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last update Date de publication: 2026-02-23 06:15:49

『愛します』。

 幼子が守られるための全肯定。幼かった彼が一番欲しかった言葉。一番欲しかった体温だった。

 ずっと欲しくて、それでも手に入らなかったものが彼に降り注ぐ。

 隼人の瞳に光が戻る。

 彼は頬に添えられた小夜子の手に、自分の手を重ねた。そして、ゆっくりと立ち上がった。

 隼人は真澄を見た。先ほどまでの恐怖は消えている。

 そこにいるのは、ただの浅ましく金に汚い、中年の他人だった。なぜこんな小さな女に怯えていたのか、今の彼にはもう分からなかった。

「……帰れ」

 隼人は短く告げた。落ち着いた静かな声だった。

 真澄が目を吊り上げる。

「はあ? 何言ってんのよ。金はどうすんのよ!」

「1円たりとも渡さない。お前に渡す金があるなら、ドブに捨てた方がマシだ」

 隼人はデスクの受話器を取り上げて、短縮ダイヤルを押した。

「……警備室か。社長室に不審者がいる。つま

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  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   420

    「パレードが始まります。こちらのベンチへ」 翔吾が案内したのは、パレードルートの終盤にあたる少し奥まったエリアのベンチだった。  日陰になっており肌寒いが、人通りが少なく視界が開けている。「こんなとこでちゃんと見えるのか?」 実加が疑わしげに尋ねる。「パレードのフロートは高さが5メートル以上あります。エントランス付近は人口密度が高く、理玖くんの視線では大人の背中しか見えません。ここはルートのカーブに位置するため、フロート――パレードの車が旋回する際にキャラクターがこちらを向く確率が最も高いポイントです」 翔吾が持参したブランケットをベンチに敷いて、2人を座らせる。 数分後、遠くから音楽が近づいてきて、巨大なフロートが姿を現した。  翔吾の計算通り、カーブを曲がる際にキャラクターたちが、ベンチに座る理玖の目の前で大きく手を振った。 キャラクターたちも小さな子供相手なので、特にサービス精神を発揮してくれたようだ。「わあ! こっちみてる!」 理玖が飛び上がった。何度も大きく手を振り返している。「すげえじゃん、理玖! こんなの普通じゃ見られねえよ。メガネ、お前マジで優秀だな!」 実加が興奮気味に翔吾の肩をバンバンと叩いた。  翔吾は少しだけ姿勢を崩しながら、満足げに口角を上げた。「事前準備とデータ分析の勝利です」 パレードのきらびやかな光と音楽が、冬の夕暮れ空に溶けていく。  翔吾は立ち尽くしたまま、2人の背中を見守っていた。◇ すっかり日が落ちた後、3人は帰路に就いた。 最寄り駅へ向かう帰りの電車内は、規則正しく揺れている。  暖房が効いた車内は、遊び疲れた乗客たちの微かな寝息と、レールの継ぎ目を刻む単調な振動音に包まれていた。 3人はロングシートに並んで座った。  理玖は靴を脱いで、実加の膝の上に頭を乗せて深い眠りに落ちている。  小さな手には、園内で買った星型のステッキが

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   420

     翔吾の頭の中には、園内の三次元マップとアトラクションの稼働状況、ゲストの動線データが完全にインプットされている。(混雑する園内において、幼児の体力メーターは最も重要なリソースだ) 無駄な移動や待機時間は、疲労による不機嫌という最悪のバッドエンドを引き起こす。 司令塔としての翔吾の役割は、実加と理玖の体力消費を最小限に抑えつつ、最大限のエンターテインメントを提供することにある。 まあ要するに、上手に園内を回って目一杯楽しもうということであった。「まずはコーヒーカップです。現在の待ち時間は5分。移動にかかる時間は3分。行きましょう」 翔吾が先導し、人混みを縫うように進んだ。 ベビーカーの集団や、キャラクターの帽子を被った学生グループを的確に回避していく。  予告通り、ほとんど待つことなくコーヒーカップに乗り込むことができた。 翔吾は理玖の隣に座り、安全バーを下ろす。向かいには実加が座った。 楽しげな音楽と共に、カップが回り始めた。  中央の円盤を回せば回転速度が上がる仕組みだ。「よーし、回すぞ!」 実加が腕まくりをして円盤を全力で回し始めた。 コーヒーカップが猛烈な勢いでスピンし、遠心力が体を外側へ押し付ける。「あはははは! はやい、はやい!」 理玖は大喜びだ。「おいおい、メガネ! 目ぇ回ってんじゃないのか?」 実加の楽しげな声が、風を切る音に混じって届く。「この程度の角速度と求心加速度であれば、三半規管への影響は許容範囲内です。ですが理玖くんの体格を考慮すると、これ以上の回転は……あわわわ」「固いこと言うなよ! もっと回すぜ!」「きゃあははは!」 2人の弾むような笑い声が、翔吾の耳を震わせる。 景色が猛スピードで流れていく中、翔吾の視界は目の前の2人だけに固定されていた。  実加の髪が遠心力で広がって、理玖が満面の笑みでしがみついている。  2人ともとても楽しそうだ。 半ば目

