LOGIN「黙れ。当時、姉は俺のために、あの寝たきりのやつの面倒を見ながら、こっそり薬をすり替えて手に入れた金だって、全部お前が握ってるんだろ?お前、本当何も分かってないな。姉がまだ生きていたなら、目を覚ましていようが、眠ったままだろうが、ずっと相手から金をもらい続けられるんだ。だから言ってるだろ。お前は視野が狭いんだよ。姉は今こうして昏睡状態でも、俺たち小松家にとってはまだ金のなる木なんだ。お前なんかに、姉のことをあれこれ悪く言う資格はない。自分のことだけ気にしてろ」「小松金吾(こまつ きんご)、あんた馬鹿なの?お義姉さんが人の薬をすり替えたことなんて、もうとっくにバレてるに決まってるじゃない。その相手は今、自分は関係ないと証明するために、お義姉さんを殺そうとしたんでしょ。お義姉さんがこうして寝たきりになっているのに、まだお義姉さんを利用してお金をもらおうとしてるの?そんな都合のいい話があるわけないじゃない」「もういい、お前は黙ってろ。お前みたいな女に何が分かるんだよ。まあ見てろって。たとえバレたとしても、姉にはまだ利用できる切り札が残ってる。最後にもう一度、金を絞り取れるんだ」録音は、そこで終わっていた。しかし、その内容から分かることは少なくなかった。杏奈の弟夫婦の会話を聞いた夏樹は驚きを隠せなかったが、真っ先に咲夜のことを思い浮かべた。彼はゆっくりと口を開いた。「今日花江さんを訪ねた理由は二つあります。一つは、私が本当に何も知らなかったことを伝えるためです。もう一つは、この音声を録音したことを伝えるためです。花江さんにとって、きっと役に立つと思います。私がお父さんのためにできることは、これくらいしかありません」夏樹は雅紀の主治医だった。しかし、雅紀の診療に携わる中で、二人の間には医師と患者という関係を超えた、ある種の絆も生まれていた。医師として、夏樹はこれまで数え切れないほどの生死に立ち会ってきた。何百、何千という命の終わりを見届けてきた彼なら、とうに慣れていてもおかしくなかった。それでも、夏樹は人の痛みに寄り添いすぎるほど優しい人間だった。自分の手の中で救えなかった患者が出るたび、家族が声を枯らして泣き叫ぶ姿を目にすると、いつも胸が締め付けられるような苦しさを感じていた。そんな時、いつも雅紀は傍らで文
咲夜は実家で昼食を済ませた。そして、澄江が亡くなったことを真奈美にも伝えた。澄江の名前を耳にした瞬間、真奈美の表情は見る見るうちに険しくなる。だが、しばらく黙っていたあと、冷え切った声でただ一言だけ返した。「自業自得よ」それだけ言うと、澄江についての話は終わった。真奈美には、彼女の死を哀れむ気持ちは一切なかった。どれほど情に流される性格だったとしても、花江家をここまで追い込んだ元凶に同情などできるはずがない。むしろ、澄江はもう死んでいてよかった。もしまだこの世に生きていて、再び自分の前に現れたなら――真奈美は、自分の手で引き裂いてやりたいとさえ思っていた。そんな母の様子を見て、咲夜はようやく胸をなで下ろす。しばらく実家で過ごしたあと、彼女は帰路についた。帰る途中、スマートフォンが鳴る。画面には【福島夏樹】の名前が表示されていた。電話に出ると、夏樹が切り出す。「花江さん、お時間をいただけませんか。一度お会いしたいんです」咲夜が雅紀を自宅に連れ帰って以来、夏樹とは一度も連絡を取っていなかった。彼が一連の件に関わっていないことは確認済みだったし、もともと連絡を取っていたのも父の容体を知るためだった。今では主治医も替わり、彼とやり取りを続ける理由はほとんどない。それでも、ここまで真剣に会いたいと言われ、咲夜は最終的に了承した。二人はカフェで落ち合うことになった。咲夜が到着したときには、夏樹はすでに来ていた。個室を予約していたらしい。だが、その顔色は明らかに優れない。咲夜が扉を開けると、彼は慌てて立ち上がった。「花江さん、お越しいただきありがとうございます」「いえいえ」咲夜は向かいに腰を下ろす。その様子を見ただけで、かなり憔悴していることが分かった。夏樹は両手を落ち着きなく擦り合わせると、前置きもなく口を開く。「……申し訳ありません。こんなに時間が経ってからお話しすることになってしまって。小松杏奈が、お父さんの薬を勝手に替えていたことを、今日初めて知りました。花江さん、私は本当に何も知らなかったんです」杏奈はいまもなお華和総合病院で昏睡状態のままだった。夜勤明けだった夏樹は、容体を確認しようと病室に向かった。そのとき偶然、病室の外で杏奈の弟夫婦が薬の
