Short
死に戻り。クズ夫を捨てポンコツ御曹司と成り上がる

死に戻り。クズ夫を捨てポンコツ御曹司と成り上がる

By:  ちょうどいいCompleted
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
9Chapters
61views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

千葉明音(ちば あかね)と共に拉致されたあの日、宮本隼人(みやもと はやと)は迷うことなく私・陣内光希(じんない みつき)ではなく、彼女を選んだ。 犯人ですら気まずそうに黙り込み、しばらくしてから上着を私の肩に掛けてくれた。 「俺より悲惨だな。旦那に見捨てられるなんて。ったく……なんでこの結び目、解けないんだ」 彼は最後には歯でロープを噛みちぎり、ぶっきらぼうに言った。 「まあいいか、お前まで巻き込む必要はないだろ。いいから逃げろ!」 そう言うと、彼は私を隼人の方へ突き飛ばし、自ら高層ビルから身を投げた。 助かったと思った矢先、視界の先で待っていたのは、隼人の冷えきった目だった。 「お前さえ死ねば、明音と堂々と一緒にいられる。 光希、お前はもう譲るべきなんだ!」 目が覚めると、私は隼人との婚約式の日へ戻っていた。 隼人の甘い視線には目もくれず、私はそのまま端っこでゲームに没頭している阿部正人(あべ まさと)に近づいた。 「阿部さん、私と手を組まない?」 かつて私は、隼人を業界のトップまで押し上げた。 今、正人をトップの座に就かせるなんて、朝飯前だ。

View More

Latest chapter

More Chapters
No Comments
9 Chapters
第1話
千葉明音(ちば あかね)と共に拉致されたあの日、宮本隼人(みやもと はやと)は迷うことなく私・陣内光希(じんない みつき)ではなく、彼女を選んだ。犯人ですら気まずそうに黙り込み、しばらくしてから上着を私の肩に掛けてくれた。「俺より悲惨だな。旦那に見捨てられるなんて。ったく……なんでこの結び目、解けないんだ」彼は最後には歯でロープを噛みちぎり、ぶっきらぼうに言った。「まあいいか、お前まで巻き込む必要はないだろ。いいから逃げろ!」そう言うと、彼は私を隼人の方へ突き飛ばし、自ら高層ビルから身を投げた。助かったと思った矢先、視界の先で待っていたのは、隼人の冷えきった目だった。「お前さえ死ねば、明音と堂々と一緒にいられる。光希、お前はもう譲るべきなんだ!」目が覚めると、私は隼人との婚約式の日へ戻っていた。隼人の甘い視線には目もくれず、私はそのまま端っこでゲームに没頭している阿部正人(あべ まさと)に近づいた。「阿部さん、私と手を組まない?」かつて私は、隼人を業界のトップまで押し上げた。今、正人をトップの座に就かせるなんて、朝飯前だ。体に合っていないスーツ姿の正人は、目を丸くして固まっていた。呆然と私を見つめ、自分を指差す。「え?俺?」私は彼の向かいのソファへ静かに腰を下ろした。「阿部さん、海市の燃料取引、実際に回しているのはあなたよね?もっと上を目指す気はない?」正人は唖然としていて、スマホを持った手は固まったままだった。「え……人違いじゃ?」ようやく我に返ったように、彼は背筋を伸ばし、慌ててネクタイを直そうとするが、逆にどんどん歪んでいく。ちらちらと私を見ながら、額にはうっすら汗が滲んでいた。「光希」隼人の声が、せわしなく響く。彼は険しい表情をしながら、足早に私の所へ歩み寄った。「阿部グループには興味なかったはずだろ。急にどうした?」少しの間を置いて、彼は少し声を落とした。「詳しい話は後でしよう。こんな場所で悪ふざけはやめてくれ」私の視線はずっと、向かいにいる正人に向けられたまま、隼人を見ようとはしなかった。「今まで気に留めていなかったけれど、阿部さんの腕はなかなか素晴らしいわ」私は淡々と話を続け、それと同時に、掴もうとしてきた隼人の手をさりげなく
