「本日はお招き頂きありがとうございます」
私は自分が場違いな淡いクリーム色のワンピースを着てきた羞恥に震えていた。
「あら、モリレード公爵家は意外と質素倹約を重んじるのですね」
タチアナ嬢は攻撃的な目で見つめきた。
気の置けない仲間内の会だから、着飾らないようなフランクな格好で来て欲しいと言った彼女の便りは罠だった。
彼女が私を嫌っていそうな事は分かっていた。
近頃考えることが多すぎて、彼女の悪意に気づけなかった。
でも、それは言い訳だと私自身が気がついている。
ただ与えられた仕事をこなしていれば良いだけのメイドであった時とは違う世界がそこにはあった。
色とりどりの花に囲まれたガーデンテーブルには8人程の令嬢たちが座っている。きっとタチアナ令嬢の取り巻きたちだろう。
そして彼女たちの名前が誰1人分からないのは私の怠慢だ。私は公爵夫人になってからの4年間、お茶会の招待に応じた事はなかった。貴族の付き合いとか理解できなかったし、最低限のことをこなしていれば良いと思っていた。
皆、煌びやかなドレスを着込んでいる。しつこいくらいに高価なジュエリーを身につけている事で実家の富を競っているようだ。
彼女たちはジュエリー1つ身につけていない私を、扇子で口元で隠すように意地悪に笑っている。
「モリレード公爵家は夫人の散財で実は財政難で苦しんでいるという噂は本当でしょうか? 悩み事があったら、いつでも相談してくださいね。ルミエラ様では解決できない事柄もあるでしょうし⋯⋯」
緑色の髪をした見知らぬ貴族令嬢が、私の事を心から思っているように手を握りしめて訴えてくる。
一撃で私の生まれを非難するような言葉に心臓が止まるような気持ちになった。
どんなに着飾っても私はメイド出身の平民だ。
彼女たちの仲間になれるような日は来ないだろう。いつも私を引き立てるように努める貴族令嬢たちが周りに存在したのは、全てモリレード公爵家の力だった。
ここはタチアナ嬢の陣地という事だ。私は世界が反転するような真っ暗な絶望を覚えた。
「マチルダ嬢、我がモリレード公爵家の力を疑うような言葉、しかと受け取らせてもらったよ。そのような信頼関係ならば、すぐにでも君の実家との取引を停止しよう」
聞き慣れた低い声の主は私の夫スタンリーだった。
「公爵様! これは⋯⋯」
明らかに戸惑うような声をマチルダ嬢がだす。
彼女の実家はモリレード公爵家と取引をしているらしい。 今になって、自分がモリレード公爵夫人としての仕事を全くしていなかった事に気がつく。莫大な財産の管理を前の公爵夫人であるミランダ様はしていたのに、私は何もしていなかった。
貧乏で水たまりの水を飲んで飢えをしのぐような生活をしていたから財産管理なんてできないというのは言い訳にならない。
この4年間、私は贅沢以外のことをしていない。
私はスタンリーと結婚してから、莫大な富を際限なく利用した。
それなのに、それに付随するだろう財産の管理という義務に関してはノータッチだった。「この会場は私の最愛の妻であるルミエラを辱める為に用意されたのかな?」
スタンリーは私を抱き寄せて慈しむように額にキスをした。
(心底私が愛おしいみたいな目⋯⋯)少なくともここ3年は私と距離をとっていたようなスタンリーの変化に私は戸惑うしかない。
「そのような事はございません。ただ、ルミエラ夫人が場違いな姿で来られたので参加した令嬢たちが驚いてしまっただけなのです」
胸に手を当てながら動揺を隠しきれないタチアナ嬢が告げている。
私は明らかに彼女の罠に引っかかった。 足を砕かれたところを、スタンリーが来て守ってくれた。 「場違い? タチアナ、そなたは未来の国母に相応しくない見下げた女のようだな。ルミエラ夫人を辱めるように企みの便りを出すとはいただけない。そなたとの婚約は解消させて貰う」突如現れたレイフォード王子の言葉にあたりは騒然となった。
彼の手にはタチアナ嬢から私宛の文が握られている。
(私の部屋に忍び込んだ?)まるで悪役令嬢を断罪するような目の前で繰り広げられる劇場に私は見入ってしまった。
「殿下! この程度の事で婚約解消? 私は殿下の為にこの国の膿を出そうと思っただけです。ネズミのような出身をした女が伝統あるレイダード王国の貴族の最高位のように扱われるのはおかしいでしょう?」