雅紀は、かつて花江グループを襲ったあの混乱の裏で、英樹が暗躍していたことまでは知らなかった。彼はただ、咲夜が森崎家の「火事場泥棒」のようなやり方に怒りを抱いているだけだと思っていたのだ。弱肉強食のこの世界では、強い者が勝ち、弱い者が敗れる。力が足りずに飲み込まれるのも、ある意味では当然のこと。だからこそ彼が本当に心配していたのは、咲夜が復讐心に囚われ、その感情に振り回されてしまうことだった。本来なら、森崎家がしてきた卑劣な行いを父に打ち明けるつもりはなかった。だが、父がそこまで口にした以上、咲夜は少し考えた末、英樹がこれまでしてきたことをすべて雅紀に話すことにした。話している間も、彼女は何度も父の表情を盗み見る。再び刺激を受けて体調を崩すのではないか――それだけが心配だった。幸い、すべてを聞き終えた雅紀は、感情こそ揺れていたものの、取り乱すことはなかった。彼は両手を固く組み合わせる。手の甲には青い血管がくっきりと浮かび上がっていた。怒っていないはずがない。誰が想像できるだろう。表では肩を組み、兄弟のように親しく振る舞っていた友人が、裏では陰で手を回し、自分の会社を破綻寸前まで追い込み、自身までも脳卒中で長い間苦しめていたなどと。それだけではない。英樹は療養所に見舞いに来るたび、体調を気遣う言葉をかけ、親身な態度を見せていた。だが今となっては、その一つひとつが偽善にしか思えない。吐き気がするほどだった。ここまで冷酷になれる人間がいるとは。結局、自分は人間というものを甘く見ていたのだ。雅紀は自嘲気味に笑う。「もっと早く気づくべきだった。お前は昔から、人と争うことを嫌う子だった。何事にも執着せず、流れに任せるような性格だったのに、突然会社を引き継いで、迷いなく改革を進め、森崎家と真っ向から対立した。そこには、必ず理由があったんだな。私は本当に病気で頭まで鈍っていたらしい。お前が森崎家と争うのは、感情に流されているせいだなんて心配していたんだから」その瞬間、これまで点だった出来事が、次々と一本の線になって頭の中でつながっていく。雅紀は静かに首を振った。「もういい。ここまで来た以上、お前に森崎家を許せなんて、父さんには言えない。たとえこちらが手を引いたとしても、向こ
祝賀パーティーの後、咲夜は久しぶりに実家に顔を出した。雅紀の体調は以前よりもずいぶん回復していた。少なくとも、今では言葉もかなり滑らかに話せるようになっている。娘の姿を見ると、雅紀は彼女を手招きした。「せっかくの週末で会社も休みなんだ。家でゆっくりしていればよかったのに」「お父さんとお母さんの顔を見に来たの」そう言って咲夜は父の隣に腰を下ろし、穏やかに話し相手を務める。真奈美は朝早くから外出していた。友人の孫の生後一か月のお祝いに招かれていて、その贈り物を選びに行ったのだという。雅紀は病気になって以来、ほとんど外出しなくなったが、真奈美も無理に連れ出そうとはしなかった。「荻野家のあの子とは……うまくいってるのか?」雅紀は自ら、咲夜と千暁のことを切り出した。咲夜は隠すことなく答える。「今のところ順調だよ。落ち着いてる」隠すようなことではないと思っていた。その答えを聞き、雅紀はようやく安心したように頷く。「あの日のファッションショーで分かったよ。あの子は、お前のことしか見えていない。それなら安心だ。愛してくれない男のそばにいるより、お前を心から愛してくれる相手と一緒にいるほうが、ずっといい」ショーの日、雅紀が本当に見ていたのは、ランウェイを彩る作品ではなかった。この歳になるまで数々の経験を重ね、彼はもう悟っている。