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第8話

Author: ポポ
電話の向こうが、重苦しい沈黙に包まれた。

しばらくして彼が口を開いたとき、その言葉は光奈子の心を凍てつかせた。

「お前が研究所に来たのは、俺のそばで働くためだったろう?」

光奈子はスマホを握りしめる指が白くなるほど力を込めた。

彼は諭すように、論理的に続けた。

「論文の著者名などという名ばかりのものは、お前にとって重要じゃないはずだ。俺のチームにいれば、お前の立場は俺が守る。

だが夏希は違う。この分野で足場を固め、先へ進むためには、こうした実績が不可欠なんだ」

ドクン――!

光奈子は耳鳴りがし、全身の血が冷え切るのを感じた。

千隼は知っていたのだ。

自分が昇進を諦め、アシスタントに甘んじていた理由を、彼は最初から知っていた。

分かっていないのではない。どうでもよかったのだ。

それどころか、彼は自分の献身と譲歩につけ込み、その心血を注いだ成果を意のままにするための「便利な駒」として利用していたに過ぎない。

光奈子は十年かけて、自らの無謀な愛を証明しようとした。

だが千隼から返ってきたのは、「お前にとっては重要じゃない」、「夏希の方がもっと必要としている」という、あまりにも軽い査定だった。

口を開き、光奈子は反論しようとした。

何の権利があって自分の重要度を勝手に決めるのか、あのデータを得るためにどれだけ徹夜し、どれだけ失敗を重ねたか知っているのかと問い詰めたかった。

けれど、喉が張り付いて声が出ない。

結局、彼女は震える指で、力なく通話を切ることしかできなかった。

数日後。

研究所の大講堂にて、定例の重要学術報告会が開かれた。

夏希の名前でトップジャーナルに掲載されたあの論文は、今回の報告会の目玉の一つだった。

発表者は当然、夏希だ。

彼女は仕立ての良い上品なドレスを纏い、壇上で論文の核心を述べていた。

会場からは時折、称賛のささやきが漏れ、すべてが順調に進んでいるように見えた。

質疑応答の時間になるまでは。スクリーンの端に表示されていたパブリックチャットに、匿名のオンライン参加者が爆弾を投下したのだ。

【報告者・渡辺夏希氏の学術的誠実さに疑義あり。本論文の核心データは、古川光奈子氏が早期に発表した実験データと高度に一致している】

【渡辺氏はデータの出所をどう説明するのか?これは同僚の成果を盗用したデータ捏造ではないのか?】

会場が騒然となった。

スクリーンの文字が拡大され、数百人の目がその告発をはっきりと捉える。

壇上の夏希は顔面蒼白になり、言葉を失って狼狽した視線を最前列の千隼に向けた。

司会者が場を収めようとするが、ざわめきは止まらない。

光奈子の背筋に、冷ややかな戦慄が走った。

彼女がやったことではない。

共倒れになるような過激な手段など、考えてもいなかった。

その時、刺すような視線を感じた。

顔を上げると、千隼と目が合った。

彼は人混み越しにこちらを見ていた。眉を固く寄せ、その瞳には隠そうともしない疑念と……深い失望の色があった。

問う必要すらない。光奈子はその目の意味をすべて悟った。

千隼は、彼女が署名問題に不満を持ち、報復としてわざとこのタイミングで匿名告発をしたのだと決めつけている。

彼の目には今、光奈子が「夏希の将来を潰すためなら研究所の名誉さえ傷つける、浅ましい女」として映っているのだ。

光奈子の心が、底なしの沼へと沈んでいく。

千隼は立ち上がり、奇妙な視線が集中する中で演台へと歩み寄った。

彼は硬直した夏希からマイクを受け取り、騒然とする会場に向き直った。

「近藤千隼です。先ほどの匿名の疑義について、統括責任者として説明します。

本論文のすべての作業は、私の指導と監督の下で行われました。渡辺夏希研究員が主要な完成者であり、その正当性は私の学術的名誉にかけて保証します」

彼は一呼吸置き、顔色の悪い光奈子の方へ、氷のような一瞥を投げた。

「古川光奈子は私のアシスタントであり、あくまで機材のセッティングや書類整理を担当していたに過ぎません。彼女には、本研究のような高度な実験設計を単独で遂行するだけの学術的知見はありません。この成果は、疑いようもなく渡辺夏希のものです」

会場の空気が一変した。

疑惑は消え去り、代わりに安堵と、光奈子への侮蔑を含んだ私語がさざ波のように広がっていく。

「室長が直々に保証したぞ!」

「なんだ、古川はただの雑用係だったのか」

「自分の手柄だと勘違いして騒いだのか?みっともないな……」

光奈子はその場に立ち尽くし、極寒の荒野に裸で放り出されたような心地だった。

千隼は隣で目を赤くしている夏希を見やり、マイクを外して優しく声をかけた。

「続きを話しなさい」

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