Read more
第2話
私を掴む手には力がこもっていて、その瞳には隠しきれない焦りが浮かんでいた。彼がなぜ焦っているのかなんて、痛いほど分かっている。陣内グループの資金は、海市の財界にとって喉から手が出るほど欲しいものだった。私がどちらにつくかで、商工会の会長の座が決まる。その時、宴会場の扉が開かれ、隼人の表情がぴたりと固まった。現れた人物を見た瞬間、前世の怒りが胸の奥から一気に込み上げてくる。私は隼人を見つめ、冷たく笑った。「隼人、冗談なんて言ってないわ。あともう一つ、伝えておくことがあるわ。本日をもって、私は隼人との婚約を解消する」隼人は意外そうに目を見開き、眉をひそめた。だが、すぐにその視線は会場に入ってきた明音の方へと移った。「光希、そんなわがままはもうよせ」彼は私には見向きもせず、ずっと明音のことばかり見ていた。「明音はただの後輩で、今回の婚約式も、気晴らしに来ただけだ」あまりにも当然のように言うものだから、逆に笑えてしまった。10年ものの付き合いで、自分の婚約式に呼ぶほどの仲だ。前世で、まさにこの日、明音が弱々しく「気分が優れない」と言い出し、隼人は一晩中彼女のそばにいた。そして、婚約者である私は会場中の笑い者になった。「光希?」隼人が探るように声をかけたが、私が黙り込んだままなのを見て、入り口の方へと歩いていった。彼は足取りも軽く、自分でも気づいていない笑みを浮かべ、自然な仕草で明音の肩を抱き寄せた。明音は彼の隣に寄り添い、微笑んでいた。「光希さん」彼女が遠くから私に向けて、穏やかな声で挨拶する。隼人は彼女を連れて近づいてくると、何か思い出したように言った。「そうそう光希、明音は優秀だし、今後俺の秘書になってもらう予定なんだ。会社の事は心配するな。彼女がいれば、お前も楽になる」つまりは、私に口を出されたくないのだ。彼の緊張した瞳を見るに、拒絶されて、彼らの関係を壊されるのが怖いのだろう。私はグラスを手に取り、淡々とした笑みを浮かべた。「ええ、勝手にどうぞ」隼人は、これほどあっさり納得するとは思わなかったのか、呆然とした。「なら……」と、彼は様子を伺いながら続ける。「明音と先に一曲踊ってもいいか?」彼は私を挑発しているのだ。前世だったら、そ
Read more
第3話
明音はグラスを片手に私の前に現れ、うっすらと微笑んだ。「乾杯しましょう!隼人さんと、末永くお幸せに」優雅な振る舞いだったが、その瞳の奥には一瞬、挑発めいた色がよぎった。私はグラスを受け取らなかった。「千葉さん」私は彼女を見つめ、一語ずつはっきりと言い放つ。「望み通りになったなら、もうそんな白々しい芝居はやめたら?」明音の笑みがぴたりと固まった。「光希!」いつの間にか駆け寄ってきた隼人が、明音の肩を抱き寄せる。「なんて心の狭い女だ!せっかく挨拶に来てくれたのに、その態度はなんだ!」言葉と同時に、私を突き飛ばそうと腕を伸ばした。まるで私が明音に危害を加えるのを防ぐかのように。周囲は皆、面白半分に見ているだけで、私に手を差し伸べる者は誰もいない。私は思わず身を強張らせた。その時、すらりとした影が、私の前へ飛び出した。正人が両腕を広げ、私を庇うように立つ。「か……彼女をいじめるな!」隼人は呆れたように正人を見下ろし、鼻で笑った。「どこの馬の骨かと思えば……お前みたいなのがヒーロー気取りか?」