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第二話*2

last update publish date: 2026-07-04 18:00:33

 儀式の支度としてエリオットを待ち受けていたのは、丁寧な入浴と着替えだった。着替えとして差し出されたのは薄絹のガウン。それを手にしてようやく、エリオットは儀式が何を指しているのかを理解し始めていた。

 魔王とこれから臨む儀式――それは、新婚の二人が過ごす初夜、つまり性交を行えというのだろう。

「え、じゃあ私……魔王様と睦み合うのか?」

 呟いて思い至るのは、自分が生贄嫁と言う立場であることだ。生贄と言うからには、命がけで初夜に臨まなくてはならないということだろうか、と。

 エリオットにこれまで懇意にしたような相手はおらず、そういった経験など皆無だ。最低限の知識として、夜伽の話を聞いたことはなくはないが、それは人間同士のそれである。ましてや、自分が生贄嫁として臨む行為など、知る由もない。そんな何の経験もない自分が、人知の及ばない相手である魔王を満足させられるのだろうか? 不安でじんわりと冷や汗がにじむ。

「でも、もし今からの儀式が上手くいかなかったら……ヴェルクレイン国はどうなってしまうんだ?」

 傾く国を立て直すために生贄とされた自分が、儀式を失敗してしまったら。その末路は想像するに恐ろしい。エリオット自身が取って喰われるだけならまだしも、そのとがが母国に残してきた家族、ひいては国全体に及ぶことも考えられる。それだけは、避けねばならない。

 命じられるまま、流されるままにここまで来てしまったが、これは想像以上に重い役割を課せられているのではないだろうか。

 にじむ不安と恐怖に血の気が引く思いで再びゼフに案内されたのは豪奢な造りの天蓋付きの寝台がある広い寝室だった。恐らくここは魔王の寝室なのだろう。

 数本の蝋燭ろうそくの灯りの中、エリオットは不安で気がどうかしてしまいそうな思いで、ただじっと寝台に座っていた。もう間もなく魔王が儀式という名の性交のためにやって来るかと思うと、平常心でいられない。それでも逃げずにとどまっているのは、ひとえに自分に課せられた役割を全うする責任感によるものだった。ここで逃げてしまえば、きっとまた汚名を着せられてしまう。それは取り返しがつかないものなることは想像に難くない。

 どれほど待たされていただろう。満月の光が部屋いっぱいに射し込むころ、ようやく魔王が現れた。

「ほう、逃げ出さずにいたか」

「は、はい……」

「これから魔王たる俺の魔力を復活させる儀式を行う」

「魔王様の魔力を……? 私が、ですか?」

 互いの姿も部屋の様子も、どう見ても新婚の初夜であるのに、魔王の魔力の復活を図る儀式を行うという。

 ヴェルクレイン国の情勢と魔王の魔力が関係しているとは聞いていたが、それといまから行う儀式がどう関連するというのだろうか。

 瞬きも忘れて魔王を見つめるエリオットの問いに、魔王は鷹揚に肯き、そっと顎に手を宛がって上向かせこうも告げる。

「そうだ。お前はこれより俺のために子を孕め。そうして俺の魔力を最大化させるようその身を捧げるのだ」

 男性であるエリオットに、子を孕めと命じる魔王の言葉に、どう答えれば良いのか。エリオットは衝撃のあまりに言葉を失っていると、月光を背負うようにして立つ魔王がエリオットに一層近付いてくる。

エリオットと揃いの薄絹のガウンをまとう体は大きく、少なくとも華奢なエリオットよりも頑強そうだ。

「案ずるな、お前が余計なことなど考える間もないほど善くしてやる」

そう片頬を上げて囁く魔王の微笑みに、背筋が凍り付いていく。逃げられない恐怖に、観念するように目をつぶるしかない。

硬く目をつぶるエリオットに、魔王は身を屈めて口付けをしてくる。初めての口付けが人ではないものになったエリオットであったが、その感触が人間のそれと同じなのかはわからなかった。

