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第2話

Author: 瑞木結花
パシッ――

涼介は、明らかにこの平手打ちに面食らった。

次の瞬間、凄まじい怒りが込み上げる。

「結月、ずいぶんといい度胸になったな?」

涼介は結月の手首を掴むと、布団から一気に引きずり出した。

結月はもがきながら、低い声で唸った。「触らないで!」

だが、女の力では到底かなわない。

涼介は片手で両手を頭上に押さえつけ、もう一方の手で乱暴に顎を掴んだ。

その声には、どこか異様なほどの優しさがあった。

「どうしてまた聞き分けがなくなったんだ、ん?満はまだ病院で俺の骨髄を待ってるんだぞ。まだ四歳だ。俺がいなければ、あの子が死んだらどうするんだ?」

結月の全身が強張った。

涼介を睨みつける。

その瞳には、底知れぬ憎しみが滲んでいた。

涼介は、結月が折れたのだと悟った。

そして笑うと、身を屈め、結月の目元に口づけした。

「そんな目で俺を見るな。知ってるだろ。春奈が妊娠して、あの子を傷つけるのが怖いからじゃなきゃ、俺だってお前に触れたくないんだ」

顎を掴んでいた手を下へ滑らせながら、嘲るように言った。「何もそこまで堅苦しい真似をする必要がある?昔だって、したことがないわけじゃないだろ……これは何だ?」

涼介は結月の鎖骨に残された歯形を凝視した。

次の瞬間、怒りに任せて結月の身につけていたバスローブを引き裂く。

白い肌に残された無数のキスマークを目にした途端、その目は今にも火を噴きそうになった。

「結月!これはどういうことだ!」

涼介がここまで激昂するのを見て、結月は逆に笑みを浮かべた。

もう隠す気もなかった。

照明の下で、全身に刻まれた痕がそのまま晒される。

「見れば分かるでしょ。わざわざ聞くこと?」

涼介は一気に結月の首を掴み、冷たい声で問い詰めた。「俺を裏切ったな。よくもそんな真似ができたな。言え、あいつは誰だ」

首を締め上げられ、結月の顔は紫色に染まっていく。

それでも結月は笑っていた。

わざと一番胸糞の悪い言葉を選び、涼介を刺激する。

「体を売ったの、400万円で……あいつのほうが気前がよくて、ベッドでもあんたより上手くて……」

結月は苦しげに、一言一言、相手の心を抉るような言葉を吐き出した。

自分の女にここまで挑発されて、耐えられる男などそうはいない。涼介は、今にも結月を殺してしまいそうだった。

「黙れ!」

何よ、その反応。まるで死ぬほど気にしているみたいじゃない。

だが結月には分かっていた。これが男というものの、どうしようもない性分だ。

まして涼介のように支配欲が強い男は、自分のものに他人が触れることを何より嫌う。昔も、誰かが結月をちょっと見ただけで、涼介はすぐに怒ったものだ。

あの頃の結月は、自分が身代わりだとは知らなかった。涼介が自分を愛しすぎて嫉妬しているのだと、何も考えずに信じていた。

だが後になってようやく分かった。涼介の嫉妬は、そんなものではなかった。涼介はただ、自分を彼だけの玩具だと思っていたのだ。彼だけの、ペットだと。

どれだけ問い詰められても、結月は慎也のことを一言たりとも口にしなかった。

言いたくないからではない。怖かったのだ。

涼介と比べれば、慎也こそ本物の狂犬だった。涼介はただの偽善的なクズだが、慎也は人を死ぬまで追い詰める狂犬だ。二人を一度に完全に敵に回すような真似は、まだしたくなかった。

涼介に激しく突き飛ばされた。空気が我先にと肺へ流れ込んでくる。結月は首を押さえながら激しく咳き込み、声はすっかり掠れていた。おそらく喉まで傷めている。

息を整える間もなく、涼介は結月を浴室へ引きずり込み、冷水が頭上から一気に降り注いだ。結月は寒さに全身を震わせた。

だが、すでに理性を失っていた涼介は、結月を無理やり持ち上げると、冷たい壁に押しつけ、そのまま無理に事を進めようとした。

結月は手をあちこちに伸ばした。

何か手頃な、殴りつけられるものがないか探したが、見つからない。

仕方なく、抵抗するのを諦めた。

「涼介、私がエイズをうつしても怖くないの?」

涼介の全身が、ぴたりと固まった。

結月は静かに口を開いた。「相手はクズだった。病気持ちだって聞いたの。もしあんたが私に触れて、その病気をあんたが一番愛してる春奈にうつしたら、そのあと生まれてくるのは病気の子供よ。ふふ……」

