バルコニーに出ると、満天の星空が広がっている。
夜風が涼しく肌をくすぐって気持ちが良い。「そなた、僕の唇ばかり見ていたようだが、もしかして繰り返す過去の記憶が残っているのではないか?」
隣で私を覗き込むように見つめて来たレイフォード王子の言葉を一瞬理解できなかった。
「あ、あの殿下も、繰り返している時を過ごしているのでしょうか?」
「過ごしているよ。クリフトに殺されない未来を求めるように何度も! これはきっと神が僕に与えてくれたチャンスなんだ。やはり、そなたも僕と同じなのだなルミエラ」
美しい彼を前にすると、多くの女の子と同じようにときめいた。
それでも、彼に突然呼び捨てにされると嫌悪感を感じる。彼がどうしてクリフトの元を訪れていたかは納得がいった。
私が初めに思いついたように、クリフトと仲良くすれば殺されずに済むと考えたのだろう。最も、そのような浅はかな考えはクリフトには見抜かれている気がする。
「私は貴方様の叔父であるスタンリー・モリレードの妻です。そのように呼び捨てにするのはお止めください」 「意外としっかりしてるのだな。確認させてくれ、そなたも何度もクリフトに殺されているのか?」私は彼の質問に静かに頷いた。
しかしながら、彼と私の回帰している回数は異なるだろう。
私は記憶にある限り2度時を戻った。 たった、2度を何度もとは言わない。意外としっかりしていると言われてしまったのは、私を歳の離れた男に財産目当てで嫁ぐ軽い女だと思っているからだろう。
「やはり、神は僕にこの世界を正しい方向に導くように助けを求めているのだ」
楽しそうに月夜を眺めるレイフォード王子は幼く見えた。
その姿がなんだか可愛く見える。何度も殺されるような時を過ごしているのに、彼は明るい。
私は2度の殺された記憶があるだけで、クリフトを見るだけで体が震えだす。彼は小説『アクアマリンの瞳』を読んでなさそうだ。
この世界を繰り返しただけの男で、自分を世界の中心と思っている。
小説を読んだ私は世界の中心はクリフトだと思い込んできたけれど、そのような考えを笑い飛ばすような明るさに救われた。
「ルミエラ、そなたは笑顔が可愛いな」
突然、顔を近づけられて彼の唇を迎えるように目を瞑ってしまった。
唇に生温かい感触がして、私は自分がしてはいけない事をしたと悟った。
「殿下、ご挨拶の時間ですよ。早く行かないと」
耳に届いた高い声に心臓が止まりそうになり、思わず目の前にいたレイフォード王子を押し返した。
敵意剥き出しのタチアナ嬢がそこにいた。
「ルミエラ公爵夫人、私は貴方と仲良くなりたいと思っています。共にレイダード王国を引っ張っていく女性として⋯⋯モリレード公爵家の協力は殿下の政権になくてはならないものですから。近々、お茶会の招待状を送らせてください」
攻撃的な燃え上がるような彼女の赤い瞳に釘付けになる。しかし、それは私に罪悪感があるからかもしれない。
タチアナ嬢と舞踏会会場に消えていくレイフォード王子を眺めながら、私は今の状況を整理していた。 レイフォード王子もクリフトに殺害され時を何度も繰り返している。 私にとって死の記憶は2度だけで精神的に限界だった。 彼は非常にメンタルが強い方のようだ。何度も繰り返してもクリフトに勝てないのに、自分を世界の中心だと疑わない彼を可愛いと思った。
「ルミエラ、いつまでもそのような所にいて⋯⋯寒くないのか?」
低くよく通るスタンリーの声がしたかと思うと、私は彼の上着を被せられていた。夫である彼の温もりを懐かしいと感じた自分に苦笑いが漏れる。
いつから、彼はここにいたのか分からない。もしかしたら、私とレイフォード王子がキスしていたのを見ていたかもしれない。言いようもない罪悪感に苛まれ言葉を失う。
(どうして? 妻の誕生日の前日の晩に浮気をしていたような最低の男じゃない。それに⋯⋯)
驚く程に多くの彼を非難する言葉が頭に浮かんだのに、私は彼を非難できなかった。「寒いです。貴方が私を抱いてくれないから⋯⋯」
私の言葉に困惑するようなスタンリーを見て心が落ち着く。
感情を見せないように訓練している彼が表情管理をできていないからだ。 「俺も酷いが、君も大概だな⋯⋯」私は目の前にいるスタンリーに自分から口づけをした。たとえ誰に目撃されても後ろめたいことはない。私たちは夫婦だからだ。
