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余命一年の生贄少女は、帝都を護る兵器の神様に捧げられる
余命一年の生贄少女は、帝都を護る兵器の神様に捧げられる
작가: 三毛沢しっぽ

01.神と生贄

last update 게시일: 2026-07-03 09:02:50

「――ねえ。君、泣かないの?」

 豪奢な長椅子に寝そべったまま、青年は退屈そうに目を細めた。

 帝都・白嶺しらみねの空は、今日も重苦しい鉛色に沈んでいる。遠くの工場区画から絶え間なく吐き出される黒煙が、冬のどんよりとした雲と混じり合い、街全体を薄暗い影で覆っていた。

 高くそびえる対異形特務軍たいいぎょうとくむぐんの本部。その最上階に位置する特別室は、神を祀る荘厳な社であり、同時に国が最も恐れる兵器を縛り付けるための豪奢な牢獄でもあった。

 部屋の主である青年、白玖はくは、窓辺から差し込む乏しい光を浴びながら、部屋の入り口に立つ小さな影を見下ろしていた。

 雪を透かしたように色素の薄い、滑らかな髪。纏っている特務軍の軍服は、彼の特権を示すようにすべて霜を思わせる色合いで統一されている。彼の存在そのものが、まるで凍てつく冬の冷気を実体化させたかのようだった。

 飄々とした態度とは裏腹に、細められた双眸の奥には、人ならざる者特有の冷酷な光が揺らめいている。

 彼の視線の先には、たった今重い扉を開けて入ってきた一人の少女が立っていた。

「泣く理由がありませんから」

 凛とした声が、静寂に包まれた広大な部屋に響き渡る。

 年齢は十四。まだ幼さを残す柔らかい輪郭に、夜の帳を溶かし込んだような深い藍色の髪が肩口で揺れていた。細身の身体には、彼女のために仕立てられた特務軍の制服が少しだけ大きく見える。

 そして何より目を引くのは、彼女の瞳だった。

 鮮血よりも深く、燃え盛る炎よりも強い意志を宿した紅の瞳。

 それこそが、この国において特異な運命を背負う証だった。

「藍沢あいざわ緋依ひよりと申します。本日から特務軍への配属となり、白玖様のもとへ参りました。一年間、どうぞよろしくお願いいたします」

 部屋を案内してきた軍の大人たちは、怯えるようにして早々に扉の向こうへと消えていったというのに。丁寧にお辞儀をして見せた緋依の顔には、微塵も恐怖の色がなかった。

 白玖は小さく息を吐き出し、ゆっくりと長椅子から身を起こした。彼が動くたびに、上質な軍服の生地が微かな衣擦れの音を立てる。

「調子が狂うねえ……。僕の前に立つ奴は、大抵もっと顔を青くして、震えて、自分の不運を呪って泣き喚くものなんだけど。君、自分がこれからどうなるか、本当に分かってる?」

「はい。存じております」

 緋依はまっすぐに白玖を見つめ返した。その深紅の瞳には、一切の淀みがない。

「私は生贄です。十五歳を迎える満月の夜、最も魔力が満ちたこの身体を、神様であるあなたに捧げる。それが、私の役目です」

 淡々と紡がれる言葉に、白玖はわずかに眉を動かした。

 この天都皇国てんとていこくは、数百年以上も前から〝異形いぎょう〟と呼ばれる化け物たちの脅威に晒されていた。

 どこからともなく湧き出し、人々を喰らい、街を破壊する異形たち。銃弾も砲弾も通用しない彼らに対抗するため、国が設立したのが対異形特務軍である。

 そして、その軍の最強の矛であり、唯一の決戦兵器こそが、巨大な狐の姿をとる神――白玖であった。

 だが、神がその絶大な力を振るうためには、代償が必要だった。深紅の瞳を持つ少女が宿す、莫大な魔力。それを血肉ごと取り込むことで、彼は初めて神としての威容を保ち、異形を跡形もなく祓うことができる。

 生贄となる少女は、毎年一人だけ、国中から探し出される。十四歳でこの部屋に連れてこられ、一年間だけ神と寝食を共にし、戦いの度に自らの血を与え続ける。

 そして十五歳になる夜、儀式と称して完全に命を喰われるのだ。

 それは数百年以上も前から続く、この国の残酷で絶対的な掟だった。

「知っていて、どうして笑えるのかな?」

 白玖は音もなく床に降り立つと、緋依との距離をゆっくりと詰めた。足音が全くしないその身のこなしは、彼が人間ではないことを雄弁に物語っている。

「君の血も肉も、最後には全部僕の胃袋に収まるんだよ? 骨の髄まで啜られて、この世から消え去る。自分の命が、僕というただの兵器を動かすための燃料に過ぎないって、悔しくないわけ?」

