Masuk俺たちは今、大型鳥類モンスター『ロックバード』の背に乗り、上空から死地を目指していた。
本来なら人間を空から強襲し、捕食する獰猛な魔物だ。 強靭な鉤爪と風属性の魔法を操り、俺も過去の冒険で何度か手痛い反撃を受けた経験がある。 そんな危険な怪鳥を足としていた。「まさか、人間様と肩を並べて空を飛ぶ日が来るとはな」
「おい、こいつ本当に役に立つのか? ただの足手まといじゃねぇだろうな」
その苛立った甲高い声には聞き覚えがあった。
俺が森の中で疲労困憊して倒れ、意識を手放しかけた時、見下ろして文句を垂れていた魔物の一人だ。「元勇者パーティの戦士だ。我々の戦力としては、十分すぎるほどだろう」
『……ガァ……ガッ……グッ……!』 袈裟懸けに切り裂かれた金色の巨体。 俺は全身に返り血を浴びる。 斬られたゴルトアヌビスは、華のような鮮血を噴き出しながら石畳の上へと崩れ落ちた。「……はぁ……ふぅ……はぁ……」 荒い息を吐きながら俺は剣を下ろす。 アレイクが命を啜った影響で、猛烈な倦怠感と目眩が俺を襲う。 この胸を締め付ける重さは剣の呪いのせいだけではないだろう。 哀れなベルタを、俺のこの手で斬ったのだから。 ――血の海に沈むゴルトアヌビス。 命の灯火が消えゆく中、彼女を縛る強制力が解けたのか。「……ベルタ……」 その体は光の粒子を伴って、元の美しいサキュバスの姿へと戻っていった。「ありが……とう……やっと、私は死ねるのね」 血まみれのベルタは弱々しく、けれどどこか憑き物が落ちたような安らかな笑みを浮かべた。 俺はフラフラとその場に座り込み、ベルタに言った。「やっと死ねる?」「そう……これで私は、この下らないシナリオから退場よ。もう踊らなくていいのよ」 ――シナリオ。 与えられた役割だの、絶対的な支配だの。 シナリオ以外にも、俺はずっと聞き慣れない言葉を聞き続けている。 世界共通の認知はこうだったはずだ。 平和だったある日、魔王ドラゼウフが現れイリアサン王国への侵攻を宣言。 それに抗うため、勇者と俺達は魔王打倒のために数々の死線を潜り抜けてきた。 それが世界の正義だと、自分たちの使命だと信じて疑わなかった。「……踊らなくていい&h
理性を失い、獣魔ゴルトアヌビスと化したベルタ。 黄金の毛並みは燃え盛る屋敷の炎に照らし出される。 それは怪しく、そして悲痛に輝いているようだった――。「怪物め! この魔法剣で切り裂いてくれるわ!!」 夜気を震わせる咆哮を上げ、残された美しい夜咲きの花々を無惨に散らしながら黄金獣が襲いかかってくる。 ゼイクは深緑の片刃剣を構え、再び風の魔力を込めた。「――烈風円舞刃ッ!!」 必殺の魔法剣。 暴風が幾重もの刃となって広範囲を薙ぎ払う。 しかし、真空波が直撃した瞬間、硬質な金属音が夜空に響いた。 魔獣の強固な黄金は風の刃を容易く弾き返し、致命傷を与えるどころか毛一本すら断ち切ることができない。 ベルタ――否、ゴルトアヌビスは喉の奥で低く不気味な唸り声を漏らしながら、鋼を擦り合わせるような音を立てて鋭い爪を砥ぐ。 黄金の怪物はゼイクをしっかりと見据えていた。「ぬぅ……」 ゼイクの顔に焦りの色が浮かぶ。「き、効かないのか。鋼の鎧をも切り裂く我が『緑鱗風牙』の太刀が――」「ゼイク、避けろ!!」 俺の制止も虚しく、黄金の巨体がブレた。 瞬きすら置き去りにする恐るべき跳躍。 動揺したゼイクが剣を盾にするよりも早く、ゴルトアヌビスの凶悪な爪が横薙ぎに一閃された。「ぬぐっ……!!」 皮鎧ごと肉を深くえぐられ、胸から鮮血がほとばしる。 ゼイクはたまらず足元から崩れ落ちた。「大丈夫か!」 俺は直ぐさまゼイクの元へ駆け寄る。「鋭く速い斬撃だ。そこいらの獣人とは比べ物にならん!」 ゴルトアヌビスは再び天を仰ぎ、耳を劈くような雄叫びを上げる。 そこに妖美なサキュバスの面影は欠片も残っていない。「早くここから離れて! あいつ、魔法を撃つ気よ!!」 ラナンの叫びと同時だった。
