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祝祭Ⅲ

Auteur: 東雲雨月
last update Dernière mise à jour: 2025-06-02 19:01:33

 頑ななジラソーレの態度に、アルレノは肩をすくめて栗色の頭を縁取るように優しく撫ぜた。まだ手の中にある薔薇をぎゅっと握りしめると、不意に痛みが走る。ジラソーレは顔を顰めながら手を見ると、薔薇の茎の棘が処理されていなかったらしく手のひらに刺さっていた。

「ワァ!大変ネ!救護の先生に診てもらうといいネ!」

 いつもの調子に戻ったアルレノが甲高く声を上げて、ジラソーレの手を引く。

「必要ない」

 胸が、高鳴る。鼓膜を揺らした声のする方向へと視線をやると、ダフネが無表情のままアルレノとジラソーレの様子を伺っていた。そして手を取られていたジラソーレに近づき身を寄せると、そっと囁くように唱えた。

「”傷よ、癒えよ”」

 途端、淡い光が放たれる―――目を細めると、いつの間にか刺さっていた棘が消滅して傷がなくなっていた。

「…相変わらず、魔法ってやつはすごいネ!憧れるネ!」

「この程度の傷なら魔法さえ使えれば誰でもできる。それよりもうそろそろ出番じゃないのか?」

「―――ワァ!ありがとネ!じゃあネ!」

 気まずくなったのかアルレノは、腕を直角にしながら駆けて行った。あまり道化師らしくない走り方にジラソーレが唖然としていると「そういう笑いだから笑ってあげな」とダフネは呆れ笑いを零す。

 傷が癒えた手を眺めながら、不思議な気持ちになった―――本来ならばジラソーレも使えるはずだった魔法の、活用方法。

 魔法というものは”詠唱”があって、初めて成立する。詠唱がなければ魔法として機能しない―――要するにジラソーレは魔力を持っていながら”詠唱”ができないため魔法が使えないという、大変残念で稀有な人間なのだ。

『あ り が と う』

「んーん、どういたしまして―――なぁ、髪直して。ちょっと崩れた」

 ジラソーレは静かに頷く。ほんの少しだけ羨ましいと思った―――もし言葉を発せたら奴隷じゃなかったかもしれない。もし言葉を発せたら奴隷じゃなくても一人で生きることができたかもしれない。もし言葉を発せたら、ダフネに会うことができなかったかもしれない。

 脳裏を過る”たられば”を無視しながら、緩く崩れたダフネ
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     レンガ造りの、近代的な機械が立ち並ぶ工場内。耳を劈くような金属音に、咄嗟にジラソーレは耳を塞ぐ。二日間の旅路で平衡感覚を失った身体を翻して、背後にあったサーカステントを見やった。入り口の幕が大きく捲られており、何人かの団員が天井にある”ナニカ”を取ろうとしている姿が視界に飛び込む。入り口付近ではメディチ侯爵ともう一人、黒い前髪で左目を隠した青年―――ソッフィオーネが言葉を交わしていた。 目的地のベッナには、魔法石を点検する整備施設がある―――ソッフィオーネはサーカス団『フィエスタ』専任の整備士であり、普段は魔法士が利用する武器整備を行っている。「うわぁ~、僕、魔法科学を利用した武器なんて初めて見た」 スリジエは壁に立てかけられた武器を眺めながら感嘆の声を零した。団員たちは各々好きに過ごしていて、工場の敷地内に隙間なく収められたテント群の中で過ごすことを選ぶ人もいれば、ジラソーレやスリジエのように工場見学に赴く者もいる。 ジラソーレは退屈の溜息を吐きながら、ダフネがいないかと疎らに散った人の中から彼を探す―――その視界を遮るように薔薇が咲いた。「誰をお探しネ?」 アルレノだ。目の前の手を弾いて、彼に視線を向ける。燦々と降り注ぐ太陽が彼の髪に吸収されて、茶髪の中に潜んだオレンジ色を濃く示している。スリジエとはまた違った色合いのグリーンアイズに、不機嫌そうなジラソーレが映り込んでいた。『べ つ に』「ダフネならアソコにいるネ!」 アルレノはそう言うと、工場の入り口とは真反対―――ジラソーレの後ろを指差す。アルレノの指先を辿って視線を流すと、ココア色のウォーキングドレスに身を包んだサクラと白シャツに鈍い茶色のスラックスを身に纏ったダフネが、機械の隙間から見えた。彼の髪の毛は美しく整えられており、おそらくサクラが整髪したのだろう。 もやり、と黒い靄が湧き上がって、胸の奥でつっかえる。ジラソーレは眉根を寄せて、工場の床を蹴った。アルレノの驚愕の声が耳を通過したような気がした。ダフネのもとへと駆けると、後ろから子供のように勢いよく抱き着く。「うおっ、誰―――なんだ、ジラソーレか」「あら、可愛らしいこと。ダフネに会えなくて寂しくなっちゃったのよ」 サクラの言葉を耳の片隅に置きながら、うりうりとジラソーレは彼の背中に額を押し付けた。ダフネは困惑の息を漏ら