「ッは、ッふ……ン、ンぅ……」

 触れた途端に舌が口中に割り入れられ、乱暴にまさぐっていく。口付けそのものが初めてであるエリオットは、その早急さにただただ乱されるばかりで嫌悪感を覚える。

「ッは、ッはぁ……ッく……ッはぁ……」

「ッあ、うッ……ッふ、ン」

 その内に肩をつかまれ、ぐっとそのまま押し倒される。組み敷かれる形のまま口付け合っていると、魔王の手がガウンの布地の上を這うように滑っていく。しかしその仕草は乱雑で押しが強く、エリオットの体は一層強張っていく。まるで鷲づかみにされて握りつぶされそうな気迫さえ感じ、恐ろしくてならないからだ。

 それは単純に魔王がまとう気配に恐怖を感じるというだけではなく、魔王の様子がどうにもおかしいのだ。

 口付けた辺りまではまだ丁重さを感じたのだが、寝台に押し倒した途端に呼吸がやけに荒々しい。

「ッふー……ッふー……っはぁ、っはぁ、っはぁ……」

 気のせいかと思っていたが、そっと目を開けて窺うと、暗がりでもわかるほど魔王の頬が上気しているではないか。

 正直、エリオットは自分にそんな相手を性的な興奮を呼び起こすような魅力があるとは思っていない。相手を誘うような言葉も仕草も知らないし、経験すらない。それなのに、魔王はどう見てもいま常軌を逸した様子でエリオットを組み敷いている。

「……魔王、様? いかがされましたか? 具合でも悪く……」

「……だま、れ……いま、お前と、儀式を……す……ッは、あぁ、ッはぁッはぁ」

「魔王様、苦しいのではないですか? 水をお持ちいたしましょうか?」

「よ……余計、気づか、い……など、無用……あ、ッはぁ、ッはぁ」

 エリオットの言葉を振り切るように愛撫を続けようとするも、押し付けてくる唇の感触は異様に熱く、尋常ではない。

 何かがおかしい。先程までの様子とは一変し、言葉を発するのも苦し気で常軌を逸した表情をしている。目の焦点が合わず、心ここにあらずな顔なのだ。そんな魔王の様子に、エリオットは違った恐怖を覚えた。

「魔王様、一度おやめになりませんか。お熱があるのではな……」

 それでもなお努めて冷静にエリオットがそう魔王に手を差し出そうとしたその時、それまで肩で呼吸をしていた魔王が一気に食いつくようにエリオットにとびかかって来た。元より組み敷かれて横たわった体勢ではあったが、覆い被さられて身動きが取れない状態だ。

「ッあぁ! ま、魔王様ッ! ッや、あぁ!」

「ぐるぅ……がぅ……ッがぁ……ッはぁ、ッはぁ」

「ま、魔王様……あの……ッ」

 べろりと魔王の舌がエリオットの首筋を舐める感触が気色歩く、肌が泡立つ。このまま食いつかれてしまいそうな恐怖を覚え、魔王に釣られるようにエリオットの呼吸も速くなっていく。視界いっぱいに映し出される半裸の魔王の姿は、すでに人型でありながら獣のようにうなり声をあげている。これはどう考えても先程までの魔王とは別人で、理性の欠片も感じられない。

「ま、魔王……様ぁ……放し……放して!! 誰かぁ!!」

叫ぶエリオットに魔王の体が覆い被さり、圧し掛かる重みで逃れることさえできず、一瞬死さえ覚悟した。

(ああ、このまま私は魔王様に喰い殺されて死ぬのかもしれない――)

 性交というものがどのようなもので、どう行われるのかエリオットは知識としてしか知らない。性器と性器を繋げ合い、精を注ぐ行為とだけの知識はあるが、その詳細はわからなかった。でも明らかに、いまの状況はそれを行うものではないことはわかっている。

