LOGIN陸遠真(りく とうま)に囲われていた女は失踪癖があった。 そのうえ見つかるたびに彼女は、如月清夏(きさらぎ さやか)の仕業だというのだった。 西村乃愛(にしむら のあ)が九度目の失踪を遂げた時、遠真は清夏をサウナルームに閉じ込めた。 室内の温度は容赦なく上昇していく。 60℃...... 70℃...... 80℃...... 清夏の顔は真っ赤に染まり、蒸し焼きのように息ができない。 その様子を前にしても、遠真は指に嵌めた指輪を弄びながら低く問い詰めた。 「これが最後のチャンスだ。乃愛をどこに隠した?」
View More血が滝のように流れ出し、遠真の額には汗がにじんでいた。それでも彼は舌を噛みしめ、声ひとつ漏らさず痛みに耐えていた。片膝をついたまま、打ちひしがれた敗軍の兵士のようにうなだれて、呻くように清夏に問う。「これで満足したか?」蓮は咄嗟に清夏を抱き寄せ、彼女の目元を手で覆った。これ以上、この凄惨な光景を見せまいとするように。長い執着の果てに、遠真が待ち続けた彼女の答えは――とうとう、最後まで返ってくることはなかった。――けれど、このすべてを経て清夏はようやく自分の心に素直になれた。彼女の胸の奥にあったのは、兄妹のような情ではない。蓮に対する、確かな恋慕の情だった。彼が傷つけば、胸が締めつけられるように痛んだ。彼女が危機に陥れば、真っ先に駆けつけてほしいと願う相手は、いつだって蓮だった。――それは、かつての遠真に向けた気持ちとは、まるで異なる。蓮への愛情には、依存はなかった。ただ、深い「信頼」があった。彼は決して裏切らない。軽々しく疑いもしない。それは彼の育ちや、歩んできた人生、そして人としての在り方がそうさせているのだ。篠原家の両親もまた、清夏の無事を聞いてすぐさま国外から戻ってきた。数日後――蓮は、両親に内緒で、再び清夏に想いを打ち明けた。今度は、二人きりの空間で。花束も、煌びやかなドローン演出もなかった。あるのは、彼が自分で焼いたケーキと手作りの夕食だけ。テーブルを挟んで座り、少し照れくさそうに彼は言う。「前は、みんなの前で言ったから困らせたよね」「でも今日は、俺たち二人だけ。どんな答えでも、気持ちをそのまま聞かせてくれればいい」そう言って、彼は自分の頬を軽く叩いてみせた。「何を言われても大丈夫。俺、打たれ強いから」清夏はじっと彼を見つめる。その視線があまりにまっすぐで、蓮はどんどん落ち着きを失っていった。思わず口を開こうとしたそのとき――清夏は、そっと頬に口づけを落とした。一瞬、彼は固まった。けれどすぐに、笑顔があふれ出し、彼女を抱き上げてバルコニーをくるくると回り出す。「清夏が......俺にOKしてくれた!やっと、お嫁さんができるぞ!」清夏は彼の肩をつついて言う。「誰が結婚するなんて言ったのよ」「もう、俺の中では決定事項だ
この時、清夏はもう遠真に理屈を説くことも、人間性に訴えることも通じないと悟っていた。だから彼女は、彼が一瞬気を緩めた隙を突いて踵を返しその場から逃げ出した。――けれど、数歩も行かないうちに、再び遠真に捕まってしまった。彼は清夏を再び二階の寝室へと閉じ込め、両手両足を鉄の鎖で繋ぎ、部屋の中でしか動けないようにした。食事は一日三食、すべて遠真が自ら運び、スプーンでひと口ずつ食べさせた。そのほかの時間も、彼は一時たりとも部屋を離れず、ずっと清夏の傍にいた。五年間、思い焦がれ続けたその顔を、もう二度と手放したくはなかったのだ。彼は清夏の額に口づけながら、囁くように甘く語る。「なあ、清夏......もう一度俺を好きになってくれたら、そのときは自由にしてあげるよ」清夏は、冷静に状況を見極めていた。そして逆に利用することにした。「もう好きになったわ。だから、今すぐ私をここから出して」だが遠真は微笑を浮かべ、首を振った。「でも、お前の目はそう言ってない。お前の目はね、俺を騙そうとしてるって教えてくれるんだ」「お前は俺の愛を利用してるだけだろう?」彼は決して清夏を解放しようとはせず、ただ日々その存在に酔いしれていた。――だが、この狂った日々も長くは続かなかった。やがて、蓮が警察を引き連れこの家を突き止めたのだ。到着したとき、遠真は慌てる素振り一つなく、いつも通りに清夏へ食事を与えていた。蓮は声を荒げて叫んだ。「清夏に手を出すな!!」しかし遠真は指を立てて、静かにと制した。「うるさい。彼女は食事中なんだ」「清夏は食が細くて、俺がこうして食べさせてあげないと、ちゃんと食べてくれないんだ」「俺が食べさせると、清夏はなんでも食べるんだ」その様子は、かつて清夏の父と親しくしていた頃の記憶のようにも思えた。――だが、それはもう遠い過去だ。遠真は最後の一口を口に運び、空になった器をテーブルに置くと、ようやく立ち上がった。そして清夏の前にしゃがみ込み、真剣な眼差しで尋ねる。「清夏......もう一度だけ聞く。俺のこと、本当に許せないの?」清夏はきっぱりと首を振った。「無理よ」「......たとえ、俺があの頃よりずっと愛しているとしても?」「それはあなたの勝手な気持ちでしょ。
