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言葉ではなく、触れることで

Author: 中岡 始
last update Last Updated: 2025-09-20 16:43:07

カーテンの隙間から、街灯の淡い光が床に細く落ちていた。

寝室の灯りはすでに落とされ、ベッドサイドの小さなライトが、ふたりの輪郭を柔らかく浮かび上がらせていた。

拓海はベッドの端に腰掛け、ひとつ深呼吸してから、隣にいる宏樹の顔をそっと見上げた。

宏樹もまた、静かなまなざしで拓海を見つめ返していた。

言葉はなかった。

けれど、沈黙の奥にあるものは、疑いや不安ではなく、ただ深く満ちた愛情だった。

ゆっくりと手が伸びてくる。

宏樹の指が、拓海の頬に触れた。

その熱は、皮膚を伝い、鼓動まで震わせる。

ゆるやかな動作で、髪を耳にかき上げられる。

指先がこめかみに触れ、頬をなぞる。

まるで、言葉を重ねるように、一筆ずつ丁寧に撫でられている気がした。

ふたりの呼吸が重なる。

耳の奥で、宏樹の息遣いが静かに混ざる。

ぬるい湿度のなか、シャツの裾から手が差し入れられる。

肌に触れた瞬間、細胞がじんと熱を帯びる。

拓海は宏樹の背中に腕を回した。

その広い背中に、爪を軽く立てる。

肌の上を滑る指先が、互いの温度を確かめ合う。

キスは最初、唇の端に、それからまっすぐに重なり合った。

舌の動きはゆるやかで、だが徐々に貪欲さを増していく。

「…拓海」

名前を呼ばれるたび、胸が震えた。

その声にすがりたくなるほど、愛おしかった。

「宏樹さん…」

思わず口をついて出る。

互いの呼吸が近く、汗ばむ肌がシーツに絡まる。

シャツが脱がされ、露わになった肩に、宏樹の唇が這う。

何度も、ためらいがちに、でも確実に、愛撫が繰り返された。

拓海の手が宏樹の頬をなぞり、顎に触れる。

軽く噛みつかれると、小さく息が漏れた。

自分がこんなにも、この人に求められているのだと、指先の感触と、熱に満ちたまなざしで理解する。

ベッドに倒れ込むと、宏樹がその上に覆いかぶさる。

体重がゆっくりと、だが確実に伝わる。

肌が擦れ
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