財産は所詮、身の外にあるもの。何より大切なのは、家族が元気でいることだ。だから彼が目で追っていたのは、千暁と咲夜のやり取りだった。千暁が無意識のうちに咲夜を気遣う姿。その一つひとつを見れば、そこにあるのが本心なのか、見せかけなのかくらいは分かる。見届けたことで、彼は安心できた。咲夜も、父の言葉の意味を理解していた。それは、かつて自分が晴南のそばで耐え続けていた日々を思い出しているのだ。彼女は微笑みながら頷く。「うん。本当に大切にしてくれてるから。だから心配しなくて大丈夫」その言葉を聞くと、雅紀はじっと娘を見つめた。どこか複雑な眼差しだった。幼い頃、自分の腕にしがみついて甘えていた小さな娘。その子が今では、一人で立ち、自分の身を守れるほど強く成長している。成長というものは、長く、苦しいものだ。その過程で払ってきた代償は、父親である自分にはきっと想像しき
天志はこれまで何度も、期待を裏切られたと言わんばかりに瞳を指差し、怒鳴りつけてきた。「どうして分からないんだ」と、彼女が自分の苦労や思いを理解しようとしないことを責め、なぜか貧乏な男ひとりに執着して人生を棒に振ろうとしているのだと罵った。天志は琉安を見下していた。徹底的に。彼の目には、琉安は何の価値もない役立たずとしか映っていない。瞳に何一つ与えられず、ましてや荻野家にさらなる利益をもたらすことなど到底できない男だった。……祝賀パーティーが終わると、咲夜と千暁は家に戻った。ここ数日、張り詰めた状態で休みなく働き続けていた咲夜は、帰りの車の中で千暁にもたれかかると、そのまま深い眠りに落ちてしまう。車が家の前に停まると、千暁は真澄に「帰りも気をつけて」と声をかけ、身をかがめて眠る咲夜をそっと抱き上げた。抱きかかえられたことに気づいた咲夜は、うつらうつらしたまま彼の首に腕を回し、頬を深く胸元に埋める。「……眠い」小さく漏らしたその声に、千暁は額に優しく口づけた。「着いたよ」咲夜の家の電子ロックには、すでに千暁の指紋が登録されている。指を当てると解錠音が鳴り、彼は室内の明かりをつけ、そのまま咲夜を抱えて二階に上がった。ベッドにそっと寝かせると、咲夜はほとんど反射的に寝返りを打ち、布団を抱き寄せて頬をすり寄せる。目は閉じたままだ。窓辺に立っていた千暁は、彼女の様子を見て、思わず小さく笑った。「お風呂をためてくる。入ってから寝よう」彼はもう咲夜の生活習慣をよく知っている。眠る前に風呂に入らないと、夜中に気持ち悪くなって目を覚まし、結局シャワーを浴びに行くことになるのだ。返事を待たず、クローゼットから二人分のパジャマを取り出して浴室に向かった。浴槽に湯を張り始めると、水の流れる音が寝室まで聞こえてくる。咲夜は眠気こそ強かったが、実際には布団にくるまって目を閉じているだけだった。千暁ができるだけ音を立てないよう、自分のためにあれこれ動いてくれている気配を感じ、重たいまぶたをゆっくりと開く。裸足のまま浴室に向かって歩き出した。次の瞬間――ゴンッ。額がガラス扉に思いきりぶつかった。鈍い音に気づき、ちょうど湯加減を確かめていた千暁が振り返る。上着はすでに脱いでランドリーバス
咲夜は、親友がスマホを手にしたまま、まるで魂でも抜かれたような顔をしているのに気づいた。いったいどんな相手なんだろう。そんなにうっとりした顔をさせるなんて。気になった咲夜は、思わず瞳のそばに身を寄せた。「どうしたの?何見てるの?」瞳は慌ててチャット画面を閉じ、首を横に振った。「別に。何も見てないよ」まさか、自分が年下の純朴な男子大学生とずるずる関係を続けているなんて、咲夜に話せるはずがない。そんな話が兄の耳に入ったら、ただじゃ済まない。本気で叩かれるに決まっている。もちろん、罪のない年下の子を弄ぶつもりなんて最初からなかった。ただ……あの子、ほんとにツボなんだよね。しかも、とびきり刺さる。瞳は心の中で思う。恋愛をするつもりは今もない。でも、ちゃんと向き合って付き合って、その代わりにお金を渡すくらいなら、そこまでひどいことでもないんじゃない?