薄暗い地下室には、どこもかしこも腐臭と湿気が漂っていた。乃愛は部屋の中央に膝をつき、両腕を左右の鉄鎖で高く吊り上げられている。かつて白かった服は、今や鉄よりも硬く、炭のように黒ずみ、まるで雑巾のようだった。髪は乱れに乱れ、頭皮にべったりと張りつき、見るも無惨な姿をさらしている。差し込むわずかな光に気づくと、彼女は反射的に顔を上げた。目の下の隈は幾重にも重なり、顔には煤のような汚れがこびりつき、表情すら読み取れない。長く孤独と静寂の中に置かれていたせいか、言葉という機能すら失われていた。しかし、目の前に現れたのが清夏だとわかると、彼女の瞳に一瞬だけ光が宿った。そして口をぱくぱくと動かし、「あー」「うー」と、うめくように声を漏らす。人か幽鬼かも見分けがつかないその姿に、清夏はしばし言葉を失った。「......これは?」隣で誇らしげに微笑んでいた遠真が答える。「乃愛だよ。お前を陥れたあの悪女さ」「お前が彼女を嫌がっていたの、覚えてるよ」「だから、お前がいなくなってからずっとここに閉じ込めてたんだ。戻ってきたら、好きにしてもらうつもりでね」「もうすっかり廃人さ。どう扱おうと自由だよ」その言葉に、乃愛の瞳の輝きは一瞬にして恐怖へと変わった。首を左右に激しく振り、震える目で清夏を見上げる。「違う......彼は言ったじゃない、清夏が戻ってきたら解放してくれるって」「どうして、約束が違うわ......」彼女は心の中で叫ぶが、声は出ない。このままでは自分がこの女に――かつて自分が裏切り、嫉妬した女に、処分されると悟っていた。だが、清夏はただ淡々と口を開いた。「......脚を一本折って、外に捨てておいて」その声には怒りも恨みもなかった。ただの処置のように冷静だった。清夏にとって、乃愛はそもそもどうでもいい存在だった。二人の間にあった確執も憎しみも、すべては遠真をめぐるものだった。つまり、原因は常に――この男だった。その瞬間、乃愛は涙ぐんだ目で清夏を見た。彼女は救われた、そう思った。......が、その直後だった。鋭い金属音が響いたかと思うと、遠真の手にあったナイフが、乃愛の胸を深々と貫いていた。彼は清夏の方を向き、目に狂気を滲ませながら、歪んだ笑みを浮
病院での一件のあと、蓮は清夏の身を案じて複数の護衛を手配し、昼夜を問わず彼女を護衛させた。彼自身も時間が空けば常に彼女のそばにいて、決して目を離さなかった。しかし、警備の交代の隙を突かれ、清夏は仕事場で何者かに薬を盛られて気を失ってしまう。再び目を覚ましたとき、彼女は両手を縛られたまま、あるプライベートジェットの座席に座らされていた。遠真がすぐそばにいて、彼女の手首に丁寧にガーゼを詰めているところだった。清夏は心の底から戦慄した。「どこへ連れていくつもり......?」彼はガーゼを押し込み終えると、縛っていた縄をさらにきつく締め直した。そして、まるで愛おしむように彼女の顔を見つめ、優しい笑みを浮かべながら言った。「清夏、家に連れて帰るんだよ」「お前が一緒に帰ってくれないから、こうするしかなかった。ずっとそばにいたいんだ」ジェット機は轟音を立てながら雲の中を突き進む。清夏はその音をかき消すように叫んだ。「放して!私にはもう家なんてない」「北市の陸家は、もう私の居場所じゃない!」遠真は人差し指を彼女の唇に当てた。「シッ......静かに。力を温存して。もうすぐ着くから」彼女は怒りと恐怖に満ちた目で男をにらみつけた。「こんなやり方で連れて行って、蓮が黙ってると思ってるの?私がいなくなったことに気づいたら、絶対に黙ってない!」その名を聞いた瞬間、遠真の表情が豹変した。目前の物を片っ端から叩き落とし、彼女の顎を乱暴につかむ。瞳には狂気にも似た嫉妬の炎が燃えていた。「また俺の前で、他の男の名前を口にするつもりか?俺を殺したいのか?」だがすぐに、自分の激情に気づいた彼は、呼吸を整えて取り繕った。「......ごめん、清夏。さっきは俺が悪かった」「お願いだから聞いてほしい。篠原蓮がどんな存在であれ、帰ったら彼のことは忘れてくれないか?」「俺がお前を誰よりも幸せにできる」彼の狂ったような目を見ながらも、清夏は不気味なほど落ち着いた声で答えた。「少なくとも、彼は私を無理やり従わせたりしない」遠真は一気に縄をたぐり寄せ、彼女の身体を乱暴に抱き寄せた。「お前が今そんなことを言うのは、まだ俺の本当の姿を知らないからだ」「俺は過ちを認めた。もう二度と同じことはしない」
reviews