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第13話

作者: 一燈月
小夜は、今しがた口にした言葉を撤回する気はなかった。彼女にとって、天野陽介という男は終始一貫して病的な人間、その一言に尽きた。

しかし、この狂気じみた男と、これ以上言葉を交わす気もなかった。

頭がおかしく、次に何をしでかすか分からない放蕩息子。まともな理屈など、到底通じる相手ではない。

彼女は身を翻してその場を去ろうとしたが、陽介に腕を掴まれ、強引に引き寄せられた。あまりの力に、腕が折れるかと思うほどの痛みが走る。

小夜は低く唸った。

「放して!」

陽介は彼女をきつく掴んだまま見下ろし、その目に狂気を宿していた。

「高宮、警告しておく。もし圭介と若葉の邪魔をするようなことがあれば、どうなるか分かってるだろうな」

彼は嘲るような笑みを浮かべた。

「俺のやり方は、お前も知ってるだろ」

知っているどころではない。過去の嫌がらせや屈辱の数々を思い出し、小夜の瞳は氷のように冷え切った。

彼女は抵抗をやめ、目を伏せてしばし沈黙すると、再び顔を上げた時には、その顔に完璧な笑みを浮かべていた。

「天野陽介、あなた、幼稚じゃない?

それにしても、可哀想な人ね。もう何年……」

小夜は首を傾げて少し考えると、楽しげに言った。

「うん、十数年にはなるかしら。相沢若葉のことがそんなに長く好きなのに、全く実らないどころか、彼女と自分の親友をくっつけようと必死になるなんて。

その忠犬ぶりと友情には、本当に涙が出そうよ。健気すぎて、見ていられないわ」

陽介の顔がみるみるうちに怒りに染まる。彼が何か言おうとする前に、小夜は彼の頬を軽く叩き、心底残念そうな顔をした。

「でも、あなたの状況、すごくよく分かるわ。本当に。だって、あなたにはその顔とお金以外、見るべきところは何もないもの。

何から何まで長谷川圭介に敵わない。若葉があなたを相手にしないのは、彼女に見る目があるってこと。あなたに自覚があるなら、それが人生で一番マシな判断だったってことよ」

陽介は、小夜のこれほど歯に衣着せぬ物言いを聞くのは初めてだった。これまでの物静かな姿とはまるで違う。笑っているのに、その眼差しは鋭く、人の心を容赦なく突き刺すようだった。

彼は一瞬、呆気に取られて我に返れず、頭がくらくらした。

小夜はその隙に腕を振りほどき、掴まれて痛む腕を揉んだ。気分は決して良くなかったが、顔には終始、穏やかな笑みを浮かべていた。

そうした振る舞いは、彼女にとっては半ば本能のようなものだった。

感情を表に出すのは好まない。必要か、役に立つ時以外は。普段は、怒りが増すほど表情は凪ぎ、その笑みは風のように淡くなる。

もっとも、目の前の男に対して本気で怒る必要もなかった。

彼は、病気なのだから。

すぐに気持ちを切り替えると、小夜は爆発寸前の陽介の顔を見つめ、静かな口調で言った。

「天野陽介、確か、あなたにお兄さんがいたわよね」

陽介ははっとし、すぐに眉をひそめ、冷たく小夜を睨みつけた。

「何が言いたい?」

小夜の視線が陽介の顔の輪郭をなぞり、ついに、午後、山荘で会ったあのミステリアスな顧客に対して感じた既視感の正体にたどり着いた。

似ている。あまりにも、似ている。

二人の雰囲気は全く違う。一人は温和で優雅、もう一人は奔放で軽薄。しかし、目鼻立ちの骨格は、明らかに似通っていた。

小夜は芸術への情熱をファッションだけに留めず、絵画にも深い造詣があった。人物画を多く描いてきたため、人の骨格からその人の本質や容貌までを見抜くことができる。冷静になった今、すぐにその繋がりを理解した。

