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近いようで…… 04

Author: 市瀬雪
last update Last Updated: 2025-09-09 11:00:53

   ***

 更衣室には、既に誰の姿もない。残っていた気配と言えば、よほど急いでいたのか、閉め損ねたらしい木崎のロッカーが半端に開いていただけだった。

 ……っていうか、用があったならもっと早く帰れよ。

 心の中でぼやきながら木崎のロッカーを閉めると、その背後で先に着替え始めていた河原が不意に口を開いた。

「そう言えば……」

 本当ならいつものように一服したいところだったが、今日は時間も時間なため諦めるしかない。仕方なく河原に倣うように自分のロッカーを開けると、その扉の脇から河原がひょこりと顔を覗かせた。

「暮科、明日早番になった?」

 ……だからそういう不意打ちはやめろ。

 無駄に大きく開けたままにしていたロッカーの戸の意味を考えて欲しい。

 いや、本当に考えられたらそれはそれで困るんだけど。

「あぁ、明日は早番が足りないらしいからな」

 思いがけず視線がかち合い、再び心臓が跳ねたけれど、俺はどうにか平静を装い、そのまま帰り支度を続ける。

「相変わらずお前のシフトは忙しいなぁ」

「まぁ、そういう契約だから」

 視線を手元に戻すと、苦笑気味に頷いた。

 するとまたしても河原が「あっ」と急に声を上げ、

「じゃあ、良かったら俺の次の休み……! って、だめか。俺じゃあお前の代わりなんて務まらない、もんな……」

 かと思うと、次にはどこかしゅんとしたように言いよどむ。

 そこでようやく顔を引っ込めた河原に、俺は小さく息をついた。河原の視線がなくなったことにほっとして――と同時に、心の中では別の意味での溜息を重ねながら。

 河原の気持ちはありがたかった。だけど、それではだめなのだ。

 単に彼がホールに出られないからだけじゃない。それだと――俺と河原の休みを入れ替えたのでは、結局時間が合わないからだ。

 確かに休みはすぐにでも欲しい。けれども、俺がいま、何より欲しいと思っているのは、休みは休みでも彼と共に過ごせる休みなのだ。

 だってもう三
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