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第4話

Author: 九美
入院して三日が経っても、明彦からは一本の電話すらなかった。見かねた主治医が、やりきれないといった様子で溜息をつく。

「たとえもうすぐ離婚する仲だとしても、書類のサインくらいするのが筋というものですけれどね……」

佳苗は何も答えず、ただ黙って窓の外を見つめていた。

何度も裏切られ、絶望を繰り返すうちに、彼女の心はとうの昔に腐り落ちている。悲しむための気力さえ、もう残ってはいなかった。

主治医は首を横に振り、独り言のように吐き捨てて病室を後にした。

「まあ、それもそうだね。奥さんの入院を知って『死ね』なんて呪うような人なら、来ても来なくてもも同じだな」

佳苗に悲しみはなかった。むしろ、あの無情な父娘の世話を焼く必要もなく、吐き気のするような「家族ごっこ」の光景を見なくて済む今の状況を、清々しくすら感じていた。

退院の許可が下りた時、佳苗はひどく名残惜しかった。もしあと二十日ほどここに入院していられれば、退院と同時にこの街を去ることができるのに。

だが、病院の規則には逆らえず、彼女は大人しく荷物をまとめた。

屋敷に戻ると、家の中には誰もいなかった。床にこぼれた牛乳にはカビが生え、空気には異臭が漂っている。

そして、床に残された黒ずんだ血痕が、目を背けたくなるほど生々しかった。

佳苗は腑に落ちた。明彦は陽彩を連れ、美鳥に付き添って何日も外泊しているのだ。どうりで一切の連絡がないわけだ。

彼は昔からそうだ。佳苗が少しでも自分の意に沿わないと、こうして意図的に無視を決め込み、彼女がひざまずいて許しを乞うてくるのを待つのだ。

無理やりみそ汁を喉にねじ込まれた時の、あの男の鬼のような形相が脳裏に蘇る。人間とは、ここまで醜悪になれるものなのかと、彼女は静かに息を吐いた。

美鳥のSNSが再び更新され、一枚の写真がアップされていた。

海辺を散歩する三人の姿。三人の手が、しっかりと繋がれている。

添えられた一文はこうだ。

【穏やかで、満ち足りた日々】

以前の自分なら、嫉妬で正気を失っていただろう。だが、今の佳苗の心は凪のように静まり返っていた。

あの三人は、まさに「割れ鍋に綴じ蓋」。自分が立ち去った後は、どうか一生あの三人で縛り合い、二度と他人に害を及ぼさないでほしいものだ。

佳苗がスマホの画面をロックした瞬間、一通の音声ファイルが送りつけられてきた。

「ねぇ、陽彩ちゃん、私と一緒に海に気晴らしに来て、あなたのママが知ったら怒るかしら?」美鳥の声だった。その口調には、隠しきれない優越感が滲んでいる。

「あんな醜い家政婦、私に口出しする資格なんてないわ!幼稚園のお友だちのママはみんな優しくて綺麗なのに、私のママは足を引きずってて、本当に恥ずかしい!」

陽彩の幼い声は、はっきりとした憎悪と怒りに満ちていた。

美鳥が再び問う。「じゃあ、私とママ、どっちが好き?」

陽彩が興奮気味に答える。「絶対に美鳥さん!ママなんか早く離婚して、この家から出て行けばいいの。そうすれば、美鳥さんがパパと一緒にいられるでしょ?パパも美鳥さんのこと大好きだし、私も大好き!ねぇ美鳥さん、私の新しいママになってよ!」

美鳥はわざとらしく困ったような声を出した。「それはダメよ。もしママが聞いたら、ショックで死んじゃうかもしれないわ」

陽彩は鼻で笑い、冷酷に言い放った。「死ねばいいのよ!去年、私を助けるために片足を轢かれたくせに。いっそ、そのまま轢き殺されちゃえばよかったのに!」

すでに娘への期待などとうに捨てていた佳苗だったが、そのあまりに悪意に満ちた言葉に、全身の血が凍りつくのを感じた。

あんなにもあどけない子供の声で、どうしてここまで冷酷で薄情な呪いの言葉を吐けるのだろうか。

続いて、美鳥からもう一つの音声ファイルが送られてきた。

「明彦と陽彩ちゃんの心は、もうすっかり私のものよ。どの面下げてその家に居座っているのかしら。さっさと消えてちょうだい!」

佳苗の心は、すでに枯れ果てていた。だからこそ、美鳥の浅ましい挑発に対しても、何の感情も湧かなかった。相手が期待したような、ヒステリックに泣き叫ぶ無様な姿を見せることはない。

彼女は無表情のまま、陽彩への贈り物を一つ残らずまとめ、ゴミ箱へと放り込んだ。

夫は妻を危うく殺しかけ、その生死すら気にも留めず、初恋の女を連れて南国のリゾートへ気晴らしに行く。

五年間、手塩にかけて育ててきた娘は、新しい母親を迎え入れるために実の母の死を願う娘。

佳苗は自らの不自由な左足を一瞥し、自嘲気味に笑った。これはきっと、見返りも求めず犬のように尽くし続けた愚か者に対する、神様からの最大の罰なのだ。

彼女はカレンダーに目を向けた――解放されるまで、あと二十日。

この二十日間は、何よりも自分自身を慈しんで生きなければ。

結婚して以来、佳苗の毎日はあの父娘を中心に回っていた。彼女の人生は完全に奪われ、家の中で飼われる一匹の犬――いや、犬以下の扱いを受けてきた。

案の定、明彦はその後も冷戦状態を続け、佳苗が頭を下げるのを待っていた。

しかし佳苗は、その時間を利用して街の名所を気の向くままに巡った。滔々と流れる大河に小舟を浮かべ、古びた社の静寂に身を浸し、さらには険しい山頂へと足を運んで日の出を仰いだ。

川面を滑る遊覧船のデッキに立ち、雄大な自然の息吹を肌で感じる。

彼女はふと悟った。

これまで自分が生きてきた日々は、決して「生活」などと呼べるものではなかった。ただの奴隷だ。自分の時間はおろか、生死の決定権すら他人に握られていたのだと。

最高峰の山頂で、見知らぬ若者たちに混ざって東の空に昇る旭日を見つめながら、自分の存在がいかにちっぽけであるかを実感した。

いわゆる「愛情」や「親子の絆」など、この世で最も虚無な嘘に過ぎない。

人は何よりもまず、自分自身を愛すべきなのだ。

山から戻った佳苗は、湖畔に佇む最高級のレストランに足を運んだ。結婚してからの五年間、明彦は「足を引きずっている女など世間体が悪い」と彼女を疎んじ、一度たりとも外食に連れ出すことはなかった。

だが、明彦がどん底から這い上がるのを支えてきた佳苗には、十分な貯えがあり、彼の会社の株式も五パーセント保有している。

彼女は最も眺めの良い窓際の席を選び、湖の景色を楽しみながら、絶品の料理に舌鼓を打った。

――ああ……これこそが、本当の生活というものなのね。

だが惜しいことに、その心地よい余韻は、レストランに入ってきた「あの三人」の姿を目にした瞬間、無残にも打ち砕かれたのだった。
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