圭介と結婚する前から、陽介に兄がいることは知っていた。しかし、これまでの数年間、一度も会ったことはなく、ただ名前だけを聞いていた。天野宗介、と。

その人は非常にミステリアスで、陽介よりも三、四歳年長だった。早くから国内外を頻繁に行き来し、海外に住んでいることが多く、国内の社交界にはほとんど顔を出さない。

何をしているのか小夜も詳しくは知らなかったが、その界隈では傑出した人物で、上流階級の同世代の中では、誰もが羨む優等生のような存在だった。

兄の宗介がエリートなら、弟の陽介は出来損ないだ。

午後に会った、物腰が柔らかく、優雅でありながら威厳を漂わせるあの男性を思い出し、目の前の陽介を見る。小夜は心の中で首を振った。

この天野家の兄弟は、本当に天と地ほどの差がある。

あの人がこの時期にパーティースーツをオーダーし、国内にいるということは、何か重要なイベントに参加するのだろう。拠点を国内に移すつもりなのだろうか。

それにしても、宗介の周りはあれほど厳格な作法で満ちていたのに、そんな家でどうして陽介のような、規則を物ともしない奔放な遊び人が育つのだろう。

抑圧されすぎて突然変異でもしたのかしら……それとも、ただ甘やかされてダメになっただけか。

しかし、自分も家のことで手一杯だ。他人の家の事情に首を突っ込む暇はない。ただ、陽介には二度と自分の前に現れてほしくなかった。

小夜は腕を揉みながら、淡々と言った。

「ただ言いたかっただけよ。もういい大人なんだから、お兄さんみたいに、年相応のことをしたらどうかって」

その一言を言い残すと、小夜はもう陽介を無視し、身を翻して駐車場から出て行った。

陽介が手出しできないことは分かっていた。今日まで、噂に名高い天野家の長兄に会ったことはなかったが、その逸話はいくつも聞いていた。

陽介は、この兄を非常に敬い、そして恐れている。

兄の宗介が国内にいる限り、陽介は大人しくし、騒ぎを起こそうとはしない。大学時代のように、また実の兄に足を折られて入院したくない限りは。

それに、小夜はもう我慢したくなかった。もう、うんざりだった。

陽介が何か仕掛けてくるなら、受けて立つ。自分、高宮小夜が、そんなに簡単に扱える女だと思われたら困る。

彼女の後ろで、陽介の顔は完全に怒りで歪んでいた。拳を固く握りしめ、暗い瞳で小夜の去っていく背中を睨みつけ、歯を食いしばって一言一句、絞り出した。

「た、か、み、や!よ、く、も!」

……

駐車場を出た後、小夜は陽介の言葉のせいで予定を変えるようなことはしなかった。

たとえ圭介と若葉が本当にこの辺りで食事をしていようと、自分はやましいことなど何もない。どうして避けなければならないのか。

小夜は堂々と、目当ての店へ向かった。

食事を終え、果物をいくつか買うと、小夜は車でアトリエへ向かい、徹夜でポートフォリオの制作を続けた。

顧客に依頼されたパーティースーツは無事に完成したが、大叔母が月末には帰国する。ポートフォリオに残された時間は、もうあまりなかった。

急がなければ。

……

一方。

陽介は約束の個室へ駆けつけた。ドアを開けるなり、友人たちに遅刻をからかわれ、罰として何杯か飲まされる。

立て続けに数杯あおると、陽介の視線はソファの一角を捉えた。

圭介と若葉がそこに座り、美男美女が並ぶ様は、まるで一枚の華やかな絵のようだ。二人は顔を寄せ合い、笑いながら何かを話している。

陽介は黙って一杯飲み干し、彼らのそばへ行って腰を下ろした。

若葉が振り返り、心配そうな眼差しで彼の手からグラスを取り上げた。

「何も食べずにそんなに飲んで。胃に悪いわよ」

陽介はへらりと笑った。

「若葉に心配してもらいたくてね」

「もう、いつも心配させて」

若葉は口では文句を言ったが、その目元は笑っていた。光と影の中で、その姿は夢のように美しい。

陽介は一瞬見とれたが、圭介の底知れない切れ長の瞳と視線が合い、はっと我に返った。そして、気まずそうに少し視線を逸らす。

彼の心の中では、若葉は圭介と結ばれるべき存在だった。

今の自分の視線は、明らかに度を越していた。当然、不適切であり、圭介に見つかってしまえば後ろめたさを感じる。

若葉はその様子を見て、唇を覆ってくすりと笑った。その瞳は、喜びに満ちている。

彼女は自ら場を和ませるように言った。

「陽介、今日私たちを呼んだのは、何か話があるからでしょう。もったいぶらないで、早く教えてちょうだい」

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