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第2話

Author: 枝月ゆい
この部屋には、まるで美術展のように、花音の裸身を描いた絵が壁一面に飾られていた。

髪を下ろして伏し目がちにたたずむ姿。低い位置で髪をまとめ、目元を上げて微笑む姿。胸元を両手で隠し、頬を赤らめた姿。けれど、そのどれもが膝をついた姿勢で、まるで懺悔を捧げるかのようだ。

その瞬間、花音の脳裏によみがえったのは、明臣に服を脱がされ、座布団の上で膝をつかされていた、あの日々だった。

あのときの彼の視線は、淡々としていたのではない。

冷たかったのだ。

三年の時を経て、花音は初めて気づいた。

穏やかな表情の奥に、明臣がずっと隠していた悪意と侮蔑を。

そして、あれほど長く自分を見つめていたのも、裸で膝をつく惨めな姿を細部まで記憶に刻み、一筆一筆、絵に描き起こすためだったのだ。

花音は一歩ずつ部屋の奥へ進んでいく。

絵は時系列に並べられており、その筆致はあまりにも写実的で、目を背けたくなるほどだった。

まるで花音自身よりも、彼のほうが彼女の体を知り尽くしているかのようだ。

大粒の涙が頬を伝って落ちる。

深く息を吸おうとしても胸が詰まり、息苦しさと胸を引き裂かれるような痛みに襲われた。

片方の壁を見終えると、彼女はもう一方の壁へと足を向けた。

ライトの光が壁に掛けられた絵を照らした瞬間、花音は思わず悲鳴を上げ、スマホを床へ落としてしまった。

壁一面に描かれていたのは、さまざまな鬼や妖怪の姿に見えた。

震える手でスマホを拾い上げ、物音を誰にも聞かれていないことを確かめると、花音はもう一度勇気を振り絞ってライトを向けた。

今度は、はっきりと見えた。

壁いっぱいに描かれた鬼や妖怪たちは、牙をむき、恐ろしい形相でこちらを睨んでいる。

だが、そのすべてが、花音の顔をしていた。

ある絵では赤い衣をまとい、狐のような瞳を持つ妖艶な妖狐。

ある絵では、美しい顔の半分が白骨となった妖怪。

またある絵では、青い顔に鋭い牙を持ちながら、妖しく艶めく夜叉。

どの姿も艶めかしく人を惑わせ、魂を奪い、奈落へ引きずり込もうとしているかのようだ。

全身に鳥肌が立つ。

そのとき、花音は壁に掛けられた一幅の書に目を留めた。

力強く端正な筆跡で、そこには「地獄」の二文字が記されていた。間違いなく、明臣の字だった。

花音は何かを思い立ち、今度は自分の裸身が描かれた壁へライトを向ける。

すると、やはり同じ位置に一幅の書が掛けられていた。

そこにあった文字は「虚妄」だった。

指先が激しく震え、頭の中は真っ白になった。

ぼんやりと脳裏に浮かぶのは、ただ一つの考えだけ。裸で膝をつく自分を見つめながら、明臣は醜悪な妖怪の姿ばかりを重ねて見ていたのだ。

無理もない。

彼は、詩織を植物状態に追いやった兄を心の底から憎んでいる。彼にとって、桐谷家の人間は皆、忌まわしい妖怪のような存在だったのだろう。

胸が張り裂けそうなのに、言葉は一つも出てこない。

花音は残された力を振り絞り、部屋の中央に置かれた、三メートル近い大きな掛け軸の前まで歩いていった。

その絵はまだ一部しか描かれていなかった。

それでも花音は、一目で何を描いているのか悟った。

そこに描かれていたのは、昨夜のことだった。自分が初めて明臣と結ばれた夜。

絵の中で、明臣は自分の存在を意図的に薄く描き、代わりに、口にすることもためらうような姿勢や、理性を失って恍惚とした花音の表情ばかりを細部まで描き込んでいた。

わずか数場面だけで、古今東西どんな春画よりも生々しかった。

そのとき、昼間に耳にした言葉が再び脳裏によみがえる。「今月末、最後の一枚を仕上げたら、北浜市で一番大きな美術館のチャリティー展に出す」

花音の心は、完全に砕け散った。

昨夜、彼が理性を失ったのは、自分への想いを抑えきれなかったからではない。復讐を締めくくる、その最後の一歩だったのだ。

奥庭の外から人の気配が聞こえてきて、花音は我に返った。慌ててその部屋を飛び出し、夜の闇に紛れて自分の部屋へ戻った。

どれほど泣き続けたのか、自分でもわからない。

不意にスマホの着信音が鳴った。母の桐谷美琴(きりたに みこと)からだった。

「お母さん?」花音は電話に出ると、泣いてかすれた声を悟られないよう必死に取り繕った。

しかし電話の向こうの美琴も、涙をこらえた声だった。「花音……お父さんが今夜、突然脳出血で倒れて……さっきようやく手術が終わったの」

「えっ?」花音の胸が一気に沈む。「お父さんは、大丈夫なの?」

「命に別状はないわ」美琴はすすり泣きながら続けた。「お兄ちゃんのことがあってから、お父さんは一気に白髪が増えてしまって……会社も、なんとか踏ん張っている状態なの。

