Share

第13話

Auteur: 青柳春香
湊斗の怪我は深刻だった。

多発骨折に内臓出血。ICUで丸一週間、生死の境を彷徨い、ようやく一命を取り留めた。

愛理も負傷したが、命に別状はない。むしろ彼女を待っていたのは、精神的なショックと、その後にのしかかる巨大な法的責任だった。

故意に人を車で轢こうとしたのだ。殺人未遂、あるいは重い傷害罪。彼女は相応の代償を支払うことになるだろう。

その間、私は邸宅に戻って生活した。

「桐島夫人」としてではない。あくまで……人としての道義を果たすための、一時的なケアテイカーとしてだ。

湊斗の両親は高齢で、この衝撃的な事件に耐えられる状態ではなかった。

湊斗の部下たちは仕事上の処理はできても、病人の世話までは頼めない。

私は彼に代わって病院の手続きを済ませ、警察の聴取に協力し、動揺する社内を落ち着かせた。

そして彼の病室に詰め、無数のチューブやモニターに囲まれた彼を見守り続けた。昏睡状態から目覚め、苦痛に満ちた治療とリハビリに耐える姿を、ただ静かに見ていた。

意識を取り戻した時、私を見た彼の瞳に、一瞬だけ微かな光が灯ったのを覚えている。

彼は私にひどく依存するようになった。

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Latest chapter

  • 偽りの従順   第13話

    湊斗の怪我は深刻だった。多発骨折に内臓出血。ICUで丸一週間、生死の境を彷徨い、ようやく一命を取り留めた。愛理も負傷したが、命に別状はない。むしろ彼女を待っていたのは、精神的なショックと、その後にのしかかる巨大な法的責任だった。故意に人を車で轢こうとしたのだ。殺人未遂、あるいは重い傷害罪。彼女は相応の代償を支払うことになるだろう。その間、私は邸宅に戻って生活した。「桐島夫人」としてではない。あくまで……人としての道義を果たすための、一時的なケアテイカーとしてだ。湊斗の両親は高齢で、この衝撃的な事件に耐えられる状態ではなかった。湊斗の部下たちは仕事上の処理はできても、病人の世話までは頼めない。私は彼に代わって病院の手続きを済ませ、警察の聴取に協力し、動揺する社内を落ち着かせた。そして彼の病室に詰め、無数のチューブやモニターに囲まれた彼を見守り続けた。昏睡状態から目覚め、苦痛に満ちた治療とリハビリに耐える姿を、ただ静かに見ていた。意識を取り戻した時、私を見た彼の瞳に、一瞬だけ微かな光が灯ったのを覚えている。彼は私にひどく依存するようになった。起きている間は常に目で私を追い、壊れ物を扱うように慎重に話しかけてくる。看護師が触れようとすると過剰な拒絶反応を示し、私以外を寄せ付けようとしない。その重傷と弱り切った体を盾にして、不器用に私を引き留めようとしているみたいだった。時折、彼は悔恨と自責に満ちた目で私を見つめ、掠れた声で言った。「遥香……ごめん」それが本心からの言葉だということは痛いほどわかった。死の淵を覗いたことで、憑き物が落ちたように執着が消えたのかもしれない。けれど、あまりにも遅すぎた。私の心は、あの七年に及ぶ終わりのない待機と失望の中で、あのヒステリックな爆発の中で、そして彼が私を突き飛ばして愛理の元へ走ったあの夜に、跡形もなく砕け散ってしまっていたのだ。もう二度と、元には戻らない。私が彼を看病したのは、自分自身が後ろめたさを感じずに終わらせるための、最後の儀式だった。容態が安定し、他人の介助でも問題なく過ごせるようになった頃、私は改めて離婚を切り出した。今度は、これまでになく穏やかで、揺るぎない態度で。彼は私を見つめた。その瞳から光がゆっくりと消え失せ、やがて深く重

