LOGIN「転売ヤー……。ニュースでよく観る方々ですね」
紫麻の相槌に宏美は身を乗り出す。
「ですよね !? 」
「はい。よく見ますね」
「ほぉ〜ら ! 言ったじゃん !
別に行列に並ぶくらいあたしでもするよ ? 限定スイーツとかさぁ。 でもそれは違くね !? 」「でも犯罪じゃないだろ。転売に関する法律は無いんだから」
「犯罪だよ ! 最近凄く厳しいの、知ってるでしょ !?
紫麻さん、ユウ君を止めて ! なんか言ってやって ! このままじゃ…… ! 」紫麻はヘヨンへ視線を落とすと、微笑んだまま問いかける。
「まず、祐介さんとヘヨンさん……どちらでお呼びすれば ? 」
「……ヘヨンでお願いします」
「ユウ君 !!? 」
祐介は宏美の意見より、梨花子との運命を選んだ。
いや、金を選んだのだ。「でも、転売はもう辞める。
けれど、リカコとは離れたくないんだ」もしもそれが本当なら問題は無い。
「梨花子さんがそれを望めば、二人円満に行きますね」
「そういう問題かな…… ! 信用出来ないよ !
リカコって人、信用できない !! そもそも本当に市役所にいるの ? 」「え ? いや、いつも市役所から出てくるし、迎えに行った事もあるよ」
「働いてんのは見てないんでしょ ? それなりの格好して市役所にいたら、誰でもそう見えない ? 職場の人を紹介されたり、親にあったりした ? 」
「してない……」
宏美が頭を抱えた頃、貸切中の札を無視して入ってくる客がいた。
「ぅおーい。なんだなんだ。『貸切中』なんて見栄張ってんのかぁ ? ここにそんな客……あ……」
突然入ってきた、神父姿の老人に宏美は面食らった顔をしたが、鹿野も鹿野でまさか本当に客が八本軒を貸切にしていた事に驚いた。
「あ、こんにちは……神父さまですか ? 」
「お、おう。ごめんな。教会が、そこの通りの教会の司祭なんだ。
あ〜暇なんで。そっちで一杯……いや、昼食食うだけだからよ」「鹿野。今日はお二人の貸切です」
「そう言うなよ。紫麻」
予想外の邪魔者に、祐介は無言で立ち上がると、荷物を抱え店から出ていってしまった。
「ユウ君 ! 待って !
……どうしてわかってくれないの…… ! 」宏美は祐介の背を追うが、すぐに項垂れ、八本軒へ戻ってきた。
「ヘヨンさんが梨花子さんと転売をやめれば丸く収まります」
紫麻の気休めに宏美は首を振り落胆する。
「絶対やめないよ……。あの女……自分の口座使えないなんて嘘んじゃないの !? せめて親とかさ。兄弟だっているかもしれないじゃん ! そういう人に口座借りればいいじゃん。 なんでユウ君のを狙うの ? 」
話をざっくり聞いた鹿野が白い無精髭をザリッと撫でる。
「確かにな。前に来た時、俺はこの席であのお兄さんの彼女見たよ。
なんつーかなぁ。あの兄ちゃんからは『梨花子が彼女だ』って感じがしねぇよなぁ ? 」「あたし、あの女大っ嫌い ! 」
カンカンに怒っている宏美に水を注ぎながら、紫麻が問う。
「ですが、これが詐欺や転売の事件と公になれば、ヘヨンさんも巻き添えでとても良い未来が待っているとは思えません」
「……悪いのはあの女なのに……。
あ !! ごめんなさい ! せっかく招待して頂いたのに、何も注文しなくて !! 」「いえ。興味深いお話でした。それにわたしもお兄さんが心配です」
「紫麻さん…… ! 優しい ! 好き !