私は自分がレイフォード王子とキスしたという罪悪感を消し去りたかった。他人が私たちを見る目がどうであれ、目の前のスタンリーの気持ちが気になった。
「私、自分がスタンリー程は酷いとは思わないけど?」
「俺は最低だが、君もかなり酷い。レイフォード王子殿下が気になるのか?」今、絶対に聞かれたくない質問だった。
確かに私はレイフォード王子が気になる。
しかし、それは繰り返す時の中で彼と恋人のように口付けを交わしたからな気がする。 どのような女性でも、彼のような美しく地位もある男とキスをすれば夢を見るはずだ。「気になると言えばそうね。これは恋なの?」
「そうかもしれないな。俺は君にしか恋をしたことはないけれど、道徳的に間違っていると理性では分かっていてもしてしまうのが恋だ」私に手を優雅に差し出しているスタンリーの動揺に気がついてしまう自分が苦しい。
見ていられないくらいに彼の手は小刻みに震えていた。今まで彼のことなど見ていなかった。
でも、しっかり彼を見つめると、彼が今でも私を想っている事は明白だ。
「最低な感情ね。知りたくはなかったわ」
私の言葉に微笑みながら頷くスタンリーの葛藤を感じて、私は息ができないような感覚に陥った。
きっと、彼も私に恋をしてくれた。
その贖えない気持ちを最低だと罵ったのは私だ。
馬車に乗せられ、家路を急ぐ。「スタンリー、帰ってきてしまって良かったの?」 彼は貴族たちに囲まれていたから、仕事の話になって執務室に何かをとりに来たような気がする。 それなのに会場にも戻らず、勝手に帰ってしまって良かったとは思えない。 スタンリーは私の方を見ようともせず、ずっと真っ暗な窓の外を見ている。「⋯⋯別に、問題はない。ルミエラはまだ帰りたくなかったのか? その⋯⋯体調が悪いと聞いたが⋯⋯」「懐妊の話ね。それは、誤報だから⋯⋯私は、子供は欲しくないの」「君が、そう思うのは当然だ。あのような過ちを犯した俺との子供なんて穢らわしくて欲しくないのだろう⋯⋯」 彼は一体何を言っているのだろう。 3ヶ月以上、仲睦まじく毎晩のように抱き合ってきた。 (穢らわしいなんて思ってる訳ないじゃない、むしろ⋯⋯) 私が子供が欲しくないのは、子供を持つことの大きな責任を知っているからだ。 健太が生まれた時、私は輝かしい未来しか想像していなかった。 結婚して、子供が産まれて、子供が反抗期になったら喧嘩するかもしれないけれど、大人になったら一緒にお酒を飲んだりして、孫が産まれて⋯⋯。 そのような思い描いた将来は、健太が1歳になる前に消滅した。 そして、私は今でも自分が死んだ後、彼が無事に生活しているか考えるだけで気が狂いそうになる。 子を持つ事による発生する責任を私は恐れている。 「私は子供を持つのが怖いだけ⋯⋯スタンリーは関係ないわ」「君はクラフトの事を怖がっていたからな。確かに子供は思うようにはならん。別に逃げて良いのだぞ。君はクリフトの親ではないのだから」 私はスタンリーの言葉に流石に頭がきた。「クリフトは私の子よ! それに、私がスタンリーを好きだから一緒にいたいって分からない? あなたのその目は節穴なの?」「えっ? 君が俺のことが好き?」「そうよ、ムカつくから、絶対言いたくなかったけどね!」 私は振り向いたスタンリーの髪を引
目が覚めて、隣で寝ているスタンリーを見てホッとする。 そして、彼をしっかり見つめてみると、いかに彼が私を見てくれていたのか分かる。 本当に私を好きで結婚を申し込んで来た事も理解できた。 クリフトに殺される運命を回避する為には彼と協力した方が良い。 しかしながら、この世界が小説『アクアマリンの瞳』の中で16歳のクリフトが私たちを惨殺するという話は絶対にできない。 私の頭がおかしくなったと思われるからだ。 ミランダ夫人は自殺する前、異常なまでの被害妄想やおかしな言動が増えていた。 それを目の当たりにしてきたスタンリーは、私がおかしな言動をすれば必ず彼女を思い出すだろう。 (病気扱いされて、避けられるだけね⋯⋯) 彼はとても冷たい人だ。 政略的で愛のない結婚だったとしても、ストレスでおかしくなった妻を救おうともしなかった。 浮気をした上にとんでもない言い訳をしてきた彼は最低だが、そのような彼に歩み寄ろうとしている自分の行動が自分でも理解できない。 