「そやったら、お重もう一段持って帰りよ!」「は?いや、いいよもう充分。二段も入ってるし」「だって、陽介さん身体大きいしたくさん食べるやろ。すぐやから」おせちのお重が追加されるのを断ろうと、お母さんと押し問答する真琴さんの横顔を見ながら、自分で吐いた言葉に俺自身が苛まれていた。『身動き出来ない状態で、弄くり回してやろうか』真琴さんではなくあの男に向けて言った言葉だ。だけど、真琴さんと準えて言ったことに間違いはなく、俺の言葉が真琴さんを傷付けてしまったような気がして、酷い罪悪感に胸の奥が軋んだ音をさせる。どこをどう触られたかなんて、聞いてない。だけど、俺が言ったようなことをされたかもしれないのだ、あの男に。漸く玄関の外に出て、念のために周囲を見渡してあの男がいないことを目視で確認する。「陽介さん?」「あ、それ、持ちます」おせちの入った紙袋を真琴さんの手から受け取って、そのまま手をつないで歩きだす。「佑さんと喧嘩でもしたんですか?」「なんでですか?」「いえ、なんか。なんとなく?」「なんもないですよ、仲良しです」「仲良し、と言われたらそれはそれで違和感あるんですけど」「俺は離婚してるはずの佑さんがなんの違和感もなくあの場にいるのが不思議でしたけど」「言ったじゃないですか、別れてからのが良い関係みたいだって。その内よりを戻すんじゃないかなあ。今日もちゃんとお父さんしてて機嫌良さそうだったのに」佑さんがいつもと違っていたことを、不思議がっている様子で、そこから話を逸らしたくて彼女の手を持ち上げた。細い手首、指。壊れ物みたいに繊細で、その手で必死に暴れたのだろうか。……なんで、俺じゃなかったんだろう。思っても仕方ないことを、胸の内で呟いて、労わるようにその手に唇をくっつけた。あの男にどこまで触られたのだろうか、と考え始めれば冷静でいられない自分がいて、必死で脳内を切り替える。手にキスをしたまま、彼女の顔を覗き込むと、またほんのり頬を染めて困惑した表情で俺を見ていた。「……な、なんですか、急に」「へへ、今日何回も顔真っ赤にして可愛かった」「あれは貴方が恥ずかしいこというからっ」「いいっすか?」「こ、ここで? でも、人が」「暗いし誰も居ないっすよ」「そんな暗くないじゃないですか」唇にキス、の合図に戸惑う彼女に「ち
首を絞めようとしたわけじゃない。ただ頭に血が上って、指先に力は入る。手のひらが咽喉仏に当たったのか、男が顔を歪ませて咳き込んで「陽介!」と、鋭い声にはっと我に返った。首から手を離し、すぐに胸倉を掴みなおして引きずりながら階段を下り、門の外まで連れ出すと道端に放り出す。「てめえ!」「騒ぐなよ、周りにバレて本当に困るのはどっちだ」知られたくないって真琴さんの心理に乗っかって胡坐かきやがって。喉を押さえ黙り込む男を、頭の天辺から足まで視線を巡らせた。脳が沸騰しそうな怒りを無理矢理抑え込んだせいで、荒くなった自分の息遣いを聞く。ここまでクズな男を、初めて見た気がする。この男に真琴さんが何をされたのか、事細かに聞いたわけじゃない。ただ『誰もいないところで無理矢理抑えつけられて身体を触られた』と簡潔な事実を説明されただけに過ぎない。俺にはわかんねえ。力づくで抑えられたら恐怖でしかないのは誰にだってわかりそうなもので、なのになんで幼馴染に向かってその力を鼓舞しようとしたのか。黙々と見下ろす視線が異様だったのか、男が少し青ざめた顔色で口元をにやつかせる。「……悪かったよ、ほんとに。だけどほら……ガキの頃の出来心っつうか、俺もあの頃は落ち着きなかったしさ。結局未遂なんだし、せめてちゃんと謝罪くらいさせてくれよ」未遂未遂、謝罪謝罪……いちいち怒りを助長する言葉しか吐かない男に、治まらない憤りの出口を求めて、握りしめた拳が震えた。「結婚式にどうせ顔合わせるだろ、その時に気まずいのも周囲から変に思われるし」「結局、それが理由なんだろうが」「
【本編:貴女が涙を呑んだ理由:陽介VS篤】慎さんの実家で、帰りがけに玄関で彼女を待っていたときだった。 外の階段を上がってくる足音がしたかと思うと、扉が開く。「陽介? もう帰んのか」「あれ、どっか行ってたんすか」姿が見えなかったから、てっきり酔いつぶれてどこかで寝てるのかと思っていた佑さんがコンビニの袋をぶら下げて入ってきた。「煙草買いに行ってた。ちょっと待てよ、真琴は?」「今台所に呼ばれてって」その佑さんの後ろに、知らない若い男が立っていて目が合い会釈する。 おいおいおい。 どう見ても社会人って年齢だよな? 初対面の相手に眉を顰めるってどうなんだよ。 如何にも「お前誰だ」って視線を向けてんじゃねーよ。 男の態度に呆れていれば、佑さんがぽんと俺の肩を叩いて「こいつ、真琴の彼氏」と簡単な紹介をしてから今度は俺に向かって言った。「隣の、真琴の幼馴染の篤。二月に結婚するやつ」感情を水面に例えるなら、この時の俺の水面は意外にもさざ波一つ立たない、静かに置かれたコップの水のようなものだった。「今そこで会ったんだよ、久々に真琴に会いたいっつーから」「へえ……」と、一言漏れただけで、その男から目を離すことはできず身体ごと向き直って凝視する。 ただ、これ以上先に進ませるわけにはいかないと、それだけを咄嗟に思いついて男の前をふさぐ形で立っていた。「陽介?」「真琴さん、呼ぶ必要ないっすよ」「は?」男が、一層眉を顰める。 訝しむ佑さんの声に振り向かず、男を見下ろしたまま言った。「俺が追い