「ネズミ? そなたは侯爵令嬢でしかなく、ルミエラ夫人はレイダード王国の貴族の最高位にあるモリレード公爵家の夫人だ。立場を弁えられないような女はそなただ。この程度の事? モリレード公爵家と王家の関わりを知っていたらそのような言葉は出て来ないはずだ」
タチアナ嬢は真っ青な顔をしていた。
モリレード公爵家は王家よりも歴史が古く、後継者はみな王家継承権を持つ。
軽く扱って良いような家紋ではないが、私自身はそこに入れ込めた気がなかった。今でも自分は急に幸運が舞い込んだメイドのような気持ちだ。
「ルミエラ?」 私の様子を窺い見るような殿下のアクアマリンの瞳に心が泡立つ。レイフォード王子は急に私を呼び捨てにしてくる。
彼は私を回帰を繰り返す同士だと仲間意識を持っているのかもしれない。「レイフォード王子殿下、聞き間違いかもしれませんが私の妻を恋人のように呼ばないでください。王家の振る舞いによってはモリレード公爵家も協力ができなくなります」
私のときめきを咎めるように、スタンリーは私を強く抱きしめた。
「十分に分かっているよ。叔父上、ルミエラ夫人を大切にな⋯⋯」敢えてレイフォード王子がスタンリーを叔父上と呼ぶのが分かった。
何も考えずに贅沢をしていた頃には感じなかった様々な感情が押し寄せてくる。
「スタンリー、もう帰りましょ。そういえば、クリフトは今何をしているのかしら⋯⋯」
咄嗟に出た私の言葉に、スタンリーは困ったように笑った。
「年頃の男の子の行動を逐一観察しようとすると嫌われるぞ」
彼の貴族らしくもないお父さんのような言葉を聞いて、何だか恥ずかしいようで嬉しい気持ちになった。
馬車に乗せられ、家路を急ぐ。「スタンリー、帰ってきてしまって良かったの?」 彼は貴族たちに囲まれていたから、仕事の話になって執務室に何かをとりに来たような気がする。 それなのに会場にも戻らず、勝手に帰ってしまって良かったとは思えない。 スタンリーは私の方を見ようともせず、ずっと真っ暗な窓の外を見ている。「⋯⋯別に、問題はない。ルミエラはまだ帰りたくなかったのか? その⋯⋯体調が悪いと聞いたが⋯⋯」「懐妊の話ね。それは、誤報だから⋯⋯私は、子供は欲しくないの」「君が、そう思うのは当然だ。あのような過ちを犯した俺との子供なんて穢らわしくて欲しくないのだろう⋯⋯」 彼は一体何を言っているのだろう。 3ヶ月以上、仲睦まじく毎晩のように抱き合ってきた。 (穢らわしいなんて思ってる訳ないじゃない、むしろ⋯⋯) 私が子供が欲しくないのは、子供を持つことの大きな責任を知っているからだ。 健太が生まれた時、私は輝かしい未来しか想像していなかった。 結婚して、子供が産まれて、子供が反抗期になったら喧嘩するかもしれないけれど、大人になったら一緒にお酒を飲んだりして、孫が産まれて⋯⋯。 そのような思い描いた将来は、健太が1歳になる前に消滅した。 そして、私は今でも自分が死んだ後、彼が無事に生活しているか考えるだけで気が狂いそうになる。 子を持つ事による発生する責任を私は恐れている。 「私は子供を持つのが怖いだけ⋯⋯スタンリーは関係ないわ」「君はクラフトの事を怖がっていたからな。確かに子供は思うようにはならん。別に逃げて良いのだぞ。君はクリフトの親ではないのだから」 私はスタンリーの言葉に流石に頭がきた。「クリフトは私の子よ! それに、私がスタンリーを好きだから一緒にいたいって分からない? あなたのその目は節穴なの?」「えっ? 君が俺のことが好き?」「そうよ、ムカつくから、絶対言いたくなかったけどね!」 私は振り向いたスタンリーの髪を引
目が覚めて、隣で寝ているスタンリーを見てホッとする。 そして、彼をしっかり見つめてみると、いかに彼が私を見てくれていたのか分かる。 本当に私を好きで結婚を申し込んで来た事も理解できた。 クリフトに殺される運命を回避する為には彼と協力した方が良い。 しかしながら、この世界が小説『アクアマリンの瞳』の中で16歳のクリフトが私たちを惨殺するという話は絶対にできない。 私の頭がおかしくなったと思われるからだ。 ミランダ夫人は自殺する前、異常なまでの被害妄想やおかしな言動が増えていた。 それを目の当たりにしてきたスタンリーは、私がおかしな言動をすれば必ず彼女を思い出すだろう。 (病気扱いされて、避けられるだけね⋯⋯) 彼はとても冷たい人だ。 政略的で愛のない結婚だったとしても、ストレスでおかしくなった妻を救おうともしなかった。 