「ごめん、遅くなった……」
気の抜けるような声でそう言ったのは、最後に待ち合わせ場所に到着した日高くんだ。
確かに遅刻だけど、まあ10分ならマシな方だろう。
でも日高くん自身はマシじゃなかった。 服装はいい。悪くはない。シャツの柄がいかつい龍ってチョイスが微妙だけど、コーデ的にはまあそれもありだ。
問題は身だしなみ。
寝坊でもしたのか髪は所々はねていて、唇も乾燥している。よく見ると肌もカサカサで、これはまともに保湿していない。
遊びに出掛けるって言うのにこのいで立ちはない。今すぐ寝癖を直して保湿リップだけでもつけさせたい衝動を抑えるのが大変だった。
待ち合わせの段階でこれだと、今日は本当に気疲れで潰れるかもしれない。あたしは癒しを求めて人気者グループへと視線を向ける。
流石は美男美女。
私服姿も目の保養だ。 メイクに関してはああすればいいのにとか、こうすればもっと良くなるのになんて思ってしまうけれど、日高くんを見ているよりは安心できる。 「じゃあ皆揃ったし、行こうか」工藤くんの言葉に、皆歩き始めた。
「美智留、今日の髪型気合い入れたでしょ? めっちゃ凝ってる」「沙良はポニーテール以外の髪型すればいいのに」
「あたしは一本に結うのしかまともに出来ないもん。それにさくらだっていつもと同じ髪型じゃない」
「でもさくらは髪飾りしてるじゃん。可愛いよ、その桜が連なってるみたいな髪留め。どこで見つけたの?」
「ありがとう。これね、フリマアプリで一目ぼれして買っちゃったんだー」
仲の良い三人の中には入り辛いけれど、その会話を聞いているだけでも癒される。うんうん。
田中さんの髪、凄いよね。
あたしでもどうやって結ってるのかちょっと分からないくらい。明川さんはポニーテール似合ってるけど、他の髪型も見てみたいな。
宮野さん可愛い。
桜の髪留めなんて季節的にもバッチリだし、宮野さんに似合ってる。 センスもあるね。 会話には混ざれないけれど、そんな風に内心では考えていた。 だからのけ者にされている気はしなかったんだけれど、気になったのか明川さんがあたしの方を見て言う。「倉木さんも話そうよ。皆の親交を深めるために出かけてるんだし」
「え? あ、うん」
と答えたものの、どうしようか。
心の中で思っていたことを話すのは簡単だけれど、きっと色々語ってしまう。まだそれほど仲が良いわけじゃないのにそんなことをしたら確実に引かれる。
そう思って何を話そうか迷っていると、田中さんが話題を提供してくれた。
「倉木さんの私服初めて見るけど、いい感じだね。センスいいんじゃない?」
「そ、そうかな? ありがとう」
「そうだよ、何だか春らしい色合いで可愛い。それに色付きのリップしてる?」
一番春が似合う宮野さんに言われてつい『あなたの方が可愛いです!』と叫びたくなる。
それでも何とか喉元で止めると、明川さんが反応した。「え? 倉木さん色付きリップしてるの? オシャレとかしなさそうだと思ったのに」
裏表のない言葉に、田中さんが「沙良はまたそんな風に言って……」と仕方なさそうに呟く。
「だからいつも言ってたでしょ? 倉木さんは髪がキレイだって。これはちゃんと身だしなみを気にして手入れしている人の髪だって」田中さんは髪オタクなんだろうか。
今の語り方、あたしがメイクのことを話すときに少し似ていた。
少し親近感が湧くと共に、髪もちゃんと手入れしていることに気付いてくれて嬉しくなる。
「……ありがとう。田中さん、気付いてくれて嬉しい」ちょっと迷ったけれど、今の素直な気持ちを伝えることにした。
「どういたしまして、でも気付いて当然だよ。他の子って何でかあまり髪質気にしてないんだよね。ちゃんと手入れすれば綺麗に出来るのに」そうして語りだした田中さんにやっぱりあたしと同じものを感じる。