「今の魔王である、あの『勇者』もそうさ。何であいつは王道的に冒険を進めなかったんだ? 与えられた完璧なシナリオに逆らわず、お人形みたいに歩いていればよかったのに」 「……シナリオ……お前はさっきから何を言っているんだ?」 俺の追及に、ベルタは自嘲気味な笑みを浮かべた。 燃え盛る屋敷の炎が、彼女の顔に濃い影を落としている。 その瞳の奥には、長年抱え込んできた『世界のバグ』としての絶望が渦巻いていた。「あんたら、本当に何にも知らないようだね。滑稽なほどに盤上の駒を演じきっている。いいわ……教えてあげる。そもそも、この世界も魔王ドラゼウフも――」 俺は息を呑み、次の言葉を待った。 この歪んだ世界の根幹。 勇者が魔王になり、俺のような凡人が呪いの武具で戦場に立つ、この現実の真実が明かされる。 ベルタが重い口を開きかけた、その時だった。「お喋りが過ぎるぞ。役割を外れたエラーコードめ」 夜の冷気を凍らせるような、無機質で平坦な声が庭園に響いた。 振り返ると、そこにはターバンを巻いた異国風の男が立っていた。 足音など全く聞こえなかった。 まるで、空間の歪みから唐突に『発生』したかのような、ひどく不自然な現れ方だ。「この男……覚えている……」 俺はこの男に見覚えがある。 屋敷の地下で、あの忌まわしい選別試験が行われていた時、バルザットの執事の傍に控えていた人物だ。「お、お前は……ッ! なぜ、ここに……!」 ベルタは目を見開き、驚愕と恐怖の入り混じった表情で男を見ていた。 先程までの妖艶な余裕も、死を覚悟した達観もそこにはない。 あるのは、ただ絶対的な捕食者を前にした小動物のような純粋な『恐怖』だけだった。 どういうことだ? この男は一体何者なのだ。 単なる人間の護衛などではないことだけは、肌を刺すような異様なプレッシャーから理解できた。「なぜ、だと? 愚問だな。中ボスがまともに戦わずに倒され、あろうことかプレイヤー側に舞台裏の仕様を暴露するなど……大聖師様
「私は勇者に倒された。意識が少しずつ薄れていくのを実感したわ……死んだって」 ベルタは言った――ダミアンを殺したのは私ではないと。 彼女は言葉を続ける――真実は一体何なのか。 俺達はただ、ベルタの悲痛な言葉に耳を傾けるより他なかった。「私は与えられた運命通りにそこで『消える』はずだった」***「……目覚めたか」 ところが私は生きていた。 意識が戻った私の目の前に、プレイヤーの仲間がいたんだ。「……何故……殺さなかったの?」「お前は今まで戦ってきた魔族と違い、人を殺してはいない。だから助けた」 お人好しの戦士はそう言うと剣を抜き、私の首元に切っ先を向けた。「勇者が魔王ドラゼウフを倒すまで、俺がここでお前を監視しておく」「か、監視……?」「暫くの間、俺と暮らすのさ」 こうして、戦士は洞窟の近くに小屋を建て、私の監視を始めた。 最初は隙を見て殺そうと何度も思った。 だけど、あの戦士――ダミアンは強く、微塵も隙がなかった。 今度は逃げ出そうと試みたが気配を察知され、先回りされて捕らえられた。 得意の『誘惑の甘息』も、精神干渉を防ぐ蒼月鉱の腕輪を装備しているあいつには効かなかった。 最初はただ警戒し、隙あらばと睨み合っていただけだった。 でも、狭い世界で時を重ねるうち、少しずつ空気が変わっていったわ。 ふとした瞬間に視線が絡むと、あいつは気まずそうにパッと目を逸らす。 私も私で、あいつの無骨な背中や眠る横顔を無意識のうちに目で追うようになっていた。 魔族と人間。 決して交わらないはずなのに、お互いの些細な仕草ひとつで胸の奥がざわついてしまう――。 そんな甘くもどかしい日々が続く中、ある日、ダミアンの方から私を訪ねて来た。 見れば、