  • 偽りの従順   第12話

    あの拒絶で、全ては終わったものだと思っていた。けれど私は、愛理の執着心を甘く見ていたし、湊斗が過去を清算する手際も買いかぶりすぎていたようだ。弁護士に連絡を取り、正式に離婚訴訟の準備を始めた矢先、愛理から呼び出しがあった。最初は断るつもりだった。だが彼女は縋るような声で、「湊斗について話したいことがある。そうしないと諦めきれない」と訴えてきた。迷った末に、私は行くことにした。この七年間に、本当の意味で決着をつける必要があると思ったからだ。待ち合わせの場所は静かなカフェだ。愛理はずいぶんとやつれて見えた。かつての輝きは消え失せ、代わりに不満と怨嗟がその身を覆っている。彼女は遠回しな表現を避け、単刀直入に切り出した。「私の負けよ。湊斗は……あなたを選んだわ」私は無言で彼女を見つめ返した。その静けさが彼女の神経を逆なでしたのか、愛理は声を荒らげた。「でも納得できない!私のどこがあなたより劣っているっていうの?彼と積み重ねてきたあの歳月が、あなたが現れたせいで全部なかったことになるわけ?聞いてよ、昨日彼が私のところに来たの。何のためだと思う?……『遥香の好きなものは何だ』って聞きに来たのよ!?あなたを取り戻す方法を、よりによって私に相談しに来たの!傑作でしょう!?」胸がチクリと痛んだ。湊斗のためではない。言葉の端々に滲む愛理の執着が、そして今さら彼がしようとしている「埋め合わせ」があまりに滑稽だったからだ。「高嶺さん。今日言いたいことがそれだけなら、もう話すことはありません」私は席を立ち、帰ろうとした。「待って!」愛理も立ち上がる。その瞳には、狂気を孕んだ鋭い光が宿っていた。「いい気にならないで!彼があなたを選んだからって何?もし私が事故にでも遭えば、彼は真っ先に私の元に駆けつけるに決まってる!」私は眉をひそめた。「何をするつもり?」彼女は奇妙な笑みを浮かべた。「ねえ、賭けをしましょうよ。今ここで、同時に彼にメッセージを送るの。彼がどっちを選ぶか試してみましょう?」私は深い徒労感を覚えた。「高嶺さん。そんなくだらないお遊びに付き合うつもりはないわ」言い捨てて、私はきびすを返した。もう二度と、彼らの泥沼には関わりたくない。そう思いながらカフェを出て、タクシーを拾

  • 偽りの従順   第11話

    あのヒステリックな爆発の後、私は高熱を出して寝込んでしまった。意識は泥のように重く、熱は上がったり下がったりを繰り返す。湊斗は会社へも行かず、家に居座った。医者を呼び、薬を飲ませ、甲斐甲斐しく世話を焼く。沈黙を守りながらも、頑なに「夫」としての義務を果たそうとしていた。けれど、私は彼との接触を一切拒絶した。視線が交錯するたびに感じるのは、凍てつくような断絶と、心が死んでしまったかのような疲労感だけだ。熱が引き、ようやくベッドから起き上がれるようになった頃。私は以前から用意していた離婚届を、書斎の彼の机の上に静かに置いた。「サインして、湊斗」「財産分与については記入済みよ。法的に私が受け取るべき分だけをもらうわ。それ以上は一銭もいらない……この七年は、高い授業料だったと思うことにするから」私の声は枯れていたが、奇妙なほど落ち着いていた。彼は離婚届を睨みつけた。その瞳は陰鬱で、殺気立つほど鋭い。彼は衝動的に手を振り上げ、書類を引き裂こうとした。「破ってもいいわよ」私は先手を打った。感情の波一つない声で告げる。「破ったら、またプリントアウトするだけだから。もしサインを拒むなら、調停を申し立てるわ……桐島社長。泥沼の裁判沙汰になったら、世間体が悪いんじゃない?」振り上げられた彼の手が、空中で凍りついた。彼は信じられないものを見る目で私を見つめる。彼は想像もしなかったのだろう。いつも影のように後ろをついて歩き、言いなりだった遥香が、これほど冷徹かつ決然とした態度で、自分を切り捨てるとは。「遥香、俺たちは……」「私たち、もう話すことなんて何もないわ」私は彼の言葉を遮り、書斎を後にした。挽回の余地など、一ミリも残さなかった。私の態度は彼を激昂させた。いや、焦らせたと言うべきか。彼は目に見えて情緒不安定になり、家の中を落ち着きなく歩き回った。私と会話しようと必死になり、あろうことか初めて自分から「愛理とは何でもない」と言い訳までし始めた。だが、私はすべての感覚をシャットアウトし、彼からの情報を一切拒絶した。私の心は、あの高熱と激情の爆発と共に燃え尽き、もう灰しか残っていなかったのだ。数日後、私はまだ本調子ではない体を引きずり、あの邸宅を出た。独身時代に購入していた都内の小さなマンションへ

