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第4話

Penulis: 歓乃
智也は、凛が綺麗でスタイルも良いことを知っていた。たまにじゃれあうだけでも、抑えがきかなくなるほどだった。

しかし凛と肌を重ねようとすると、心の底で初恋の人を裏切っているような罪悪感が芽生える。だから、この何年もずっと我慢してきた。

でも……

凛は法律上の妻だ。それに、今夜の彼女はあまりにも魅力的すぎた。

凛は、智也に見つめられていることに気づいていた。だけど、初恋の人としか子供を作りたくない男が、自分に欲情するはずがないことも分かっていた。

彼女は平然と智也の前を行ったり来たりして、ドライヤーを手に取った。

智也は突っ立ったまま、目で凛の動きを追っていた。

凛は智也に背を向けると、長い髪を片方に寄せた。すると、白く細いうなじがあらわになり、部屋にはしっとりとした甘い香りが漂った。

智也はごくりと喉を鳴らした。

その時、凛の腰が温かい手にぐっと掴まれた。

「お前はずっと子供が欲しいって言ってたよな」智也は凛の手からドライヤーを取り上げると、後ろから彼女を抱きしめた。

凛はたしかに愛する人との子供が欲しかった。でも、今この瞬間は、ただただ気持ち悪いとしか思えなかった。

「もういらないわ」彼女は静かに言った。

智也は眉間にしわを寄せた。そして、凛の顎をそっとつまむと、その柔らかな肌触りがたまらなく愛おしく感じた。

彼の体も、反応し始めていた。

凛は驚いて、わずかに目を見開いた。

「最近、仕事と家事の両立で疲れてるんじゃないか?俺たちの子供を作ろう。そうすれば、お前は安心して専業主婦になれる。どうだ?」

凛は、自分のために食事を作らなくなっただけじゃない。谷口家の用事も断るようになり、自分には理解できない考えを持つようになっていた。

このままではまずい。

自分には家事をこなしてくれる良き妻が必要だったし、谷口家にも、言うことをよく聞く嫁が必要だったのだ。

凛が子供を欲しがっているなら、一人くらい作ってやっても大したことじゃない。むしろ、これで彼女を完全に家に縛り付けておける。

たかがパートみたいな仕事の、何がそんなにいいのか。人に知られたら、自分の恥になるだけだ。

キスが凛の唇に落ちてくる寸前で、彼女はとっさに顔を背けてそれを避けた。

智也は一瞬で目を細めた。「どういうつもりだ?」

「もういらないって言ったでしょ」凛は鏡に映る男を、きっぱりと見つめ返した。

妻が自分の支配下から離れていく感覚が、ますます強くなる。普段はどんなに穏やかな智也も、今ではすっかり冷たい顔になり、凛の顎を掴む手に力がこもった。

「4年も子供が欲しいと言い続けたのはお前だろ。俺が作ってやると言ってるのに、今さらいらないだと?」智也の頭に恐ろしい考えが浮かび、目つきが鋭くなる。「お前は、外に男でもできたのか?」