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   419

    「では、是非お願いします。次は夢の国の遊園地などいかがですか?」「夢の国ぃ? あそこ、理玖くらい小さい子じゃアトラクション乗れないだろ」 夢の国は東京近郊にある大型テーマパークで、大人が楽しむためのアトラクションが多数揃っている。「乗れるものもありますよ。情報収集はお任せください。最大限に効率化したアトラクション巡りをしましょう」 実加は再び笑った。「効率化って! 要は楽しめばいいんだ。あそこはキャラクターもいるし、パレードもある。歩いているだけで楽しいだろ」「いけません。入園するからには効率化を意識しないでどうするんですか。理玖くんが乗れるアトラクションに狙いを定めて、完璧なマニュアルを作ってみせます」「はいはい。よろしく頼むわ、センセイ」 いつもの軽口の応酬だ。 翔吾は眠る理玖の横顔を眺めながら、来たるべき当日のプランを考え始めた。◇ それから3週間後の休日のこと。 空には雲1つない冬晴れが広がっていた。 海からの冷たい風が吹き付ける埋立地に、その巨大なテーマパークは存在していた。 夢の国と称されるその場所は、エントランスをくぐった瞬間から、キャラメルポップコーンの甘い香りと、パレードの陽気な音色が空間を満たしている。 入場ゲートを抜けた実加と理玖は、目の前にそびえ立つ巨大な城を見て歓声を上げた。「すげえ! でっかいお城だな、理玖!」「おしろ!」 はしゃぐ親子を連れて、翔吾はワゴンの売店に立ち寄った。 実加には赤の水玉模様がついた黒耳のカチューシャを、自分用に魔法使いの帽子カチューシャを買った。「りくの! りくのは!?」 耳を生やした実加と翔吾を見て、理玖が飛び跳ねている。「耳カチューシャの子供用はないんですよ。だから君にはこれを」 翔吾はぬいぐるみ型のリュックサックを買って、理玖に背負わせてやった。「わあ!」 理玖

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   418

     継母は翔吾を積極的にいじめたわけではなかったが、疎んでいた。 家族で出かける時は、翔吾だけ置いてけぼりになったものだ。 翔吾も自分の立場を自覚していたから、父と継母、異母弟妹を恨んだことはない。連れて行って欲しいと、ワガママを言ったこともない。 けれど寂しさだけはいつもあった。 居場所のない思いは常に彼を蝕んで、一人ぼっちでいることが多かった。(あの時の寂しさが……今はどこに行ってしまったんだろう) 長らく彼を苦しめた孤独が、いつの間にかすっかり消え去っている。 当時を思い出そうとしても、もう思い出せないほどに記憶が遠ざかっていた。 肩にかかる理玖の重みは温かく、隣を歩く実加の存在が心強い。 寂しさは彼らに追い出されて、今は優しさと温かさだけが彼の心を占めている。(僕は2人に救われたんだ) その思いは、すとんと心に落ちた。 心の中に温かな灯火が灯ったような気持ちだった。 それが嬉しくて、翔吾はそっと微笑んだ。◇「動物園、楽しかったな」 帰りの電車の中で、眠ってしまった理玖を抱きながら実加が笑った。「動物園なんぞガキの頃以来だったが、大人も案外楽しめるもんだ」「最近の動物園は展示に工夫をしていますからね。昔のようにただ檻の中に入れるだけではなく、できるだけ自然な姿を見せるようにしている」「あー、確かに。ヒョウのコーナーで木登り用の木があったのは面白かった。ヒョウは木登りが上手いわ」「理玖くんも夢中になっていましたね」 2人は顔を見合わせて笑う。「ありがとな、メガネ。付き合ってくれて」 実加が理玖の髪を撫でながら言う。「理玖も大喜びだった。肩車してもらったりさ。ウチだけじゃこんなに喜ばなかったはずだよ。お前のおかげだ」「い、いえ…