  • 偽りの従順   第10話

    あの夜を境に、私と湊斗は完全な冷戦状態に陥った。いや、正確には私が一方的にコミュニケーションの回路を遮断したのだ。彼は相変わらず朝早くに出て行き、夜遅くに帰ってくる。時折、何か話しかけようとしてくる気配はあるが、私はただ無心で家事をこなし、すぐに部屋へと引き籠もるようにしていた。彼が纏う香水の匂いが強かろうが弱かろうが、もはやどうでもよかった。蓮司からは何度か連絡があった。その口調は回を重ねるごとに焦燥と苛立ちを募らせていた。「遥香、お前俺を遊んでんのか?湊斗と愛理はもう秒読みだぞ。なんでまだ動きがねえんだよ。あのガキ、またお前に連絡してきてんじゃねえだろうな?そろそろ退学に追い込んでやってもいいんだぞ!はっきり言えよ、いつ離婚すんだ!」彼が私を自分の所有物か何かのように勘違いし、欲求不満をぶつけてくるその浅ましさが、今となっては滑稽でしかなかった。私はもう、彼のご機嫌取りをする気力すらなく、ただ冷ややかに言い返した。「蓮司、そんなに自信があるなら、愛理にもっと頑張らせなさいよ。湊斗の口から私に『離婚しよう』って言わせてみて……そうじゃなきゃ、話にならないわ」彼ら全員に振り回されるのは、もううんざりだ。転機は、ある週末の早朝に訪れた。私は部屋の整理をし、使わなくなった物をまとめようとしていた。古い段ボール箱の底に、一冊の硬い表紙のノートがあるのを見つけたのだ。魔が差したのか、あるいは吸い寄せられるようにして、私はそれを開いた。湊斗の筆跡だ。日付は私たちが結婚して間もない頃から始まっており、断片的な思考が書き殴られている。【彼女は今日もあの料理を作った。嫌いなはずなのに、全部食べてしまった】【胃痛。彼女が一晩中看病してくれた……何のために?】【蓮司たちの言葉は酷すぎる。彼女の目が赤くなっていた。泣きはしなかった。意外と芯が強い】【愛理が婚約した。そんなに海外がいいのか?ハッ】【彼女の寝顔は、そこまで憎たらしくない】【七年か……】最後の数ページ、最近の日付の文字は、明らかに乱れ、重苦しい筆圧で刻まれていた。【彼女のスマホの通知……あの呼び名……】【泣かれた。愛しているのかと聞かれた。俺も自問している】【愛理が帰ってきた。彼女が離婚を切り出してきた……あいつ、前から逃げ