 だから魔王が覆い被さってきた時、いよいよ喰い殺されるのであろうと覚悟を決めた。どういう過程を経て行為が行われるのかを想像するのをやめ、目をつぶっていたのだが――一向に、魔王がエリオットの上で動く気配がない。ただじっと覆い被さったままピクリとも動かず、圧し掛かられたまま段々と重みが増していく。

「……魔王、さま?」

「……ッは、ああ……ッはぁ、ッはぁ……」

 そっと名を呼んでも返事がなく、それどころか苦し気な呼吸が聞こえてくる。まるで耐えるように喘ぐような声が漏れ聞こえるが、エリオットの上の魔王はやはり動かぬまま。肘をついて踏ん張るようにエリオットの上でうずくまっていた魔王であったが、やがて崩れるようにエリオットの上に倒れ込み、動かなくなってしまった。

 これはただ事ではない。エリオットは自分が今しがたまで捕食されんばかりの勢いで魔王から迫られていたことも忘れ、大声で助けを求めた。

「魔王様!? 誰か! 魔王様が!」

「いかがされまし……ああ、魔王様!!」

 エリオットの声をどこで聴きつけたのか、大声を出した瞬間にゼフが現われ、動く気配のない魔王を目にするなり、瞬時に指をはじいた。

 するとどうだろう。あんなにびくともしなかった魔王の体はふわりと宙に浮かび、そのままゆりかごに揺られているかのように、浮かんだまま丁重に運ばれていく。どうやら魔王は意識を失っているようだ。

「あ、あの、魔王様は……」

「ああ、えーっと……今宵はもうお休みくださいませ、エリオットさま」

 にこやかにゼフにそう促されるも、先程までの魔王の気迫などを思い返せば中断していいものとは思えない。でも、ゼフは魔王を隠すように連れて行こうとしている。

「で、でも儀式が途中では……」

 ゼフに中断された儀式のことを尋ねると、ゼフは気まずそうな顔をしてうつむき、やがてため息交じりに答えた。

「今宵の儀式は、たしかに魔王様の魔力の復活を図ってのものでした。そのために、エリオットさまにはお越しいただいたのですから。でも……」

 ちらりとゼフは眠る魔王を見やり、小さくため息をついてエリオットを気の毒そうに見つめた。

「でも、それすらもいまの魔王様の魔力では難しいようですね……」

「難しいって……そんな、じゃあ、ヴェルクレイン国はどうなってしまうんだ? だって、魔王様の魔力と我が国は繋がっていて……」

 震える声で言葉を重ねて尋ねるエリオットに、ゼフは一層気の毒そうに眉を下げて見つめたかと思うと、深々と頭を下げて部屋を出て行ってしまった。意識を失ったままの、魔力がないと言う魔王を連れて。

 残された半裸の状態のエリオットは、愕然としたままいま突き付けられている現状を整理する。

「魔王様が、魔力回復の儀式をするほどの魔力がない……ってことは……このままじゃ、ヴェルクレイン国は、衰退して……いずれ滅んでしまうかもしれないということ?」

 言葉にした可能性に背筋が凍り付く。何のために自分がここに嫁がされ、命を懸けているのかまで無にされてしまいかねない現実を突きつけられたからだ。

「そんな……そんなのダメだ……でもどうしたら……」

 魔力回復の儀式をさせるほどの魔力がないというのであれば、何をすればよいのか。何か手を打たねば、母国も自分も命がないと言える。それだけは、避けねばならない。

 なんとかして魔王の魔力を回復させれば、きっと国は立て直すことができるのではないか。それが、自分に課せられた使命ではないだろうか。そう考えが至ったエリオットは、月明かりを見上げ、震える声で呟く。

「……そうだ、私が魔王様を元気にして、魔力を回復して差し上げるんだ。私は、魔王様に捧げられた生贄とは言え嫁なのだから」

 そうしてエリオットは、ひとり月明かりの下で、魔王の魔力回復の意思を固めていた。

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