浮気をした上にとんでもない言い訳をしてきた彼は最低だが、そのような彼に歩み寄ろうとしている自分の行動が自分でも理解できない。 期待してはいけないと思いながら、スタンリーなら何とかしてくれるのではと考えてしまう。 私は彼を起こさないようにメイドも呼ばず着替えて部屋を出た。「母上、おはようございます。今日からアカデミーですよね」 部屋の前にいたクリフトに動揺する。(普通に話しかけてきた⋯⋯どういうこと?) 突如、不安が押し寄せてきて今の状況を誰かに相談したくなる。(そうだ、レイフォード王子殿下に相談を⋯⋯)「母上、朝食はまだ食べていませんよね」「ええ、クリフトは?」「僕はもう食べました」「そう、ならば少し早いけれどアカデミーに向かいましょうか」 今、クリフトが何を考えているかを考えるだけで冷や汗が出てくる。 食事なんて到底喉を通りそうもない。 アカデミーでは寮生活になる。 荷物はすでに送ってあるので、身軽に登校できる。 長期休暇まではしばらく会えなくな
モリレード公爵邸に帰るなり、私はスタンリーにお礼を言った。「今日はありがとう。それから、邸宅の管理⋯⋯本当は私の仕事よね。これから学ばせて」 先日、離婚したいと申し出たのに、自分でも何を言っているのか分からない。 ただ、4年間私がいかに何もしなくて、スタンリーがそれを何も咎めずにいた事がむず痒いだけだ。 私は今でも彼の事を浮気をした最低男だと軽蔑している。「君が公爵邸の財産管理をしたいと言ってくれたという事は、離婚する気は無くなったのかな?」「いえ、ただ私は今ここにいるのなら、自分のするべき事をしなければならないと思い直しただけよ」「知ってるよ。君は自分の仕事に懸命な人だから⋯⋯」 私の頭を撫でながら言ってくるスタンリーの言葉は皮肉として発しているものではない。 しかし、4年間するべきことをせず、自分の権利だけを行使してきた私をナイフのように突き刺す言葉だ。「レイフォード王子殿下の事が本当に好きなのだな⋯⋯」「また、何を言っているの? 好きになっても意味のない方だし、ときめいても一瞬。私はあなたの妻なのよ」「そうだな、君は確かに俺の妻だ⋯⋯」 以前レイフォード王子に恋しているかという質問に、イエスと答えた事を後悔した。 スタンリーが明らかに気にしている。 彼は本当によく私を見ている。 私が今まで彼を全く見ていなかった罪悪感をひしひしと感じる程だ。 確かに私はレイフォード王子を見る度にときめいてしまっている。 それを恋と言われればその通りだ。 でも、彼とした恋人のような芝居のせいによるものが大きい。 あのような可笑しな演技をしなければ、持つべきではない感情を抱かずに済んだ。 私は彼を自分と同じように間違った道を1度は歩み、なんとかしようとしている同志だと感じている。 きっと、次に会う時は同志としてクリフトに殺される運命を避ける作戦を知恵をだしあって立てるだろう。 もう、間違っても彼とキスなどしない。
「本日はお招き頂きありがとうございます」 私は自分が場違いな淡いクリーム色のワンピースを着てきた羞恥に震えていた。「あら、モリレード公爵家は意外と質素倹約を重んじるのですね」 タチアナ嬢は攻撃的な目で見つめきた。 気の置けない仲間内の会だから、着飾らないようなフランクな格好で来て欲しいと言った彼女の便りは罠だった。 彼女が私を嫌っていそうな事は分かっていた。 近頃考えることが多すぎて、彼女の悪意に気づけなかった。 でも、それは言い訳だと私自身が気がついている。 ただ与えられた仕事をこなしていれば良いだけのメイドであった時とは違う世界がそこにはあった。 色とりどりの花に囲まれたガーデンテーブルには8人程の令嬢たちが座っている。 きっとタチアナ令嬢の取り巻きたちだろう。 そして彼女たちの名前が誰1人分からないのは私の怠慢だ。 私は公爵夫人になってからの4年間、お茶会の招待に応じた事はなかった。貴族の付き合いとか理解できなかったし、最低限のことをこなしていれば良いと思っていた。 皆、煌びやかなドレスを着込んでいる。しつこいくらいに高価なジュエリーを身につけている事で実家の富を競っているようだ。 彼女たちはジュエリー1つ身につけていない私を、扇子で口元で隠すように意地悪に笑っている。「モリレード公爵家は夫人の散財で実は財政難で苦しんでいるという噂は本当でしょうか? 悩み事があったら、いつでも相談してくださいね。ルミエラ様では解決できない事柄もあるでしょうし⋯⋯」 緑色の髪をした見知らぬ貴族令嬢が、私の事を心から思っているように手を握りしめて訴えてくる。 一撃で私の生まれを非難するような言葉に心臓が止まるような気持ちになった。 どんなに着飾っても私はメイド出身の平民だ。 彼女たちの仲間になれるような日は来ないだろう。 いつも私を引き立てるように努める貴族令嬢たちが周りに存在したのは、全てモリレード公爵家の力だった。 ここはタチアナ嬢の陣地と