周囲からくすくすと笑い声が漏れる。正人は耳を真っ赤にしたが、道を開こうとはしなかった。「腰抜けが、無理してヒーローごっこか?」隼人の声はさらに冷たさを増す。「兄にすら相手にされていない分際で、偉そうな口を叩くな。女を庇えば、自分がまともに見えるとでも思ったのか?」傍らで明音が口元を押さえ、くすりと笑った。正人は肩を激しく上下させ、何か言い返そうと口を開くが、言葉は喉に引っかかったまま出てこない。やがて彼は拳を強く握り締め、勢いよく腕を振り上げた。「ふざけるな!」その瞬間、明音が悲鳴を上げ、隼人の背後へ隠れる。会場は一気に大混乱に陥った。私はその隙に正人の袖を掴み、彼を会場から引きずり出した。彼は文句をぶつぶつ言いながらも、おとなしく私の後ろをついてきた。背後で隼人の怒り狂う声が聞こえた。「光希!今ここから出れば、グループ間の提携は即刻打ち切るぞ!」私は振り返らなかった。宮本グループのエネルギー事業は、ここ数年ずっと陣内グループの資金に支えられている。契約解除?好都合だ。そのまま阿部グループへ切り替えればいいだけだ。オフィスへ戻る道中、正人はず
Read more
第4話
彼は即座に背筋を伸ばし、目を輝かせた。「言ってくれ!俺にできることなら何でもする!」迷いのない返事に、私は一瞬言葉を失った。「……阿部グループの燃料取引、あなたに決定権はある?」オフィスに、数秒の沈黙が落ちる。正人は理解が追いついていないのか、意味を察して戸惑っているのか、ぱちぱちと瞬きをした。彼は勢いよく頷いた。「ある、あるよ!兄さんが色々口を出してくるけど、担当自体は俺なんだ!」どこか自信なさげなのに、それでも誇らしさを隠しきれない声だった。私は彼を椅子に座らせ、手当てをしながら、阿部グループの事業について話を聞いた。言葉に詰まる場面は多いけど、自分の仕事の話になると驚くほど筋道立てて説明する。私はしばらく考え込み、それから綿棒を置いた。「兄に電話して。私が話したいって伝えてちょうだい」正人は昔から阿部グループの監視下に置かれているが、彼自身はまだそれに気づいていないようだった。なら、こそこそ動くより、正面から引きずり出した方が早い。先ほどまで輝いていた正人の瞳が、ふっと曇った。「あぁ……うん、分かった」俯いたままスマホを取り出し、小さく呟く。「そっか……結局、兄さんが必要なんだよね」目尻が赤く染まり、拗ねた子どものような声だった。どう声をかけるべきか迷っていると、スマホが震えた。明音からの着信だった。通話ボタンを押すと、あの甘ったるい声が聞こえてくる。「ねえ光希さん、隼人さんが酔っ払っちゃって。迎えに来てくれない?いつまでもウチにいられても困るし……」受話器の向こうからは、酔いつぶれた隼人の声がかすかに響いていた。「光希は……絶対に俺のところに戻ってくる……陣内グループのプロジェクトだって、結局は俺がいなきゃ回らないんだから……」私は無言で通話を切って、秘書の方を向き、淡々と言い放つ。「宮本グループとの取引をすべて解消して。引き揚げた資金は、そのまま阿部グループへ回してちょうだい」オフィスに再び静寂が戻った。振り向くと、正人はソファに座ったまま、貼ったばかりの絆創膏を何度もいじっていた。私は大きく息を吐いた。「ねえ、ゲームでもしてみない?」正人が顔を上げ、潤んだ瞳でこちらを呆然と見つめた。私は少し眉をひそめ、身を乗り出した。
Read more
第5話
