30話 もしもの世界 考える力が無くなっていく。それでも一つの希望を目指して這いあがろうとしている自分がいた。 もしも違う道を選んでいたら、僕はどんな日常を手に入れていたのだろう。 ゆっくり呼吸をすると、安心感が体を満たしていく。自分の描いた妄想が形になり、もう一つの現実を僕に知らしめようとしているのかもしれない。 僕とタミキしかいない、この世界よりもずっと清らかで、温かい日々が映り込んでいく—— 目を覚ますと僕はベッドに横になっていた。辺りを確認すると、そこは僕が生活していた部屋だった。昨日、杉田から聞かされた話を全て鵜呑みには出来ない。それでも説得力のある言葉達に、心が揺れているのも事実だった。 「おはよう、よく寝れたか?」 ソファーに座っている杉田は一睡もしていないようだ。僕の様子を見る為に、無理をしていた。こんな長時間、彼と一緒にいる事は、初めての経験で、新鮮さが溢れている。 「ありがとう、杉田は起きてたの?」 あえて指摘をすると、部が悪そうに、頬を掻きながら、照れくさそうに笑う。その姿が少年のように輝いて見えたのは、内緒。 「昨日の話さ。全てを信用は難しいけど……僕もタミキには違和感を抱いてるんだ」 ふとした時の表情や、時折見せる表情がどうも引っかかっている。その事を杉田に、正直に伝えてみると、悲しそうに微笑んでくる。その瞳は揺らいでいて、僕の立場を考えたら、やるせない気持ちになった。 「そうだな。自分の目で確認して、付き合い方を決めればいい。それでも念のために距離は空けた方がいいと思う」 親友の提案を頭の片隅に入れると、複雑そうな表情で受け入れる。人には表と裏がある。中には素直に自分を表現している人もいるが、本性を隠して生きている人がいるのも、事実だ。警戒心の薄い僕にとっ
29話 新しい自分 あれからどれぐらいの時間が経ったのだろう。食事と飲み物の時は両手の鎖を外してくれるようになった。最初は逃げようとタイミングを見ていたけど、どうしてだろう。こんな日々を送っているせいか、外の世界がとてつもなく恐ろしいものに思えて、自分から逃げ出せなくなってしまった。 タミキの命令は絶対だ。少しでも反発すると複数の媚薬を混ぜて作った速攻に効き目が高まるものを飲まされる。あれを飲まされる時は、現実の境目が分からなくなってしまう。自分の知っている自分が消滅していく感覚が、恐怖として記憶の一部として上書きされていく。力で支配されるよりも、精神的に支配されている感じだった。 「いい子だね。俺の恋人は」 タミキの愛は歪んでいる。愛してるから苦しめる、愛しているから泣かす、愛しているから支配する、理解出来なかった僕も、彼の当たり前の考えを受け止めるしか出来なかった。そうじゃないと、生きていけないと思ってしまったんだ。 「まだ、怖いかな。だいぶ俺の事、理解してきたんじゃない? ずっと見ていたんだ。君が俺の前から消えた、あの時から」 どうやって声を出していいのか分からない。かなりの間、話す事を放棄していた僕は、いつしか自分の持つ言葉の意味も、使い方も、全てが異次元のもののように思えるようになってしまった。 「ゆっくりでいいよ、君の声を聞きたいんだ」 話すなと言ったり、喋ろと言ったり、タミキは何を求めているのだろう。今まで見てきた、彼の優しさは僕を陥れる為の、嘘だったのだろうか。 今になっては、どうでもいい事なのかもしれない。僕は自分から彼の用意した鳥籠に、足を踏み入れたのだから—— 「あ……ああ」 「そうそう、上手じゃないか。上手く出来たね、ご褒美をあげようか」 首輪は僕の全てを縛る。久しぶりに出した自分の声は、今まで聞いた事のない音をしている。真っ暗な視線の先に、光のは憎しみの混じった