えっと、じゃあ注文を……うわぁ〜全部美味しそう ! ん〜 ! ごめんなさい ! 邪道を承知で、このチーズ春巻きをお願いします !! 」「チーズ春卷(チュンジュエン)。かしこまりました」
紫麻が厨房へ消えると、鹿野が絡んできた。
「お目が高いな〜。チーズは自家製じゃないし、皮に包んで揚げるだけ。不味くなりようのない料理だなへへへ。兄貴からここが不味いって聞いてたんだろ ? 」
宏美は観念したように紫麻に聞こえないよう声を殺す。
「聞きましたけど、こんな雰囲気いい店で料理だけが美味しくないって有り得ますかね ? 」
「俺も不思議ぃ。ま、たまに当たりの飯が出るんだが、裏技があるんだ」
「それは !? 」
「鹿野神父。お喋りが過ぎます」
「ひっ !!? 」
気付かぬうちに紫麻が皿と烏龍茶を片手に佇んでいた。
「いや、なんも」
「お待ちどおさまです。チーズ春卷でございます」
パリッとした皮はパイのように軽そうだ。何より上げすぎていないのがホットスナック的で、無性に小腹に訴えてくる。
「いただきます〜 !! ん ! 凄っ」
宏美が齧る度にザクザクっと音がする。
「ん〜っ !! ……ん〜……」
宏美の笑みが強ばる。
ふと箸で掴んだ春巻きの中を見ると、中身のチーズは全く溶けていなかった。 そもそもチーズの味がいまいちなのだ。まるで固形石鹸の春巻き。「美味しいけど……実は紫麻さんに会う前、食事済ましてて。入るかなって思ったけど、バイキングだったからキツいです。
これ、持ち帰っても大丈夫ですか ? 」「はい。パックは無料です」
紫麻がパックに宏美の残った半分を詰めながら微笑んだ。
紫麻は無言でわざとらしく広げた新聞を読んでいる。見た目の美しさに反して、そんな子供のような仕草をする紫麻が、海希は親しみ深くて仕方がなかった。 鹿野に対して、ゴミを溜め込んでいたのもそうだ。 完璧超人などいない事を目の当たりにし、自身の精神バランスを保っている。海希は元の元気を取り戻しつつあった。「紫麻さん、海から人型で上がっ来たなんて人魚姫みたい ! 一番最初に何に驚きました ? 車とか !? 料理とか ! ?」 紫麻は即答した。「煙草だな。水中では火が使えんから驚いた」「……聞くんじゃなかった……。そんな不健康でヤサグレた紫麻さんの話 !! 紫麻さんは人魚姫ってより、浦島太郎を振り回す乙姫様っぽいです ! 」「わたしは構わないが ? 魚人でも、乙姫でも。だが乙姫も神じゃないか」「うぅぅ〜 ! 開き直ってるぅ〜 ! 」「わたしが乙姫なら浦島太郎に玉手箱いっぱいの煙草をプレゼントするな。 さて、そろそろ十一時だ。暖簾を出す。 鹿野、いつもの席に行ってくれ」 鹿野はブツブツと浮世絵集を見ながら、カウンター席の隅に座る。「玉手箱の煙が煙草〜 ? そりゃあ老化も激しいでしょうよ……」 海希は赤いエプロンを着けると、卓をアルコールスプレーで綺麗に拭きあげて行く。 紫麻が暖簾を出してから暫くして、そろそろ昼時と言う時だった一人の男性が八本軒の引戸を開けて入店した。 カラリンッとベルが鳴る。「いらっしゃいませ」 紫麻が厨房から声をかけると同時に、海希が驚いた顔で「いらっしゃいませ」と小さく呟く。「あれ…… ? ヒロミ ? 」 男性は海希を見て動揺していた。「う、うん。もうあそこ辞めたから。今はここでお世話になってんの」「あ、ごめん。じゃあ……海希ちゃんだっけ ? 」
「ところで、紫麻さんの変身 ? って魔法なんですか ? 魔法使いなの ? 」 この質問には鹿野もスッと顔を上げた。 ただいま泥酔レベル20%だ。まだ酒は回っていないが、近所の煩わしいオッサンレベルだ。「世には色々な宗教があるだろう ? 人間は信仰の違いで争いになる事もあるようだが、実際にはどこの宗教の神も互いに認識しあっている。『隣の家の○○神さん』くらいのものなんだ」「へぇ……神様同士で争ったりしないんですね」「昔は対立もあったし、そもそも一つの宗教の中に悪がいるパターンもあるから、争いの相手はそっちの方が主だ。 つまり天使と悪魔というものがまさにそれらだ」「なるほど〜。