人気者だからあたしとは違う部類の人だと思っていたけれど、案外同類だったのかもしれない。あたしの中で田中さんへの好感度はうなぎ上りだ。
「そういえば倉木さんだけ苗字呼びだね」
ふと、宮野さんがそんなことを言う。
「そうだね。倉木さんもあたし達の事苗字呼びだし」同意する明川さん。
その流れで田中さんが「そうだよ」と同意して提案する。
「これからは一緒に行動することが多くなるんだから、名前で呼ぼうよ。ね、灯里」突然名前を呼び捨てにされてドキッとしてしまう。
「そうだね。あたしのこともさくらって呼んで、灯里ちゃん」そうしてニッコリ笑う宮野さんはふわふわのウサギみたいで凄く可愛い。
「……分かった。よろしくね、さくらさん、美智留さん、沙良さん」『……』
要望通り名前で呼んだのになぜか沈黙。
口を開いたのは沙良さんだ。「……さん付けは禁止」
「じゃ、じゃあ沙良ちゃんで!」
流石にいきなり呼び捨ては難しい。
「んーまあそれでいいか」と沙良ちゃんが納得してくれたのでちゃん付けは出来ることになって安堵する。
そんな風に、道中は女子グループでの交流を主にしながら遊園地に向かっていた。強迫なんて大袈裟な。 ……いや、まあ。ちょっとは強迫っぽいかも知れないけれど。 昼食は何にしようかとなって、日高くんが「ハンバーガーで良くねぇ?」なんて言うから、また迫りそうになった。 ハンバーガーが悪い訳じゃ無いけれど、チェーン店のメニューでは野菜が少な過ぎる。 しかもセットメニューで頼んで付けるのは野菜じゃなくポテト。 気持ちは分かる。 あたしもどうしても食べたくなるときはあるから。 でもそういう時は夜などに多めの野菜を取ることにしてる。 日高くんがちゃんと夜に野菜を食べてくれるなら良いけれど、ちょっと疑わしい。 そんな話をすると、「ちゃんと食うから」と力なく言われた。 勢いのなくなった日高くんに、ちょっと色々言い過ぎちゃったかなと反省する。 なので、彼の言葉を信じてお昼はハンバーガーにする事にした。 でもこんな事なら家であたしが何か作った方が良かったかも知れない。 家を出て結構歩いちゃったから、もう無理だけれど。 店の中で注文した品を食べながら、話題はやっぱりメイクの事。 とは言え楽しいのはあたしだけで日高くんはもう相槌を打つことしかしてくれなくなった。 「ああ」とか「そうか」とか。 流石にあたしばっかり楽しく話しても仕方ないので、共通の話題を振ってみる。「そういえばGW明けたらすぐに中間テスト始まるね」 でも、その話題でも日高くんは嫌な顔をした。「GW始まったばかりだってのにテストの話すんなよ……」 まあ、確かにそういう反応になるよね。「そんなに嫌そうな顔するってことは、日高くんって勉強苦手?」 授業の様子を見ているとそれほど勉強が出来ない様には見えないけれど、いつも眠そうな感じだし、授業に集中出来ているのか怪しいところ。 苦手くら
一通り終えて日高くんの顔の全体を見る。 うん、チークやシェーディングは必要なさそうだ。 他にもコンシーラーが固まっていないか、眉のバランスはとれているかなど全体を見てチェックする。 うん、メンズメイク初心者としては満足いく出来に仕上がったと思う。 ゆっくり息を吐きながら、口元から笑みが零れる。「うん、完成」 鏡を持って、日高くんにも見えるようにする。「どうかな? 若さを出しつつ、男らしく見えるようにしたんだけれど。清潔感も出てイケメン度上がったと思わない?」 そう言って反応をわくわくと待っていたんだけれど、日高くんは何故か固まっていた。 自分の顔に見惚れてるとか言うわけではなさそうだけれど……。 