隼人はグラスを握り締め、低く問い返した。「今、何と言った?」「陣内グループから、正式な通知が届きました」秘書は声を震わせながら言った。「進行中のプロジェクトはすべて停止。既存契約も順次解消とのことです。違約金については陣内側が負担すると……」隼人は書類を乱暴に取り、目を通していくうちに表情が険しくなった。「ありえない」彼は書類をデスクに叩きつけた。「光希は何を考えてる?結婚直前のタイミングで、提携を切るだと?」明音が彼の傍らへ歩み寄り、優しい声で言った。「隼人さん、きっと一時的に感情的になっているだけよ。焦らないで。少し時間をおけば、また戻ってくるわ」隼人は何も言わず、ただ書類を見つめていた。「彼女の性格なら、ある程度は分かる」明音が話を続ける。「ああ見えて、本当は情が深い人だから。長年の関係を、彼女が簡単に捨てられるわけないわ。きっと今夜、正人の件で頭にきて、あなたに意地悪をしているだけよ」隼人は顔を上げ、彼女を見つめた。その視線は複雑で、どんな感情なのか自分でも説明がつかなかった。普段なら、明音のことを優しいと思い、素直に頷いていただろう。しかし今回は、正人の名前を聞き、胸の奥が鋭く痛むような違和感を覚えた。明音は彼に見つめられ少し戸惑ったが、すぐにまた優しい笑みを浮かべた。「隼人さん、そんなに心配しないで。酔い覚ましの薬でも飲んでゆっくり休んで。明日私が彼女を説得して、あなたたちを仲直りさせてあげるわ」そう言って彼に寄り添おうとしたが、隼人は身を引いた。明音の手が、宙に残される。「先に戻っていてくれ」隼人は背を向け、淡々と言った。「今夜のことは、自分で対処する」明音は一瞬だけ悔しさを滲ませたが、すぐに笑顔を作り直した。彼女が立ち去ると、部屋は静まり返った。隼人は窓のそばに立ち、一歩も動かなかった。スマホを握り締め、画面を点けては消す。連絡先の表示は、光希のページで止まったままだ。電話をかけるか?なんて言うんだ?狂っているのかと問いただすのか?それとも……『光希、戻ってくれ。俺が悪かった』と言えばいいのか。そんな思いが湧いた瞬間、隼人は自分でそれを打ち消した。自分が誰かに頭を下げるなど、これまであっただろうか?子
Read more
第6話
スマホの画面が光り、私は正人と最後の契約確認をしていた。「もしもし?」「光希、俺だ」隼人の声は、何もなかったかのように響いた。「何の用?」「あの書類、確認した。どういうつもりだ?」「見たままよ。提携解消。もう関わらないで」電話越しに沈黙が落ちた。「光希」と隼人の声が柔らかくなる。「今夜は悪かった。みんなの前で恥をかかせるべきじゃなかった。でも会社の話まで持ち出す必要はないだろ。あのプロジェクトがどれほど重要か、知ってるはずだ……」「本気よ」私は冷静な口調で遮る。「隼人、まだ私が感情で動いてると思ってるの?明日になれば後悔する?あなたなしじゃ生きていけないとでも?」彼は言葉に詰まった。電話の向こうから荒い息が漏れる。数秒後、焦ったように声を上げた。「あのプロジェクトが止まれば、どれだけ損失が出ると思ってる。世間がどう見るか分かってるのか?」「だから?」私は静かに尋ねた。「撤回してほしいの?明日、取締役会で『衝動的でした』って言えと?婚約者の立場で、あなたが明音と仲良く並んでる姿を笑って見送れと?」「明音はただの……」「隼人、そんな嘘、だれが信じるの?」そう言って、ふと笑った。「嘘じゃない」彼の声が掠れる。「光希、戻ってくれ。話そう。秘書は変える。これからは……二度とあんな真似はしない」私は窓の外の夜景を眺め、小さく息を吐いた。「隼人。まだ分かってないのね」「何を?」「これは意地でも駆け引きでもない」私は一語一句、ゆっくりと言った。「もう、あなたなんていらないの」電話の向こうが、静まり返った。長い沈黙のあと、彼が再び口を開いた。かすかな震えと、抑えきれない怒りを込めていた。「陣内グループがいなくなったくらいで、俺が終わるとでも?思い上がりもいい加減にしろ!俺は自分ひとりの力でここまで来たんだ。お前なんていなくたって成功できる!」「どうぞお好きに」私はそのまま電話を切った。画面が暗くなった瞬間、あたりがしんと静まり返った。怒りも悲しみもなく、胸にはさざ波一つ立たなかった。人を本当に手放す時というのは、こういうものなのか。私はスマホをデスクに置き、振り向いたら、正人と目が合った。彼はソファに座り、私が電話