あんなに可愛い子だし、気づけば結構気に入っている。癒やし系の年下男子がそばにいて、退屈しのぎになってくれるくらいなら、それも悪くない。考えれば考えるほど、何も問題ない気がしてきた。よし。今夜帰ったら、一度ちゃんと話してみよう。恋愛感情さえ求められなければ、いくら欲しいと言われても構わない。私が欲しいのは、お金じゃなくて、心を満たしてくれる存在なんだから。――そうしよう。瞳は一人で勝手に結論を出し、すっかり上機嫌だった。そんな親友の満面の笑みを見つめながら、咲夜は心の中でツッコミを入れる。――これのどこが「何もない」なの?恋する乙女そのものじゃない。心なんて、とっくにここにはないだろう。実際、瞳の心はもうずっと遠くに飛んでいた。祝賀パーティーも終盤に差しかかると、咲夜に一言だけ声をかけ、そのまま足取りも軽く会場を後にした。千暁は片手をポケットに入れ、もう片方の腕で咲夜の細い腰を抱き寄せながら、軽やかに去っていく妹の背中を見送る。「……あの子にも、ようやく春が来たのか?」低く落ち着いた声でそう尋ねると、隣にいた良太がすかさず口を挟んだ。「春になれば万物が芽吹くし、猫ちゃんだって発情期になるからね」言い終わるや否や、千暁は迷わず足を振り上げた。「黙れ。発情してんのはお前だろ。これ以上くだらないこと言うなら、その発情猫を先に
洸は、咲夜が手にしていたコーヒーを奪い取ると、そのまま自分の顔へとぶちまけた。続けざまに、自らの頬を思いきりひっぱたく。華奢な身体は、計算し尽くされた絶妙なタイミングで床へと倒れ込んだ。額がテーブルの角にぶつかり、生温かい液体が視界を滲ませる。「ごめんなさい……私が悪かったわ。晴南さんに付きまとったりして、本当にごめんなさい。私を打って気が済むのなら、いくらでも打って。抵抗なんてしないから」床に座り込んだ洸は、首を振りながら、しゃくり上げるような声で泣き叫んだ。晴南は、かなり離れた場所にいながらも、ダイニングルームの騒ぎを聞きつけていた。慌てて階段を駆け下りた彼の目
「晴南さん、一人だと……少し怖いの」背後から、震える洸の声が追いかけてきた。晴南はすぐさま手を伸ばし、洸の手をしっかりと握り締めると、宥めるように優しく声をかけた。「どうした?慣れない環境で落ち着かないのか?」洸はただ、消え入りそうな様子で小さく頷いた。その痛々しい姿に、晴南の胸は締め付けられた。「俺がそばにいる。何も怖いことはないよ」「……ごめんなさい。私、あなたと咲夜さんの邪魔をしてしまったかしら」洸の視線が咲夜へと向けられる。それはまるで、今この瞬間に初めて彼女の存在を認識したかのような、白々しいまでの素振りだった。洸は緊張に声を震わせながら言葉を継いだ。
「あなたと結婚するわ」区役所の前。閉庁時間を過ぎ、もはや人の出入りのないガラスの自動ドアを見つめながら、花江咲夜(はなえ さくや)はスマートフォンを取り出し、ある番号へ電話をかけた。今日は、森崎晴南(もりさき せな)と入籍する約束の日だった。それなのに、彼女は朝九時から午後五時半まで待ち続け、手元には十数枚もの整理券が溜まっていた。結局、晴南が姿を現すことはなかった。入籍を言い出したのは晴南の方なのに、すっぽかしたのも彼だった。これで、咲夜が彼に約束を破られたのは三度目になる。咲夜はもう使い物にならない整理券をゴミ箱に捨て、背を向けると、晴南の宿敵である荻野千暁(お
寝室へ戻った途端、咲夜のスマートフォンには真奈美からのメッセージが怒涛のように押し寄せていた。【咲夜、どうしてもそんなに意地を張るつもり?本当に花江家のことなんてどうでもいいの?お父さんやご先祖様が代々築き上げてきたものを、このまま潰して平気だっていうの?】【私やお父さんが死んだあと、ご先祖様にどう顔向けすればいいのよ】【分かってるわ、あなたが辛い思いをしてきたことは。でも、あの白羽さんは晴南さんにとって忘れられない人なのよ。あなたが少し我慢すれば済む話じゃない】【男なんて外で遊ぶものよ。心を繋ぎ止められないなら、せめてお金だけでもしっかり握っておけばいいの】【咲夜、お願い