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4.運命の出会いと夜明け

last update Last Updated: 2025-10-12 21:33:09

「すみません、こんな豪快に食べて飲んではしたないですよね」

私が俯くと、男性はゆっくりと首を横に振った。

「そんなことはない。勢いよく食べていますが、箸の持ち方も食べ終わった後のお皿も綺麗じゃないですか。敬意を感じます。楽しんで美味しく食べるのが一番ですよ」

陸と婚約を決めてから、食事の席で注意しかされず、その度に育ちを馬鹿にされた。食事を楽しむなんてことは、すっかり忘れていた。

「失礼だったらすみません。今日は所用で来たのですが地元の方ですか。この地ならではの名産や旬のものが食べたくて、何を頼んだらいいのか分からなくて……」

店員への注文も丁寧な口調で、陸とは全く違う大人の余裕と育ちの良さを感じさせる。胸元に指しているペンには筆記体で「Yanagi」と彫刻されていた。

「ええ、生まれも育ちもここです。何か苦手なものは?」

メニューを開いて、彼の好みに合いそうな物をいくつか提案すると彼はすぐに注文をした。

「良かったら一緒に付き合ってくれませんか。好きな飲み物を頼んでください」

ドリンクメニューを差し出され、私も彼と同じものを頼んだ。

「あの、お名前は何てお呼びすれば――――。私は、世羅と申します」

彼が先に下の名前を名乗ったことで、私の中の警戒心が和らぐ。

「せら。素敵な響きのお名前ですね。私は、美月と申します」

偶然出逢った人と食事を共にするなんて今までなかった。しかし、世羅はどことなく懐かしいような安心感を覚えた。話す内容も、下心が見え隠れするものではなく、好きな作家や旅行での思い出など聞いていて新鮮だった。

「美月さんは結婚を考えたことはありますか?」

結婚、その言葉は刃になって私の胸に突き刺さる。しかし、初めて会った世羅に、陸や五年付き合った彼との暗い話はしたくなかった。

「結婚は、向いていないようで。話がなかったわけではないんですけど、どこかで崩れてしまうんです」

「難しいですよね、結婚って。僕も話が出たことはあるんですが、結局相手が見ているのは、僕自身ではなく、周りを取り巻く環境や肩書きだったりして。夫婦って対等で支え合うはずなのに、相手の向いている方向が違うことに気がつくと、僕自身も冷めてしまうんですよね」

『環境や肩書き』『夫婦は対等』――詳しくは言わないが、彼はきっと良家の育ちなのだろう。そして私と同じように対等な関係を求めている。その言葉がズシリと響いた。

「あなたとは初めましてなのに、結婚観を話すなんて何だか不思議な気分です」

「ええ、私も。でも、楽しいです」

視線と言葉が少しずつお互いの距離を縮め、絡み合っていくことを感じながら、その後も途切れることなく会話を楽しんだ。気がついたら閉店時間まで滞在し、私は彼と二人で店を後にする。鞄に入れていたスマホが何度か鳴り続けていたが、今は見たくなかった。

「あなたのおかげで、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。ありがとう」

店先で世羅は静かにそう告げる。この場限りだと分かっているのに、このまま別れることが小さく心を乱している。私は、ぎゅっと唇を噛みしめた。

「こちらこそありがとうございます。それではお気をつけて」

私が顔を上げた瞬間、世羅は私の表情を読み取ったように、静かに言葉を継いだ。

「――まだ、帰りたくないのでしょう。僕は帰したくない」

力を入れたら壊れてしまう、そんな儚いものを扱うかのように、世羅は私の頬にすっと指を伸ばす。滑らかに動く彼の小指が私の唇に触れた時、この指やこの人がこれからも私の人生に居続けることを願い、私は静かに唇を少しだけ動かした。その動きに小指が反応し、唇をゆっくりと縁どりながら撫でていく。

世羅の手に導かれ、私は陸が用意したあの時と同じシティホテルへと入っていった。あの時と同じシティホテル、よく知らない男性、状況は全く一緒なのに今は胸のときめきを抑えられなかった―――――。

エレベーターがどんどんと上へと上昇していく。止まった場所はあの時と同じレストランの一つ下の階で音を鳴らし、着いたことを知らせた。部屋に入ると、世羅は優しく私を抱きしめる。羽のように柔らかく温かい世羅の体温に包まれていた。

――――――窓の外は、もうすぐ夜明けを迎えようとしている。

この夜は、私への最後のプレゼントでもあり、現実へ戻るための束の間の休息だったのだろう。世羅との出逢いは、朝日が昇るのと一緒に忘れなくてはいけない。世羅の優しさに触れていると、このままここにいたいと強く願ってしまう。この思いは、私が元の生活に戻り、陸との生活に耐えるためには、邪魔をするものだった。

世羅の寝顔と長いまつ毛を目に焼き付けながら、私はそっと部屋を出た。

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