  • 向日葵の踊り子は喋れない   グリーンアイズⅢ

     随分とすっきりとしたテントの中に入ると、ジラソーレはベッドに腰かける。スリジエも同じく隣に腰かけた。シーツを撫でながら、昨晩の彼の言葉を思い出す。『君にかけられている魔法はひどく古くて強力な魔法だよ。昨今の魔法士弱体化に伴った技術力の低下の中じゃ、それを不治の病だと思ってしまうのも無理はない―――僕だって、その刻印を見ていなかったら気付かなかったし』 スリジエは薄暗いテント内で、肌に橙色を灯しながら朗らかに笑った。ジラソーレが眉根を寄せながら怪訝そうに首を傾げると、彼は顎に指を添えながら言葉を連ねる。「その刻印はあの大魔法士”アルクス”が開発した魔法につけられるものだよ。君の周囲にそういうのに詳しい人はいなかった?」 否定。「ふぅん、なるほどね。こんな高度な技術を使える人間、僕も会ってみたいなぁ」 再度、首を傾げる。「―――この魔法はね、かけた人間の魔力を少しずつ奪っていくものなんだ。だから”呪い”をかけた人間は、今もずっと魔力を奪われ続けている。そもそも僕みたいに魔力の少ない人間…いや、多分、相当ベテランの老魔法士くらいじゃないと実現さえ不可能な魔法なんだ」 僅かに息が漏れた。ジラソーレは目を見開きながら、蜂蜜色の視線でゆらゆらりと空中に絵を描く。 この症状を発症したのは齢十歳のことだった。情報と人間との関わりを遮断された屋敷の中、魔力を持った人間は弟であるジャッジョーロとジラソーレもといイリスだけ。 可能なのは―――弟だけだ。だけれども、あまりにもスリジエの言う人物像と異なり、そっと走り出した思考を否定するように首を横に振る。頭がどうにかなってしまいそうだ。双子だったのだから、弟も同じく十歳のはずだ。「誰か心当たりあるの?」 ジラソーレの様子に、スリジエは疑問を重ねる。ジラソーレは顔を顰めながら、協力してくれると言われた手前、情報は開示しなければならないだろうと口を開いた。『お と う と』「おと、と?―――ああ、弟か」 合点したように呟くスリジエをよそに、頭を抱えるように額を手で支える。ふわりと彷徨わせるように視線を隣に向けると、彼はジラソーレに真っ直ぐエメラルドの瞳を向けていた。「その弟さんとは生き別れに?」 こくりと頷く。「ふうん。まあ、生きてはいるんだろうね。未だにジラソーレさんが喋ることができないということは――

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  • 向日葵の踊り子は喋れない   マノの休日Ⅲ

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