その言葉は、凛の心を鋭く突き刺した。彼女は冷たい目で智也を凝視する。外に相手がいるのは、一体どっちかしら、と、その目は語っていた。

凛は智也の手を振りほどくと部屋に戻り、ピシャリとドアを閉めた。

智也が、凛にこんな風に扱われたことなど、今まで一度もなかった。

出会ってから結婚するまで、凛はいつも彼の言うことを聞き、何でも彼の好きにさせてくれたのに。

崖から突き落とされたかのような態度の変化に、智也はまったく我慢がならなかった。

智也は大股で凛を追いかけ、力ずくで彼女の手を掴んで寝室に引きずり込み、ベッドの上に突き飛ばした。

「智也!何をするの!」

「子供を作るんだ。俺が作ると言ったら作るんだ。凛、お前は俺に逆らったことなんてないだろう。いい子だから、言うことを聞け」

凛が驚きと疑いの目で見つめる中、智也は彼女に覆いかぶさった。そして、まるで雨のように、その白い首筋や鎖骨にキスを降らせた。

力強い大きな手が凛の腰を掴み、もう片方の手は服の中に忍び込んだ。

この瞬間の智也は、まるで飢えた獣のように恐ろしかった。

凛は慌てふためいて彼を押しのけようとした。「いらないって言ってるでしょ!やめて、智也、やめてってば!」

「子供を作るかどうかは、お前が決めることじゃない」智也はキスをやめると、彼女の両手を掴み、頭の上までぐいっと押し上げた。

凛は身動きが取れなくなり、目じりには涙がにじんだ。

4年間、自分に優しかった男が、今、自分を力ずくで押さえつけようとしている。

キスは再び、凛の唇や首筋に、隙間なく、そして激しく落とされた。

足を無理やりこじ開けられた瞬間、凛は我慢の限界に達し、膝で智也の股間を思い切り蹴り上げた。智也は痛みでのけぞり、彼女の手を離した。

凛はすぐさま身を起こすと、その勢いのまま、智也の頬に平手打ちを食らわせた。

パシン――

「この女!よくも俺を殴ったな!」

智也は逆上して手を振り上げ、その重い平手打ちが凛の頬に叩きつけられた。

凛の顔は一瞬で赤く腫れ上がり、大粒の涙がその頬を伝ってこぼれ落ちた。

智也の手は、わなわなと震えていた。

彼が凛の涙を見るのは、これが初めてだった。

凛はただ、声を殺して泣いていた。

部屋は、重い静寂に包まれた。

「凛ちゃん……」智也は指を丸め、怯えた子鹿のように震える、彼女の目を見ることができなかった。

凛は毛布にくるまると寝室を飛び出し、ソファの上にあったスマホを掴むと、そのまま家を出ていった。

玄関のドアを開けた瞬間、彼女の頭の中に「離婚」という二文字がはっきりと浮かんだ。

……

凛は赤く腫れた顔で、道端に立ち尽くした。まず、自分が育った施設に帰ろうと思ったが、年老いた施設長がこの姿を見たら、きっと心を痛めるだろう。杏は郊外で静養中だし、もっと行けるはずがない。結局、凛は近くにあったホテルに駆け込んだ。

ちょうどその時、ホテルの前に一台の控えめなマイバッハが停まった。スーツ姿の男が車から降りてくる。その表情は少し険しかった。

車の窓から女の子がひょっこり顔を出した。「お兄ちゃん、本当に家に泊まらないの?お父さんもお母さんも、口うるさく言ってるだけだってば」

男は何も言わず、一人でホテルの中へ入っていった。

女の子は首を振ってため息をついた。「はあ、竹内グループの社長でさえ、結婚を急かされちゃうのね、あはははは……」

そして、マイバッハは静かに走り去った。

男がロビーを通りがかると、フロントのスタッフが、誰かに恐る恐る尋ねる声が数回聞こえた。

「お客様、本当に、何かお手伝いできることはございませんか?

もし何かございましたら、いつでもフロントまでご連絡くださいませ」

「ありがとうございます」か細い声がそう返した。

ここは竹内グループ傘下のホテルだ。自分がここにいる以上、どんなトラブルも起きてほしくない。竹内海斗(たけうち かいと)は、声のした方に視線を上げた。

そこには、裸足のまま毛布にくるまった女性がいた。乱れた髪が顔の半分を覆っている。彼女が近づくにつれて、頬に残る赤い平手打ちの跡が見え隠れしていた。

海斗とその女性は、相次いで同じエレベーターに乗り込んだ。

女性はまるで抜け殻のようにぼうっとしていた。手に持ったカードキーをなかなかかざそうとせず、階数ボタンも押さない。その横顔からは、涙が堰を切ったように次々とこぼれ落ちているのが見えた。

しばらく間を置いてから、海斗は声をかけた。「何階ですか」

女性ははっと我に返った。そして、蒼白く力ない指でカードキーをピッとかざし、階数ボタンを押す。それから顔の涙を拭うと、滝のような髪を耳にかけた。ようやく、彼女の顔全体があらわになった。

目元と鼻の先が赤くなっており、どこか冷たく、そして儚げな印象だった。

自分の惨めな姿を見られたくないという意地からか、女性は海斗に、「ありがとうございます」と礼儀正しく言った。

声は、ひどくかすれていた。

海斗は彼女の顔の赤い跡をしばらく見つめたが、それ以上は何も聞かなかった。

チーン――

凛の降りる階に着いた。彼女は再び海斗に会釈して、エレベーターを降りていった。

海斗は凛の頼りない後ろ姿を、エレベーターのドアが閉まるまで見つめていた。そして、スマホを取り出して短いメッセージを送った。

凛が部屋のソファに座ると同時に、ドアのチャイムが鳴った。

ドアを開けると、そこにはホテルの支配人が立っていた。

「お客様、失礼いたします。腫れを和らげる軟膏と、より快適にお過ごしいただけるよう、柔らかなスリッパをお持ちいたしました」

支配人は微笑んでいたが、よく見るとその目には心配の色が浮かんでいた、支配人は思わず言葉を続けた。

「どうぞご安心くださいませ。決して他意はございません。お客様のご快適さを第一に考えてのことでございます。当ホテルにご宿泊のすべてのお客様に、心からおくつろぎいただくことが、私どものサービスのモットーですので。どうぞ、ごゆっくりお休みくださいませ」