28話 予知夢と現実 気に入らない人間とのコンタクトを全て遮断していくタミキの姿に気づく事はない。すやすやと夢の世界へ入り込んでいる僕をチラリと確認すると、作業の続きを再開する。杉田を含め、僕に悪影響を与える人物をブロックしていく。電話は勿論、その他の連絡手段も。これ以上、邪魔が入らないように、先に手を打つと、ドッと疲れが出てきた。 集中していたのだろう。僕を起こさないように配慮をしながら、作業を続けていく事は、大変だった様子。「これでいいかな」 タミキの知らない所でグループには入っていた僕をよく思わないタミキは、今までの履歴を全部削除した。連絡先は消すよりも、置いておく方がいいと判断した。じゃないと気づかれる可能性があるからだ。 例え、気づかれたとしても、スマホがバグったとか言えばいい。単純な僕を操作する事なんて、タミキからしたら簡単だったらしい。 熟睡している僕の髪を撫でると、疲れも癒しに変わっていく。サラサラと手にまとわりつきながら、軽く握りしめた。 二度と離すものかと誓いながら—— ◻︎◻︎◻︎◻︎ 最初は素敵な夢だった。タミキと抱き合いながら毎日を幸せに過ごしていく宝物のような夢。その夢がガラスのように、壊れた瞬間に、全く正反対の映像が現れたんだ。 狂気に狂ったタミキが僕をモノ扱いしながら、追い詰めて弄ぶ夢だ。タミキは沢山の言葉達を巧みに使いながら、僕の思考を変えていった。当たり前と思っていたものが、異変になり、異変だと思う事が当たり前に書き換えられていく。「誰にも渡さない。君は俺のものだ」 瞳孔が開いたタミキは、まるで獣のようだ。その姿は僕の知っている彼とは違う、別次元に生きる魔神のように思えてしまう。 言う事を聞かないと、力づくで押さえ込まれてしまう。この環境には僕の意志なんて必要ないと知らしめるように。 夢ならいいのに、夢なら。「なん……で」 揺さぶられながら、目を開けると、そこには心配したよう
27話 移り変わる世界 一部の噂に尾鰭がついて、歪んで捻じ曲がって真実が書き換えられていく現実を目の当たりにしている杉田は、否定こ肯定もせずに、周囲がどう動くかを見ている。自分に押し付けられたスキャンダルを利用する手は今しかないと、人間関係に振るいをかけ始めたのだ。どんな状況に陥ったとしても、それでも自分を見てくれる人達を見ていこうと考えていた。その中には勿論、庵もいる。そう彼は信じてやまなかった。 例えタミキの毒牙にやられても、庵は庵のままなのだからと、形のない信頼と信用を心の中で抱いている。それが杉田を支える、大きな力になっていたとも知らずに—— 信じる事がどれだけ大変な事かを 忘れていた僕達は 全てを失ってからやっと そのかけがえのなさに気づいていく パリンと窓ガラスが飛び散ると、その破片がタミキめがけて攻撃を開始した。正気を失った僕を見下ろしながらも、邪魔ばかりしてくる外野に怒りを抱きながら、兄に電話をかける。「この場所特定されてんの? 邪魔してくる奴がいるんだけど」 面倒くさそうに言葉を吐き捨てると、要件だけを伝え、荒々しく電話を切った。壊れつつある僕を弄びながら、身体中にキスマークをつけていくと、満足そうに悦に浸った。タミキの言葉は、もう僕の耳には届かない。最初は豹変したタミキを落ち着かそうと抵抗していた僕も、何ヶ月も自由を失い、牢獄の中でしか生きれないと思い込んでしまうと、簡単に彼の指示を受け入れてしまう、ただの下僕に成り下がっていった。首には何度も何度も絞めらつけられた跡が、痛々しく浮き彫りになっている。「本当可愛いね、庵は」 食事に混ぜられていた媚薬が、今日も僕を発情させていく。悪い夢を見ていると、現実を受け止められなくなった僕は、どんどん弱っていった。「つっ、きつ」 解す事もせず、急に僕の中へと入ってくる。メキッと肉壁が悲鳴を上げると、涙を流すように、血が滲んでいった。「痛くないでしょ、薬が効いてるから。ああ、やべ」 荒々しく腰を打ちつけると、無意