涼介の顔から、さっと血の気が引いていく。

顔の筋肉が激しく痙攣していた。

そのとき、ポケットに入っていたスマートフォンが鳴った。

専用の着信音。

涼介が心の底から大切にしている、あの女からの着信だった。

やはり。涼介はすぐに結月から手を離し、スマートフォンを取り出した。

その声は一瞬にして、これ以上ないほど優しくなる。

「春奈、どうした?家に戻ってちょっと物を取ってくるだけだ……どうしてそうなるんだ?知ってるだろ、俺が愛してるのは君だけだ。

……何?お腹の調子が悪い?焦るな、すぐそっちに行く!」

電話を切ると、涼介は大股で外へ向かった。

だが、ドアのところまで行ったところで足を止める。

冷たい目で結月を一瞥した。

「結月、今回は本気で俺を怒らせたな。大人しく家で俺の帰りを待ってろ。もし戻ってきたとき、お前の姿がなかったら、俺が何をするか分かってるよな」

結月は嘲るように唇の端を吊り上げた。

それがどうしたというのだ。

満はもういない。

もう二度と、涼介に支配されることはない。

涼介にさんざん振り回され、結月は頭が割れるように痛んでいたが、それでも眠ることができなかった。

ならばと、スーツケースを引っ張り出し、自分の荷物を片付け始めた。

かつて涼介は、結月によくしてくれた。

食事も衣服も身の回りのものも、何もかも最高級のものを揃えてくれた。

いつも結月に、「お前は綺麗なんだから、一番いいものが似合う」と言っていた。

だが、春奈が戻ってきて、自分が身代わりだったと知った結月が涼介と大喧嘩をして離婚を切り出してからというもの、涼介は結月のすべてを制限するようになった。

最初は行動を厳しく監視するだけだったが、その後、満が病気になるとそれを盾に、ますます結月を支配するようになる。

仕事を辞めるよう脅し、自由を奪い、運転免許証やマイナンバーカードまで取り上げた。

何も買ってくれなくなり、働いて稼ぐことも許さず、金も渡さなかった。満の治療費はすべて涼介の口座から支払われていた。

だが数日前、満が海を見たいと言ったため、結月は涼介に何も告げず、勝手に満を病院から連れ出した。

それが涼介の逆鱗に触れた。

涼介は満の治療費を打ち切った。

そのせいで満は急変し、容体が急激に悪化して、救命措置も及ばず亡くなった。

医師が満の死を告げた瞬間、自分が何を感じていたのか、結月にはもう分からなかった。悲しかったのか、それとも解放されたのか――自分でもわからない。

ただ、これから先、春奈のために尊厳を捨てるまで懇願するようなことは、二度とない。

結月の荷物は少なかった。着替えが二着と、満の遺品をまとめた袋が一つ。スーツケースですら、いっぱいにはならなかった。

荷物を引いて邸宅を出ると、すべての使用人がそれを見ていたが、誰一人として結月を止めなかった。

結月は笑った。止めないなら、それでいい。涼介が帰ってきて自分がいないと知れば、ここにいる者たちは全員、ただでは済まない。

結月のマイナンバーカードと運転免許証は、どちらも涼介に取り上げられていた。

ホテルに泊まることもできず、深夜、実の父親の家の扉を叩いた。

扉を開けたのは、継母の小湊朋美(こみなと ともみ)だった。

眠っていたところを起こされ、最初は少し苛立っていたが、結月の姿を見た途端、媚びるような笑みを浮かべた。

「結月、こんな時間にどうして帰ってきたの?」

結月は無理に笑った。

「朋美さん、夜遅くにごめんなさい。二、三日泊めてもらおうと思って帰ってきたの」

「そう、また涼介と喧嘩したんでしょう?あなたも少しくらいわがままを抑えたら?涼介はあんなにいい人なのに……」

結月の顔色がおかしいことに気づき、朋美は慌てて口を閉じた。

「と、とにかく中に入って」

朋美は結月をソファに座らせると、振り返って寝室のほうへ声をかけ、小湊雅明(こみなと まさあき)を呼ぼうとした。

だが、結月がそれを止めた。

「お父さんを起こさなくていい」

スーツケースを引きながら、自分の寝室へ向かう。

朋美はその後ろについて、慌てたように二度ほど声を上げた。

どうやら止めようとしているらしい。

だが、結月はすでに扉を開けていた。

かつて自分のものだった寝室は、ゲームルームに改装されていた。結月の荷物は、一つも残っていなかった。

朋美は気まずそうに言い訳した。「ほら、あなたは大きな邸宅で暮らし慣れてるでしょう。家の狭い部屋じゃ、きっと落ち着かないと思って。それに、安彦がずっとゲームルームが欲しいって言うから……」

「そう。別にいいよ」

結月は、これには驚かなかった。

弟の小湊安彦(こみなと やすひこ)は昔から聞き分けがよく、自分の部屋だった場所を奪うようなことはしない。

すべて、朋美の言い訳にすぎないのだ。

「じゃあ、今夜はリビングで我慢する」

朋美がまだ何か言おうとすると、結月は口を開いた。

「朋美さん、今すごく疲れてるの。先に休ませてもらっていい?」

「……ええ、もちろん」

朋美は結月のためにうどんを作ると、寝室へ戻っていった。

結月はうどんを食べ、ソファに横になった。

そしてふと、自分にはもう行く場所がないのだと気づいた。

いつもの癖で手首のブレスレットに触れようとした。

だが、指先には何も触れなかった。

その瞬間、結月の顔色が一変した!

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