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第662話

Author: 青山米子
一葉が何かを言う前に、紗江子は畳み掛けるように続けた。「おばあちゃんはね、旭くんなんか、いいと思うんだ。あの子は心根の優しい子だし、あんた一筋じゃないか。あの子と一緒になれば、きっと幸せになれる。言吾みたいなことには、絶対にならないよ!」

どうやら紗江子は、本気で旭のことを気に入っているらしい。孫娘に新しい人生を歩ませたいと願う時、真っ先に思い浮かぶのが彼なのだ。

一葉が何かを言いかけた、その時だった。

「おばあちゃん!」

紗江子が倒れたと聞きつけ、旭が息を切らして病室に駆け込んできた。彼はドアの外で、先ほどの紗江子の言葉を耳にしていたのだろう。その瞳はきらきらと輝き、まっすぐに一葉を見つめている。

そのあまりに純粋な眼差しに、一葉は目を合わせることすらできなかった。全く、祖母の強引な縁結びには、泣くに泣けない。

今は新しい恋を始める気など毛頭ないし、仮にそうだとしても、相手が旭ということはあり得なかった。

彼に対して抱いているのは、あくまで弟や家族に対するような、そういう親愛の情でしかないのだから。

祖母をなんとか宥め、一葉は旭と共に病室を出た。

そして、再び彼から想いを告げられた時、彼女は、これまでになくはっきりとした口調で、それを拒んだ。

「旭くん。私が言吾を完全に過去の人にできたかどうかとか、新しい恋を探しているかどうかとか、そういうことは関係ないの。あなたとは無理。あなたに対しては、本当に、家族としての気持ちしかないのよ」

桐生家の事業を継ぐにつれて、旭は以前よりもずっと成熟した男性になっていた。今の彼なら、この言葉も受け止められるはずだ。そう思ったからこそ、一葉はもう遠回しな言い方はやめ、ありのままの気持ちを伝えた。

これで、彼も二人の間に未来などないこと、自分が抱いているのがただの家族愛でしかないことを、はっきりと理解してくれただろう。

だが、どれだけきっぱりと、どれだけまっすぐに拒絶しようと、旭にはそれが無意味だった。彼は決して諦めようとせず、変わらず一葉のそばに居続けた。

彼をどうすれば完全に諦めさせ、新しい人生へと送り出してやれるのか。一葉はすっかり頭を抱えてしまっていた。

それに追い打ちをかけるように、紗江子は会うたびに結婚を催促してくる。「あんたが結婚するのを見届けるまで、死んでも死にきれない」とでも言いたげな顔
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