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告白の引き金

作者: 中岡 始
last update 最終更新日: 2025-10-03 17:04:40

瑛がグラスを持ち上げ、残った酒を口に含む。その喉の動きとともに、柔らかなランプの光が彼の輪郭を滑っていく。リビングは静かだった。窓の外は夜の気配にすっかり染まり、薄いカーテン越しに街灯の淡い明かりがにじんでいる。時計の針の音が、穏やかすぎるほど一定に響いていた。

「また生活リズム崩してたやろ」

唐突に瑛がそう言った。声は軽く、冗談をまぶした響きだったが、その奥にかすかな真剣さが混じっていた。湊は思わず口元をゆるめる。

「…まあ、少しは」

苦笑を浮かべながら答えると、瑛は目を細め、氷を指先で軽く回す。カランと音がして、その瞬間、湊の胸の奥で何かがざわりと動いた。冗談に包んだ言葉の芯が、自分を案じる気持ちだとわかってしまうからだ。その事実が、思った以上に深く響く。

数週間、会えなかった間の空白が、瑛の何気ない一言で急に埋まっていくような感覚。だが同時に、その空白に自分がどれだけ甘えていたかも突きつけられる。瑛がいないと崩れる生活、空虚さを埋める術もなく過ごした日々…それらが頭をよぎると、胸の奥が熱く締め付けられた。

湊は視線をテーブルに落とし、指先でグラスの縁をなぞった。冷たさが指に伝わるが、内側から押し寄せる熱は引かない。言葉にしなければならないと、どこかでわかっていた。今言わなければ、また心の奥底へ押し戻してしまう。

「…瑛」

名前を呼んだ声が、自分でも驚くほど低くかすれていた。瑛がゆっくりとこちらを見る。その瞳は、光を反射してわずかに揺れているように見えた。湊は深く息を吸い込み、肺の奥まで夜の空気を入れる。心臓の音が耳の奥で反響し、鼓動の速さが呼吸を追い越していく。

「契約じゃなく、俺のそばにいてほしい」

その言葉が口から零れ落ちた瞬間、部屋の空気が変わった。ランプの光がいっそう濃く二人を包み込み、外の世界との境界が完全に閉じたような感覚。時計の音も、氷の解けるかすかな音も、すべてが遠のく。

瑛はすぐには答えなかった。ただ、湊をじっと見つめていた。表情は穏やかなままなのに、その沈黙が重く、そして優しい圧を持って胸にのしかかる。湊は視線を逸らさず、相手の反応を待った。

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