26話 切り捨てと信用 二人で昼ごはんを食べていると、急にテレビをつけた。タミキはテレビをあまり見ないが、自分の番組や情報を取り入れる為に見る事はあるらしい。二人でいる時はなるべく、仕事の事を考えたくないようで、見ない事が殆どだ。 「珍しいね。タミキがテレビを見るなんて」 「そう?」 「うん。僕といる時は見ないじゃない」 いつもと違う行動を見せるタミキを見つめると、少し恥ずかしそうにしている。どうしたんだろう。 「そんな見つめられると、恥ずかしいだろ」 人の目に慣れているタミキから、そんな言葉が出てくるなんて、と軽くカルチャーショックを受ける。そんなに見つめていたのかと、こちらが照れてしまう。顔に出ている感情を隠そうと、ご飯を思い切りかき込んでいくと、テレビの音から溢れた音が、僕に衝撃を与えた。 「え」 聞こえてきた名前を再確認すると、自分がよく知っている人の名前が表示されていた。テレビには彼の経営する美容室が映っている。 「なんで」 その店は、僕がよく知っている店だった。そう、杉田の店だ。場面は切り替わると、違う会社の映像へと映った。二つの顔を持つ、会長の真の姿と表現されている。 「杉田だな」 全てを知っているように、呟くタミキは、何の動揺もない。僕だけが蚊帳の外で、何も知らなかった事にショックを受けた。 「噂は本当だったんだな。男性タレントをおもちゃにしてるって」 見せつけるように、現実を語るタミキからは冷酷さしか感じられない。そりゃそうだろう。信じていた人に、こんな裏側があると知ってしまえば、軽蔑するのもおかしくない。 「何かの間違えとか……」 「それはないだろうな。確証がないとこんなふうにはならないよ。今までは上手く隠していたのかもしれないけど、そう簡単
25話 崩壊の入り口 何も出来る事なんてない。少しずつ狂い始めた歯車を止める事は出来なかった。杉田から一言、メッセージが入っている。内容を見てみると、自分の知らない所で、何かが起ころうとしている予兆のように見えた。 あれ以来、気まずくて顔を合わせる事が出来なかった。色々な事を考えていると、邪魔をするように、後ろから抱きしめられていく。 「何、考えてるんだ?」 タミキは自分に振り向くように、仕掛けていくと、その罠に簡単に堕ちていく僕を見て、満足そうに言った。 「杉田から連絡が入ってさ、何かあったみたいなんだ」 杉田の名前を出すのは、なんだか少し気が引ける。そんな内情を把握しているタミキは、欲望の味を僕に共有しようとしている。 「ん」 いつもなら軽いキスで終わるのに、今日は違った。他を見ないように、ダイレクトに感情を伝えていく。そんなタミキを見つめながら、ただただ息を漏らしていく。 「激しい……むう」 唇と唇が離れたかと思うと、今度はより深く、貪るように僕の唇を堪能しているようだった。息が上がっていくのを止める事は出来ない。話の続きをしたいのに、ぼんやりと思考が溶けていく。 「はぁはぁ」 「他の奴の事なんて考えるなよ。俺がいるのに……」 理性を飛ばす為の下準備を終えたタミキは、僕を抱き上げると、ベッドへと運んでいく。顔を真っ赤にし、タミキの腕を掴みながら、息を大きく吸った。 「タミキっ……」 彼の名前を呼んでも、一度スイッチの入ったタミキは、自分の気持ちを優先させていく。困っている表情も、震えている体も、何もかもがご褒美だ。堪能出来る瞬間を逃す手はなかった。 「大丈夫、俺に任せて」 不安そうな顔で見つめる僕は、タミキの言葉で少しずつ落ち着きを取り戻し