えー ? でも仏教って悪魔いなくないですか ? 」「厳密に言えば仏教にも『修行の妨げをするよう仕向けるモノ』がいるが……。 まず、悪役が無い宗教は無い。何故なら宗教ってのは悪の心を収め、正しい道を照らすものだ。悪を説明出来なければ、例えが俗物的になってしまう」「あぁ〜宗教とかはあたし、よく分かんないですね。 で ? お二人はどんな存在なんですか ? 」「聖書の天使に、ガブリエルという大物がいてな……」 紫麻が煙草を咥えると、鹿野が取り上げる。「俺に副流煙を吸わすな ! 緩やかに自傷行為するな ! 」「煙草は自傷行為じゃないし、それで言うとお前の酒もどうかと思うが ? 」 このままでは話が逸れてしまう。海希が慌てて聞き返す。「あ ! ガブリエルって知ってる。ゲームで聞いたことあるかも ! 」「その大天使に仕えていたのが我々二人だ。 わたしは『神の願いを現す者』、鹿野は『力と知恵の調和を現す者』として存在し、神器である『神の戦車』を守護していた」「戦車 ? 神様が戦車を運転するんですか ? 」「神の戦車は『メルカバー』と呼ばれている。その存在は先日見た通りだ。 わたしが鹿野に乗る事で『メルカ
10:30──仕込み完了。 深緑色のチャイナドレスを着た紫麻は新聞を広げ、少し出遅れた朝のニュースをホールのテレビ下で聴いていた。『続いてのニュースです。 砂北市で小学四年生の女児の行方が昨日から分からなくなっており、警察が現在も捜索を続けています』 紫麻がふとテレビを見上げる。「近所じゃないか……」 八本軒がある住所がまさに砂北市なのだ。全国放送で流されるその慌ただしさに、不気味さを感じた。煙草を持つ手を灰皿の上に止め、川をさらう警官たちの映像を見つめる。『行方が分からなくなっているのは、砂北市内に住む 十歳の森野 風花さん で、昨日夕方、小学校から帰宅途中に行方が分からなくなり、家族が夜になって警察に届け出ました』「……」 険しい顔で画面を見つめていた紫麻が、今度は手にした新聞を地方記事へ捲る。 そこには放送中の女児ではない、別の女児死亡の記事が載っていた。「……『何者かに襲われた可能性……』。 こういう屑は何度でも湧いて出るようだな……」 冷たく呟く。 刹那、ホールの電飾がブゥンと音を立てて暗くなる。『警察はどんな些細な情報でも構わないとして、市民に情報提供を呼びかけています』 だらりと垂れ下がった提灯の赤。紫麻の白い顔を照らす。 紫麻の脳裏に蘇る十六年前の記憶の欠片。 唯一、喰い損ねた巨悪の存在。片腕だけは喰ったが、結局逃げられてしまった女児好きの男。「……まさか、な」 時間が経過し過ぎている。同一人物ではないだろう。 不気味な程に光量の落ちたホールの中、二人の存在が突然騒ぎ出した。「なになに !? 急に暗い ! 停電 !? でも提灯はちゃんとついてるし、何これ !!? 」 海希だ。 そしてそのそばで鹿野が呆れた顔で本を捲っていた。
今から十六年前──当時十四歳だった鏡見 彰人は下校中だった。 比較的勉学の成績に問題のない彰人の家庭は母子家庭で、塾に行くなら手伝いをしろという母親の教育方針だった。 彰人も別段不満はなかった。 運動神経は平均値で、今から成績の良い運動部に入るには些か出遅れと感じたこともあり、活動時間の短い科学部に入部していた。 その日も活動は小一時間程で帰宅は各自自由となり、すぐに学校を飛び出した。 はやく帰りたい理由。 それは当時小学六年の妹、朱音《あかね》の存在だった。 年が近くとも不器用な兄の彰人をフォローする大人な一面もあるが、まだまだ子供らしく甘えたい盛り。母親はほぼ家を空けている時間が長く、朱音が下校し彰人が帰るまでしか家にいない。艶の無い髪をまとめ、必死に働く母に二人は何も言わず乗り越えて来た。 その日、自分の公営住宅まで来ると、台所のある三階の小窓を見上げた。 灯りが点いている。 母親が夜勤に行く前に、今から夕飯を作っている証だ。機嫌良く階段へ向かい、再び台所とは反対にある妹の部屋の窓を見上げる。恐らく母親にドヤされ、宿題をやらされてむくれているだろうとクスりと微笑んでしまう。 