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第6話

Author: 如子
瑠奈は外から二人の親しげな様子をただ黙って見ていた。

止まる気配のない彼らを見て、そばにいたカメラマンを呼び止めた。

「すみません、人物写真を一枚撮ってもらえますか?モノクロでお願いします」

カメラマンは彼女を別のスタジオに案内しながら、モノクロ写真は映えないと優しく説得した。

だが瑠奈の意思は固かった。

彼女が撮りたかったのは、遺影だったからだ。

カメラマンはしぶしぶ彼女の希望通りに撮影し、写真が現像される頃には、隣のスタジオの騒ぎもようやく収まった。

陽菜は撮ったばかりの写真を手にしてやって来た。顔には申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

「すみません。修と夢中になって撮ってたら、ついお義姉さんのことを忘れちゃって……一緒に何枚か撮りましょう?」

瑠奈は彼女の背後で視線を逸らしている修を見て、ふっと笑みを浮かべ、首を静かに横に振った。

「もういいわ」

修も自分の振る舞いが不適切だったことに気づいたようで、罪悪感が一気にこみ上げた。

彼は慌てて瑠奈の車椅子を押しながら、償いにネックレスを買ってあげると言った。

陽菜も一緒について行きたがり、ピアスを買いたいからついでに見てあげる、と笑顔を見せた。

三人は商業施設を一周していたが、途中で修のスマホに会社からの電話が入った。

周囲が騒がしかったため、彼は先に地下駐車場へ戻っていった。

瑠奈は何を見ても興味が湧かず、帰りたいと言い出したので、陽菜が彼女を車椅子でエレベーターに向かって押し始めた。

数歩進んだところで、突然、消防警報が鳴り響き、大勢の人々がどっと押し寄せてきた。

人の波が車椅子を押し倒し、瑠奈は激しく床に叩きつけられた。

何度も人に踏まれながらも、彼女は必死に手すりを掴み、なんとか顔を上げた。

その瞬間、逆流する人波の中を突き進んでくる修の姿が目に入った。

彼は必死の形相で人混みをかき分け、陽菜を抱きかかえながら、嗚咽混じりの声で叫んだ。

「陽菜、無事でよかった……心臓止まるかと思った……!」

陽菜は地面に倒れている瑠奈をちらっと見て、彼女の視線に気づくと、やっと困ったような顔を作った。

「修、さっき人が多すぎて……お義姉さんが転んじゃったの」

修はその視線の先に目を向けた。

そこには、青アザだらけの瑠奈がいた。

その瞬間、彼は動けなくなった。

慌てて陽菜を放し、瑠奈に駆け寄って身体を起こす。

その瞳には後悔の色が濃く滲んでいた。

「人が多くて、見えなかったと思ったら......本当にごめん、瑠奈」

瑠奈は何も言わなかった。

まるで何事もなかったかのように、穏やかな顔をしていた。

三人は沈黙のまま建物の外へと向かった。

途中、すれ違ったカップルの会話が耳に入ってきた。

「さっきめっちゃ危なかったのにさ、みんな逃げてる中、わざわざ突っ込んでいった人いたじゃん?

中に好きな人がいたんだって。あんたも一回くらい、ああいう風に命かけてくれたらなあ……」

さっき見た光景が脳裏によぎる。

瑠奈の袖の中の手が小さく震えた。

ふと、昔の記憶が蘇る。

高校時代、鉄パイプを持った不良たちに路地裏で囲まれた彼女を救ったのは、

恐れず、ナイフを握って飛び込んできた修だった。

時が過ぎても、彼は変わらず、命を顧みずに突き進む勇気を持っていた。

ただ、今の彼が命をかけて守るその相手は、もう彼女ではなかった。

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