期待してはいけないと思いながら、スタンリーなら何とかしてくれるのではと考えてしまう。 私は彼を起こさないようにメイドも呼ばず着替えて部屋を出た。「母上、おはようございます。今日からアカデミーですよね」 部屋の前にいたクリフトに動揺する。(普通に話しかけてきた⋯⋯どういうこと?) 突如、不安が押し寄せてきて今の状況を誰かに相談したくなる。(そうだ、レイフォード王子殿下に相談を⋯⋯)「母上、朝食はまだ食べていませんよね」「ええ、クリフトは?」「僕はもう食べました」「そう、ならば少し早いけれどアカデミーに向かいましょうか」 今、クリフトが何を考えているかを考えるだけで冷や汗が出てくる。 食事なんて到底喉を通りそうもない。 アカデミーでは寮生活になる。 荷物はすでに送ってあるので、身軽に登校できる。 長期休暇まではしばらく会えなくな
モリレード公爵邸に帰るなり、私はスタンリーにお礼を言った。「今日はありがとう。それから、邸宅の管理⋯⋯本当は私の仕事よね。これから学ばせて」 先日、離婚したいと申し出たのに、自分でも何を言っているのか分からない。 ただ、4年間私がいかに何もしなくて、スタンリーがそれを何も咎めずにいた事がむず痒いだけだ。 私は今でも彼の事を浮気をした最低男だと軽蔑している。「君が公爵邸の財産管理をしたいと言ってくれたという事は、離婚する気は無くなったのかな?」「いえ、ただ私は今ここにいるのなら、自分のするべき事をしなければならないと思い直しただけよ」「知ってるよ。君は自分の仕事に懸命な人だから⋯⋯」 私の頭を撫でながら言ってくるスタンリーの言葉は皮肉として発しているものではない。 しかし、4年間するべきことをせず、自分の権利だけを行使してきた私をナイフのように突き刺す言葉だ。「レイフォード王子殿下の事が本当に好きなのだな⋯⋯」「また、何を言っているの? 好きになっても意味のない方だし、ときめいても一瞬。私はあなたの妻なのよ」「そうだな、君は確かに俺の妻だ⋯⋯」 以前レイフォード王子に恋しているかという質問に、イエスと答えた事を後悔した。 スタンリーが明らかに気にしている。 彼は本当によく私を見ている。 私が今まで彼を全く見ていなかった罪悪感をひしひしと感じる程だ。 確かに私はレイフォード王子を見る度にときめいてしまっている。 それを恋と言われればその通りだ。 でも、彼とした恋人のような芝居のせいによるものが大きい。 あのような可笑しな演技をしなければ、持つべきではない感情を抱かずに済んだ。 私は彼を自分と同じように間違った道を1度は歩み、なんとかしようとしている同志だと感じている。 きっと、次に会う時は同志としてクリフトに殺される運命を避ける作戦を知恵をだしあって立てるだろう。 もう、間違っても彼とキスなどしない。
「本日はお招き頂きありがとうございます」 私は自分が場違いな淡いクリーム色のワンピースを着てきた羞恥に震えていた。「あら、モリレード公爵家は意外と質素倹約を重んじるのですね」 タチアナ嬢は攻撃的な目で見つめきた。 気の置けない仲間内の会だから、着飾らないようなフランクな格好で来て欲しいと言った彼女の便りは罠だった。 彼女が私を嫌っていそうな事は分かっていた。 近頃考えることが多すぎて、彼女の悪意に気づけなかった。 でも、それは言い訳だと私自身が気がついている。 ただ与えられた仕事をこなしていれば良いだけのメイドであった時とは違う世界がそこにはあった。 色とりどりの花に囲まれたガーデンテーブルには8人程の令嬢たちが座っている。 きっとタチアナ令嬢の取り巻きたちだろう。 そして彼女たちの名前が誰1人分からないのは私の怠慢だ。 私は公爵夫人になってからの4年間、お茶会の招待に応じた事はなかった。貴族の付き合いとか理解できなかったし、最低限のことをこなしていれば良いと思っていた。 皆、煌びやかなドレスを着込んでいる。しつこいくらいに高価なジュエリーを身につけている事で実家の富を競っているようだ。 彼女たちはジュエリー1つ身につけていない私を、扇子で口元で隠すように意地悪に笑っている。「モリレード公爵家は夫人の散財で実は財政難で苦しんでいるという噂は本当でしょうか? 悩み事があったら、いつでも相談してくださいね。ルミエラ様では解決できない事柄もあるでしょうし⋯⋯」 緑色の髪をした見知らぬ貴族令嬢が、私の事を心から思っているように手を握りしめて訴えてくる。 一撃で私の生まれを非難するような言葉に心臓が止まるような気持ちになった。 どんなに着飾っても私はメイド出身の平民だ。 彼女たちの仲間になれるような日は来ないだろう。 いつも私を引き立てるように努める貴族令嬢たちが周りに存在したのは、全てモリレード公爵家の力だった。 ここはタチアナ嬢の陣地と