しかし、見上げた一瞬で急に全身の血の気が引いていった。 妹の部屋の窓。 そのカーテンが半分閉じ、そこへ何やら赤黒い液体が付着しているのが分かった。 付着……とは大まかな表現で、飛び散っているといった方が正しいかもしれない。 カーテンはアイボリー色だった。そんなおぞましい柄など記憶になかったのだ。「な…… ? あ…………っ ! 」 ガクガクとその場で立ち尽くす彰人の足はまだ動かない。 次の瞬間。 ガラス窓にパーンッと何かが張り付くのが見えた。 その奇怪な蛇のようなモノは、鱗が無く、伸びたり縮んだりをし、何か丸い吸盤が沢山ついていた。「はぁっ……はぁっ !! あ、朱
「改めて、先日はありがとうございました」 カウンター席。 鹿野のそばに座った海希は二人に頭を下げた。「キャリーケースの中身を見た時、もっと心配しておくべきでした。本来、あのロープを見て、そのまま帰すべきではありませんでしたね。 そして、まさか他の勢力から被害を受けるとは……」「あたしもびっくりしました。祐君が横島って人が知り合いか友人にいるみたいだなって……一緒に住んでて知ってたけど、リカコの旦那さんだったなんて」「嘘に嘘を重ねていたのですね」 紫麻は苦い笑みで海希を厨房から見下ろした。「海希さんはいつから気付いていたのですか ? 」「えっと……去年の秋にあたしがキャバを辞めて、繋ぎにコンカフェのバイトに入ったんですけど……。そこ凄く楽しくて ! 結局最近は多めにシフト入れてたから生活に余裕はあったんです。でも、入った当初は流石に薄給で…… その時ですね。祐君がリカコと出会って、あたしに冷たくなったの。 浮気されてこのまま捨てられるのかなって……思って。あたし祐君のスマホ、見ちゃったんです」「何が書いてあった ? 」 鹿野の深追いは当然の問いだ。海希は肩をギュッと抱えて震え始めてしまった。「祐君が……あたしの一つ前の元カノを、あの現場で埋めた事……。他にも。なんか今までもやってた感じで」「なんてこった……。警察には ? 」「言えませんでした。スマホ見た事とか、紫麻さんのことも。 でもあの現場は調べるはずだし、あたしが言わなくても……」「冷静な対処です。取り乱して祐介さんにスマホを見たことを告げていたら、もっと早くに危険な目に遭っていたかもしれません」 紫麻の言葉に海希は今一つ浮かない顔をした。
「何事も無神経に生きるくらいがちょうどいいよねぇ〜」 カプセルホテルの小さなベッドの上で、海希はレンタルタブレットを持ったまま呟いた。 警察署を出た海希の行く宛ては無く、現場から警察が回収した、身分証明書と僅かな金の入った財布だけが帰ってきた。 とはいえ、このまま住み着く訳にもいかない。「いや、別になんて言うか挨拶しに行くだけだよねぇ。ほら、助けて貰ったし」 海希は八本軒に行くかどうか考えあぐねていた。「いやいや、あたし紫麻さん料理してるとこ裏切って見ちゃったしなぁ〜。怒ってるかな…… ? でも助けて貰ったよね ? 」 ドン !! 不意に隣人に薄い壁を叩かれる。(す、すみません〜) 現在二十一歳。 綺麗なミルクティー色に染めた髪もそろそろプリンになってしまう。 家出少女だった彼女にとって、自立して生活をするのは容易いほど根性はあった。 ホテルに来てから減り続けているだろうキャッシュカードの中身を考え職業情報誌を手に取ったが、問題は現住所だ。 今まで稼ぎに稼いだ海希の金は祐介を通し横島へ……更にその上の者に流れてしまっている。取り返しがつかない。 最初に思いついたのは八本軒で鹿野に言われた気遣いだった。「教会のお手伝いかぁ。住み込みって言ってたし……もう選んでる場合じゃないよね。でも、鹿野さんも……だよね ? 鹿 ? カモシカ ? あっ !! だから『鹿野』なんだ」 ドン !!(やべ !! すみません ! ) だとすると、紫麻から生えた触腕を思い起こし確信する。(蛸……だよね ? 烏賊 ? うーん、でも紫麻さんってオクトパックス推しだし、やっぱ蛸の……なんだあれ。化け物 ? なんで鹿と蛸 ??? 一緒に住んで大丈夫なのかなぁ〜。はぁ〜……)