Read more
第7話
正人の瞳が少しずつ見開かれた。「え?」その表情があまりに無邪気で、私は思わず笑ってしまった。「ここ数年の阿部グループ、実権を握っているのは裕也さんでしょ?」私は隣に座り、声を潜めた。「でも、彼が裏でやっていることを、あなたも全部把握しているわけじゃないでしょう?あなたはエネルギー資源の取引を任されている。これまで、いろんな相手と接してきたはずよ」どうして彼があなたをそのポストに置いたまま、他の仕事には一切触れさせないのか考えたことはある?」正人は呆然と私を見つめている。「俺は……」「私は裕也さんと手を組むつもりはないわ。彼をその座から引きずり下ろすつもりよ。そして……」私は言葉を切った。「次にあの席へ座るのは、あなた」正人の息が止まった。瞳の中では困惑と驚きが渦巻いていた。「君……」彼の声が震え、喉仏が小さく動いた。「本気なのか?」「冗談で言っているわけないでしょう」正人の目元が、ふっと熱を帯びた。彼は視線を落とし、何度か瞬きをした。長い沈黙の末、かすれた声で呟く。「今まで……そんな風に言ってくれる人は、誰もいなかった」私の心臓が、少し痛んだ。彼はとても聡明なのに、自分を出すのが苦手なだけなのだ。兄に押さえつけられ、周囲には馬鹿にされて、これだけ努力しているのに、誰にもチャンスをもらえなかった。隼人のような人間ですら、公然と彼を『出来損ない』と呼んだ。それなのに前世の彼は、誰もが私から離れていったあの日、最後まで手を差し伸べてくれた。「だから……」私は声を和らげた。「私と一緒に来てくれる?」正人は勢いよく頷いた。「ああ!」そう答えたあと、念を押すようにもう一度言う。「もちろん!」その姿を見て、今回のこの決断は間違っていなかったのだと確信した。「ただ……」正人がふと思い出したように、おずおずと口を開いた。「隼人さんの電話に、本当にもう出ないのか?」「ええ」「でも……またかかってきたら?」「ブロックよ」彼は一瞬きょとんとした後、笑い声を漏らした。その笑い方は少し呆けていたけれど、どこか温かかった。つられるように、私まで口元が緩む。「さて、仕事の話に戻りましょうか」私はタブレットを取り出した。「あなたが
Read more
第8話
飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。「……なんて?」「君を落とそうとしてるのさ」彼は真面目な顔でそう言った。「そうすれば怪しまれないだろう?兄さんは陣内家との繋がりが欲しいから。君を通して事業を広げたいって、ずっと思ってるし」そんな彼を呆然と眺めて、なんて言葉を返すべきか迷った。彼は逆に笑い出した。「結構いい作戦だと思わない?」「……確かに、悪くないかもね」彼は嬉しそうに目を細めて笑った。その瞬間、ふと気づいた。彼にはまだ、少年のような無垢さが残っている。二十歳を過ぎているのに、どこか子供みたいな人だ。私は視線を逸らし、彼に書類を差し出した。「これにサインして」「これは?」「株式譲渡契約書よ」正人は中身を見ようともせずにペンを取ろうとする。「中身を確認しなくていいの?」「大丈夫だよ」彼は首を振る。