の友達もいるだろ。厎耀司(いたす・ようじ)くん」「耀司?」 聞き慣れた名前が出て、玲は顔を上げては青くなった顔をさらに白くした。 玲が他人に女装趣味
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#3 第2話 働くための装い「好きで着るのと、働ける服を選ぶのは別問題だ」①
 ベッドの上に、仕事用として用意したブラウスとスカート、スラックスが並んでいる。 その前で、蓮見玲はしばらく腕を組んでいた。 淡いブルーのブラウスは、どちらにも合わせられる。問題はその下だ。玲は最初に紺色のスカートを手に取り、鏡の前で腰へ当てた。 丈は膝が隠れる程度で、広がりすぎない。形も色も気に入っている。だが、今日これを選ぼうとした理由を考えた途端、玲は眉を寄せた。 仕事に向いていると思ったからではない。女装して潜入するのなら、スカートの方がそれらしく見えると、無意識に考えていただけだった。「女の子に見せるならスカートって、僕まで父さんの考えに引っ張られてどうするんだよ」 呟いて、スカートをベッドへ戻す。 今日は電車で移動し、初めて入る会社の中を歩き回り、おそらく長い時間椅子へ座ることになる。途中で着替えたくなっても、家へ帰るまではこの格好で過ごさなければならない。 玲は黒いスラックスに足を通した。腰回りを整えてから鏡の前へ椅子を運び、座ってみる。立ち上がり、もう一度座る。次に床へ置いたバッグを持ち上げ、少し離れた棚の上へ手を伸ばした。 生地は膝にも腰にも引っかからない。しゃがんでも背中が見える心配はなさそうだった。 靴も、脚を最もきれいに見せる高さではなく、長く歩いても疲れにくい低いものを選んだ。鏡に映したときの華やかさは少し減るが、駅の階段で足を痛めていては話にならない。 化粧も同じだった。 自撮りなら、仕上がった瞬間に一番きれいに見えればいい。だが今日は、電車で汗をかき、冷房の利いた室内で何時間も過ごす。下地とファンデーションは崩れにくさを優先し、昼休みに簡単な手直しだけで済む組み合わせにした。 だからといって、色も形も諦める必要はない。 玲はブラウスの襟元を整え、スラックスの線を指先でなぞった。全体が重く見えないよう、細いベルトと時計は明るめの色を選んでいる。栗色の髪にも、自分の顔立ちにも合っていた。「好きで着るのと、働ける服を選ぶのは別問題だ。でも、働ける服の中から好きなものを選ぶことはできる」 口に出すと、少しだけ気分が上向いた。 父親に命じられた潜入でなければ、もっと素直に楽しめたはずだ。初めての仕事に何を着ていくか考え、必要なものを揃え、鏡の前で確かめる。その作業自体は嫌いではない。 玲はスマートフォンをスラ
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#4 第2話 働くための装い「好きで着るのと、働ける服を選ぶのは別問題だ」②
 ようやく潜入が始まったのだと実感したが、目の前にあるのは通常の事務業務だけだった。 午前中は、入館証の扱いから研修が始まった。立ち入り可能な区画、印刷物の管理、私物端末の使用制限。社内で扱った情報を外へ持ち出さないこと。不要になった印刷物は一般のごみ箱へ捨てず、専用の回収箱へ入れること。他人のアカウントやパスワードを使わないこと。 玲は説明を聞きながら、要点をメモしていった。 続いて社内端末へログインし、補助チームの共有フォルダを確認する。表示されたのは業務マニュアル、会議室の予定、社内書式、作業用として渡された資料の保管場所だけだった。 買収案件や経営判断に関わるフォルダは、存在するかどうかさえ分からない。社員が必要な資料だけを作業用フォルダへ入れ、玲はその範囲内でPDF化や差し替え、版番号の確認を行う仕組みだった。 入室できる会議室や書庫も入館証の権限で制限されていた。誰かの後について勝手に入ることも、当然認められていない。 説明の最後に、水野は研修用と印字された書類の束を玲の机へ置いた。「実際の資料と同じ形式で作ってあります。まず、この一覧に従って並べ替えてから、PDFにしてください。