Masuk「僕はもう、彼女と手を繋げない——」 中学入学直後、桐谷直哉は一人の女の子と出会った。 結城沙友里。笑うと少しだけ目を細める、その笑顔に直哉は恋をした。 手を繋いで歩いた放課後。花火の下で交わしたキス。六人で過ごした夏の海。触れることが当たり前だった、あの頃——。 やがて沙友里はアイドルの道へ踏み出す。スポットライトの中で輝く彼女に、直哉はもう触れられない。隣に立てない。名前も呼べない。 恋人なのに——だからこそ、一番遠い。 触れられなくなっても、それでも僕は彼女を見ている。 輝きの中で笑う君を、ただの観客として—— アイドルになった彼女と、僕の物語。
Lihat lebih banyak彼女の世界は、どこまでも広がっていく—— 芸能コースが動き出し、一ヶ月が経った。 放課後になれば、沙友里たちはレッスン場へ向かうのが当たり前になっていた。 ダンス、ボイトレ、基礎体力、ストレッチ。気がつけば、放課後の予定は毎日埋まっている。 帰り道、沙友里は少し疲れた顔をしていた。でも——目は輝いていた。「毎日、大変だけど……楽しいよ」 「疲れてない?」 「大丈夫! 夢に近づいている感じがするから」 僕には、心配することしかできない。でも、沙友里の顔を見ていると、この疲れも夢へ向かう一歩なんだと思えた。 二月十四日が近づいてきた。 付き合ってから初めてのバレンタインデー。何だか意識してしまう。男子たちも、どこか落ち着かなかった。 漫研の部室で、スケッチブックを開いていると、守が隣に座った。「なぁ、直哉……さゆりんは、チョコくれると思うか?」 「……なんで僕に聞くの?」 「お前の彼女だから」 それはそうだけど。「分からない……だけど、もらえたら嬉しい」 「素直だな」 守がニヤけた。「ちなみに俺は、十個くらいはもらえると——」 「思わない」 「最後まで聞けよ!」 この日も、沙友里が終わるのを待って一緒に帰った。 僕たちは今日も、手を繋いでいた。「最近ようやく、里奈と七瀬と仲良くなってきたよ」 「……同じ一年生の?」 「そう! 一般応募で入ってきた、貴重な同い年だからね」 確かに、沙友里は最近よくその二人の話をしていた。「里奈も七瀬もすごいよ。どんどんダンスが上達してる」 「元々の運動神経がいいんじゃない?」 「それはあるね。里奈は身体を大きく動かすし、七瀬は何か雰囲気のあるダンスするんだよ」 沙友里は、空いている腕を大きく動かしながら、二
「覚悟を見ます」——その言葉の重さを、僕はまだ分からなかった。 合格発表の数日後の放課後、レッスン場には多くの見学者の姿があった。「見られることは、仕事の一部です」という城ヶ崎さんの方針で、基本的には見学自由ということになっていた。 手の空いている先生や、アイドル好きの生徒、ただの野次馬まで。そして、部活で来られない黒崎くん以外の僕たちも、隅の方で見学することにした。 時間になると合格者二十五名が、レッスン場の中央に並んだ。そして、上野先生と城ヶ崎さんが、悠々と歩きながら入ってくる。「皆さん、おはようございます」 城ヶ崎さんの声は、相変わらず柔らかい。「今日から私は、皆さんの一番の味方です」 その言葉に、何人かが安堵した表情を見せた。「でも——甘やかすつもりはありません。プロのアイドルになるのですから」 空気がスッと変わった。「私の仕事は、皆さんをステージに連れていくこと。そのために、オーナーに雇われています」 軽い冗談のように言ったので、少しだけみんなも笑った。その笑顔は変わらない。「だけど、スターにしてあげることは——できません」 誰も声を出さなかった。 城ヶ崎さんは、時間をかけて全員を見渡してから口を開いた。「私が見るのは、才能もそうですが……覚悟です。その覚悟を、今日から少しずつ見せてくださいね」 その一言が、レッスン場の温度を完全に変えていた。「では、プロの第一歩として……」 誰かの唾を飲み込む音が、聞こえてきそうだった。「自己紹介をしてもらいましょう!」 城ヶ崎さんは、小悪魔的な笑みを浮かべていた。 指示通りに自己紹介の時間になった。全員が前に出て並び、一人ずつ簡単な紹介をしていく。「だけどよ、ダンス部のメンバーは、みんな知ってんだから意味なくない?」 守が抑えた声で囁いた。「相沢くん、バカでしょ。一般応募の子たちもいるのよ」 「それもそっか……梢っち、天才か!」 「むふふ」 きっと、それだけじゃないような気がする。「僕たちへの、正式なお披露目もあるんじゃないかな?」 「それもあるかもね……まずは校内にファンを作ろう、みたいな」 「なんか城ヶ崎って、やり手っぽいもんな」 自己紹介は進み、今はダンス部の一年生が順番にアピールしている
夢を見ているのは、彼女だけじゃなかった—— 冬休みが明けて、始業式の日。僕たちは数日ぶりに顔を合わせた。 教室では休みの間の話題で賑わっていた。誰と誰が初詣に行ったか、お年玉がいくらだったか。普段通りの空気だった。 ただ、沙友里と神楽さんだけは少し違う。二人で向かい合っているが、何も話さない。時々窓の外を見ていた。(今日が、発表だ……) 僕も、同じように落ち着かない日だった。 始業式が終わり、今日はこれだけで終了で帰宅になる。 帰りのホームルームで、担任がプリントを配り終えた後、付け加えるように言った。「ダンス部員は、放課後レッスン場へ集合してください」 教室がざわついた。「本日、オーディション結果の発表がありますが、見学は自由とのことです。興味のある人は、見に行ってもいいですよ」
願うことと、決意すること——それは、似ているようで違う。 冬休み中の十二月末。校内オーディションの面談当日。僕たちは、喫茶ひかりで沙友里と神楽さんを待っていた。「遅いな……」 守は、メニューをもう三回は見返していた。「面談、長引いているのかな」 黒崎くんが、スマホを確認した。「沙友里ちゃんたち、緊張してたもんねー」 高瀬さんは、ポテトをつまみつつ言った。 それから、さらに一時間ほど経った頃、ようやくドアベルが鳴った。「みんな、お待たせ」 神楽さんが震える声で、駆け込んでくる。その後ろに沙友里もいた。
第五幕 伸ばせなかった手 最初に見たのは、ニュースでも記事でもなかった。 SNSから流れてくる噂だった。写真はぼやけていて、夜の街で、二人並んで歩いて
第四幕 距離のかたち 春が終わり、夏が来て、気づけば季節がひとつ進んでいた。高校一年の終わりが近づく頃には、沙友里の生活は、完全にアイドルのそれになっていた。 レッスン、収録、イベント。
第三幕 デビュー 高校に入って、まだ春の匂いが残っている頃。新しい制服にも、ようやく慣れ始めたばかりの時期。 グループとしてのデビューが決まったと聞かされたのは、いつもの帰り道だった。
第二幕 レッスンの日々 それからの日々は、立ち止まる暇もなく流れていった。 沙友里は本格的なレッスンが始まり、徐々に忙しくなっていく。レッスンがある日は、スタジオまでの送迎だけになった。それ以上は、何もできなかったし、しなかった。