むしろあたしが見られている様な?「えっと……日高くん?」「っ、あ……終わったのか……?」 いや、あたし完成って言ったじゃない。「そうだよ。ほら、どう?」 そう言って鏡を差し出して、同じことをもう一回言った。「……へぇ、何か色々塗ってたからどんなケバイ顔にされるかと思ったけど……。イイじゃん。思ったより自然な感じだし」 好感触な反応にニコニコと笑顔になる。「良かったぁ」 そう口にすると、日高くんがこっちを見てまた固まってしまう。 さっきからどうしたんだろう?「何? あたしの顔何かついてる? あ、まさか化粧崩れちゃってる!?」 だとしたら大変だ。すぐに直さなきゃ。 そう思って鏡を返してもらおうと手を伸ばすと、何故かサッと避けられる。「……ちょっと、鏡返して」「あ、わりぃ。つい何と
「さて、いよいよ本番。メイクするよ」 切り替えるようにパン、と手を叩いてから準備をする。 化粧品類を並べ、とっておきの化粧筆も用意する。 この化粧筆は高校入学祝いにってお母さんが買ってくれたんだ。 もう、文字通り飛び跳ねて喜んだよ。 しかもスポンジとは全く違う化粧ノリに感動して泣きそうになった。 化粧が崩れるから泣かなかったけれど。 そうして準備を終えると改めて日高くんの顔を見る。 乾燥はしていない。 |脂《あぶら》ぎっているところもない。 他に気になっているところは眉だけど……。「眉の余分な毛、抜いても良い?」「はぁ!? 痛い事するとは聞いてねぇぞ!?」 と両手で眉をガードされた。 仕方ないので目立つ部分だけ剃らせてもらうことにする。 剃り終えたら改めて、下地クリームからメイクの始まりだ。 目を閉じて、ゆっくり浅めの深呼吸をする。 そうして目を開けたら、あたしはメイクの事だけに集中するんだ。 人に施すときはいつもやっているルーティン。 下地クリームを塗りながら、どのパーツをどう描こうか。 イメージしていたものとの違いを修正していく。 最後の仕上げの時に調整できるように、描きすぎない様気を付ける場所を頭に入れる。 頭の中である程度のイメージが完成したら、コンシーラーで目の下のクマをカバー。 日高くんのは寝不足による青クマだろうから、オレンジのコンシーラーを乗せて指でぼかしていく。 そのうえで更にベージュ系のコンシーラーを軽く乗せ、同じようにぼかす。 あとは小鼻の赤みにイエロー系のコンシーラーを乗せた。 不摂生のせいで肌が乾燥していただけなんだろう。 肌に凹凸は無いし、ニキビも少ない。
一人暮らしだからそうなってるんなら、家に居れば良くなるって事だろう。「前言わなかったか? 俺の地元は隣の県なんだよ。そっから通いとか流石に無理だってーの」 言われて思い出す。 そう言えば日高くんが総長をしていたっていう火燕、だっけ? その火燕が主に活動していたのが隣の県なんだっけ。 と言う事は地元はそっちの方って事だ。 いくらこの辺りが県境の近くだって言っても、流石に遠すぎる。 確かに通いは無理だ。「……それなら、どうしてここに来たの? 地味男でいるなら近くの高校でも良かったんじゃない?」 ちょっと、突っ込んで聞いてみる。 応えが無かったらこれ以上聞かないようにしようと思ったんだけれど、日高くんは普通に教えてくれた。「親父に地味男になるって言ったのは今の学校に受かってからだからな。地味男の格好は、念のためってやつだ」「そもそもどうして総長やめてこっちに来たの?」 一番の疑問を口にすると、すぐには返事がなかった。 突っ込み過ぎたかな? と思ったけれど「あー……まあいっか」と軽い調子で呟き話してくれる。「俺の親父も昔総長やっててな。じいさんもどっかの学校で番長やってたとかで……いわゆる不良一族? とでもいうのか?」「……それはそれで凄いね」 コメントに困る。「とにかくそんなだから、小さい頃から護身術代わりにケンカの仕方ばっかり教えられてよぉ。まあ、不良になるのは当然の成り行きだよな」「そう、だね……」 ……ん? そうなのかな?「で、火燕はホント実力主義で、ケンカが強い奴が総長なんだよ。それでケンカの英才教育を受けてた俺は中学生にして総長になっちまった訳」「ケンカの英才教育&hellip