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   417

    「ライオン、おっきかったね!」 ライオンの前を離れても、理玖はしばらく興奮気味だった。「おう、ライオンはかっこよかったな。さあ次へ行くぞ。動物園は他にも色んな動物がいるからな」「うん!」 その後は広大な園内を歩き回り、キリン、象、ペンギンと順調に巡回した。 獣の獣脂の匂い、干し草の匂い、水槽の塩素の匂い。エリアごとに変わる匂いが、動物園らしいワクワク感を高めてくれる。「あっ、キリンさん。首、すっごいながい」「あっち見てみろよ。象がいる。でかなあ」「お鼻、ながーい」 理玖も鼻をすんすんと動かして、色々な匂いをかいでいる。次の動物を見ては目を輝かせていた。◇ そうして動物園を2時間も歩き回ると、理玖の歩みがとても遅くなった。 足がもつれて、実加のコートの裾を握りしめて立ち止まる。 眉をぎゅっと寄せて、アヒルのように口元を突き出している。 疲れて不機嫌な表情だったが、それすらも実加には愛おしく見えた。「だっこ……」「おっ、電池切れか。しょうがねえな、おいで」 実加が屈み込もうとした瞬間、翔吾がスッと間に割って入った。「僕が肩車します」「え? いや、ウチが抱っこするよ。重いし」「実加さんはすでに荷物を持っています。重量の分散と移動効率の観点から、これがベストです。ほら、理玖くん」 翔吾は理玖の脇に手を入れて持ち上げ、自分の肩にまたがらせた。 理玖の小さな手が、翔吾の髪を掴んだ。「たかーい!」 それまでの疲れが吹き飛んだように、理玖は瞳を輝かせている。「視座が上がれば、遠くの展示も見やすくなります」 翔吾は理玖の太ももをしっかりと支えて、実加の方へ向き直った。「ついでに、そのトートバッグも貸してください」 翔吾は実加の肩から、水筒や着替えが入って膨らんだキ

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   416

     けれど翔吾は歩み寄って実加の肩を軽く叩いた。「好きなだけ見せてあげればいいですよ。彼の知的好奇心を途中でやめさせる必要はありません」「でもよ、全部回りきれなくなるだろ。ライオン以外にもおもしれえ動物はいっぱいいるし」 実加としては、せっかく動物園に来たのだから、様々な生き物を理玖に見せてやりたいという親心だ。「全体の巡回率を下げても、特定の対象に対する深い観察時間を確保する方が、幼児の脳の発達には有益です。……それに見てください。あの個体は今、毛繕いの動作に入りました。ネコ科特有の舌の構造を観察する良い機会です」 翔吾は眼鏡を中指で押し上げ、ガラスの向こうの雄ライオンを指差した。「ライオンの舌には糸状乳頭という突起が密集しており、これがヤスリのような役割を果たして骨から肉を削ぎ落とします。現在行っている被毛の手入れにおいても、その構造が機能しているのがわかります。また、ライオンはネコ科ヒョウ亜科に分類され、群れであるプライドを形成する極めて特異な生態を……」 翔吾はスラスラと説明を続ける。動物園に行くと決めた日から、特にライオンは入念に調べてきたのだ。「はいはい、わかった! 長いわ! 理屈っぽいんだよ、お前は!」 実加が翔吾の背中をバシッと叩いた。 手袋越しでも、なかなかの衝撃が背中に響く。 が、翔吾は以前のようにつんのめったりしない。 実加に「鍛えろよ」と言われたのを気にして、こっそりと筋トレに励んでいたのだ。 その成果がしっかりと出て、翔吾は実加の力を受け流した。 実加は不思議そうに首を傾げた。「あれ? お前、体鍛えた? なんか急に体幹しっかりしてない?」「今はその話ではありません。……ライオンも理屈ではなく、生物学的な事実です」 翔吾は説明をさえぎられて、少しだけムッとした顔になった。 さらに言えば、実加のために体を鍛えていると知られるのは、照れくさくて仕方なかったからだ。 実加は翔吾の

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