読み取った後は、ページ数と向きが原稿と合っているか確認します」 玲は一覧の番号と各書類の右下を照らし合わせ、順に並べていった。よく似た表紙が続く中、一部だけ一覧と版番号が違っている。「水野さん、これは一覧では第二版になっていますが、原稿は第三版です。どちらに合わせればいいですか」「そこは、わざと変えてあります」 水野は頷き、二つの番号を指で示した。「違いを見つけても、自分の判断で一覧や原稿を書き換えないでください。作業を止めて、指示を出した人に確認します。正しい資料がどちらなのかは、作った部署にしか分かりませんから」「分かりました」 玲は相違点をメモへ残し、第三版の原稿を脇へよけた。研修用の書類でさえ、内容を読むより先に、扱ってよいものと現在の版を確かめなければならない。章が期待しているような情報が偶然目に入ったとしても、それが正式な資料なのか、古い案なのか、玲一人では判断できないのだ。 章から命じられたのは、社内で誰が啼石商事の案件を動かし、どんな話をしているのか見てくることだった。 だが、普通に働いている限り、買収の中心へ近づけるようにはな
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#5 第3話 知らないふり「お前、僕以外にはそんな優しい顔をするんだな」①
 耀司はスーツを着ていた。大学で会うときのようなラフなシャツ姿ではない。手元の資料を閉じ、隣を歩く社員との話を切り上げる姿にも、普段とは違う緊張感があった。 玲が声をかければ、いつもの耀司に戻るような気がした。だが今は、その名前を呼ぶことも、知っているそぶりを見せることもできない。ほんの数歩の距離が、大学で隣に座っているときよりもひどく遠く感じられた。「厎さん、お疲れさまです」 水野が先に挨拶をすると、耀司も足を止めた。「お疲れさまです」 同僚たちは軽く会釈をして先へ進み、耀司だけがその場に残った。その視線が水野の隣にいる玲へ移る。「今日から補助チームに来ていただいている、派遣スタッフの蓮見さんです」 玲は反射的に背筋を伸ばした。「蓮見です。よろしくお願いいたします」「経営企画部で長期インターンをしている厎です。よろしくお願いします」「よろしくお願いします」 大学では互いに下の名前で呼び合っている。耀司が他人行儀に厎と名乗るのを聞くのは、初めてだった。 気づかれていない。その事実に安堵したはずなのに、胸の奥には小さな寂しさが残った。 玲自身も蓮見と名乗ったのだから、耀司だけが距離を作ったわけではない。それでも、自分から嘘をついた直後に初対面の相手として応じられると、二人の間に見えない線を引かれたようだった。 耀司はすぐに立ち去らず、玲の顔を見ていた。視線が栗色の髪から目元へ下り、口元で止まる。玲が入館証の端へ触れると、その指先にも一瞬目を向けた。 大学で何度も顔を合わせてきた相手だ。髪と化粧で印象を変えても、目や口の形まで別人にはならない。考えごとをすると手近なものへ触れる癖も、耀司なら見覚えがあるかもしれなかった。 玲は指を下ろし、初対面の相手を見るような顔を作った。 耀司の眉がわずかに寄る。しかし、首から下げた入館証には蓮見玲とある。目の前にいる玲は女性にしか見えない。これだけ条件が違えば、大学の親友である啼石玲と結びつけることは難しいはずだ。「失礼ですが、以前どこかでお会いしたことはありませんか」 予想していなかった問いに、玲の肩に力が入った。 ここで驚きすぎれば、かえって耀司の疑いを強める。いつもの自分なら「いきなり何だよ」と聞き返すところだが、それもできない。玲は表情を崩さないよう、ゆっくり首を横へ振った。「いえ
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#6 第3話 知らないふり「お前、僕以外にはそんな優しい顔をするんだな」②