バルコニーに出ると、満天の星空が広がっている。 夜風が涼しく肌をくすぐって気持ちが良い。「そなた、僕の唇ばかり見ていたようだが、もしかして繰り返す過去の記憶が残っているのではないか?」 隣で私を覗き込むように見つめて来たレイフォード王子の言葉を一瞬理解できなかった。「あ、あの殿下も、繰り返している時を過ごしているのでしょうか?」「過ごしているよ。クリフトに殺されない未来を求めるように何度も! これはきっと神が僕に与えてくれたチャンスなんだ。やはり、そなたも僕と同じなのだなルミエラ」 美しい彼を前にすると、多くの女の子と同じようにときめいた。 それでも、彼に突然呼び捨てにされると嫌悪感を感じる。 彼がどうしてクリフトの元を訪れていたかは納得がいった。 私が初めに思いついたように、クリフトと仲良くすれば殺されずに済むと考えたのだろう。 最も、そのような浅はかな考えはクリフトには見抜かれている気がする。 「私は貴方様の叔父であるスタンリー・モリレードの妻です。そのように呼び捨てにするのはお止めください」「意外としっかりしてるのだな。確認させてくれ、そなたも何度もクリフトに殺されているのか?」 私は彼の質問に静かに頷いた。 しかしながら、彼と私の回帰している回数は異なるだろう。 私は記憶にある限り2度時を戻った。 たった、2度を何度もとは言わない。 意外としっかりしていると言われてしまったのは、私を歳の離れた男に財産目当てで嫁ぐ軽い女だと思っているからだろう。「やはり、神は僕にこの世界を正しい方向に導くように助けを求めているのだ」 楽しそうに月夜を眺めるレイフォード王子は幼く見えた。 その姿がなんだか可愛く見える。 何度も殺されるような時を過ごしているのに、彼は明るい。 私は2度の殺された記憶があるだけで、クリフトを見るだけで体が震えだす。 彼は小説『アクアマリンの瞳』を読んでなさそうだ。 この世界を繰り返した
「クリフト、まずは今までの私のあなたへの暴言の数々を謝らせて⋯⋯」 私はクリフトを部屋に招くなり、謝罪をした。 メイドで彼に仕える身だった時にあったはずの思いやりは、公爵夫人になるなり消滅した。 彼を邪険に扱うメイドたちの行動に目を瞑り、自分の鬱憤を晴らすように彼女たちの行動を扇動するようになった。 思い返しても自分の行動は最低過ぎて、許されるものではない。「⋯⋯」 クリフトはまた何も言ってくれなくなった。「今晩、私の20歳の誕生日祝いの舞踏会があるのよ。出席してくれるわよね」「⋯⋯」 クリフトは無表情で私を見つめていた。「気が向いたらで良いから⋯⋯」 先程、言葉を発してくれたからと言って、急に距離を詰めようとし過ぎたかもしれない。 クリフトには家庭教師をつけているからダンスは踊れるはずだ。 でも、私は舞踏会に出席した事のない彼に対して無理な要求をした。 そももそ彼が舞踏会に出席した事がないのは全て彼を隠そうとした私やスタンリーのせいだ。 それから、昼過ぎまで私は全く言葉を発さないクリフトに話しかけ続けた。 側から見ればひとりごとを言い続けているような不気味な光景だろう。 それでも私と彼の間には会話が成り立っていた。 彼の微妙な表情の変化を読み取り、私は対話を続けた。 ノックと共に、エリカが入ってくる。「奥様、舞踏会の準備をそろそろ始めませんと」「ああ、そうだったわね。クリフト、ではまたね」 私の言葉にクリフトが自分の部屋に戻っていく。 名残惜しいような気持ちになった。 なぜこのような対話の時間を今まで取らなかったのかを後悔した。♢♢♢ 事前に準備してあったグリーンのドレスを見て、心が落ち込んだ。 オーダーメイドでこだわりまくり、これでもかというくらいエメラルドやサファイアを塗したドレス。 同年代の子がアカデミーに行く中、息子のク