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第3話

Author: 望月図南

清夏の心臓が一瞬ひやりと凍りついた。

次の瞬間、彼女は飛びかかるように遠真に体当たりし、勢いのまま彼を床に押し倒した。

その隙に彼の手から合格通知書を素早く奪い取り、何食わぬ顔で言った。

「......ただの工作用の画用紙よ。大したものじゃないの」

遠真は顔をしかめながら立ち上がり、服の埃を払い落とす。

「清夏、お前もいい歳なんだから、いつまでも子どもみたいなことするなよ」

「明日の夜、会食がある。一緒に来い。ちゃんと身なりを整えておけ」

行きたくはなかったが、今はなにより気配を消すのが先だった。

──あと七日、この七日を、何事もなかったように過ごすしかない。

ホテルの車寄せに陸家の車が停まり、清夏が車のドアを開けた瞬間、エントランスから賑やかな声が聞こえてきた。

「陸社長、お久しぶりです!その隣の女性、お美しくて気品もある......ご婚約者の如月さんですね?」

乃愛が真紅のドレスをまとい、首には宝石が燦然と輝いていた。

彼女は上品ぶった仕草で手を口元に当て、くすりと笑う。

「そんな、ご冗談を。私はただの陸社長の助手です」

彼女の目尻がすっと清夏をかすめ、その笑みに棘が宿る。

「健康で容姿にも恵まれているのが、私の取り柄ですから。如月さんのように病弱ではありませんのよ」

遠真は小さく笑い、親しげに彼女の鼻先をつついた。

「おまえは口がうまいな。だが外じゃそんなに甘やかされないぞ」

「だってほんとのことだもん」

そう言って、乃愛は彼の肩にもたれかかる。

「それとも、陸社長は私に、もっと特別な役目でも......?」

その親密すぎる光景に、清夏は視線を背けた。

立ち去ろうとしたそのとき、遠真の声が背中から飛んでくる。

「宴が始まるってのに、どこへ行くんだ」

乃愛を抱いたまま彼は振り返りもせず、淡々と命じるように言った。

「いい加減にしろ。外で子どもじみた癇癪を起こすな。俺に恥をかかせたいのか」

清夏は二歩ほど後ろに下がってついていく。

純白のワンピース姿は、華やかな場の中で浮き、まるで付き人のようだった。

上流階級というものは、強い者を讃え、弱き者を踏みつける。

遠真の冷淡な態度に、他の客たちの目も冷たさを帯びはじめた。

酒宴が進み、三巡目の酒がまわったころ──ふらふらと酔った男が清夏のもとへ近づいた。

東駿(あずま しゅん)──東家の長男だ。

酒杯を揺らしながら、彼はいきなり清夏の顎に手を伸ばした。

「おやおや、これは如月家のお嬢さんじゃないか。お父様がどれだけ大事にしてたか、まるで温室の花のようだったが......今日見たら、たしかにイイ女になってるな」

清夏は彼を知っていた。

昔、彼女が外出を控えていた頃、駿は不良仲間を引き連れて彼女の部屋の窓の外で下品な言葉を叫んでいた。

「おとなしくて病弱な美人なんて、絶対面白いに決まってる」──そう言いながら。

あのとき、遠真は激怒して、夜中に東家に乗り込み、彼を半殺しにした。

──あれからずっと、彼は根に持っていたのだ。

清夏が一歩下がって避けようとした途端、駿はさらに図に乗り、腰に腕を回し、もう一方の手でスカートの裾をまさぐろうとした。

「なに澄ました顔してんだ。あの陸社長だって、もう新しい女に夢中なんだぜ?俺はまだお前を女として見てやってるんだ、感謝しろよ」

清夏はとっさに手近にあったグラスを掴み、中の酒を彼の顔にぶちまけた。

駿はそのまま大げさに床へ転がり、怒鳴り散らす。

「このクソ女!俺に水かけやがって!」

騒ぎは瞬く間に宴会場中の注目を集めた。

乃愛が遠真の隣から慌てたふりで叫ぶ。

「清夏さん、なんてことを......東家はうちの陸グループと大きな取引があるのよ?わざと敵を作って、会社を潰す気?」

遠真の表情が一気に険しくなる。

乃愛はすかさず給仕にタオルを持ってこさせ、駿に駆け寄りながら拭いてやった。

「すみません、清夏は長らく人前に出ていなかったので、ちょっと感情的になってしまって......」

「全部私の責任です。彼女はまだ療養中なんです......」

すぐに、あちこちからささやきが広がる。

「心臓病って性格にも出るの?わがままに育っただけじゃない?」

「如月家が潰れたら、人としてのマナーまで失ったのね」

「もとはお嬢様だったのに、いまやただのトラブルメーカー」

「乃愛さんのほうが、よほど品があるじゃない」

「陸社長も大変ね、あんな爆弾背負って......」

駿は周囲の同情を得て、ますます気勢を上げた。

「陸社長、この件、どうケリをつけるつもりだ?」

騒ぎの渦中で、清夏は遠真を見つめた。

まるで救いを求めるように。

「お願い、一度でいい、私を信じて......あの人が先に手を出してきたの。私は──」

「如月さん、人を陥れるのはやめてくれ!」

駿がすかさず遮る。

「俺の顔に泥塗るのは勝手だが、東家の名まで貶す気か?誰か、俺が触ったとこ見たか?」

沈黙が降りる。

誰も、何も言わない。

誰も、助けない。

遠真は清夏に目もくれず、駿の前に歩み寄ると、口を開いた。

「......西市の件、おまえの取り分にプラス三パーセント上乗せする。これで手打ちにしてくれ」

駿はにやりと笑う。

「さすが陸社長、話がわかる。──あんたの女は、もっと躾けたほうがいいぜ」

その一言で、清夏は横暴な女として完全に仕立て上げられた。

彼女は会場の片隅にひとり取り残され、辱められ、踏みにじられた。

「......遠真」

背を向けようとする男に、かすれた声で呼びかけた。

「一度だけでいい。私のこと、信じてくれないの?」

遠真は立ち止まり、振り返る。

その瞳にあるのは、ただ冷たく尖った嘲りだった。

「清夏......お前、まさか自分が天女にでもなったつもりか?」

「あいつはな、俺に誓って言ったんだ。一生、お前には指一本触れないって」

彼は清夏の腕を乱暴に掴み、会場の裏手へ引きずるようにして歩き出すと──そのまま手を放した。

「乃愛のこと、まだ根に持ってんだろう?東家にあたって俺に仕返しするつもりだったんだよな?いいよ、俺が金でケリつけた」

「でもな、そこまでしても......お前は、乃愛を許せないんだな?」
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