 自席へ戻ると、河合が玲と水野を呼び止めた。「研修、お疲れさまでした。蓮見さんには今後、会議資料のPDF化やファイル名の整理、会議室の準備などをお願いします。作業ごとに担当者から指示がありますので、最初は水野さんと一緒に進めてください」「承知しました」「買収準備で会議と資料が増えているため、三か月間、補助スタッフを増員しています。作業に関しても、急な変更をお願いする場合もありますが、判断に迷ったときは必ず確認してください」「はい」 買収という言葉に反応しそうになったが、玲は表情を変えずに返事をした。 河合が席へ戻ると、水野は社内向けの作業手順書を玲の机へ置いた。研修用ではなく、実際に補助チームで使われているものだった。「先ほど練習した手順で、こちらをPDFにしてください。ファイル名は一覧の表記に合わせて、作業用フォルダへ保存してください」「分かりました」 玲は原稿のページ数と版番号を確かめ、スキャナーに置いた。パソコンの操作には慣れている。保存場所と名前の付け方さえ分かれば、作業そのものは難しくなかった。 ただし、ファイル名は一文字違うだけでも検索に影響し、古い版を残す場所も決められている。ひと目には同じに見える資料でも、数字や記号にはそれぞれ意味がある。玲は一覧を見ながら名前を入力し、確定する前に原稿の表紙と見比べた。 読み取りを終え、画面上のページを原稿と照合していると、別の社員が水野の席へ来た。「水野さん、啼石商事の件ですが、午後の会議室が第三会議室から第五会議室へ変わりました。予定表は更新済みです」「ありがとうございます。こちらでも予約状況と配布先を確認します」 啼石商事という会社名を聞き、玲の指が止まった。すぐに画面へ戻したものの、1ページ分の確認を飛ばしかけ、そのページを最初から見直した。 父親の会社について、厎の社内では会議室の変更がごく日常的な業務として伝達されている。家で章の話を聞いていたときよりも、買収が実際に動いていることを強く感じた。 水野が予約状況を確認しているところへ、資料を抱えた耀司がやって来た。「水野さん、午後の会議で使う資料です。予定表に記載された出席人数分をお願いします」「承知しました。変更後の会議室へ用意しておきます」 耀司から渡された資料の表紙には、「啼石商事買収検討」と記されていた。
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#7 第4話 はじめての昼休み「女同士なら、全員おしゃれの好みが同じだと思ってる?」②
 玲が厎ホールディングスで働き始めて、三日目の朝だった。 初日の研修で教わった入館手続きや共有フォルダの扱いを思い返しながら、玲は水野の隣で印刷機の画面を確認していた。朝から会議資料の印刷や会議室の変更、配布物の準備が重なっている。どれも目立たないが、締め切りのある仕事だった。「まずは一部だけ印刷して、ページの順番と両面印刷の向きを確認してください。問題がなければ残りをお願いします」「確認用の一部を出してから、残りを印刷するんですね」「はい。似た名前の古いファイルも残っているので、版番号も見てください」「分かりました」 玲は番号と更新日時を確かめて部数を入力し、印刷された一部を表紙から最後までめくった。順番と両面印刷の向きに問題がないことを確認して残りを印刷し、その間にコピー用紙やクリアファイルを補充する。 次に届いた会議室変更の通知を、日時と利用部署と照らし合わせて予定表へ反映する。変更案内も必要か、水野へ確認した。「この会議は出席者が多いので、部屋の変更だけでなく案内も更新した方がいいですか」「そうですね。案内文にも部屋番号が入っていますから、そちらも直しておいてください」「はい」 一つひとつは単純に見えるが、資料の取り違えや予定表の更新漏れは複数の部署へ影響する。玲は確認箇所を覚え、表記や数字の違いにも気づくため、水野から任される範囲を広げていった。「蓮見さん、こちらの会議も部屋が変更になりました。予定表を直してもらえますか」「日時と利用部署を確認してから更新します」「お願いします。終わったら、印刷した資料を会議ごとに分けてください」「はい」 玲は予定表を開いた。仕事を覚える一方で、女性の姿で働くために選んだ服や靴についても、実際に着なければ分からないことが見えてくる。 初日は何も分からず選んだ服で苦労したが、三日目ともなると色々と分かってきた。 独りで女装を楽しんでいた時の服選びは、自分が着て気分が上がるかが主な視点だったが、そこに生活が伴うと話が変わってくるのは肌身で感じた。(自撮り用の化粧の仕方じゃ、昼まで持たない……男ってバレる前に化粧を直したいけど、思ったより仕事が忙しくてトイレに行く暇すらない) 化粧が剥げたせいで男バレしてミッション失敗なんてことになったら、目も当てられない。 脳内で父親・章の白けた眼差