【だからいわんこっちゃない:陽介side2】『は?!……昨日から?! なんで言わないんですか!』「すんません……だって、どうしても、遊園地が……熱さえ下がったら行けるかもって」『そんなことはどうでもいいんです馬鹿!』『寝てなさい!』電話越しの声は明らかに怒っていて、最後はブチッと通話は切られてしまった。ううう。わかってます。昨日から熱出てんのに、なんで当日のドタキャンなのかというと、なんとしても下げて遊園地に行きたかったんです。携帯を未練がましく手に握りながら、ちょっぴり泣きたくなった。本当なら今頃は、二人で遊園地に向かっているはずだったのに。ジェットコースターとかアトラクションもいいけど、ただ歩いているだけでも楽しいし、遊園地特有のあの可愛いアイテムとか。ネコミミのやつ、慎さんにつけて欲しいなー……とか。色々考えて子供ん時の遠足みたいに楽しみにしてたのに。熱のせいで頭がぼんやりとして、顔が熱い。なのに身体はぞくぞくして寒いのかなんなのかわからないけど震えがくる。慎さんに散々忠告されて心配もしてくれてたのに、会いたさに全部無視して店に通い詰めて、罰が当たったのかも。嘆きながらいつの間にか熟睡して、手から携帯がすり抜けてベッドの下に落ちていた。その後慎さんが連絡をくれていたのに、全く気付かずに寝こけていて、妹の「お客さん来てるよ!」の声で起こされる。重たい頭で辛うじて目だけ開けると、枕元に紗菜がいた。「客?」「そう、神崎さんだって」神崎……神崎?俺の知って
【本編『だからいわんこっちゃない!』陽介side】終電を逃したからといって、まさか……あの慎さんがまさか!泊めてくれるとは思わなかった。慎さんのベッドになんて、当然入れるわけもなく(瞬く間に変態になる自信がある)出してくれたスエットに着替えて、とりあえずソファに座る。テーブルの上にあるものに触れていいか迷って、テレビのリモコンならいいだろうかと手に取った。テレビを付けてみる。付けたもののイマイチ集中できないので―――やっぱり消してみる。ソファをやめて床にしてみる。「…………」所在がねえ!落ち着くわけねえし!それでも、確かに疲れは溜まっていたのか。堅苦しいスーツを脱げて少し、身体の力が抜けて楽にはなった。ソファの足部分に凭れて、首が丁度座面の高さでそこに頭を預けると斜め上に天井が見える。廊下を挟んで扉二枚で隔たれているから、店内の音は聞こえない。大きな音がすれば、また別だろうけど。今頃慎さんは、あのOLさんの話し相手を続行しながら次のカクテルを作ってるんだろうか。女の人だから今夜はまだいいけど、男の客が長く慎さんに絡んでると、本当苛々させられるんだよなあ。しん、と静まり返った部屋でそんなことを考えていると、いつの間にか目を閉じていて、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。どれくらいの時間が過ぎていたのか。ふと気が付いた時には、微かにシャンプーの良い匂いがしていた。まだ眠くて目は開かないけれど。なんで気が付いたんだっけ。そうだ、ついさっき。顔に、目の下
すっかり日も昇った朝、窓の外は明るくて今日も天気は良いらしい。だけど僕は、仏頂面でまだベッドの中に居た。陽介さんは下着だけつけてベッド脇の床で正座して、僕に深々と頭を下げている。「すんませんっした」「…………」「大丈夫、っすか」「大丈夫に見えますか」「あっ、プリン! プリン買ってきます」「プリンはもういいです」目が覚めて、お手洗に行こうとしたら足腰が全くダメになっていた。ベッドを降りてすぐ、ふにゃふにゃと膝が崩れてその場から動けなくなり、慌てて陽介さんを起こしてお手洗の真ん前まで運んでもらうという、情けなく恥ずかしい思いをしたのである。当然、お手洗からベッドに戻るのも陽介さんの手を借りた。「……もう一日、遊べるはずだったのに」「大丈夫っす、昼までゆっくり寝て、それからチェックアウトして遊びに行きましょう」そう言う陽介さんの足元で、ごみ箱からころんと零れたペットボトルが転がった。昨夜、彼がたくさん買い込んできたペットボトルが殆ど空になってそこにある。やけにたくさん飲み物を買って来たな、とは思っていたけど、その時点でとことんやる気満々だったんじゃないか、と少々頭にも来る。何が、『夜中喉が渇くし』だ。確かにカラカラに乾いたが。途中で陽介さんに何度か飲まされた覚えはある。『真琴さん飲んで。脱水症状になったらいけないから』身体を起こされて彼に跨る格好で飲まされたり、最後の方はもう僕がぐだぐだで口移しで含まされた。心配をしてくれるのはありがたいが、それくらいなら早く解放しやがれとかなり本気で思った。思い出して