花音、もしその彼を本当に信じられるなら、できるだけ早く連れて帰ってきて。結婚の話を進めよう。本気であなたを大切にしてくれる人なら、お父さんは会社を二人に任せてもいいって言ってるの……」

花音は黙って聞いていた。

けれど胸の奥は、じわじわと締めつけられるように苦しくなっていく。

父がこんなにも急ぐのは、もう自分一人では限界だと感じているからだろう。桐谷家にまだ力も影響力も残っているうちに、娘に頼れる相手を見つけてやりたい、と思っているのかもしれない。

北浜市に残って明臣と一緒に生きると決めたあの日も、父は電話でこう言っていた。「花音、お兄ちゃんはもう助からない。だからせめて、君だけでも幸せになってほしい……本当にその人が好きなら、北浜市に残りなさい」

だけど……

明臣は、本当に人生を任せられる人なのだろうか。

脳裏には、あの悪夢のような部屋が浮かんだ。そこで描かれた自分の絵が、今月末には北浜市で大々的に公開されるのだ。

「お母さん……私、別れようと思ってる」花音はできるだけ落ち着いた声で言った。「こっちのことを片づけたら、今月末には南川市へ帰る。それから、お父さんの会社を手伝うつもり」

電話の向こうで、美琴の声がぱっと明るくなる。「本当に?」

だがすぐに、その声には心配が混じった。「でも……あなたたち、もう三年も付き合ってるでしょ?どうして急に別れるなんて言うの?彼に大事にされてなかったの?」

花音は深く息を吸った。「違うの。ただ……縁がなかっただけ」

「わかった。お母さん、待ってるからね」電話を切ると、花音はベランダのロッキングチェアに身を縮め、夜空を見上げた。

その瞳は、少しずつ冷たさを帯びていく。

明臣に大事にされていなかったのだろうか。

少なくとも、今夜あの部屋を見つけるまでは、そう思ったことは一度もなかった。

バレンタインも記念日も、彼は欠かしたことがない。海外出張へ行けば、その土地で一番美しく高価な工芸品を必ず土産にしてくれた。

彼はいつも自分を尊重してくれた。

以前、家の使用人の一人が自分に白い目を向けたことがあったが、その日のうちに明臣はその使用人を辞めさせた。

二人は互いを尊重し合い、穏やかな関係を築いていた。自分が入浴を終えると、彼は何度も優しく髪を乾かしてくれたし、病気になれば寝る間も惜しんで看病してくれた。

だけど、今は……

近く公開される絵のことを思うだけで、胸が締めつけられる。

もしあの絵が本当に世に出れば、自分だけでなく家族までも取り返しのつかない地獄へ突き落とされる。

けれど、彼を憎めるだろうか。

明臣の妹はいまもICUで生死をさまよい、裁判所の判決もすでに下っている。自分たちは、誰が見ても加害者だった。

花音にできることはただ一つ。彼への愛を手放し、この間違った恋を終わらせること。だから去る前に、あの絵だけは絶対に世に出させない。

……

その夜、花音は一睡もできなかった。

空が白み始める頃、彼女は神谷家での荷物をまとめ始めた。

もっとも、まとめるほどの荷物はない。

ここへ来た時も、スーツケース一つだけで暮らし始めたのだから。

明臣が買ってくれた服もバッグも宝石も、一つたりとも持っていくつもりはなかった。

明臣はお茶が好きだった。

この三年間、彼が飲んできたお茶はすべて、花音がわざわざ朝霧市の茶畑まで足を運び、自分の手で茶葉を摘み、蒸し、揉み、乾燥させ、一つひとつ仕上げて持ち帰ったものだった。

あの頃は、茶摘みに追われるうちに肌はすっかり日に焼け、茶の枝葉で腕に何度も切り傷を作った。それでも、花音は少しも苦には思わなかった。

だが今の花音は、茶缶を手に取った。中にはまだ半年分以上の上質な茶葉が残っていた。花音はそれを一瞬ためらうこともなく、すべてトイレへ流した。

座卓には、朱泥の急須と茶器の一式も置かれていた。

それも彼女がわざわざ青嶺町まで足を運び、茶器作りの名匠に一か月間教わりながら、明臣のために自ら焼き上げたものだった。

花音は急須を手に取り、無表情のまましばらく見つめた。

そして、静かに手を放した。

パリンッ――

急須は一瞬で床に砕け散った。

そのとき、不意に背後から冷たい声が響く。「花音、何をしてるんだ?」

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