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9.木須肉定食

last update Last Updated: 2025-11-16 16:00:00

「少し落ち着きましたか ? 」

「ええ。そうですね。

 出来ればユウ君には問題にならないうちに辞めてもらいたいです」

「まぁ本人曰く、転売辞めるってんだから、少し様子を見たらどうだ ? 

 そういう人生を兄貴が望んでるなら仕方ねぇがな」

「……そですね。

 紫麻さん、神父様、ありがとうございます。そうですよね。子供じゃないんだし……あたしが何を言っても……。

 紫麻さん、今日は休業日なのに、本当にありがとうございました ! 」

 紫麻は宏美の顔をジッと見つめると、ただ普通に。何も無かったかのように柔らかな笑みを浮かべた。

「ヒロミさん、またいらして下さいね」

「はい ! えっと……チーズ春巻きおいくらですか ? 」

 レジに向かった宏美が紫麻を制する。

「わたしがお招きしたんです。これはお茶菓子ですよ。商品ではありません」

「え !? いいんですか !? 

 紫麻さぁん ! 好き ! 」

 宏美は店を出ると紫麻が見えなくなるまで手をふりふり帰って行った。

「……人間というものは……」

 紫麻はシガレットケースから煙草を取り出し人を付ける。

「何故こうも個体によって違うのか……分からん……。

 さてと……鹿野、自由にしていろ。着替えてくる」

 二階ヘ上がるとクローゼットを開く。

「Tシャツはいいが、このスキニーというものは窮屈だ。

 それに……今日はこれだな」

 紫麻は深紅の生地に金糸の刺繍があるチャイナ風ドレスを取り出した。

 現代において、チャイナドレスを普段着する者は観光地など、特殊な場所のみだが紫麻は上半身の露出がなく、ミミックになった時も大きく入ったドレスのスリットがあれば服が破れる心配がないから気に入っているに過ぎない。

 素早くオクトパックスのシャツを脱ぎ捨てると、赤いドレスに身を包み一階へ戻った。

「いつも思うけどよ。いくら中華屋ったって、どこの食堂もそんなチャイナドレス着て料理しねぇよなぁ。

 せめて漢服とかよ。他にもあんだろ ? コック服なんかそれこそ襟が詰まってるの 」

 紫麻は紐を締め、襟元を正すと大きな中華鍋を取り出す。

「これは制服と同じようなもの。この店で着る、特別な日専用の戦闘服。深海で赤は重要な色だ。験担ぎでもある」

 そう言い、最後にカウンター席の上部に隠してある、紅布に金糸で刺繍された暗幕を垂らしていく。

「……鹿野。昼飯だったな。食わせてやる。

 本気でヤるから、『特注品を仕入れ』したい」

「おっと…… ! うぇっへへへ ! そういう事か。

 じゃあ、木須肉(ムースーロー)って気分だな ! 」

「……木須肉定食。かしこまりまった。

 絶対に厨房を覗くなよ」

「今更俺に隠さんでも……」

 直後、変貌する店の空気。

 ジジッ……ジッ…… ! 

 蛍光灯がチリチリと音を上げ、不可思議に光量が落ちる。裸電球は点いたり消えかかったり、安定しないのが余計に鬱屈してしまいそうな内装だ。

 それはまるで悪魔が襲来した空間のように。真っ暗な店内で、提灯とドレスの朱色だけがぼんやりと浮かぶ。まるで深く深く海の底にいるような気分に、鹿野も目を閉じこのテリトリーを静かに受け入れる。

 日本どころか、この世ではない場所に感じるのだ。

 鍋に油を数回出し入れ一気に温度を上げ、そこへ溶き卵を投入する。

 ジュワッと音を立て火が通る頃、炸鏈へ移し具材を炒める。特に大振りのキクラゲは山の恵みとは思えない食感だ。

 中華鍋を振る紫麻の形相はいつもの笑みは消え、鋭い視線で火を見つめる。

 最後にスパイスと具材、玉子を合わせ、青菜の色が鮮やかなうちに大皿へ叩きつけるようにガンッと鉄勺(ティエシャオ)が落ちる。

 豆腐のスープと白米、小菜のザーサイを付けて完成。

 鹿野へ差し出す。

「お待ちどおさまです。木須肉定食でございます」

 テーブルに置いた振動で玉子がフルリと揺れ木耳が弾む。立ち上がった湯気に顔を近付け鹿野はゆっくりと香りを楽しむ。

「ウヘヘ。俺ァこの為にここに来てんだ」

 嬉しそうにレンゲを持つと木須肉を掬い白米へ落とし髭につくのも構わずかきこんでいく。

「ん〜っ !! うめぇなぁ〜 ! 

 いつもこんだけのモン出せよなぁ !! 」

「嫌だ」

 紫麻の料理は7割が不味い。

 だが、ある一定の条件で味が激変する。通常、人間なら『やる気』や『経験値』があるかないかだろうが、紫麻はそうではない。

『怒り』である。

 怒りの感情が強いほど、美味になるのだ。調味料が変わる訳ではない。味付けや仕込みが変わる訳でもない。

 ただ紫麻の髪の一部から伸びた触腕がスピードと火力を要する中華と相性がいい。否、料理自体がそういうものである。同時に違った作業が可能で、全てを手早く完遂することが出来る上、力仕事も問題ない。

 鹿野はその姿で調理をした時のみ、紫麻の料理が絶品であることを知っている。味をしめて通っている節まであるのだ。故に普段は酒を持ち込むだけで注文はしない。

「ご馳走様〜。いや、食った食ったぁ。

 で ? 何が入り用だ ? あのカップルに横槍入れんのか ? 」

「実は以前、リカコさんは見かけた事があるんだ。オクトパックスの限定ショップで。合点が行った。……くっ ! あの時、わたしが手に入れるはずだったノベルティのぬいぐるみ…… ! 恨みは一入…… ! 

 ヒズキエル。お前の幻視能力を借りたいのだが」

「ぬいぐるみ如きで……あの姉ちゃんお前に恨まれんのか……。まぁ転売ってのはどんどん悪質になってるらしいなぁ。昔もあったよなぁ ? あれは……お菓子とカードのやつだったか ? あれは転売とは違うか。まぁいいけどよ。

 幻視かぁ。俺も天使の頃のような力は残ってねぇんだよなぁ。だが俺は元山の神だ。この飯を対価に用意してやるよ。

 あと鹿野って呼べよ、カシエル」

「わたしも紫麻だ。……鹿野……。もう随分経つのに互いにしっくり来ないな。

 お前の言う通り、重罪とはいかないが、お仕置きはしないとな」

「怖い怖い。じゃあ明日朝イチ。持ってくる」

 鹿野が帰るとすぐに紫麻は準備に取り掛かった。

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