  • 偽りの従順   第9話

    どうやって、あの広くて冷え切った家に帰り着いたのか覚えていない。胃の中で暴れるアルコールと、こみ上げる屈辱感が吐き気となって押し寄せ、私はトイレで視界が暗くなるほど嘔吐を繰り返した。涙が前触れもなく頬を伝う。それは湊斗が去ってしまったからではない。骨の髄まで染み込むような羞恥と、絶望のせいだ。彼は見たはずだ。あのメッセージを見たのなら、私を問い詰めるなり、怒鳴りつけるなりできたはずなのに。彼は最も残酷な方法を選んだ。「無視」だ。そして行動をもって、誰が彼にとって本当に大切な人なのかを突きつけてきた。スマホが鳴る。翔太からだ。勇気を振り絞ってかけてきたのだろう。「遥香さん……大丈夫ですか?さっきのメッセージ……」「大丈夫よ」私は彼の言葉を遮った。声が酷く掠れている。「これからは……もう連絡しないで」彼が何か言う前に通話を切り、そのまま電源も落とした。この世界の何もかもが、どうしようもなく疎ましかった。ソファに身体を丸めてどれくらい経っただろう。玄関からドアが開く音がした。湊斗が帰ってきたのだ。濃密な酒の匂いを漂わせて。足元をふらつかせながらリビングへ入ってきた彼は、ネクタイを緩め、その瞳は珍しく焦点が合わず、混乱の色を宿していた。一歩、また一歩と私に近づいてくる。長身の影が私を覆い隠し、威圧感がのしかかる。「あいつは誰だ」と、彼が問う。低くしゃがれた声には、酒気と、言葉にできない焦燥が滲んでいた。私は顔を上げ、死人のような目で彼を見つめた。「誰って?」「『遥香さん』なんて呼んでた男だ」突然、手首を掴まれた。骨が軋むほどの力だ。「遥香。お前、そんなに寂しかったのか?ああ?」痛みに息を飲むが、その痛みがかえって私の心底にある、自暴自棄な反抗心に火をつけた。私は彼を見据え、ふっと笑った。涙は堰を切ったように溢れ出し、止まらない。「湊斗、どういう立場で私を問い詰めるつもり?夫として?みんなの前で妻を置き去りにして、元カノを送っていった夫として?」私の言葉が突き刺さったのか、彼の瞳が一瞬揺らいだ。だがそれはすぐに、より深い酔いと怒りに塗りつぶされる。彼はもう一方の手を上げ、乱暴に私の涙を拭った。その動作には、彼自身さえ気づいていない不器用な焦りが混じっていた。

  • 偽りの従順   第8話

    湊斗の放った「今度は何を企んでる?」という言葉。それは冷たい棘のように、私が必死に保っていた虚勢と、最後に残っていたわずかな期待を正確に突き刺した。車内の空気は凍りつき、息をするのも苦しいほど重くのしかかる。彼の冷徹な横顔を見つめ返すと、急にどうしようもない疲労感が押し寄せてきた。言い返す気力すら湧いてこない。七年だ。私が何をしても、彼の目にはすべて「下心」として映るのだろう。私の愛情は「執着」に、献身は「当たり前」に。そして今、身を引こうとする決意さえも、「気を引くための駆け引き」へと変換されてしまう。私は顔を背け、窓の外を猛スピードで流れていくネオンの光を見つめた。ため息のように、小さな声が漏れる。「……好きに思えばいいわ」それからの数日間、日常は奇妙な静けさに包まれた。あの日の争いについて、お互いに一言も触れようとしない。愛理は、湊斗が現れそうな場所には必ずと言っていいほど顔を出し、SNSには匂わせ投稿を連投している。悪友たちのグループLINEでは、相変わらず「元サヤ」の美談で盛り上がっているようだ。たまに私の話題が出ても、そこにあるのは軽蔑を含んだ揶揄だけ。私は相変わらず「桐島夫人」を演じ続けている。朝食を用意し、家事をこなし……ただ、以前よりも口数は減った。湊斗はさらに忙しくなったようで、帰宅時間は遅くなる一方だ。その身には、薄い酒の匂いがまとわりついていることもあれば、愛理が好む香水の香りが漂っていることもある。彼は離婚の話題を口にしなくなった。あの一件は、彼の中で私の「企み」として処理されたのだろう。私が自らボロを出して、仮面を剥がすのを待っているようだ。あるいは、もっと単純な無関心かもしれない。私が何をしようと、彼の心は何ひとつ動かないのだ。首を絞められるような息苦しい日々。その中で、唯一息をつけるのが、あの若い男の子――春日翔太 (かすが しょうた)からの連絡だった。翔太はボランティア活動で知り合った貧しい大学生だ。目元には学生時代の湊斗に似た清廉な面影があるが、その瞳はずっと怯えていて、必死に何かを掴もうとする渇望に満ちている。私は彼を援助している。彼から送られてくる控えめな感謝や挨拶に、時折短い返信を返す。そこに色恋めいた感情はなく、むしろ精神的な「拠り

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status