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-08-19
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#8 第4話 はじめての昼休み「女同士なら、全員おしゃれの好みが同じだと思ってる?」②
 玲の向かいに座っていた小宮が、そのふとした表情変化を見逃さなかった。「ねえ、蓮見さん。もしかして、大学に好きな人でもいる?」「きゅ、急にそんなこと聞いて、どうしたんですか!?」 玲は危うく箸を落としそうになった。「化粧の話をしていたら、急に上の空になったから」「そんなことないですよ。み、皆さんのお話を参考に、次に買うものを考えていただけですっ」 否定が少し必死すぎたかもしれない。頬が熱くなり、玲は弁当へ視線を落とした。 三人は微笑ましそうな顔をしたが、まだ付き合いの浅い玲に対し、それ以上深く追及しなかった。「誰かに気づいてほしいかどうかは別として、まずは自分で気分が上がるのが大事ですよね」 河合がそう言うと、小宮が頷いた。「でも、彼氏にはそういう違いに気づいてもらえたら嬉しいですけどね。好物とか作ってあげたくなっちゃう」「へえ、なんか……いいですね。私はまだ彼氏とかいないので、そういうやり取りは憧れちゃいます」「蓮見さんも、そのうちですよ」 水野が玲をどこか励ますように言った。「そう、だといいですね」 それに玲は曖昧に笑った。 水野が社長の息子である耀司との恋愛を想像していることを察していたが、すでに耀司を思い浮かべているとは言えなかった。彼女は午前中に耀司が玲に目を留めていたことで、今後二人の間に何か起きるのではないかと密かに期待してしまっているらしい。 そんなことをしている内に昼休みの終わりが近づき、四人は化粧室へ向かった。「さて、早速実践と行きますか。今日は私たちのを貸してあげるわ」 そう言って、小宮と水野は全員のメイクポーチをかき集め、玲のメイクを整え始めた。 何の了承もなく始まってしまったが、彼女たちのちょっと強引なノリが妙に心地良いと玲は思った。 その隣で河合は顔の状態を確認するだけで済ませ、玲のメイクをし終えた水野は口元を、小宮は頬と目元を軽く整えた。 玲は午前中より素晴らしくなってしまった自分の顔面を見ながら、横目で化粧室で始業までの時間を思い思いに過ごす三人を見た。 これまで玲にとって化粧は、男性であることを隠し、女性の姿を完成させるためのものだった。 しかし今は女性社員たちと当たり前に肩を並べて、自然な流れで化粧を直している。 先輩たちはさすがだ。手入れされた玲の化粧は、元のメイクを特に大きく
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#9 第5話 一日に二つの顔「会社で会ったばかりの相手と、大学で昼飯を食うなんて」①
「蓮見さん、先ほどの会議資料をお願いします」 終業まで一時間を切った頃、経営企画部へ来た耀司が、玲の前で足を止めた。「はい。こちらでよろしいでしょうか」「ありがとうございます。確認します」 玲が差し出した一式を、耀司は確認表と照らし合わせた。表紙の案件名、版番号、配布先、部数を上から順に確かめていく。用件の相手は水野だったが、実際に資料をそろえた玲へも、仕事相手に向ける丁寧な口調を崩さない。「問題ありません。水野さん、こちらは受け取ります」「お願いします」 耀司は玲へも一礼し、資料を抱えて経営企画部を出ていった。数日前、玲の化粧を見て「午前中より可愛く見えますね」と口にしたのが嘘だったかのように、それ以後は必要な言葉しか交わさなかった。 大学では玲と呼ぶ声が、会社では蓮見さんに変わる。