今夜、4年間連れ添った夫に殴られたというのに、見知らぬ人からは、こんなにも温かい心遣いを受けた。

凛は軟膏とスリッパを受け取り、心から感謝を伝えた。

最初こそにこやかだった支配人も、彼女の左手薬指にはめられた指輪を見るなり、唖然とした。

いや、これって……え……

支配人は衝撃に打ちのめされた様子で、その場を去っていった。

凛はドアを閉め、足を拭いてスリッパに履き替えると、手を洗って顔に薬を塗った。その傍らで、スマホがブーブーと震え、「智くん」からのメッセージが次々と画面に表示される。

この登録名は、智也が自分で勝手に変えたものだった。

【どこにいる】

【帰ってこい、凛。わがままを言うな】

【子供が欲しいと言ったのはお前だろう。俺が同意したんだぞ。明日、竹内グループを辞めて、家で妊活の準備をしろ】

智也のあまりに高圧的な態度に、凛は、彼が変わってしまったのか、それともこれが彼の本性だったのか、一瞬分からなくなった。

凛はスマホの画面を消した。初めて智也のメッセージにすぐに返信せず、それどころか、結局一晩中返事をしなかった。

朝、智也から電話があったが、彼女はそれにも出なかった。

すると、トーク画面に、また新しいメッセージが一件表示された。

【凛ちゃんが作った朝飯がないと、胃が痛むんだ】

凛はスマホを握る手にぐっと力を込めた。こういう時だけ、都合よく妻である自分のことを思い出すのだ。

乾いた笑いが、唇の端に浮かんだ。

それでも、彼女は返信しなかった。

智也はソファで待ち続けた。だが、スマホは静かなままだった。

この手も、もう通じないのか?彼は驚きの表情を浮かべた。

その時、スマホが鳴った。

手に取って見ると、柚葉からの電話だった。

智也の目に一瞬だけ失望の色がよぎったが、電話に出るとすぐに優しい笑顔を浮かべた。「柚葉、どうした?」

電話の向こうで、一瞬の間があった。

「智也、もうマンションの前にいるんだけど、今どこ?」

智也ははっとした。毎日、柚葉を車で送り迎えする約束だったのを、すっかり忘れていた。

自分はこんなにも長い間、ソファで凛からの連絡を待っていたのか。

凛が、自分をこんなに放っておくなんて。

まあいい。ただのちょっとした気まぐれだ。

凛は自分を愛している。自分から離れられるはずがない。

車で迎えに行くと、柚葉が助手席に乗り込んできて、すぐに智也の赤く腫れた顔に気づいた。

昨夜の凛は本気だった。平手打ちの跡は、今もくっきりと残っていた。

「智也、どうしたの、その顔!」柚葉はシートベルトを外し、身を乗り出して智也の顔を両手で包み込んだ。心配のあまり、目には涙が浮かんでいる。「誰にやられたの!」

智也は彼女に泣かれるのが一番苦手だった。慌てて、「痛くないから、心配するな。朝ごはん、もう食べたか?何か食べに行こう」と言った。

柚葉は智也が何かを隠していると察し、おずおずと尋ねた。「智也、凛さんと喧嘩でもしたの?もしかして、私のせい……ごめんね、智也」

「お前のせいじゃない。あいつがどうかしてるだけだ」智也は身をかがめて柚葉のシートベルトを締め、朝食をとるために車を出した。

柚葉は彼の様子をうかがっていた。自分と一緒にいても上の空なことに気づくと、あることを思いついた。

「智也、茶碗蒸しが熱いから、ふーふーしてくれない?」

「ああ、いいよ」

智也は柚葉の前にあった茶碗蒸しを受け取り、スプーンでそっとかき混ぜた。だが、ふと何かを思い出すと手を止め、スマホを取り出してメッセージを送った。

「智也、誰にメッセージ送ってるの?」柚葉の目に、警戒の色が浮かんだ。

智也はスマホを伏せた。「年上の知り合いだよ」

メッセージの相手は、凛の恩師の妻である、杏だった。

夫が一番気にかけている愛弟子と連絡が取れないと知り、杏は自ら凛に電話をかけた。そして、ホテルの場所を聞き出すと、すぐにそこへ駆け付けたのだ。

白髪混じりの杏の姿を見て、凛は一瞬呆然とし、とっさに手で自分の顔を隠した。

「何を隠しているの。見えているわよ」杏は険しい顔で部屋に入ってきた。「智也にやられたの?」

「はい……」凛は頷き、俯いた瞬間にまた涙がこぼれ落ちた。

「何で泣くの。あなたを殴った男は、もっと酷いことだってするわよ」杏は、凛が谷口家の世話をさせられていることにずっと不満だった。詳しい経緯は聞かず、ただ一言、尋ねた。「あなたはどうするつもり?」

「離婚します」凛はきっぱりと顔を上げた。

杏の目に痛ましげな色が浮かんだが、すぐに冷静な声で言った。

「弁護士は、私が見つけてあげるわ」
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