バルコニーに出ると、満天の星空が広がっている。 夜風が涼しく肌をくすぐって気持ちが良い。「そなた、僕の唇ばかり見ていたようだが、もしかして繰り返す過去の記憶が残っているのではないか?」 隣で私を覗き込むように見つめて来たレイフォード王子の言葉を一瞬理解できなかった。「あ、あの殿下も、繰り返している時を過ごしているのでしょうか?」「過ごしているよ。クリフトに殺されない未来を求めるように何度も! これはきっと神が僕に与えてくれたチャンスなんだ。やはり、そなたも僕と同じなのだなルミエラ」 美しい彼を前にすると、多くの女の子と同じようにときめいた。 それでも、彼に突然呼び捨てにされると嫌悪感を感じる。 彼がどうしてクリフトの元を訪れていたかは納得がいった。 私が初めに思いついたように、クリフトと仲良くすれば殺されずに済むと考えたのだろう。 最も、そのような浅はかな考えはクリフトには見抜かれている気がする。 「私は貴方様の叔父であるスタンリー・モリレードの妻です。そのように呼び捨てにするのはお止めください」「意外としっかりしてるのだな。確認させてくれ、そなたも何度もクリフトに殺されているのか?」 私は彼の質問に静かに頷いた。 しかしながら、彼と私の回帰している回数は異なるだろう。 私は記憶にある限り2度時を戻った。 たった、2度を何度もとは言わない。 意外としっかりしていると言われてしまったのは、私を歳の離れた男に財産目当てで嫁ぐ軽い女だと思っているからだろう。「やはり、神は僕にこの世界を正しい方向に導くように助けを求めているのだ」 楽しそうに月夜を眺めるレイフォード王子は幼く見えた。 その姿がなんだか可愛く見える。 何度も殺されるような時を過ごしているのに、彼は明るい。 私は2度の殺された記憶があるだけで、クリフトを見るだけで体が震えだす。 彼は小説『アクアマリンの瞳』を読んでなさそうだ。 この世界を繰り返した
「クリフト、まずは今までの私のあなたへの暴言の数々を謝らせて⋯⋯」 私はクリフトを部屋に招くなり、謝罪をした。 メイドで彼に仕える身だった時にあったはずの思いやりは、公爵夫人になるなり消滅した。 彼を邪険に扱うメイドたちの行動に目を瞑り、自分の鬱憤を晴らすように彼女たちの行動を扇動するようになった。 思い返しても自分の行動は最低過ぎて、許されるものではない。「⋯⋯」 クリフトはまた何も言ってくれなくなった。「今晩、私の20歳の誕生日祝いの舞踏会があるのよ。出席してくれるわよね」「⋯⋯」 クリフトは無表情で私を見つめていた。「気が向いたらで良いから⋯⋯」 先程、言葉を発してくれたからと言って、急に距離を詰めようとし過ぎたかもしれない。 クリフトには家庭教師をつけているからダンスは踊れるはずだ。 でも、私は舞踏会に出席した事のない彼に対して無理な要求をした。 そももそ彼が舞踏会に出席した事がないのは全て彼を隠そうとした私やスタンリーのせいだ。 それから、昼過ぎまで私は全く言葉を発さないクリフトに話しかけ続けた。 側から見ればひとりごとを言い続けているような不気味な光景だろう。 それでも私と彼の間には会話が成り立っていた。 彼の微妙な表情の変化を読み取り、私は対話を続けた。 ノックと共に、エリカが入ってくる。「奥様、舞踏会の準備をそろそろ始めませんと」「ああ、そうだったわね。クリフト、ではまたね」 私の言葉にクリフトが自分の部屋に戻っていく。 名残惜しいような気持ちになった。 なぜこのような対話の時間を今まで取らなかったのかを後悔した。♢♢♢ 事前に準備してあったグリーンのドレスを見て、心が落ち込んだ。 オーダーメイドでこだわりまくり、これでもかというくらいエメラルドやサファイアを塗したドレス。 同年代の子がアカデミーに行く中、息子のク