 白玖の顔が、緋依の目の前まで迫る。

 端正な顔立ちの裏側に潜む、捕食者としての本能。背筋が凍るような威圧感が部屋の空気を重く沈めた。普通の人間であれば、このプレッシャーだけで膝から崩れ落ち、呼吸すら忘れてしまうだろう。

 事実、彼がこれまで喰らってきた少女たちは皆そうだった。死への恐怖に顔を歪め、命乞いをし、最後は絶望に染まって死んでいった。白玖はそれに心を痛めることすらとうの昔にやめていた。彼にとって生贄は、ただの食事であり、国との契約でしかなかったのだ。

 しかし、緋依は一歩も下がらなかった。

 それどころか、彼女の唇は微かに弧を描いた。

「悔しくなんてありません。だって、私はこの世界が大好きですから」

「……は?」

 予想外の言葉に、白玖の動きが止まる。

「美味しいお菓子を売ってくれる街のパン屋さんも、綺麗なお花が咲く公園も、行き交う人々の笑顔も、全部私の宝物です。でも、異形が現れれば、そんな大好きな世界が壊されてしまう」

 緋依は胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、窓の外に広がる帝都の街並みへと視線を向けた。彼女の目には、薄汚れた灰色の空ではなく、その下で懸命に生きる人々の営みが映っているかのようだった。

「私一人の命で、大好きな世界を守れるなら。特務軍の皆さんが、そして白玖様が、異形を祓ってくださるのなら……私の命には、十分すぎるほどの意味があります。だから、悲しくなんてありません」

 それは、強がりでも何でもなく、心の底からの本心だった。彼女の深紅の瞳は、未来の希望だけを映してキラキラと輝いている。

 自己犠牲という言葉では片付けられない、ある種の狂気すら孕んだ純粋さ。

 白玖は、長い年月を生きてきて初めて、どう反応していいか分からなくなった。

「君……本物の変わり者だね」

「よく言われます。でも、前向きな餌の方が、きっと味も美味しいと思いますよ?」

 ふふっ、と鈴を転がすように笑う緋依を見て、白玖は思わず天を仰いだ。

「勘弁してよ。そんな風に笑う餌なんて、食欲が湧かないだろ」

「あら、残念です。私、白玖様のために魔力を高めてきたのに」

「そういう問題じゃないんだけどね……」

 白玖は頭を掻きながら、再び緋依に向き直った。

「まあいい。君がどんなに変わっていようと、掟は掟だ。僕が戦うためには、君の魔力が要る。……挨拶代わりに、少しだけ貰うよ」

 白玖の手が、緋依の細い首筋に伸びる。氷のように冷たい指先が、彼女の脈打つ肌に触れた。

 緋依の肩が微かに跳ねたが、彼女は逃げようとはしなかった。むしろ、自ら首を傾け、白玖が牙を立てやすいように無防備な肌を晒す。

「……っ」

 白玖の顔が近づく。彼の口元から覗く鋭い牙が、白く滑らかな肌に押し当てられた。

 チクリとした鋭い痛みの後、緋依の体から熱が奪われていく感覚があった。彼女の血に溶け込んだ莫大な魔力が、白玖の体内へと流れ込んでいく。

 甘く、そして濃密な魔力の匂い。

 神としての本能が、極上の獲物を前にして歓喜に震える。もっと深く牙を立て、このまま一滴残らず啜り尽くしてしまいたいという衝動が湧き上がる。

 しかし、白玖はすぐに顔を離した。唇の端についた血を、親指で無造作に拭い去る。

「……上等な血だ。これなら、一年は十分に戦えそうだね」

「お口に合って良かったです」

 首筋を押さえながら、緋依は少しだけ顔を赤らめて微笑んだ。吸血による疲労感よりも、自分が役に立てたという喜びの方が勝っているようだった。

 その無防備な笑顔に、白玖の胸の奥で、ほんの小さな棘のようなものが引っかかった。

 これまでは、ただ与えられるままに命を奪ってきた。そこに感情など存在しなかった。だが、目の前で嬉しそうに笑うこの少女の命を奪う時、自分は本当に今までと同じように、何も感じずにいられるのだろうか。

「これから一年間。私の血も、力も、全部白玖様のために使ってください」

「……勝手にすれば。でも、途中で泣き言を言っても知らないからね」

「はいっ! 覚悟の上です」

 元気よく返事をする少女を見下ろしながら、白玖は深くため息をついた。

 こうして、決して交わってはいけない兵器たる神と、それに捧げられた生贄の、あまりにも短く、残酷な一年間が幕を開けた。

 その先に待つのが、世界を揺るがすほどの狂おしい愛と、逃れられない絶望の運命であることなど、この時の二人はまだ知る由もなかった。

 ただ、窓の外から吹き込んだ冷たい風が、二人の間を通り抜け、これから始まる過酷な日々を予感させるように、緋依の藍色の髪を大きく揺らしていた。

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