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第10話

Author: 列星安陳
清志がゆっくりと目を開けた。

まるで長い夢から覚めたように、現実が遠い世界のように思えた。

「清志、やっと目を覚ましてくれたのね。

みんな心配でたまらなかったのよ。

特に澪なんて、目が覚めてからずっと枕元に付き添って、やつれてしまったくらいだわ」

澪は涙に顔を濡らし、泣き崩れていた。

「清志......私が悪かったの。

病院まで付き添わせたりしたから......全部私のせいだわ」

すすり泣きが病室を満たす中、清志は澪の頬を撫で、指先で涙を拭った。

昏い夢の中で――たしかに誰かが、涙に濡れた瞳で必死に自分の名を呼んでいた気がする。

「清志、目を覚まして」と。

あれは誰だった?

澪か、それとも結衣か?

思い出そうとしても、記憶は霞のように指の間から零れ落ちる。

「結衣は......どこだ?

どうして彼女の姿が見えない」

清志は病室を見回し、問いかけた。

「清志、怒らないで......結衣さんはね、あなたがずっと目を覚まさないって知ってここを出て行ったの」

澪は涙目で清志の母親に視線を送る。

清志の母が重く瞼を下ろして口を開いた。

「結衣は泣きながら園田家を出ると言ったわ。

私はそれを受け入れた。

清志、今こそ澪を大切にするのよ。

彼女はすべてを投げ打って、あなたのために尽くしてくれているのだから」

「でも......夢の中で俺を呼んでいたあの声は誰なんだ?」

清志が問い返すと、母は断言した。

「澪が夢装置をつけて、必死にあなたを呼び戻したのよ」

その言葉が、清志の最後の疑念を打ち砕いた。

彼は冷たい笑みを浮かべた。

「夫婦だから、せめて最低限の情くらいはあると思っていた。

だが俺はとうに気づくべきだったんだ。

あの女には心なんてない」

母はすぐに退院手続きを進めた。

澪は「一緒に園田家へ戻って世話をしたい」と願ったが、清志はそれを拒んだ。

ひとりで車を走らせ、家に戻った。

庭の花壇は、結衣が手をかけなくなったせいで、草木がしおれ、力なく首を垂れていた。

家に入ると、リビングも寝室も塵ひとつなく片づけられている。

だが結衣の持ち物はほとんど残されたまま。

唯一、机の上の宝石箱だけが空になっていた。

そこに収められていたのは、彼が結衣に贈った婚約のネックレス――彼女が一目で気に入り、清志が研究のボ
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