「君が俺を騙すわけないだろ」不器用な手つきで署名する彼を見て、胸がぎゅっと締め付けられた。本当に、お人好しだ。……裕也を追い落としたその日は、抜けるような青空だった。決定的な証拠を提出したのは、正人自身。裕也が連行されていく間、正人はオフィスの窓辺に立ったまま、遠ざかる車をずっと見つめていた。「つらい?」彼は首を振り、そして小さく頷いた。私は隣に並んだが、何も言わなかった。しばらくして、彼がぽつりと呟く。「小さい頃は、本当に優しい兄さんだったんだ。字を教えてくれたり、凧揚げに連れて行ってくれたり、いじめられた時も、すぐ助けてくれた。……どうしてこうなったんだろうな」窓から吹き込む風が、彼の髪を揺らす。振り向いた彼の目元が赤かったが、泣いてはいなかった。「行こう」私は静かに声をかけた。「夜には大事な会議があるの。出席してもらわないと」彼は頷いて後ろを歩き、ドアの前で立ち止まった。「光希」私は振り返る。逆光で、彼の表情はよく見えなかった。「ありがとう」私は彼を見つめ、少し微笑んだ。「さあ、社長」裕也がおりてから、三週間後、オフィスに隼人が現れた。すっかり痩せ細り、青髭が目立ち、目の下には濃い隈があった。「光希」名を呼ぶ彼の声はかすれている。「少し話せるか?」「何を?」彼は唇を噛み締め、決意して口を開
Read more
第9話
「彼女に触れるな」正人の声は、驚くほど落ち着いていた。隼人は目の前の彼を見て、何とも言い難い表情を浮かべた。怒りと悔しさ、そして説明できない嫉妬が混じり合っていた。「正人」隼人は奥歯を噛み締めるように言った。「お前、何様のつもりだ?」正人は一歩も退かなかった。「何だろうと関係ない」と彼は言った。「とにかく、彼女には指一本触れさせない」私は彼の背後に立ち、その広い背中を見ていて、あの日のパーティーを思い出した。あの時も、彼はこうして私の前に立ち塞がってくれた。不器用だけど、どこまでも真っ直ぐだった。隼人は鼻で笑った。「光希がお前を本当に相手にしてるとでも思ってるのか?ただ、俺を怒らせるための道具にされてるだけだぞ。彼女ほどの女が、どうしてお前みたいな出来損ないなんて選ぶ?」正人の肩がわずかに強張った。私は前へ出て、彼と肩を並べた。「隼人」私は真っ直ぐ彼を見て、冷ややかな声で言った。「彼は出来損ないじゃない」隼人の顔色が変わる。「彼を選んだのは、私よ」正人の長い睫毛が震えた。彼が横を向くと、瞳の中に柔らかな光が灯った。隼人の表情からは、完全に精気が消え失せた。何かを言おうと口を開くが、一言も発することができないようだった。「行きましょう」私はそう言った。隼人を振り返ることもせず、正人の手を引いてその場を去った。背後から、掠れた絶望混じりの隼人の声が聞こえた。「光希……本当に、俺との過去に何一つ未練がないのか?」私は足を止めたが、振り向くことはなかった。「過去?」小さく、ふっと笑みが漏れた。「隼人、未練なんて、とっくになくなってるわ」エレベーターの扉が閉まり、隼人の姿が視界から消えた。正人は私の隣で、ずっと黙って俯いたままだった。「どうかしたの?」彼は小さく首を振り、抑えた声で「ううん、別に」と言った。そんな彼を見ていると、馬鹿真面目な彼の性格が愛おしくなる。「ねえ、正人」彼が顔を上げた。私は目元を細めて、微笑んだ。「さっきの話を、聞いていた?」「何?」「彼は出来損ないじゃない、彼を選んだのは私よ。……ってとこ」彼の耳が、みるみるうちに赤くなっていった。彼は口をパクパクさせた後、やっと一言ひねり出した。「……あ
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status