背後にあるバルザットの広大な屋敷からは赤黒い業火が夜空を焦がしていた。 太い柱や梁が焼け落ちてパチパチと爆ぜる音が絶え間なく響いている。 庭園を彩っていた美しい夜咲きの花々……。 先ほどの激しい戦闘とゼイクが放った真空の刃によって無惨に散り果て、焦げた土の匂いとむせ返るような血の匂いが立ち込めていた。 熱を帯びた空気に混じって、時折ひどく冷たい夜風が吹き込み、戦闘で火照った俺達の頬を撫でていく。「アハハ……痛いじゃない。少しは手加減というものを知らないの?」 片翼を根元から斬り落とされ、地に伏したベルタ。 彼女は自身の流した血で深紅のコルセットドレスをさらに濡らしながらも、艶然と笑ってみせた。 千切れた翼の断面からは絶え間なく鮮血が溢れ、夜露に濡れた庭園の石畳をどす黒く染め上げている。 誰の目から見ても致命傷に近い状態であるにもかかわらず、彼女は痛みを隠すように妖艶な仕草を作っていた。「黙れ、妖魔め。貴様の戯言を聞く耳は持たん」「あら、怖い顔。私をこんなにして、ただで済むとでも思っているのかしら? 私が本気を出せば、お前たちなんて一瞬で灰になるわよ」 上辺だけの空虚な挑発だった。 俺は太刀を握り直したゼイクを横に制止するように、ゆっくりと一歩前に出た。「虚勢を張るのはやめろ、ベルタ」「……何のこと?」「お前、さっきから反撃の魔法を一つも撃っていないじゃないか」「っ……それは……」「あれだけの膨大な魔力がありながら、お前は上空へ逃げ回るだけだった。俺たちを殺す気なんて、最初から無かったんだろう?」 俺の問い詰めるような声に、ベルタの余裕の笑みがピクリと引きつった。 剣を交え、命のやり取りをしたからこそ嫌でも分かるのだ。 ベルタの魔力には、俺たちを害そうとする決定的な殺意が完全に欠け落ちていた。 強力な精神干渉も、焼き尽くすような炎の魔法も、
沙帝夢楼の誰もいない食堂。 レッサーデーモンのマージルが、白いテーブルに置かれたグラスに静かにワインを注いでくれる。 その白い椅子に座っているのは、他でもないボクだ。「イオ様、ワインをお持ち致しました」「ありがとう」 マージルに笑顔で礼を述べ、ワインの入ったグラスを口に運ぶ。 今日は黒いフィッシュテールのドレスを着込み、藤色の髪も後ろで上品にまとめてみた。 偶には正装もいいものだ。いつまでも、この物語の役者を演じているがボクはボクさ。「これが魔王城周辺に自生する、ディアボログレープで作ったワインか」「なかなか甘美な味わいでしょう?」「うん、酸味も効いているね」 対する席に座っているのは、異形の魔物――サッドだ。 狼のような顔に水牛の角を生やし、深い青いの毛並みを持つ、悪魔族の上位に当たる高位魔族『グレーターデーモン』である。「サッドのその姿を見るのは久しぶりだね」「勇者様……いや、魔王様の鎧以外の姿を見るのは初めてです」「そりゃあボクだって女の子だもの、オシャレくらいはするよ」 サッドの言葉にボクは肩をすくめてみせた。 かつて勇者と呼ばれたボクは、今や魔王としてここにいる。「上手くやっているかな」「ガルアの他にも、ゼイク氏もいるのです。ご安心下さい」「ダミアン……彼は強く、優しかった」「昔のお仲間のことですか」 ボクの昔の仲間だった戦士ダミアン・ヒバート。 彼のことを思い出すと、自然と懐かしさが込み上げてくる。「ああ……彼は頼もしい仲間だった」*** まだ、ボクが勇者としての使命に燃えていた頃のことだ。 ――武闘家シンイー・イェン。 ――賢者クロノ・マクスウェル。 そして――戦士ダミアン・ヒバート。 彼らと共にパーティを組み、冒険していた時のことだった。