「さて、じゃあ早速始めようか。メガネ取って顔良く見せて」 部屋についてやっとメイクが出来ると思ったら元気が出てきた。 あたしは日高くんを座らせると、早速そう指示を出す。 日高くんは何やら諦めの境地に達した様な顔をして、溜息をつきながら指示通りメガネを取っている。 そうして見えやすいように髪をかき上げると、本当に溜息が出るほど整っている顔だなぁと思う。 ただ、すぐに肌や唇の乾燥。 そして目の下のクマに目が行き、頬が引きつる。 昼食の改善をしてみたけれど、すぐに効果が表れるわけじゃないから乾燥などは仕方がないか。 口元の傷はあともう少しで見えなくなりそうだといったところ。 日高くんの顔の状態を見てやっぱりと思いつつ、最初にやるべきことは決まった。「日高くん、まずは顔を洗って来て」「は?」 日高くんは意味が分からないとばかりに目をパチクリ。「……今朝、顔洗って来たけど?」 まあ、それはそうだろう。 不思議がる日高くんにあたしは説明する。「日高くん、朝の洗顔って水だけ? 洗顔フォーム使ってる?」「水だけだけど?」「うん、それはOK。じゃあ洗ってるときや顔拭くとき、ごしごし擦ってない?」「擦ってるな」「それよ!」 突然大きな声で指さしたので、びっくりさせてしまった。「そうやってごしごし擦ると肌に負担がかかって乾燥してしまうの。夜の洗顔も擦ってるんじゃない? 多分そのせいで乾燥肌になって来てるんだよ」「……はあ……」 解説しているあたしに、日高くんは気のない返事をする。 まあ、興味ない人に色々言っても仕方ないか。「取りあえず、そういう事だから顔洗おう。擦らずにね」
「それじゃあナンパ邪魔して悪かったなぁ?」 ニヤリと笑う日高くん。 そして彼はメガネを外してあたしを真っ直ぐ見た。「で? 仕方ないから俺で我慢しておこうとか?」 妖艶に微笑んでそんなことを言う日高くん。 これが本当に初めて会う女性とかならドキッとかするのかもしれないけれど……。「……」 あたしは寧ろ死んだ魚の様な目で見返していた。 予想外の反応だったんだろう。日高くんも何やらおかしいと気付いたのかメガネを戻して黙り込んだ。「はあぁー……。うん、取りあえず行こうか、日高くん」 大きなため息をついて、本当に用件だけを口にする。 何だか待ち合わせだけで疲れた。「え? 何で俺の名前……ってか行こうかって……く、倉木……なのか?」 本気で信じられないものを見たという驚愕の表情。 あたしはそれに容赦なく止めを刺す。「そうだよ、倉木 灯里です。もういいからさっさと行こう」 そう言って歩き出したあたしの背後で、日高くんの「嘘だろう?」という呟きが聞こえた。 歩き出してからも何度も「嘘だろ?」「マジで?」と聞いて来る日高くん。 あたしはそれにウンザリして|率直《そっちょく》に聞いた。「本当にあたしが倉木だって。そんなに変わった? 中学の時はメイクしたってちゃんとあたしだって気付いてもらえてたよ?」「中学の時なんて知るか! 普段の地味子しか知らない状態で今のお前見たらハッキリ言って別人だ!」 相当ショックだったのか叫びながら言われる。 でもその言葉で理由が分かった。「あ、そうか。中学の時は地味子してなかったっけ」 中学の時と違って、今はギャップがありすぎるんだ。