同じ相手から初対面に近い距離で呼ばれるたび、玲は自分が別人になったことを思い知らされた。耀司に気づかれないためには望んだとおりの状況なのに、親友として積み重ねてきた時間まで消えたようで、素直に喜ぶことはできない。 あの日以降も、耀司は午前か午後に何度か補助チームへ来ていた。大学で見慣れたラフな服ではなく、社員と同じように整えたシャツとジャケットを着て、確認表や会議資料を手にしている。玲が出勤する曜日と時間帯によっては廊下ですれ違うこともあれば、一度も顔を見ないまま退勤することもあった。 顔を合わせても、耀司が用件を伝えるのは水野や河合で、玲とは必要な挨拶を交わす程度だ。二人がまともに話さないのは、周囲から見れば長期インターンと派遣スタッフの自然な距離にすぎない。玲も蓮見玲としてその距離を守り、耀司が何事もなかったように仕事へ戻るたび、数日前の言葉を思い返さないようにしていた。 それでも、資料を受け取る直前、耀司は玲の顔から指先へ視線を移していた。考えながら紙の端を押さえる癖に、まだ何か引っかかっているのかもしれない。 玲はほっとするべきだった。会社でまでいつものように名前を呼ばれたり、遠慮なく昼食へ手を伸ばされたりしたら、平静を保てる自信はない。だが、大学ではいつも隣にいる親友が、同じ建物の中では手の届かない別人になる。その距離にも、まだ慣れなかった。 会議資料の確認や関係部署との連絡、社員から頼まれた数字の照合。その合間に大学の講義へ出ている耀司を見て、予
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#10 第5話 一日に二つの顔「会社で会ったばかりの相手と、大学で昼飯を食うなんて」②
 玲がパンを食べ終える頃、耀司はノートから目を上げた。「それで、何してたんだ」「何が」 唐突な質問に玲は耀司の目を見つめ返した。「来るのが遅かった理由」「ちょっと用事があったんだよ」 耀司の質問から逃れるように、無意味に教科書に挟んでいたシラバス(講義概要)に視線を落とした。「昼飯を抜くような用事か」「食べる時間を逃しただけ。大したことじゃない」 厎で仕事をしていたことも、駅で着替えていたことも話せない。詳しく答えれば、別の嘘を重ねることになる。 のらりくらりと質問をかわす玲の返答に、耀司は納得していない顔をしたが、教員が講義を始めたため、それ以上は聞かなかった。 前方のスクリーンに資料が映り、玲は急いでノートを取り始めた。 仕事から移動してきた疲れはあったが、講義の内容まで落とすわけにはいかない。女性姿の自分を保つことと、大学の成績は別問題だ。両方を崩せば、単に一日を無駄にした人間になる。 途中、耀司が玲のノートへ視線を移し、こちらへ顔を寄せてきた。「近い」「ここ、何て書いた」「自分のノートを見ろよ」「聞き逃した」「人のノートを当てにするな」 文句を言いながらも、玲はノートを二人の間へ少し寄せた。耀司の肩が、玲の肩へわずかに触れる。 親友同士なら不自然ではない距離だ。実際、今までも同じことを何度もしてきた。 けれど大学では知らなかった、耀司の仕事中の顔を見たあとでは、その気安ささえ以前と同じには思えない。離れてほしいわけではない。むしろ、この距離を喜んでいることを悟られたくなくて、玲は正面のスクリーンだけを見た。 互いに女性へ惹かれることがあると知っているからこそ、玲は男同士の自分たちが抱く感情を、恋愛として考えないようにしてきた。親友として許される距離から踏み出せば、耀司の隣そのものを失うかもしれない。 講義が始まって四十分ほどで、教員が十分間の休憩を告げた。席を立つ学生や話し始める学生が増え、教室内の張り詰めた空気が一気に緩む。 耀司は水筒の蓋を開けながら、ふと思い出したように言った。「そういえば今日、バ先で妙にお前に似た人に会った」 突然、女性姿の自分の話を出され、玲の手が一瞬止まった。「僕に? てかバイトの話してくんの珍しいじゃん」(こいつが時々言うバイトって、あのインターンのことだったんだよな。秘
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